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【希望大国ブラジル】 産経ニュースWEB版より
2011年に入って日本で俄然ブラジルが注目され始めている。東洋経済誌がブラジル大特集を組んだり各種ミヂアでブラジルが大きく取り上げられている。その一つが産経新聞の【希望の大国ブラジル】特集で現在第2部まで記事になっており『私たちの40年!!』でも毎回、BLOGに転載させて頂いている。これからまだ第3部以下に続くものと思われるが、実はこの特集のブラジル南部版を執筆する予定の徳光一輝記者のポルトアレグレ、ペロッタスの取材をお手伝いした。この第1部掲載中に東日本大震災が発生一時掲載停止していたが第1部の最終編を「地球の反対側の味方」として経済躍進するブラジルと日本の100年に渡る移住者がいるブラジルとして捉えている。
写真は、『世界遺産にも登録されたサルバドル旧市街。ブラジル東北部は最も貧しい地域だった(早坂洋祐撮影)』を使用させて頂きました。


第1部(1)伸び続ける経済 「未来は現在になった」
高層マンションやショッピングモールが次々と出現する。ブラジルの成長を象徴する光景だ=サルバドル(早坂洋祐撮影)
 建設中の高層マンション群が空へと伸びる。地上では世界中から集まった自動車ディーラーが商機を求めしのぎを削る。地球の反対側、南米ブラジルの中でも最も貧しい地域だった東北部の都市サルバドルの新興地区は、空前の「希望」に包まれていた。
 建築事務所に勤めるミラ・レイスさん(30)は近く、警察官の夫(33)と地区の14階建てマンションへ引っ越す。先祖はポルトガル人という色白の顔をほころばせ「これから発展する街だからと、夫と決めました。今この国では、親の世代が届かなかった夢が実現できるようになった。あすは今日より、もっとよくなるでしょう」。
高級車夢じゃない
 BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)と呼ばれる新興国の一角、ブラジルが上昇している。GDP(国内総生産)成長率は2010年、7.5%を見込む。かつてのわが国のような高度経済成長に加え、貧困層への補助金政策が新たな中間所得層を生み出し、世帯月収15万〜38万円の中間層は国民の半分に当たる約1億人。GDPの60%は個人消費が占め、新車販売は10年、351万台とドイツを抜き中国、米国、日本に次ぐ4位となった。化粧品は米国、日本に続き3位。パソコンは4位…。
 ミラさんが入居するマンションの前にはフォードや現代自動車、トヨタなどディーラー8社が並ぶ。ルノーの店で働くジャルデル・アルメイダさん(24)は「5年前は売り上げが月40台だったが、今は180台。売れば売るほど月給が上がるので一生懸命頑張っている。夢はマンションと高級車を買うことです」。
近くて遠い日本
 高度成長のもう一つの牽引役は豊富な資源だ。鉄鉱石の生産は世界2位。農産物の輸出は大豆をはじめ牛肉、鶏肉、砂糖、コーヒー、バイオ燃料のエタノールまでいずれも世界1位。
 神戸大学の浜口伸明教授(47)=開発経済学=は「08年秋のリーマン・ショックで先進諸国が低迷する中、ブラジルがいち早く立ち直ったのは内需主導に加え、鉄鉱石や大豆が中国へ大量に輸出されたことが寄与した」と指摘する。
 ブラジルは日本から空路で25〜32時間と最も遠い国だが、有数の親日国でもある。1908(明治41)年に始まった日本からの移民の子孫である日系人は推定150万人。戦後は日本企業、政府による大型投資や経済協力が積み重ねられた。日本国内には27万人の日系ブラジル人も暮らす。
 サルバドル市があるバイア州政府の幹部、セザル・ナシメントさん(62)は「日本人は100年前から移民し、まだ『子供』だったブラジルの発展を農業分野で手助けした。戦後、青年となったわが国に科学技術で貢献した。現在は成年となったが、日本人はわれわれのお兄さんのようなものだ」と話し、白いあごひげを蓄えた赤ら顔を紅潮させてこう語った。
 「わが国はずっと『未来の大国』と言われ続けてきた。今、未来は現在になった。夢が現実になった」
すでに安定成長「もう後戻りはない」
 「希望大国」の行方を地球の反対側から、かたずをのんで見守る人々がいる。37年勤めた中堅電機メーカーを昨年末に定年退職した川崎市麻生区の堀誠さん(60)は先月、退職金の一部500万円を投資信託のブラジル債券ファンドへつぎこんだ。
 「人生初めての資産運用。妻と投信セミナーへ通い、半年相談を重ねて、サッカーW杯と五輪の巨大イベントが終わるまでは大丈夫だと踏んだ。昔の日本も最近の中国も五輪や万博で盛り上がったわけだから」
 わが国の個人投資家による投資信託は64兆円。このうち5兆円超がブラジルへ向かっているといわれる。理由は高い金利だ。日本国内で実質ゼロ金利が続く中、ブラジルの政策金利は年率11.75%。100万円預ければ1年後に11万7500円の利子がつく。証券各社は競って、ブラジル債券ファンドや同国の通貨レアル建てで資産運用するファンドを売り出している。
 堀さんは「5年後に妻と初めての海外旅行でイタリアへ行くのが目標です」と語る。ただ、妻の泰子さん(60)は「私たちはブラジルのことをよく知らない。虎の子を託して本当に大丈夫なのかとも思う」。
偏ったイメージ
 ブラジルといえば、開催中のリオのカーニバル、サッカー、そしてアマゾンのジャングルといった印象が強い。だがブラジルへの企業進出のコンサルタント、輿石信男さん(48)は「日本人のブラジルイメージはあまりに偏っている。例えばカーニバルはサンバの印象しかないが、ブラジルにとって大きな収益源であり、巨大イベント運営能力の証明でもある」と話した。
 1週間にわたるカーニバルがリオデジャネイロへもたらす経済効果は400億円。10万人を超える観光客が詰めかける一大イベントを毎年運営していることになる。輿石さんは「陽気なラテン系であまり働かないといったイメージも事実ではない。製造業従事者の平均労働は週43時間で日本と同じだ。若者たちは昼間働いて夜間、大学へ通う」と解説する。
 アマゾンにしても、180万都市マナウスには売上高が年間350億ドル(3兆円)に上る世界でも指折りの経済特区がある。ホンダをはじめ日本企業が37社進出、フィンランドのノキアなど4社は国内外向け携帯電話を年間1913万台生産している。
30年前の日本
 資産運用会社「野村アセットマネジメント」のエコノミスト、藤田亜矢子さん(36)がわが国と新興国の2009年の1人当たり名目GDP(国内総生産)を比べたところ、ブラジルは8628ドル(73万円)でわが国の1979(昭和54)年と同水準だった。中国は3267ドル(27万円)で73年と同じ、インドは1034ドル(8万円)で66年と同一だった。
 藤田さんは「わが国の戦後でいえば、インドは労働力が農村から都会へ流入した『いざなぎ景気』の時代、中国は田中角栄元首相の『列島改造ブーム』の時代という高度経済成長期に当たる。一方で、ブラジルはすでに安定成長時代に入っている」と指摘する。
 80年代後半から90年代前半にかけ、最高で年率2708%のハイパーインフレに見舞われ、経済混乱に陥ったブラジル。最大の民間銀行「イタウ・ウニバンコ」の投資アナリスト、ダニエル・スキアボンさん(27)はサンパウロ市内のオフィスでこう語った。
 「わが国経済の基礎的条件はかつての姿と異なる。リーマン・ショックの際に最も影響が小さく、立ち直りが早かったことが何よりの証左ではないか。われわれはもう昔のブラジルではない。もう後戻りはない」
     ◇
 2014年にサッカー・ワールドカップ(W杯)が行われ、16年には南米初のリオデジャネイロ五輪が開かれる。20年の「サンパウロ万博」をもうかがう。ブラジルは現実の大国となったのか。その実像をさまざまなまなざしから報告する。
 ■ブラジル連邦共和国 面積851万平方キロ(日本の22倍)、人口1億9070万人で、ともに世界5位。1822年にポルトガルから独立し、公用語はポルトガル語、74%がカトリック教徒。GDPは世界8位でASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国の総計より大きい。1月に初の女性大統領としてジルマ・ルセフ大統領が就任した。
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第1部(2)超深海油田「プレサル」 地の底に眠るフロンティア
超深海油田「プレサル」初の石油生産基地。巨大タンカーを専用に改造したもので、パイプが複雑に絡み合う=ブラジル・リオデジャネイロ沖(早坂洋祐撮影)
 大西洋の海底からさらに5キロの地の底で、ブラジルが石油という「未来」をつかみ取った。リオデジャネイロから南南東へ約300キロ、「プレサル」と呼ばれる超深海油田。国営石油会社「ペトロブラス」が昨年10月、初の商業開発を始めた生産基地を日本のメディアとして初めて訪れた。
 ヘリで1時間14分。周り一面を海に囲まれた孤島の“要塞”があった。鉄格子が張りめぐらされ、煙突から炎が吹き出す。長さ330メートル、幅60メートルで4階構造と大型ショッピングモール並みの大きさ。オレンジや赤のつなぎ服を着た作業員120人が忙しく動き回る。
 左腕にブラジルの国旗をつけたエンジニアのジョン・ルーカスさん(24)は「世界でも未知の挑戦だから、毎日がエキサイティングだよ」と話す。
 プレサルは「塩より古い」を意味する。海底では岩や塩の層が約5千メートルまで位置し、その下にある石油を含む硬い泥の層がプレサルだ。南東部の沖合300キロに幅約200キロにわたって広がり、埋蔵量は少なくとも500億バレル(1バレル=約159リットル)とされる。
 ブラジルは30年以上前から海底油田を開発し2006年には石油の自給を達成した。プレサルを加えるとリビア、ナイジェリアを抜き世界8位の産油国となる。OPEC(石油輸出国機構)入りも視野に入る。
 基地の代表者、リベダビア・フレイタスさん(51)は「われわれは全く新しい技術で、プレサルに臨んでいる。ここは石油のフロンティアだ」と話した。
地震探査を応用「私には油層見える」
 ブラジルが深海の油田探索を本格化させたのは1970年代の石油危機が契機だった。ペトロブラス東京事務所の川上オズワルド所長(56)は「わが国の陸地には石油がないと60年代から分かっていた。どうしても海に行きたかった」と話す。
 海底の掘削技術は当初、100メートルが限界だった。メキシコやベネズエラも取り組んでいたが、80年代に石油価格が安定すると手を引いていった。ブラジルだけが、モーターやエンジンなど各国の先端技術を組み合わせることで、数千メートルの環境変化に耐えられる独自技術を開発した。
 プレサルで油田のありかを見つける技術では、地震を探査する「反射法」を応用した。圧縮空気を深海の岩塩層にぶつけて人工的に地震を起こし、跳ね返ってきた圧縮空気の波長からデータを解析して、油量を確認する。結果をもとに掘削したところ、2009年には87%の確率で油田が見つかった。
 同社石油探索部のセルソ・ムラカミ部長(50)は地震探査の波長データを手に「これを見ても他の人には分からないかもしれない。だが、私には油層が見えるのです」と説明した。
アフリカでも…根拠はプレート理論
 洋上の基地でペトロブラスのエンジニアは原油の抽出状況などを1日2交代制、12時間勤務で確認する。2週間を過ごし、陸地で3週間の休暇を取る。
 「夜中に問題が起きることもある。24時間緊張は解けない」。エンジニアのルーカスさんはそう言う。常に揺れを感じ、身体的な負担は軽くない。毎日メニューの変わる食堂やたばこ部屋、診療室も備わり、いずれジムもできるという。
 ペトロブラスはこの基地での生産を皮切りに、14年までに、同様の基地を43基整備するなど総額2240億ドル(19兆円)を投資する。かつての宗主国ポルトガルのGDP(国内総生産)に匹敵する額だ。
 08年からは、はるか大西洋を越え、アフリカのアンゴラとナイジェリアでも海底油田の開発を始めた。狙いはアフリカ西岸部での「第2のプレサル」だ。根拠は地球科学のプレート理論。1億6千万年前にゴンドワナと呼ばれる大陸が分裂し、南米とアフリカの両大陸になったとされる。
 「だからアフリカ西海岸にも同じような特徴の地質があり、当然プレサルも存在するのです」
 ゆっくりと揺れる巨大な基地で、代表者のフレイタスさんは自信たっぷりに語った。

第1部(3)「神が贈った」カリスマ指導者 ルラ前大統領の故郷を訪ねて
世界遺産にも登録されたサルバドル旧市街。ブラジル東北部は最も貧しい地域だった(早坂洋祐撮影)
 ブラジルを「希望の大国」へと押し上げたカリスマ指導者、ルラ前大統領(65)。昨年末に2期8年の任期を全うした際も87%という驚異的な支持率を維持していた。人気の秘密は何なのか。生まれ故郷である東北部ペルナンブコ州の小さな村を訪ねた。
 州都レシフェから内陸へ250キロ。乾いたサバンナがどこまでも広がる丘陵地帯にルラ氏が生まれた集落があった。村人は畑仕事の手を休め、口々に「偉大な大統領だった」「神が贈った英雄だ」などと語った。ルラ氏のいとこというゼマリア・メロさん(58)は「気さくな人柄でいい仕事をした。誇りに思う」と胸を張った。
 ルラ氏が率いた与党・労働党はここ東北部で圧倒的な支持を得ている。昨年10月に後継のジルマ・ルセフ氏(63)が勝利した大統領選でも、党や政権の度重なる汚職にもかかわらずルセフ氏が全27州のうち北半分の16州を制した。労働党政権は3期目に入った。
 同じ新興国BRICsのロシアやインド、中国と比べるとブラジルの安定性は際立っている。民族紛争がなく宗教対立もない。地震もない。そして近年、安定してきたのが政治である。
 首都ブラジリアで32年間、7人の農相の下で日本担当の特別補佐官を務めた日系2世、山中イジドロさん(75)は「かつては日伯で長期的なプロジェクトを計画してもブラジルの政権や大臣がころころ変わって継続できなかった。今は逆に日本のほうが変わるようになった」と話す。
政権支える「現金給付」
 ルラ前大統領は1945年、貧しい農家に8人兄弟の7番目として生まれた。
 父親はそのひと月前にサンパウロ州へ出稼ぎに行った。7歳のとき、母親は夫と再会するため一家で乗り合いトラックに乗ったが、夫は別の女性と暮らしていた。ルラ氏は日系人の洗濯店で働き、やがて自動車工となった。プレス機で左手の小指を失いながらも、労働組合の指導者として頭角を現した。大衆政治家ルラはこうして生まれた。
 東京外国語大学の鈴木茂教授(54)=ブラジル史=は「ブラジル下層階級の典型的な人生を歩んできたことに、庶民から共感が集まった」と指摘する。
 東北部の貧困層でルラ人気を決定づけたのは「ボルサ・ファミリア(家族の財布)」と呼ばれる所得格差是正のための現金給付政策だった。日本の子ども手当に似ているが、家族1人当たりの月収140レアル(7千円)以下が対象。受給の条件として子供を学校へ通わせ、母子検診を受けなければならない。給付は月1100円〜1万円。ブラジル全土で2010年に1276万世帯が受給し、東北部が5割を占める。
 ルラ氏の故郷の集落でも150世帯のうち9割が受け取っていた。
学校通えるように
 豊かな南東部の中高所得層にとって現金給付はばらまき以外の何物でもない。ブラジルは税負担がGDP(国内総生産)の35%に上る高負担国家でもある。
 サンパウロの金属メーカー勤務、ファビオ・ラパさん(25)は「選挙目当てに現金をばらまくのではなく、どうすれば現金を稼げるかを教えるほうが大事なのではないか」と話す。
 ルラ氏の故郷バルゼア・コンプリダ集落があるカエテス市のボルサ・ファミリア担当、セリアンニ・シルバさん(30)は「“南”の人は“北”の貧しい状況を知らない。子供が学校へ通え、学用品が買えるようになった。消費拡大にも貢献している」と訴える。
 ブラジルでは18〜70歳の読み書きのできる全国民に投票が義務づけられ、希望すれば10%程度いるとされる読み書きのできない人も投票できる。中間層が拡大したいまなお大きな貧富の格差が存在する中、東北部などの貧しい人々への補助金政策がこの国の政権を支えているともいえる。
 ルラ氏の故郷の集落に生家はすでになく、跡地はマンジョカのイモ畑になっていた。村人たちは昨年10月、故郷の英雄を記念して跡地から100メートルほど離れた畑に生家を復元した。土壁に瓦屋根の小屋だった。

第1部(4)トラウマを越えて 日本企業再挑戦
ブラジル・リオデジャネイロ港の中心部にある旧イシブラス造船所(後方)。クレーンが折れたまま放置されていたが、現在は国営石油会社ペトロブラスが賃貸し、新たな造船会社を募っている(早坂洋祐撮影)
 気温40度、真夏の太陽の下を重工業メーカー「IHI」グローバル戦略部担当部長の井手博さん(50)が歩く。リオデジャネイロのビジネス街。同社は昨年11月、ブラジルでの拠点として現地法人を設立した。17年ぶりの再進出だった。
 グレーのスーツ姿の井手さんは「先輩が築いたブランド力が残っている間に一歩でも前に出ないと」と話しあいさつ回りを続けた。
 IHIはブラジルで栄光の歴史を刻んだ。前身の石川島重工業が1959(昭和34)年から、「メザシの土光さん」と親しまれた土光敏夫社長の指揮の下、この地に中南米最大のイシブラス造船所を育て上げた。
 70〜80年代は日本の進出企業が500社近くに上った「ブラジルブーム」。新日本製鉄、川崎製鉄(現JFEスチール)はそれぞれウジミナス、ツバロン製鉄所の立ち上げに参画した。
 だが、80年代後半から、ブラジル経済は物価上昇率が最高で年率2708%のハイパーインフレに見舞われた。日本企業は90年代に半数が撤退、イシブラスも94年にブラジル企業に吸収合併された。同社に在籍したIHI取締役、塚原一男さん(60)は「他に選択はなかった」と振り返る。
「本物」で超インフレ克服
 超インフレにより、ブラジルの通貨はクルゼイロ、クルザード、新クルザード、クルゼイロ、クルゼイロ・レアルと86年からの9年間で5回変わった。給料日のスーパーには現金を信用せずモノに換える人が群がった。
 94年、経済学者で後に大統領となるカルドゾ財務相は「レアルプラン」を実施した。「本物」をも意味する新通貨レアルを1ドル=1レアルに固定し、ドルの信用力を後ろ盾に国民にレアルを信じ込ませることで、超インフレはわずか1カ月で沈静化した。その後の17年間、平均インフレ率は6%台で推移し近年は4〜5%。レアルは現在も同国の通貨であり続けている。
 ジェトロ(日本貿易振興機構)サンパウロセンターの沢田吉啓所長(56)は「韓国LGや米ウォルマートは94年の直後に進出した。日本勢は距離的な遠さに加えインフレへのトラウマから進出が遅れた。インフレ再燃への不安から二の足を踏んだ」と指摘する。
「芝刈り機だって売る」
 昨年5月、東北部ペルナンブコ州の臨海工業地帯。新興造船会社「アトランチコスル」が建造したタンカーの進水式にルラ前大統領が出席した。同社には韓国造船大手で世界2位のサムスン重工業が10%出資している。ルラ氏は満面の笑みで、韓国から訪れたサムスン社長と並んでいた。
 まるで、53年前の1958年、イシブラス造船所の定礎式に当時のクビチェク大統領と土光社長が並んだ様子を再現したかのような光景。アトランチコ社ではイシブラスの元社員たちが幹部となり、「イシカワジーマ」の技術を伝えている。
 ジェトロによると、日本からBRICsと呼ばれる新興国への進出企業は中国2万2260社、インド630社、ロシア600社。ブラジルは350社にとどまっている。JFEは2005年、ツバロンから撤退した。ただ10年の進出相談は550件と、ここ5年で3倍に増えているという。
 ブラジル三井物産社長でブラジル日本商工会議所の中山立夫会頭(58)は「韓国や中国の動きが目立つものの、日本の最新技術とブラジルの資源が合わされば、世界最強のパートナーになれる」と語る。
 往復50時間かけて日伯を行き来するIHIの井手さんはこう言い切った。
 「韓国と同じことをやっても勝てない。超深海油田向け大型タンクからゴルフ場向け芝刈り機まで、何でもチャンスをつかむ。土地に根づく覚悟でやる」

第1部(5)親日の理由 被災地へ…「地球の反対側の味方」
ブラジルでは多くの日系人らが東日本大震災の被災者らに哀悼の意を示している(AP)
 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発をめぐり、ドイツなど32カ国が在京大使館を一時閉鎖する中、ブラジルのパトリオタ外相は松本剛明外相へ電話をかけ、こう伝えた。
 「日本人の忍耐と力強さに敬意を表する。日本政府から勧告がない限り大使館を退避させることはない」
 ブラジル日系社会では義援金を募る活動がやまず、中心的な3つの団体分だけでも2週間で80万レアル(約4千万円)を超えた。
 サッカー日本代表監督を務めたジーコ氏らは今月7日、パラナ州で慈善試合を行う。かつて鹿島アントラーズなどに所属していたアルシンド氏らも出場し観衆3、4万人を見込む。元日本代表の呂比須ワグナー氏は「被災者へ何かできることをしたい」と語った。
 米軍による救援活動「トモダチ作戦」を続ける米国のオバマ大統領は3月20日、ブラジル訪問中の演説で「われわれ両国と日本との絆は強い。日本人は最も近い友人だ」と強調し、ブラジルについての理由をこう述べた。
 「この国には世界最大の日系社会がある」
初の軍部トップ
 ブラジルが有数の親日国である理由に、推定150万人に上る海外最大の日系社会の存在が挙げられる。
 明治41(1908)年、初めての日本移民が海を渡った。以来平成6年までに25万人が移住した。日系人はその子孫であり、当初は農業移民だったが商工業や法曹、政官界へも進出した。2007年に日系人として初めて軍部のトップに就任したジュンイチ・サイトウ空軍司令官(68)もその一人である。
 「国のために働けることに喜びを感じている」
 首都ブラジリアの空軍省で司令官はこう話し、柔和な笑みを浮かべた。両親は青森、香川両県の出身。昭和8(1933)年に渡伯しサンパウロ州の小さな町で農業を営んだ。司令官は6人兄弟の長男だった。
 就任あいさつで「日系ブラジル人であることを誇りに思う」と述べたときの思いを問うと、こう語った。
 「日本人は裸一貫でこの国へ来た。働いても富につながらず、広大な農地で重労働に明け暮れても、子供の教育に強い関心と希望を持っていた。私も11歳で田舎から町の学校へ通った。一生懸命まじめに努力し働いたことで、日本人はブラジル社会で信頼を築いていった。そのことを私は誇りに思う」
日伯友好の金字塔
 親日の理由は他にもある。1962年10月26日、ミナスジェライス州のウジミナス製鉄所で溶鉱炉の火入れ式が開かれた。日伯両国旗が翻る中、300キロ離れたブラジル独立の英雄像前から運ばれた「聖火」を来賓のゴラール大統領がかがり火に移した。五輪の開会式のような華やかさだった。
 当時、製鉄所立ち上げのため八幡製鉄(現新日本製鉄)から出向していた新日鉄元副社長、阿南惟正さん(78)は「ウジミナスは日本鉄鋼業の海外進出、技術協力の先駆けであり、多くの苦労を乗り越えて築き上げた日伯友好の金字塔だった」と振り返る。
 ウジミナス製鉄所は半世紀近くたった現在もブラジルの粗鋼生産の23%を占める。50〜70年代、日伯の官民協力によりアルミ、紙パルプ、農業開発など数々の国家プロジェクトが成果を挙げた。それは今日の「希望大国」への礎となった。
 義援金を受け付ける日系社会の中心団体「ブラジル日本文化福祉協会」事務局長で2世の中島エドアルド剛さん(51)は言う。
 「義援金は日系人以外のブラジル人からも多く届いている。この国への日本人の100年にわたる貢献が基礎にある。被災した方々は、日本人は、地球の反対側に味方がいることをどうか忘れないでほしい」
=第1部おわり




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