徳力啓三さんの話題提供に対するBATEPAPOが続いています。
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前回、『静岡の松田さんのお知らせから始まった徳力啓三さん、松村茂樹さんの話題提供と皆さんのご意見』をHPに掲載しましたが、その後あや子さんの面白い話題の投げ掛けに対し多くの方が書き込みをされ話題が賑わいました。
BLOGだけを見ておられる外野席の方から本題の『被災者受け入れ』と云うテーマから外れてしまっているのではないかとのご指摘もありましたが、この『私たちの40年!!』メーリングリストへの書き込みは、一つの話題に各自自由な発想で思いつくままに書き込むのがその神髄で面白みが出て話題が繋がって行くことになります。そうする事によりメンバーの皆さんがそれぞれの思い、生い立ちを語り共有し合う事が出来るようになるわけです。
現在までの42通の皆さんの書き込みをできるだけ時系列に従い下記に記録、HPに収録して置きたいと思います。まだもう1回位は続いて行くのですかね?徳力さん同様、楽しみにしています。
今回は、サンパウロのOFF会で撮らせて頂いた伊豆山さんの写真を使用させて頂くことにしました。
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被災者の多い自治体にブラジル移住という選択肢もあります。 条件はこうで、 こういう良い事とこういうリスクも有りますと情報を公開すると良いかもしれません。(嫌われちゃいますけど、マイナス面は教えない、公開しないのが昔からの慣行かも?)
IPCの社長の村永義男氏は日本からブラジルヘの移民一世なのでご意見もご教示頂けるいいかもしれません。
ご子息のミルトン村永氏 のご意見も聞けると良いと思います。(なぜか、愛知県に在住、豊田市、豊橋市のブラジル人向け催事に来られるそうです)
被災地の住民の意見を聞かないと如何なものでしょう? 『ね』
被災地の住民の意見を聞かないと手落ちとのご指摘もっともですね。
今後の人生の選択肢として被災地の皆さんが移住を考える余裕は先ずないのではないかと思います。
手落ちとは書いてません。(もしかしたら、文字化けして表示されてたら困りますが・・)
そうですね今は、家族が行方不明で捜してたり、家のも壊れてそれど頃じゃないみたいです。
今後、福島県の原発80km地域住民のブラジル移住の選択肢を福島県、南相馬市、浪江町、双葉町や各避難所に避難してる皆さんに教えて差し上げるのも良いかもしれません。(もちろん前回書いた事を踏まえて)
最近のIPC社の考えは今ひとつ解りませんが、少し前のIPCの本社は根拠と証拠を付けて意見を出せば真摯な対応をしてましたが・・(ブラジル、パラ州 ベレンの鈴木氏の子息在職中は・・)
朝日新聞社ブラジル支局のここ20年の最優秀の人がキューバのハバマ支局長に就任されたので新任のブラジル支局長がブラジルの日系人、賢者の皆さんのお考えを日本に向けて報道して貰うと良いかもしれません。『ね』
なかなかの情報通ですね。参考になります。
和田さん、徳力さん、私たち40のみなさん。オランダからです。
他国でその国にとけこんで生活することにより、強くもなるし人間の巾もでてくると思います。日本にいては学べないことも、いろいろ学びました。
ただブラジルにいる方たちは皆さん、日本人あるいは二世の方と結婚していますよね。そこが私や香織さん、富田さん、丸木さんとは又違う環境です。
若い人が日本を離れてそとで生活することは、私も大いに賛成です。
ブラジルにいるみなさん、どうしてブラジル人と結婚しないのでしょうか。
あや子
あや子さん
面白い質問をされていますね。
『ブラジルにいるみなさん、どうしてブラジル人と結婚しないのでしょうか?』
移住と云う人生の選択と同じく結婚も人生の選択の一つですが、たまたまこのメーリングリストは日本語を中心としたMLであり、日本語の出来る日本人が中心となっておりサンパウロのように日本人が多く住み日本人を結構相手として選択する余地があったからだと思います。
私の住むポルトアレグレにも日本人、日系人が少ないとは言え皆無ではないですが、私の所の娘3人とも伴侶はブラジル人です。出来れば同じ血を持つ日本人または日系人と結婚して欲しかったと思うのは親の希望であり本人達の選択肢には対象者がいなかったと云う事実だけだと思います。戦前の移住者の親、ポルトアガル語の出来ないおじちゃん、おばちゃんの願いとして幾分子供、孫には圧力が掛かったかも知れませんが、対象者不足では身近なブラジル人を選ぶことになるのではないでしょうか?
このメーリングリストのメンバーのほとんどは日本人、日系人同士の結婚が多いようですが今や日本人、日系人混血率は、3世、4生では80%以上?以上に達しているとの事です。
以前この欄でも紹介した元人文研所長の宮尾進先生の『伯国日本文化の将来を考える』でも考察されていましたが、現在150万人と云われるブラジル日系人の中で日本語を使う日本人は4%の6万人に過ぎないとのことで新しい血として日本からの移住者が途絶えて久しい現在では、日本語の読み書きができる日本人はブラジルの日系社会でも希少価値と云うか消え行く存在と云わざるを得ません。これからはどんどん混血して日本人は消滅して行く(ブラジル社会に溶け込んでしまう)運命にあると思うのです。これからの若い人が日本人あるいは日系人を配偶者として選ぶのは至難の業になるのではないかと思います。それでも良いのではないかと私は思っています。
あや子さん
和田さんの見方におおむね賛成です。
日系人はブラジルに吸収されていずれ消滅すると思います。
それでいい。ブラジル人の資質にプラスになれば。
昔、日本人町が東南アジアに展開したとき、鎖国という外圧があったとしても、その国に同化して影も形もない。
ブラジルのドイツ系は子供にまずドイツ語を教えるという。
何を教えるのだろう。日常会話だけなら、とてもじゃないが間がもたない。家の歴史、ドイツの歴史、誇りなどを語るのだろうか。
あや子さんのいわれるように、海外にすみ、海外の人の考え方、発想法を知った私たちが貢献できることはいろいろあると思います。とくに子供たちに教えてやることはいっぱいあり、その方法を考えています。
正しいことが正しいこと、これが日本人でしょう。
トクになることが正しいこと。
法律にふれなければ、それは正しいこと
人に勝つことが正しいこと
全てが正しいこと。デウス様があとでしりぬぐいしてくれるから。
などなど。あります。
日本人として世界に生きて行く哲学はやはり正義でしょう。人の道に外れないこと。
でないと、尖閣も竹島も北方領土も永遠に帰ってこない。
主旨不明の乱文、失礼。内田雅夫
あや子さ〜ん やぼ質問ですよ、これは。
ナデシコジャパ〜ンは確かに国際的に高い評価を得ていますけれど、言葉も下手、社交も下手、くどきも下手な大和男は今や、同胞の女性にも滑り止め補欠候補にしかしてもらえないのです。
ましてやブラジル女性に相手にしてもらえるはずがないではないですか。丸木さん方は例外中の例外なのです。
伊豆山
あや子さん
毎朝コーヒーをいれ、ベッドに持っていかなければならないからです。また車の乗り降りの時はドアを開けて手をとってあげなければなりません。とても無理だと思いました。
妻は日系二世ですが、いつも “もし私がブラジル女だったら、三日ともたなかったでしょう”と言ってます。吉田文彦
丸木で〜す 不思議なことに、オランダ系ブラジル人の家内はコーヒーが大嫌いですから問題ないし、日本のタクシーのドアが自動開閉だし、快適な日本生活でした。家内が申しますには、日本の習慣で最も気に入ったのは、靴を脱いで家に入ることと金銭の管理は妻がやることだそうです。東芝の上司は3日は過ぎただろうが3ヶ月もたんやろ言うてましたが、おとといが37年の結婚記念日で、40周年にはチェコへ行ってオランダに流れ着いた先祖のルーツを求めて旅しようと計画しております。
丸木さま コーヒーを飲まない方は珍しいですね。また家計を任せることができる女性も珍しいですね。普通は給料をを貰うと1日で全部使ってしまうといわれていました。丸木さんは幸運だったのでしょう。
楽しい旅行になるよう祈ってます。吉田文彦
丸木で〜す ダッチカウントと言う言葉どおり、オランダ系だから金には細かいですよ。つり銭もペニー(1セント)まで正確に勘定しますから、大雑把な僕のようなドンブリ勘定の男には好伴侶といえます。
家内はブラジルの主食のフェジョン豆も大嫌いですから、ブラジル人が我が家に来ると「ブラジル人の家にコーヒーもフェジョンもない」と失望します。日本人の家庭に米も醤油も無いのと同じですよね。僕は醤油が辛く感じるようになり、ベルサミコ酢を使うことにしてます。米も家内が食べませんので買いません。僕はサンパウロ在住以来イタめし党になり世界各国各種のパスタ(麺類)が好きになりました。
丸木さま やはりオランダも国土が小さく、低く 、生活するのには大変だったのですね。奥様の堅実さもそこから来ているのでしよう。醤油がきらいとは驚きです。
私は現役時代同僚と出張したとき、何日も醤油を使った食事を食べない日が続くと胃が停まってしまうような感覚に襲われたことがあります。同僚が2人ともイタリア系だったので、夕食はピッツア、スパゲッチが多かったからです。
やはり醤油を摂らないから健康でお元気なのですね。吉田文彦
和田さん、内田さん、伊豆山さん、吉田さん、丸木さん、野次馬さん
メールありがとうございました。
和田さんのおっしゃるとおり、このサイトのメンバーしか私は知らないのでその方たちがほとんど日本人とのカップル。それで聞いてみたのです。
若い時に夢を持って出てきた人たち。他国で生きるにしても、家の中は日本。
一世の方たちのお相手探しに人間性はもちろんですが、自分の生活の基準になる言葉、文化や食生活が同じというのも和田さんの言う一つの選択だったのでしょうか。
和田さん、内田さん、野次馬さんのいう子供たちはブラジル人として成長し、日本の影響が薄れていくのは自然だしそれでいいと思っています。
国にこだわらずいずれは世界が一つの国になればいいと思っています。
ズンバのクラブに入り、リオのカーニバルで踊りまくる伊豆山さんが
>言葉も下手、社交も下手、くどきも下手な大和男
これはないでしょうと思いましたが、ブラジルで生活している間に、半分ブラジル人になったのかな〜とも思ったりして!
吉田さんの説明は国民性の違いが明解でわかりやすかったです。
丸木さんのオランダ系の奥さんは、ジャガイモはいかがでしょうか。
スタンポットというジャガイモをつぶして野菜とまぜスモークのソーセージと食べる料理ですがオランダ人が大好きな典型的なジャガイモ料理ですが、食べますか。
とにかく丸木さんと吉田さんのやりとり、面白く拝見しました。
ありがとうございます。あや子
あやこさん
このテーマでのやりとりで丸木さんの誠実さと率直さに感激しました。自分を飾らず、隠さず素っ裸になって見せてくれました。異文化の女性と共存するためにはこのような率直さと愛情にあふれた指導力が必要なんでしょう。私の周りにもブラジル人女性と結婚した人はいますが、このテーマについて話したことはありません。どうもありがとうございました。吉田文彦
吉田文彦さん 私も同感です。
このサイトは和田さんを筆頭に、率直でまじめに答えて下さる方たちで本当に頭がさがります。
吉田さんの直球に、直球で返す丸木さん。
見ごたえのあるキャッチボールでした。あや子
あや子 さん 皆さん
不思議とあや子さんが投げ掛ける話題には人が集まり、コメントが飛び交いますね。どうしてでしょう?
仁徳なのでしょうか?又一つ『私たちの40年!!』のHPに収録できるほど続きました。これからも話題提供をお願いします。
丸木で〜す 日本脱出した僕は家の中を日本風にするのは好みませんが、日本で暮らした妻は日本風の家具や装飾を好み、京都の舞妓の「こっぽり」を壁に飾ったり、飛騨高山の釣瓶をブラジルの実家のコートヤードに置いたりしてます。
そのオランダ料理は僕の大好物です、ニューヨークの朝食の定番ホームフライですね。僕の自慢料理はホームフライと親子丼です。放浪中にニューヨークの日本クラブでキッチンヘルパーとして、うどんと丼を担当してましたからね。
そう云えば昔ニューヨークはニューアムステルダムでしたよね。妻の故郷のブラジルのレシーフェもオランダが25年間統治してましたが・・・。ナウでトレンディーなニューヨークのブルックリン・ハイツもオランダ語なのですね。サンパウロにもブルックリン・パウリスタという高級住宅地がありますよ。僕が住んでた頃は路面電車が走っててジャカランダ(イペー)並木の美しいブールバードでした。
白状しますと、日本女性に失恋して移住した直後にサンパウロの料亭・青柳「ヘスタウランチ・パパイ」の女将(当時の百メートル自由形世界記録保持者マヌエル・ドス・サントスを育てたコーチの平野実さんの奥さん)から日系二世か三世はいかがかと打診されたのですが、どうも中途半端に感じ日系以外に気持ちが傾いていきました。今になって、それでよかったのだと自問自答してます。まぁ、アホの見本みたいな半生でしたが、我が人生に悔いは無し!
2016年に大阪・門真の「なみはやドーム」で開催される水泳マスターズ世界選手権で世界新記録樹立すべく今日も猛練習してきました。
2016年には南米初のオリンピックがリオデジャネイロで開催されますね、競泳を観に行くのが楽しみです。
丸木さん 奥様オランダ系で、まあ家とは男女が逆ですが、同じようですね。
人生に悔いなし。2016年の水泳マスターズ選手権の世界新記録に向かって猛練習。すばらしいです!
世界新記録樹立に向かって突き進んでください。
みんなで応援しています。あや子
あやこさん 買かぶって頂くのは嬉しいことですが、現実は厳しいのです。
大和男はいくらリオで踊っても、pandeiro(ブラジルの打楽器)を習っても、貧相な身体(からだ)を変えることも、 ブラジル女性と愛を語ることも出来ないのです。
特に黒人系女性に対しては、僕らのセックスアピールはゼロに等しい。
僕だけではありません、僕の周囲の大和男は、一人、いえ、二人の例外を除いて皆、ダメ男です。
Bodyでセックスアピールが出来ない上に、女性を引き付ける会話も出来ない。 愛してるなんて、空々しくて云えない。
Meu amor (my love)、Meu anjo (My angel)なんて、歯の浮くような言葉も咽に詰まって口から出ない。 例え相手から聞いてもテンションは上がらず、反対に、冷めてしまうのでは結婚どころか、恋人すら出来ないのが実情です。
伊豆山
伊豆山さん 楽しいメールありがとうございます。
笑わせていただきました。
そうですか、やはり大和男ですか。
でも日本の女性からみたら大和男はやはり魅力的ですので、いいじゃないですか。
一度素敵な奥様を射止められたのですからいいじゃないですか。
先にいかれたのは残念ですが、よそ見をせずまっすぐ歩きましょう。
又来年のカーニバルに向かって! あや子
あや子さん、伊豆山さん&皆さん 大和男を面白く拝見しました。
ブラジルは日本人が多いので、家の内外で日本的なのでしょうが、私のMexico時代は先ず、日本語を使うことも無かったほど、日本とは無縁でした。
私は言葉も社交もまあ、上手いほうでしたが、口説くのは日本人的でした。
外国人がMexicoに同化しているか否かは、Mexicanosによると、「メキシカン・ジョークス」の理解度で判定できるとのことでした。
その点だけは私はMexicanos並みでした。
自慢にはなりませんが。
私がメキシコ生活に慣れたのは、偏に二世の女房のおかげだったようです。
富田眞三
あやこさん、富田さん、野次馬の皆さん
確かに、富田さんのおっしゃる様に、その国のジョークをその国の連中と一緒に楽しむのは、その社会に溶け込む近道ですね。 僕の周囲の大和男の中で、僕が例外中の例外と感心する、ブラジル女性にモテモテ男は、piada picante (刺激的ジョーク)を尽きない泉のごとく後から後へとしゃべりまくり、ブラジル女性であろうと大和ナデシコであろうとキャッキャと喜ばせる能力を備えています。 彼は素敵な二世の女性と結婚し、財をなし、良き家族を持って、幸せな人生を享受中ですが、過去に、彼と結婚したいと望んだブラジル女性は山ほど居たに違いありません。
あやこさんのご指摘通リ、私は幸いにも日系二世と結婚することが出来、幸せな人生を送ることが出来ました。 自分が今あるのは女房のお陰であることは間違いないことです。
女の幸せは男次第だと云われましたが、男の幸せも女次第だと、つくずく、思えます。
しかし、今、時代が大きく変りつつあって、結婚、同棲の隔たりもなくなり、男も女も自己防衛が出来なければ生きて行けない時代になりつつあります。(違いますか?)殺伐とした個人主義の中で、彼ら(若者達)はどう生きていくのか、余計なお世話かも知れないけれど、僕は一抹の不安を持って、見守っています。伊豆山
6月19日は私の40年の結婚記念日です。朝女房に言われて気がつきました。
今でも思い出すのは30年前ことですが、会社の連中と飲みに行った時のことです。誰か当時としては珍しいワイアレス電話を見つけてきて、家に電話をしていました。大体皆とびっきりの猫なで声で“Oi querida , como vai ?”から始まり、今日は帰りが遅くなるなどと話して、最後は“ Um beijao para voce, tchau”というものでした。
電話をみんなで回して使って、最後に電話は私に回ってきたので“オレは電話はかけない。そんな必要ないから”と言うと、“みんな電話したのにお前だけ電話しないなんてけしからん。”と言われしぶしぶみんなのまねをして出来るだけ猫なで声を出して“Oi querida, como vai ?”と女房に電話したところ、女房は “キャー気持ち悪い。もう酔っ払ったの?”と言っておどろきました。吉田文彦
ハハハ、 吉田さんらしい。同じラテンアメリカでも、Tomokoさん第二の故郷? Argentinaでは、自分の奥さん、旦那さんを Fea (ブス), Feo(ブ男)と呼び合う。少なくとも、僕の住んでいた、1970年頃はそうでした。 本当にブスでないから言えるのかな? 当時、もし僕がこの真似したら、女房に1週間、いや、1ヶ月は口きいて貰えなかったでしょう。伊豆山
論点がずれてるし 残念。
被災した人達のブラジル移住と直接関係ない上から目線の話になりました。
ブラジルに移民した日本人でも日本人村から出られない人達の話はね。
日本人のブラジル移住者でもドイツ、イタリア、ロシア、ポーラン系の女性と結婚してる人もいるけど・・
過去の記述には管理人様もブラジルで色んな金髪白人女性と交際されたとありましたが・・
東京外大、上智大、大阪外大、京都外大卒でブラジルに駐在、移住した者でくどき言葉ひとつも思いつかない稀だとは思います。外野席?
? 名無しの権兵衛さんのコメントを無視する訳ではないのですが、この種談話、話の流れが『私たちの40年!!』のメーリングリストの醍醐味で歓迎する所です。特にオランダのあや子さんが何気なく投げ掛ける話題に皆さんが反応、相乗りしての話の流れが笑えて楽しいのです。?名無しの権兵衛さんこそ楽しい話に水を指すようなご発言ではないですか?このBLOGでは、何方も発言は自由ですが、名前だけは礼儀として名乗って欲しいですね。。。。
私たちの40年の皆様 徳力です。沢山の方々が書き込みを続けてくださり、有難う御座いました。
タイトルは「被災者の受け入れ」となっておりますが、随分と丁丁場、凄い議論が沸きおごり随分と楽しませてもらいました。
何しろオランダに移住された方は筋金入りの大和なでしこさんと思います。
自分の意思で海外に飛び出し、伴侶を求め、人生を切り開かれたと言うのは驚嘆に値します。
私などは一番安易な道を選びました。乗船予定していた移民船(オランダ汽船)がキャンセルとなり、一月遅れの大阪商船に乗るまでの間、学校の先輩が帰国されていわく、「お前はブラジルで結婚するより日本で結婚せよ」「ハイそうですか」で終わり。学校出たばかりで稼いだこともないのに、唯ブラジルへ行くと言うだけで結婚しました。未だにその日本女性と過ごしておりまして、まったく変哲もない平平凡々の生活をしております。もう話にも何にもなりません。
伊豆山さんの如く、深く女性群の中に分け入り、リオのサンバで踊りまくるという強烈なエネルギーを持ち合わせていませんし、ブラジル女性と恋を語るなどとんでもない話であります。これをして人生最大の喜びとするか、私の如くその喜びを知らぬまま過ごすか、人生大きく分かれるところであります。
移住すれば、不幸になると言うものではないとは思いますが、今の日本に住む人々、ことに若い人には勧められないような気がします。「人生到るところに青山あり」とかいってもどこにあるのと聞いているようでは駄目で、一目散に己の夢に向っていくすすむ気力が必要と思います。「夢はどこにあるの」とか、「夢のつくり方を教えて欲しい」とか言っているようでは海外に出て、一人で歩けませんね。
被災された方々の安住の地はやはり祖国復興と言う形が一番、そういう形の「夢」に向かって、同じ故郷の人々が一丸となって同じ目標に向うのが一番理想的な姿と言うことになるでしょう。
長らく、色々なご意見聞かせて頂き有難う御座いました。
徳力さん 徳力さんの真面目な議題を、何故か、かき乱してしまい、申し訳ありません。
あやこさんの、『『何であなた方はブラジル女性と結婚しないの?』の問いに、年甲斐も無く、『だって、したくても出来ないのだから、しょうがないでしょう。』と思わず脱線してしまいました。 申し訳ありません。
徳力さんのおっしゃるように、自分の人生は自分できりひらく以外に道はないです。 BumbaのPandeiro教室で、日本の若者と接する機会がありますが、十人十色で、面白いです。 概ね真面目で、逞しく頑張っています。
中には、考えの甘い者も居ますが、私は求められない限り、説教はしません。
自分のことは、自分で解決していって貰いたいです。
そう云う自分自身だって、不惑とはとても云えない。 だから人生面白いのかも知れませんけれど。
伊豆山
オランダのゴーエン香織です。 徳力さんのお話しの中で、移住は勧められないとありましたが、それで最近ふとしたことで、ダライラマのお話のビデオクリップを見たのを思い出しました。
www.youtube.com/watch?v=8-I2q-v0aUU">http://www.youtube.com/watch?v=8-I2q-v0aUU
このお話の中で、とにかく海外に出て、今の幸せを実感したら、生きる力になるのではないかといわれます。
実は私は、1959年生まれで、当時の一般家庭には、戦争中に自分たちが教育を受けることが出来なかった教育ママがいましたが実家の母もそれでした。
大学に行くという漠然とした目標では、頑張ることが出来ず「なぜ?何のために?大学に行くの?」と親に反発ばかりしていました。
予備校をさぼってばかりで、2浪もした後に、アメリカに行くと決めてアルバイトでお金を貯めて20歳で日本を飛び出した私です。
当時の私は、拒食病でもありました。
アメリカに住んで、アメリカの自由の空気に触れて以降、日本に帰国する未練などなく、世界という大海を泳ぐこととなりました。
拒食症を持ちながら、意味のない教育システムの中、本当に死にたいと何度も思っていた私がこうやって50歳も超えて元気に生きてこられたのも本当に不思議なことです。
恐がらずに、若いうちはいろいろなことにチャレンジするべきだと私は思います。
受験勉強、入社試験、。。。。頭ばかり使う、詰め込み式の教育を受けて一応は大会社に勤めたり、公務員になったりしても、心から「自分の人生を生きた」と幸福を感じる人がどれだけいるのでしょうか?
そのような人を親として生まれてくる子供達も「生きる」ということをどれだけ楽しむことが出来るのでしょうか。
生きることを楽しめないと「生きることが辛くなる」のではないかなと思います。
若いうちは、なんでもいいからチャレンジして、自分のつばさを一杯一杯大きく広げて成長して貰いたいです。
そんなたくましい日本人が、これからの日本を正しく楽しく力強く、変革してくれるのではないでしょうか。
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