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領事の手記 「皆の願い、天まで届け」 木村 元(はじめ)ポルトアレグレ出張駐在官領事当時の手記を見つけました。
ポルトアレグレ総領事館がクリチーバ総領事館の出張駐在官事務所に格下げされて最初の在ポルトアレグレ出張駐在官事務所の領事に就任された木村 元領事は、ポルトアレグレ在勤中は、色々在留邦人に気を使われ杉浦和子さんが女性だけの長唄のお師匠さんたち15名を日本とサンパウロから連れて来られてカトリック大学の日本文化研究所主催で公演を実施した際に地元新聞への広告が効きすぎて廊下まで溢れる観衆が詰め掛けて謝っておられたのが印象に残っていますが、我々在住邦人がまったく知らなかった木村領事在任中のエピソードが外務省のホームページ報道・広報欄に《領事の手記》として残されているのを見つけました。
木村領事には日本移民100周年の日本での祝賀のセレモニーの際にもお世話になっており現在リオの総領事館で主席領事として活躍しておられます。
『私たちの40年!!』の寄稿集にも収録し関係者に是非読んで頂きたいと思い写真と共に全文を転載させて頂くことにしました。


領事の手記
「皆の願い、天まで届け」
在ポルトアレグレ出張駐在官事務所 領事 木村 元 
 僕は神様の存在について真剣に考えたこともない極普通の人間だ。もちろん奇跡は起こらないし、起こりもしなかった。だけど、人の愛とか努力とか、そういったものが、普通ならとても起きそうもないような奇跡的な出来事を起こしてしまうことがある。
 ブラジル最南端にリオグランデドスルという州がある。その州都ポルトアレグレに小さな出張駐在官事務所がある。この事務所が小さいながらもまだ総領事館だった去年、その事件は起きた。一人の日本人が肺移植手術のためにポルトアレグレに来たが、手続きがうまくいかず、手術が出来ないでいるので何とかして欲しいというものだった。10月5日だった。患者はAさんで、妻のA夫人と二人だけでポルトアレグレに来ていた。僕は出先でこの連絡を受けたので、とにかく本人にあって直接話を聞くため、すぐにAさんが入院している病院に向かった。A夫人の説明はこうだった。Aさんは突発性肺せん症であり、至急肺移植を必要としているが、日本では臓器移植がままならず、順番待ちをしている間に死んでしまう可能性があったので、臓器移植の進んでいるブラジルにやってきた。一方、外国人に臓器を移植するためには、その外国人が少なくともブラジルの国民健康保険に入っていなければならず、それに入るには外国人登録番号が必要であり、この登録のためには永住査証が必要だった。サンパウロに住んでいるA夫人のお兄さんが弁護士に相談したところでは、観光査証でブラジルに入国すれば2-3週間くらいで永住査証に切り替えられると言うことだったし、東京でブラジル総領事館に聞いてもそういわれた。ところがサンパウロに着いて連邦警察で永住査証への切り替えを申請すると、観光査証の永住査証への切り替えはできず、別に永住査証を申請しなければならないと言われた。しかも、それには少なくとも6ヶ月かかると言われた。弁護士に相談しようとすると、弁護士は前金で払った2000ドルを持って姿をくらましていた。絶望的になっているときに、偶然、テレビでポルトアレグレに世界でも10指に入る臓器移植の専門家がいることを知ったのでポルトアレグレに来た。ところが査証に関する事情は同じだった。しかし、Aさんは至急肺移植をしなければならない。A夫人は「何とか永住査証を短期間でとれないでしょうか。」とすがるような目で訴えた。『命が係っている問題だ。何とかするしかない。』僕はそう思い、「何とかしますので、後は僕に任せて下さい。」と言って病室を出た。
 僕はまず担当医師から話を聞くと、薬事治療が奏功したので今すぐ死ぬという状態ではないが、出来るだけ早く肺移植を実施しない限り死亡するというものだった。僕はその足で連邦警察に行って相談した。先方の説明は、永住査証の発給には最低6ヶ月かかり、このプロセスを短くすることは不可能だというものだった。但し、担当の警部は、外国人が病気治療のためにブラジルに来ている場合、ブラジル外務省は短期滞在査証を発給することが出来ることとなっており、この短期査証があれば外国人登録をすることができ、番号だけなら2-3日で準備できると教えてくれた。方針は固まった。僕は早速ブラジリアの日本大使館に連絡し、ブラジル外務省に短期滞在査証の発給を依頼すると、外務省は1年間の短期滞在査証を出すことが出来ると回答してきた。ということは、これで外国人登録が出来、その番号で国民健康保険に登録できるわけで、永住査証はいらないこととなり、事態は解決したと思えた。10月10日のことだった。ところが翌11日、病院から、外国人に臓器移植をする場合、その外国人は少なくとも永住査証を所有していることが必要なのではないかとの疑義を提示する者が現れた。このため、病院の法務部がこの点を調査することとなった。担当医師も、Aさんは現時点ではかなり回復しているので、査証取得に関する多少の遅れは大きな問題とはならないと述べたので、僕は調査結果を待つこととした。
 ところが、法務部はなかなか結論が出せなかった。僕は毎日のように催促したが、関係方面から回答が来ないの一点張りで埒があかなかった。結局19日になって、総領事館が直接州臓器移植センターに連絡をとってくれと言ってきた。一週間もボールを握ったあげく、手に負えなくなってこっちに丸投げしてきたのだ。僕はすぐに同センター所長に会い法律面の検討を依頼したが、法律の規定がないので州検察庁に検討を依頼すると言われた。州検察庁では20日に結論が出るとのことだったので20日に電話をすると、これは特殊なケースなので州検察庁の中で更に担当部署が変わり、今しばらく時間を必要とするとの連絡を受けた。僕はたらい回しにされていると思ったので、すぐに州検事総長に面会を申し込み、21日、州検事総長に対し至急検討してくれるよう頼んだ。すると州検事総長は、関係法は、ブラジルに居住する人なら誰でも臓器提供を受けることができると書いてあるのみであるが、外務省が発行する一時滞在査証をもってA氏がブラジルに居住していると解釈することが出来るか否かが焦点であると説明してくれた。そして、至急検討するが、この検討と並行して、外務省に対し本件査証発給を要請することと、裁判所から本件手術を実施するための命令を得ることを勧めてくれた。
 僕は、こうなったら上から圧力を掛けるしかないと思い、すぐに州知事に電話して支援を頼んだ。すると知事は即刻保健長官に指示し、同長官から僕に電話がきた。僕はすぐに長官の執務室に行き支援を頼むと、長官は病院の担当医師と電話で協議したあと、違法性があるまま手術をしてマスコミに漏れれば、移植待ちをしている人々が騒ぎ、大きな問題になりかねないので、法的問題を解決してから手術を実施することとするが、至急検討するので安心して結構だ、と言ってくれた。Aさんの様態も安定していたので、僕はこれで一安心だと思った。
 僕は、滞在査証の取得と国民健康保険への登録、裁判所への手術実施命令の申請、州検察庁による法的検討の迅速化の3つを並行して行うこととした。但し、医師が、肺の提供者が現れるには平均で6-8ヶ月かかるため、最低一年半の一時滞在査証が必要であると言うので、大使館から外務省にそう頼んでもらうと、2年間の短期滞在査証を発効してくれることとなった。25日に全ての書類を外務省に送り、後は査証がおり次第国民健康保険への登録手続きを進め、並行して裁判所に手術実施命令を要請するだけになった。
 ところが、27日、事態は急変した。午後1時40分、A夫人から、A氏の様態が急変し、死にそうなので査証を大至急取得して欲しいとの連絡が入った。今すぐと言われてもそれは無理だ。僕は絶望的になった。もうこれまでかと思った。しかし、次の瞬間、「いや、諦めたら負けだ。僕は絶対この人を助ける。」と自分に言い聞かせて行動に出た。何度目かの電話連絡の試みの後、医師と連絡が取れ、「病院側としては、法律問題が解決して永住査証がいらないこととなれば、国民健康保険への登録を待たずに、即刻A氏を肺移植のウェイティングリストに載せることとしたので、法律問題を至急解決して欲しい。」と言った。僕は、即刻州検事総長と担当検事に連絡し、肺移植を可能とする結論を大至急出すことを要請した。1時間後、担当検事は合法判断の報告書を完成し、州検事総長はそれを車の中と会議の待ち時間で読み、午後4時30分最終報告書を承認した。解決した。後は、肺の提供者が現れるよう、神様に祈るだけだった。ぼくは即刻、州検察庁に行って報告書の写しを受け取り、病院に行ってそれを担当医師に渡した。僕は医師の手を強く握って、「後は任せました。何とか日本の国民を助けて下さい。」と頼んだ。医師は、「ありがとう。後は任せてくれ。」といって、僕の手を堅く握り返した。ぼくはすぐにA夫人を訪ねると、A夫人は「ありがとうございました。」と言って僕にしがみついて泣いた。僕はその後しばらくして領事館に帰った。その途中だった。医師から肺の提供者が現れたとの電話が入った。平均6ヶ月から8ヶ月かと言っていたのに、こんなに早く現れるなんて。それも法律問題が解決するのを待っていたかのように。僕ははっきりと神様の存在を意識した。まるで神様が空の上で見ていたかのようだった。
 その夜、手術が行われ、そして成功した。担当医師は「これまでいくつもの政府が病人を救うために何とかすると約束したが、何とかする振りをしているだけで、何もしない政府ばかりだった。役人とはそんなものだと思っていたが、日本の役人は本当に何とかするために働いた。私からもお礼を言う。ありがとう。」と言ってくれた。僕は、「助けたのはあなた方です。日本の国民にブラジル人の肺を提供して助けてくれて、どうもありがとうございました。」と心からお礼を述べた。山といわれた48時間も過ぎ、Aさんの意識も回復し、全てはうまくいっていた。しかし、11月10日、Aさんは死亡した。拒絶反応によるものだった。やはり神様はいなかった。いや居たのかもしれない。移植手術をしてもだめだったと納得させるために、神様は移植手術をさせてくれたのかもしれない。運命は変えられなかった。しかし、A夫人の愛と関係者全員の努力が神様に運命を少しだけ変えさせたと思えるような不思議な出来事だった。





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