グァタパラ移住地入植40年祭と先歿者慰霊祭、モンブッカ湖畔公園イッペ記念植樹祭に参加して。
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2002年6月6日、7日の両日グァタパラ移住地の入植40年祭、先歿者慰霊祭、モンブッカ湖畔公園イッペ記念植樹祭その他盛り沢山の行事が行われたが、あるぜんちな丸第12次航の同船者7家族42名がグァタパラ移住地に入植しており、里帰りを兼ねた入植者の一人吉田和子さんが中心に成り特別バスを仕立てての1泊2日のグァタパラ移住地訪問ツアーが組まれ女房と共に参加する機会がありました。同地には40年前に一度訪ねさせて戴いており今回は、40年ぶりの訪問で感慨深いセンチメンタルジャーニーでもあリました。過去、現在、将来を見極める貴重な時間を皆さんと共有出来た事を喜び感想を記録して置きます。写真は、モンブッカ墓地の正面に聳える感じ出たっている拓魂碑です。 |
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グァタパラ移住地には、一九〇八年の歴史的な第1回笠戸丸移民の23家族88名が配耕され、第2回の旅順丸、第3回の厳島丸と継続して延べ1000家族に及ぶ日本移民が2年の契約のコロノ移民として就労していた所であったとグァタパラ35年史に近藤安雄さんが書き残しておられるようにコロニアにとっては歴史的にもそのルーツとなる場所であり戦後1957年よりコチア産業組合と日本の全国拓殖連合会との提携により5年間の準備期間を経て茨城、山形、長野、岡山、佐賀、島根、山口の7県の県拓殖連合会の拠出により第1陣の移住者が1962年1月に到着、5月にはあるぜんちな丸第12次航の同船者である井出勝一さんご一家(長野県出身)、下原明男さんご一家(山口県出身)、平松昇さんご一家(岡山県出身)、見尾大三郎さんご一家(岡山県出身)、東 勝さんご一家(岡山県出身)、吉田昌治さんご一家(佐賀県出身)、井上善一さんご一家(岡山県出身)の7家族42名が入植されました。私は、62年の11月2日のブラジルに置ける初めてのお盆(FINADOS)にグァタパラ移住地を訪ねていたことからお世話になっていた吉田さん一家の美智子さん、武弘さん、和子さん達にグァタパラ農場のお墓参りに連れて行って貰いました。当時笠戸丸移民以後の400柱に上る無縁仏があるとの事で手を合わせて平安を祈りましたが、そのお墓も今は無く旧墓地に埋葬されていたこれらの無縁仏の遺骨を発掘して1977年の6月25日にモンブッカ墓地の正面に拓魂碑を建てその下に埋葬しているとの事で今回皆さんと共にお参りさせて戴く機会がありました。40年前にFAZENDAグァタパラの旧墓地で手を合わせて冥福を祈った同じ皆さんが現在では拓魂碑の下に一同に集められ移住初期の苦労話をしておられる事を想像するとトメアスーの移住地で同船者の冥福を祈った時と同じ先歿者への敬謙な気持ちと共に場所は違ってもブラジルの地あるいは南米の地で我々より先に土に返った先達、同船者への平安を祈る気持ちと共に我々も直ぐにお供する事になると親しみを覚え安堵の気持ちがするのはそれだけ年を取った証拠なのでしょうか。今回の旅ではサルバドールで今年4月30日に亡くなられた谷 出治さん(宮崎県出身)のお墓参りをすることが出来たし同船者の一人産業開発青年隊の田布尾 隆雄さん(鹿児島県出身)のリベロン・プレット郊外のお墓にも皆さんとお参りさせて戴きましが残されたご子息4人の内結婚されてパラナ州に住んでおられる長女の小百合さん以外の隆規さん、あゆみさん、ミリアンさんの3人お会いすることができ、お元気の様子に嬉しくなりました。これからは私も含め墓地への道程を怖がらず先達、同船者の先歿者との対話、その生き様を聞かせて貰い少しでも生きてきた証し、足跡を記録に残して行ければと願っており元気な限り墓参りを続けて行く積りです。最後は自分が送られることになりますがそれまでは精一杯頑張って行きましょう。
グァタパラのモンブッカ湖畔公園の建設が具体化し40周年記念行事の一つとしてブラジルの国花と言われるイッペの記念植樹祭が行われました。イッペの木には大雑把に分類して6色13品種のイッペの花があるとのことでしたが今回は、代表的な黄色、紫、白、ローザの4色の記念植樹が行われ参加者一人一人が苗木を植え付けていました。私たちも白23番の木札の前に「根付いてくれよ!」との祈りを込めて植えさせて戴きました。5年もすれば花が咲き始めるとの事でしたが、何とか生きている内に是非自分達で植えたイッペの花が咲くのを見たいものと思います。誰が植えたかを記録する管理帖が据付られており皆同じ気持ちで自分の植えたイッペの木札番号に氏名、住所を明記、大事に育てて下さいとお願いしていました。6年後の2008年の移民100年祭には見事な花を付けて呉れるのではないかと今から胸がドキドキします。戦後JICA(元海外移住事業団)の移住地造成事業の一環として各地に散在した日本人移住地(多くの同船者がこれらの計画移住地に入植した)は、多くが撤退、閉鎖の道を辿り、日系の集団移住地が崩壊の課程を早めているなかで現在も116戸の入植者を保持しグァタパラ農事文化体育協会を結成し地域住民、移住地の管理に当っておられ近藤四郎会長始め執行部の皆さん特に今回の祭典の台所を預かられた婦人会の皆さん、黙々と働いておられた多くの元気溌剌の青年会の男女の立ち回る姿に、既に無くなってしまっているのではないかと思っていた日系コロニア社会の厳然たる存在は嬉しい驚きであり産業開発青年隊の今回の遠征団の菊地団長が提唱しておられたサンタカタリーナ州のドイツ人のお祭りであるオクトバーフェスタに負けない日本人のお祭りとしてグァタパライッペ祭りをブラジル中に広めて欲しいとの檄も満更、夢物語で無く可能になるのではないかと心強く感じました。移住地として成り立って行く為の産業としての農業の確立、農産加工工場の建設等日本移民のルーツとしてグァタパラ移住地には日本人の町として今後も存続、発展して行って欲しいと願わざるを得ません。何時の日か私たちが植えたイッペの花を見に行く日が来ることを切に願っている次第です。
平成14年6月13日タイプアップ
和田 好司
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