| 『私たちの40年!!』は、継続する限り『私たちの40年!!』で続けます。 | 
                                
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                                                |  | 来年5月11日であるぜんちな丸第12次航の私たちは、着伯50周年を迎えます。従い『私たちの40年!!』の名称を変更する必要があるのではないかとのご意見を頂いていますが、『私たちの40年!!』は、50周年後も継続する限り『私たちの40年!!』の名称を続ける事にしました。その理由は、『私たちの40年!!』は、着伯40年に立ちあげたとの事実以外にもっと広い40と云う数字の持つ偉大な意味を下記書き込みで藤沢さんが教えて呉れたからです。着伯40年は、奇しくもこの40と云う古代セム族の「沢山の、数え切れないほどの」と云う意味を持つ数字とのことで沢山の、数えきれない多くの皆さんの寄稿集、意見の広場として今後もそのスペースを広げて行って呉れればとの願いを託したいと思います。今後とも『私たちの40年!!』を宜しくご利用下さい。 写真は、あるぜんちな丸の私たちをブラジルに届け帰国の際にパナマ運河のボルボア港沖合で撮った雄姿です。
 
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 和田さん
 相変わらず精力的にご活動のようす、和田さんは我々のドン、頼もしい思いで
 す。
 私も小話は大好きです。ただし、まだ耳は遠くないのでどちらかと言えば聞くほうが得意です。
 富田さんの小話、毎回面白く読ませてもらっています。
 それにしても、よくもあれほど次から次へと仕入れて来るものです。創作小話でしょうか。
 この会の名は「私たちの40年」、奇しくも40という数字が含まれているのも何かの因縁です。
 なぜ奇しくもか、それは40という数字は古代セム族のあいだでは特別な数字で、40そのものの他に「沢山の、数え切れないほどの」との意味があったからです。そのため彼らの昔話には40の数字がよくあらわれます。退屈しのぎにお読み下さい。
 たとえば
 −「ノアの箱舟」では神は40日間夜も昼も大雨を降らせた。
 −わがままばかり言う仲間のユダヤ人にヘソを曲げたモーセがシナ
 イ山に40日間こもった。
 −キリストは40日間の断食修行をした。
 −アリババと40人の盗賊  等々
 この考えはキリスト教徒たちにも受け継がれました。たとえば伝染病患者の隔離や船舶の検疫停船期間は、ポルトガル語ではquarentena,英語では
 quarantineですが、語源はイタリア語でした。イタリア語でどう言うのか聞
 いたことがありますが、いま思い出せません。仮にXXXX(quarantena)としておきますが、ポルトガル語によく似ていたのは覚えています。
 ではなぜquarantenaになったのか。
 中世ヨーロッパでペストが流行した時期、ヴェネチア共和国に外から来た旅行者はすぐには中に入れてもらえませんでした。40日間沖の小島に留めおかれ、ペストを発症しなかった者だけが入国を許されたのです。「ノアの箱舟」で40日で悪しきものはすべて死に絶えた物語にちなんで、ペスト菌も40日あれば死んでしまうと考えたのでしょう。この40日の留め置き期間をイタリア語でquarantenaと呼びました。
 これが様々な国に広まったとのことです。
 藤沢
 
 藤沢 さん 皆さん
 貴重なご意見有難う御座います。
 直ぐに返事をと思いながら実業のブラジルの10月号の【南の国境から見たブラジル】の原稿を書く事を優先させていましたので遅れてしまいました。やっと送付済みです
 のでこれからはのんびりと週末を過ごす積りです。
 さて藤沢さんがご指摘のこのメリングリストの『私たちの40年!!』ですが、これはたまたま着伯40年に始めたと云うだけですが、当時矢張りこの40年に意味があり、10年前なら早すぎて皆、自分の仕事に注力、没頭していて同船者会等を考える余裕がなかった?10年後では遅すぎて遣りたくても年齢的に難しい。40年目に当たる2002年が今だから遣れる否今遣らなければできないとの切なる思いで着伯40年の同船者会を実施、『私たちの40年!!』のHP開設、メーリングリスト、BLOGを通じて皆さんとの交流を続けて来ています。来年で50周年になるのを機に名前を『私たちの40年!!』から『私たちの50年!!』に変更すべきでないかとの意見も出て来ていましたが藤沢さんのお話でこれからも継続して行くとすれば『私たちの40年!!』で続けて行きたいと思います。歴史的に見てもこの40と云う数字自体が「沢山の、数え切れないほどの」との意味があるとのこと『私たちの40年!!』は、単に着伯40を意味するだけでなしに沢山の、数えきれない人が自由に意見を述べ語り合う場所と云った広い意味を持つHPでありMLで有りたいと思います。
 2012年5月11日には、私たちのあるぜんちな丸第12次航は、着伯50年を迎えます。『私たちの40年!!』の10年間は、この最後になる可能性が強いある丸の着伯50周年を迎え祝う儀式を実施する為の助走期間、準備期間だったかも知れません。『私たちの40年!!』があったからこそ着伯50周年記念式典があり実施できるのかも知れません。『着伯50周に掛ける熱い思い』を纏めて皆さんに供したいと願っていますが、『私たちの40年!!』は、継続する限り永遠に『私たちの40年!!』である事をここに宣言し藤沢さんの40年の意味説明にある古代セム族の使用していた40の数字にあやかりたいと念願しています。藤沢さんの投稿を『私たちの40年!!』寄稿集に『私たちの40年!!』に纏わる話題として残して置きたいと思います。皆さんのご意見もお聞きしたいと思います。
 
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