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「三笠宮さま、岸総理、そして南米派遣」 富田さんからのお便りです。
和田さん&私たちの40年の皆さん
 先週、三笠宮ご夫妻がご結婚70年を迎えられた、と新聞が報じていました。
50年前、我々早大海外移住研究会は、三笠宮殿下を早稲田祭にお招きして、
「講演会」を開催したことがあるのです。
 これに刺激された、日本学生海外移住連盟の諸君は、一大学に宮様の講演会が出来るのなら、60大学を数える連盟は、「総理」を呼ぼうと言う企画を立てたのです。
折しも岸総理は、ラテンアメリカ5か国を含む、世界11か国を公式訪問して、帰国したばかりでした。 
 さて、この続きは下記のBLOGで、「三笠宮さま、岸総理、そして学移連・実習調査団」をご覧ください。なお、この項は二年前に当ブログに掲載した「三笠宮、マチュピチュを語る」を一部書き直したものです。
http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/21725383.html
Shinzo Tomita
通常このリード欄だけは私自身が書くのですが今回は富田さんからのお便りをそのまま使わせて頂きました。写真も富田さんから送られて来たマチュピチュの遺跡を使用しました。


三笠宮さま、岸総理、そして南米派遣
先週の新聞(2011年10月22日)に、三笠宮ご夫妻がご結婚70年を迎えられた、と報道されていた。三笠宮さまは皇室で最高齢の95歳、百合子妃殿下は88歳になられた。お元気そうな宮様の写真を拝見して、53年前の早稲田祭を思い出した。
昭和33年(1958年)の早稲田祭開催に当たり、早大移住研は、すでに恒例となっていた展示会の他に、三笠宮様をお招きして「インカ帝国遺跡マチュピツについて」と題する講演会を開催した。
これは移住研の部長をお願いしていた滝口宏教授(人類学)が当時東京女子大講師だった三笠宮さまとお近づきであったことが幸いして、実現したものだった。
 
 我々が三笠宮殿下をお迎えして、大学で講演会を開催した実績が、翌年、日本海外学生移住連盟(学移連)主催「岸総理南米事情講演会」開催に役だったのである。
一大学に宮様の講演会が出来た。それなら60大学を数える連盟は、「総理を呼べる」と言う自信が生まれたのである。
そして、総理講演会から、連盟員の「第一回実習調査団派遣」がひょうたんから駒のように実現したのである。ホップ、ステップ、アンド ジャンプと言うわけである。
詳しくは、
岸総理講演会の真実(http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/6972927.html)
をご覧頂きたい。
三笠宮殿下、日本人ブラジル移住50年祭にご臨席
昭和33年7月、ブラジルで「日本人ブラジル移住50周年記念祭」が開催された。
式典には日本から天皇陛下のご名代として三笠宮及び同妃殿下がご臨席された。
戦後、ブラジルの日本人は「勝ち組、負け組」に分裂し、抗争問題に発展していた。
移住50周年記念祭を開く際も、勝ち組は非協力的であったが、三笠宮様が出席すると分かると、事態は一変、双方の協力体制がひかれ、以後和解に進んだ経緯があった。
当時南米の情報に飢えていた我々、移住研のメンバーは帰国されたばかりの、三笠宮様に講演の依頼を行ったのである。
すると、宮様は『ブラジル移住について、講演するほどの知識も資料もない』とおっしゃったが、宮様は帰途、ペルーに立ち寄られていたので、それではマチュピチュの遺跡についてお話頂けないでしょうかと再度お願いし、お引き受け頂いたのである。

世界遺産・ペルー・マチュピチ遺跡 (写真:ペルー観光公社)
宮様講演会の発端はこうだった。早稲田祭の企画会議をしたとき、展示会とCafé de Wasedaの他に何か「大きいこと」をやりたいという話になった。そして、ブラジル移住50年祭に参列された三笠宮様をお招きして、南米の話をして頂こう、と計画したのである。
宮様との最初のコンタクトは東京女子大への電話だった。電話口に出た宮様の女性秘書は、「宮様にお伺いしますから、一週間後再度電話して下さい」と医院の予約受け付けのように淡々と応対したらしい。
その後、先述した滝口教授の口添えはあったが、三笠宮講演会はすんなり実現の運びとなった。それにしても、当時は全てがノンビリしていたのである。高貴な方は「人を疑うということが無い」と言われるが、宮様は「見も知らずの学生の電話だけで講演会を引き受けて下さったのだ。将にNoble(高潔、気高い)そのもののお人柄なのである。
 しかしそれからが大変だった。何せ学生のこと、当日どのように宮様に応対したら良いのか、全く分からなかったのだ。しかし、数ヶ月前ブラジル二世のタムラ連邦議員が早稲田を訪問した際、後藤君、村井君、富田の三人は、大浜総長とタムラ氏の通訳を務めた縁で、総長と面識があったことが幸いして、大浜総長は全面的に協力して下さったのである。
やがて、その日となった。
宮様の秘書が、「宮様は大隈講堂の前で落合いましょうと仰っています」とのことだったので、当日我々は講堂前でお待ちしていたところ、三笠宮様は女性秘書運転のダットサン・ブルーバードで到着された。
大浜総長も学生と共に宮様を出迎えて下さったそうであるが、私には全く記憶がない。


左.早稲田祭(1958年)海外移住研の展示会場の宮様。宮様の右は西野入、滝口両教授
右.早稲田祭のCafé de Wasedaにて、左から:細井、森田、小島、村井、山本、筆者
講演会の準備と当日の進行は幹事長だった山本雅俊君等、三年生が担当したが、我々4年生にも役割が分担された。覚えているのは、後藤薫君(サンパウロ在住)が好評封切中の吉永小百合の主演映画を借りてきて、講演終了後上映したことだ。
映画終了後、後藤君は次の上映館にタクシーに乗ってフィルムを届けに行ったものだ。
私は滝口教授のご指名で、宮様のご案内役を仰せ付かった。その際、教授から宮様を「三笠先生」とお呼びするよう指示されたことを記憶している。
さて、会場は超満員となり、三笠先生は当時日本人は誰も知らなかった、マチュピチュをカラースライドを駆使して紹介、解説され、聴衆を魅了して下さった。スライドの映写は山本君が担当した。
そして講演会は無事成功裡に終了出来た。
三笠先生、漫画展をご見物
 講演の後、三笠先生は移住研の展示場に足を運んで下さって、一通り展示内容をご覧になり、我らが「Café de Waseda」のコーヒーもご気軽に試飲して下さった。コーヒーはブラジル・コーヒー院東京支局が寄贈して呉れた特級品だった。
続いて我々は三笠先生の「もう一つだけ展示会を見たい」とのご要望を入れて、早稲田祭の一番人気の「漫画展」にご案内した。
当時の漫画展は4コマ漫画を実物大の人形を使って展示する方法を取っていて、実に面白かった。それもその筈、後年日本の漫画界をリードする、東海林さだお、園山俊二、福地泡介等の俊才たちが作品を展示していたのだ。
ところが、三笠先生は漫画の意味するところがさっぱりご理解出来ないのだ。例えば、「鮨詰めの満員電車のシーン」をご覧になっても「満員電車」にお乗りになったことがないので、「満員電車とは何ぞや」から説明しなければならなかった。
後藤君、佐藤喬君、村井修君(サンパウロ在住)山之内良隆君(故人)山本君等々の諸君が私を助けて、三笠先生に説明してくれたことを良く覚えている。
その時、先生は実に悲しそうな顔をなさって、「我々皇族は一種の片輪ですね。国民の皆さんのことを何も知らないのですから」と仰って今にも泣き出しそうな顔をなさったのが印象的だった。
三笠先生と連れ小便
さて、三笠先生に辛い思いをさせて仕舞った、漫画展会場の商学部校舎4階へは、階段を歩いて登り降りして頂いたのだから、我々も相当非常識だった。エレベーターが無いため、止むを得なかったのだが。
一階に下りると、トイレに行きたいとおっしゃる三笠先生をご案内した序で、私は三笠先生と連れ小便をしたのである。二人並んで放尿していると、宮様からご下問があった。
「富田君、この『我が国の将来は、今君の手に握られている』とは何のことかね?」
運悪く、宮様の便器の前の壁にその落書きがあったのだ。漫画展の続きのような展開に、弱冠22歳の小生がどうその場面を切り抜けたのか、覚えていないが、あれは将に冷や汗ものの経験であった。
このハップニングで少々怯んだが、私は思い切って、自己紹介をしたのである。
「宮様、実は私は宮中の御用掛を務めていた、歯医者の加藤の孫です」と。
すると、三笠先生は「加藤は元気か? 加藤には世話になった」と祖父を覚えていて下さったのである。
「祖父は去年亡くなりました」と告げると、祖父の思い出話を語って下さった。
三笠宮様は小さい頃から祖父の良いお得意様だったのである。調子に乗った私は、「三笠先生のおたあさま(お母様)の貞明皇后様は時々、かりん糖を3,4本、御ひねりにして祖父に託して送って下さったものです」と語ったのである。すると、宮様はかりん糖はおたあさまの大好物だった、と懐かしそうに語って下さった。トイレの外の立ち話だった。
やがて、山本君から謝礼の金一封を受け取って、三笠先生は滝口教授以下、移住研メンバーの見送りの中ご機嫌よく御帰りになった。
懐かしき早稲田青春劇場の一コマである。
(終り)



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