【ユダヤ人が迫害される理由】 藤沢 晴巳さんの寄稿です。(コメント集)
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【ユダヤ人が迫害される理由】に寄せられたコメント集ですが、砂漠が好きだと云う藤沢さんの発言から来年4月の私の訪日の帰路、2泊だけですが、立ち寄る予定のドバイの街に付いての加藤さん、杉井さん、前田さんのコメントが寄せられており最近『私たちの40年!!』メーリングリストにジョインされた小川さんの世界3大宗教同根論とそれに対する藤沢さんのコメント等メーリングリストを賑わせて呉れています。皆さんのコメントを書き並べただけですが、真面目な話題に真面目に対応、コメント頂いた皆さんに感謝します。今後とも共通の話題を見付け皆さんと一緒に語り合えると嬉しいです。
写真は、藤沢さんが参加された南伯日本商工会議所の昼食会の記念写真を使用しました。後列左端が藤沢さんです。
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(コメント編)
和田:藤沢さん 満を持しての力作登場ですね。深い考察と資料集めと纏め普通の人には中々出来ない作業です。
言い出しぺの桐井先生も喜んでおられると思います。
3回分が終了したら是非『私たちの40年!!』寄稿集にも収録させて下さい。
出来れば藤沢さんの近影も欲しいので一度べレンノーボゴルフクラブにでもプレイに行きましょうか?
御都合を連絡頂けると嬉しいです。携帯、9965-1937に連絡下さい。
藤沢; 和田さん あまりほめられ過ぎて面映いです。そんなにほめないでください、ついその気になるかも知れません。
私の駄作を収録されるご意向とか、私はまったくかまいません。ありがたい話しです。
しかし、いざ活字になってしまうと、恥ずかしくて恥ずかしくて赤面汗顔の至りになるのでは、といまから心配です。
ところで、私が本件で受信したメールを見たら、私の文の一部が日本語ではない外国語になっています。そちらにはちゃんと届いていますか。
ゴルフのお手合わせ、初孫が生まれてバタバタしていますが、そのうちご連絡しますのでよろしくお願いします。いまから楽しみにしています。
和田:藤沢 さん このさわやか商会のメールアドレスから書き込み、返信すると時々文字化けを起こして届くようです。この返信の下の方にある藤沢さんの書き込みにも文字化けが発生しているようですが、藤沢さんが書き込まれた文章20999番は、きっちりYahooで受信しておりますのでご心配なく。
初孫が生まれたとの事、今度はおじちゃんとしての孫自慢が始まるのですかね?これも楽しみにしています。これから年末にかけて何かと行事が重なりますが、土曜日の午前中にでも一度ゴルフに出かけましょう。小島さんご夫妻と4人で歩くのも楽しいですね。毎週3回はプレイしておられるようです。ご連絡お待ちします。
三宅:藤沢様 良く資料を集められてのご高説 頭が下がります。
もう一つご紹介したいものがあります。「隠された聖書の国・日本」 ケン・ジョゼフ・シニア&ジュニア著 徳間書店発行『人間X宇宙X愛』5次元文庫をもぜひお読みになってください。
アルメニア『アッシリア方面』の迫害の時 日本にたどり着いた人たちがいたということです。古代の日本にも外国人がいたと言うことは驚きでした。
宗教戦争と言うのは政治と結びついた時に起こるようです。つまり人間の欲望 ねたみさげすみ 相手を省みない 人間のどうしようもない自我 聖書で言う人間の罪のなせる業のようです。神を神としない人間の心ガ多くは妬みのゆえに 迫害もおこるようです。日本でもおなじことがありましたね。 ヘロデ王の時代赤子のイエス様を殺そうとしたのは豊臣秀吉時代に起こったキリシタン迫害と何の変わりも無い人間の欲望ゆえでした。と私は思います。アダムとイヴの時代に失われた神との関係を正して神の民として御国へ活けるように救世主としてイエス様が来られました.彼は黄泉にまで下られましたが復活されて今も天の御国に居られます。羊のようにさまよう私達人間を(親を離れた放蕩息子のような)創り主なるかみのもとへ帰れと招いておられるのです。
親になど従わず自分勝手にしたい 其れが人間の罪と言うものと聖書は言っています。 妬みも 迫害もいまなお尽きないではありませんか?神に従わず自分で生きていると思っている私達の社会の中でも行く先を見誤っていじめ 吾子への虐待 その心は迫害 大量虐殺と何の代わりは無いはずだと思います。歴史的な迫害に加わったのは外でもない私たちなのだと私は思っています。だから 私達の罪を一身に負い十字架に罹って下さった救い主イエス・キリスト様を我が救い主として神の民として天にある国籍を目指して歩んでいるものです。
聖書と共にご一読ください。
藤沢:三宅様 お便り有難うございました。
どんな時でも、どんな形でも相手をしていただけるのは嬉しいものです。
これからもよろしくお願いします。
紹介していただいた本、さっそく取り寄せて読みます。
おっしゃるとうり、いま世界では様々な問題があっちでもこっちでも起きていますね。
いろいろ原因がありましょうが、原点を忘れてしまったのが最大の原因ではなかろうか、そんな風に思えてなりません。
原点を見つめているつもりでも、自分のことばかり考えているうちに原点から離れたところを見てしまい、そこを原点だと思い込んでいるのではないでしょうか。こうなったら自分が今どこに向かって進んでいるのか分からなくなって当たり前です。
なんだかえらそうに言ってしまいました。「それではお前はどうなんだ」と聞かれたら、ちゃんとした返事が出来るか私には自信がありません。
和田:藤沢さん ユダヤ人を中心とした世界史、4世紀まで連載3回が終了しましたね。一服した上で継続されるとの事、楽しみです。余話が面白いですね。
連載3回が1万語で収まるかどうか?週末に作業をして見ます。
藤沢: 和田さん 編集は何であれ大変な作業と聞いています。
あんなに書くつもりではありませんでしたが、つい筆が進んでしまいました。
紙幅の制限もありましょうから、拙論の削除は気兼ねなど一切せず、どうぞご自由になさって下さい。
和田: 藤沢さん 『私たちの40年!!』の寄稿集は使用ソフトの関係上1編1万語の制約はありますが、字数オバーの場合は2度、3度に分けて掲載しています。コメントも一緒に残して置きたいので多分2回になるのではないかと思います。寄稿集は、オリジナル原稿通りを原則としており削除、書き替え等は一切しておりません。私は前文と云うか紹介のリードを書かせて頂くだけで原稿さえあれば幾らでも掲載可能ですのでどんどん書いて下さい。
小川さんの質問事項?コメントが藤沢さんの回答文に残っておらず分かりませんので別途送って下さい。
小川: 藤沢様、興味深いお話ありがとうございます。
私は以前何かの本で、ユダヤ教、キリスト今日、イスラム教は、ユダヤ教を兄(親?)とした3兄弟の様なものだというの を読んだ事があります。それがどうして今のようにお互いに 排斥しあう関係になってしまったのでしょうか?
既に書かれているのかも知れませんが、掲示板に参加したのが極々最近ですので、ご教授頂けると嬉しいです。
藤沢: 小川公裕様 お便り有難うございました。
返信をogawa.kimihiro@starc.or.jpに出したのですが、送信不能とのメッセージが返ってきました。
もう一度、こんどは別のアドレスに出してみます。
とても難しいテーマですね。
専攻は機械工学で、宗教学はシロウトの雑学の域を出ない水準です。
そんな程度の知識なのに、こんな難しい問題に口をはさもうと言うのですから、考えてみれば無茶な話しです。
それは承知ですが、それでもまず最初の一歩を踏み出さなければ何も前に進みません。
そして、その一歩が間違っていて、それを指摘してもらえれば私にとっても前進ですので、あながち無駄とは言えません。
そう言うつもりの拙論ですので、ご期待にそえるか分かりません。
また、言わずもがなの事を語るかも知れませんが、その時は飛ばして先に進んで下さい。
まずキリスト教、イスラム教がユダヤ教を兄(親)としたものかどうかです。
ユダヤ人が書いた創世記から始まる旧約聖書があります。これがユダヤ人の聖典、聖書です。
ただユダヤ教という場合、この旧約聖書にタルムード(ヘブライ語で「教訓」の意)を加えたものを指します。
タルムードは多大な書物群だそうで、私はまだ読んでいません。
またキリスト教はやはり旧約聖書に、同じユダヤ人のキリストの行いや教えを記した新約聖書を加えたものを指します。
旧約聖書だけでは、当時ローマ支配下のユダヤ人社会が抱えていた深刻な問題を解決できなかったので、キリストが打開策を示しました。
それをキリストの教えとしてまとめた物が新約聖書です。
キリストの教えは、単にユダヤ人だけにとって価値があったのではありませんでした。 他の民族にとっても価値のある普遍性を持っていたので、世界中あちこちで受け入れられた、そのように私は思います。
旧約聖書、新約聖書と言ってもべつに二冊の本があるわけではなく、新旧二つを一冊にしたものがキリスト教の聖典、聖書です。
聖書に生きる人を「一書の人」と言うのはこのためです。
一方イスラム教は、これもやはり旧約聖書が基になっていて、これにアラビア人マホメットの行いや教えを記したコーランを加えたものを指します。
ただし厳密には多少異なっていて、新約聖書のうち福音書までは良い、とコーランには何箇所にも書かれています。
私にとってもこれは意外なことでした。
ですから、ユダヤ教が兄(親)というよりは、旧約聖書の言う全能の神、絶対神をどのように解釈するかで分かれてしまった宗教だと言えます。
以上がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教のごく大雑把な定義と考えて間違いはないと思います。
次に、なぜ「排斥しあう関係になってしまった」のかです。
排斥しあう時代もあれば、敵対もせず良い関係だった時代もありました。
イスラム教徒モーロ人支配下のスペインでは、ユダヤ人(ユダヤ教徒と同義)はイスラム教徒と協力し合い、良い関係にありました。
政府の要職にも登用され、ユダヤ人の貢献がなければモーロ人の支配はあんなに長続きしなかっただろうと言う指摘もあるほどです。
「お互いの宗教を認め合わない関係になった」が正しい捉え方、のように私は思います。
ではなぜそのような関係になったのかと言いますと、それは三宗教とも一神教だからと思います。
彼らにとって神はただ一つしかありません。
十戒の一つで、「あなたは私のほかに、なにものをも神としてはならない」、とヤハヴェ神は言っています。
三者ともお互いに、「あなたの絶対神の理解は間違っています。正しいのは私の理解です。」と言ってゆずりません。
こんな問題をわずか20行たらずでかたずけてしまいましたが、そんなに簡単なものではないはずです。
しかし、私には残念ながらこれ以上のことは分かりません。
もし出来れば、どなたかもっと詳しい方に尋ねられ、私の理解が正しいか検証されてみてはいかがでしょうか。
私の理解が間違っているときは、その旨ご一報下されば幸いです。
和田:藤沢さん 有難う御座います。週末に作業と思っていましたが、明日からリオに出ますので来週になりそうです。
小川さんの質問事項も送付頂きましたので藤沢さんの回答と共にコメント集に収録して置くことにします。
作業は少し先になりそうですが。。。
加藤: 和田様 こんにちは ドバイ近郊の砂漠ツアーがあるぐらいです。近場の国の砂漠に行きましたけど。
伝聞だけだと・・・・
和田様が商社勤務時代に 日本で流行した久保田早紀の異邦人 youtubeを付けておきます。
www.youtube.com/watch?v=rQCAdLmTyJk">http://www.youtube.com/watch?v=rQCAdLmTyJk
和田:加藤 さん お便り有難う。ドバイそのものが砂漠の町ですからわざわざ砂漠ツアーは、必要ないと思います。
砂のグリーンでも試して見ましょうかね?
久保田早紀の異邦人初めて聞きました。人気があったのでしょうね。忽然と現れ忽然と消えた?
あや子: 和田さん、加藤さん 久保田早紀の異邦人、懐かしく聴きました。画面がいいですね。
イランを思い出しました。アフリカ、書いています。そのうちエイ、ヤーでおくります。
和田:あや子 さん やっとアフリカ紀行記、書いておられるとの事、楽しみにしています。写真も宜しくお願いします。エイ、ヤーで送って下さい。
杉井:和田さん ドバイには仕事で何度か行ったことがありますが、市街地は砂漠とは思えない程の高層ビルが立ち並んでいて大都会です。 砂上の楼閣と言えるかも知れませんが、岩盤まで杭打ちをして鉄骨ではなくて鉄筋コンクリート建ての重いビルです。
世界一高いブルジタワー(800m)は韓国のサムソンが建設したもののさすがに鉄筋では重すぎて600mを越すと傾いて来てそれ以上は鉄骨に変更したとか。
ドバイのホテルはべらぼうに高いです。 ショッピングモールが数多くあって、買い物、両替、食事、娯楽はショッピングモールで済ますのが普通です。 ドバイモールには大きな水族館があって、このアクリルガラスは四国の日プラが納入したものです。 街中のレストランはインド料理屋が多い様です。
4月はまだましですが、7-8月には外気温50度以上、湿度90%にもなり、暑くて外を歩けません。 一歩外へ出たらサウナの様で、きれいなアラビア湾に面した海岸も焼け付いて寝そべるなど出来ません。街中には砂漠はありませんので砂漠を見たければサファリツアーへの参加がお勧めです。 涼しくなる夕方4時頃の出発で、四駆で砂漠の丘をジェットコースターの様に上り下りしたり、サンドスキー、ヘナの刺青体験、アラブ衣装、駱駝乗り、夕食、ベリーダンス鑑賞がセットされていて4 - 5,000円です。 ホテルで予約出来ると思います。
前田:杉井さん、和田さん ドバイ情報ありがとうございます。
数年前、モロッコのツブカル山登山からの帰途、フライトの乗継失敗で 思いがけなく航空会社持ちのドバイ一泊を頂き、市内見物をしました。
タダの土地(砂漠)に800mもの高さのビルを建てるなど、 狂気の沙汰です。どこかの国の建設業者にだまされているのかも しれません。砂上の楼閣とはこのことです。
ホテル一泊300万円の部屋もあります。
ナデシコジャパンのWC優勝の表彰式の舞台にもドバイ航空のスチュアーデス?が並んでおり、極めて不愉快でした。
前田です。
「ドバイ航空」は「エミレーツ航空」の誤りでした。
和田:前田さん/杉井さん
前田さんも1晩ドバイで過ごされたのですか。私も似たようなもので時差ぼけを解消するために2泊ドバイに泊まる予定にしています。
杉井さん
貴重な情報有難う御座います。暑い昼間の街のサウナ経験と是非サファリツアーに行っています。添付頂いた写真でも見ましたが四駆での砂漠上下のジョットコースター面白そうです。アラブ衣装、駱駝乗り、夕食、ベリーダンス鑑賞がセットされて5000円とは安いですね。是非体験してみます。実際に出かけた人の生きた情報は、有り難いです。ドバイのスケジュールはこれで決まりです。
多分一生に一度の旅だと思いますので楽しんできます。
杉井:和田さん ドバイ経由の日本行きはエミレーツ航空利用ですね? エミレーツ航空は機体も新しくてきれいだし、食事も良く、サービスは悪くありません。
アメリカンやユナイテッドよりも余程ましです。
ドバイの街中のレストランではビールも豚肉も無いので、やはりショッピング
モール内のレストランがお勧めです。
藤沢:杉井さん はじめまして。
ドバイの7,8月の湿度は90%にもなるとのこと、おまけに気温50度天然サウナですね。
かってエジプト、シナイ半島のべドウインのテント村で昼食したときのことを思い出しました。
幹線道路から一時間以上かけてジープで行きました。
砂漠に車のワダチの跡があって、そこが道路です。
ワダチは一本だけではなくて、幅2,300メートルはありそうな範囲のなかに沢山ありました。
あれでは慣れない者が夜走ったら、道の中で道に迷うかもしれません。
それはともかく、海岸線から遠いあの辺りの砂漠は、温度計はありませんでしたがかなりの高温でした。
6月のことです。
私は汗っかきですが、それでいてシャツがまったく濡れませんでした。
昼食をとった一家の主に、どうしてこんな辺鄙なところに住むのか、不便ではないのか尋ねました。
「不便ではない。町があるのは海沿いばかりだ。あんな蒸し暑いところはいやだ。」が答えでした。
なるほどと思ったものです。
私はどういうわけか砂漠が好きです。
理由は自分でも分かりません。
かの地の自然、人、習慣、いろいろ聞かせて下さいませんか。
杉井:藤沢様 私は仕事で海外のあちこちへは行きましたが、暇な時にちょこっと観光をする程度なのでいずれゆっくりと海外旅行を楽しみたいものだと思っています。
ドバイへは建設資材の輸送関係で何度か行きましたが、1971年に英国から独立したUAE(アラブ首長国連邦)の7首長国(アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマーン、フジャイラ、ウンム・アル・カイワイン、ラアス・アル・ハイマ)の内でもドバイは石油を殆ど産出せず隣国のアブダビから分けてもらっているほどです。 そこでドバイ首長国のマクトウーム王族が考え出したのが周辺諸国からのオイルマネーや外資頼みの高層ビル建設やリゾート開発で、旧市街郊外の西部の広大な砂漠(無価値だが王族が所有)に高層ビルを建ててホテルやオフィス、住宅として外国投資家に分譲し、投資家はそれを転売して稼ぎ、誰も住まないのに価格はどんどん上がるというバブル特有の異常な事態となりました。 しかしそれもリーマンショック後は誰も買わなくなり、建設途中で資金不足で工事中断となった建物も数多く、日本のゼネコンも工事代金の回収が出来なくなり大問題になっています。 そこで登場するのが中国人で、足元を見て買い叩いているそうです。 ブルジュタワー内のオフィスや
マンションもかなり手に入れたとか。
しかし地震が無いので奇抜なデザインの建物が多く、建築家にとっては大いに参考になる見本と言えるでしょう。
ドバイには特に観光資源も無いので、観光客呼び寄せのために他にも地下鉄(空港からジュベルアリ港まで、殆どが高架で、清水建設が施工)、モノレール(地下鉄の中間駅からPALM TREE ISLAND先端にあるATLANTIC HOTELまで、大成建設が施工)、数々のショッピングモールの建設や、アラビア海を埋め立ててPALM TREE ISLANDという椰子の樹の形をした島を3つ(各枝葉の部分は各戸専用ビーチ付きの住宅街)、更にWORLDという世界地図の形をした諸島などのリゾート開発をしました。 WORLDにはちゃんと日本列島も
作ってあり、既に誰かが買ったそうです。 しかしこれらの島々は世界一高いブルジュ・アル・アラブホテルの展望レストランからしか眺望出来ず、そのレストランにはこのホテルの宿泊客しか入れません。
UAEの人口826万人(2010)の内、80%はインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカなどの外国人で、建設労働者やタクシー運転手は殆どがそうです。 過極な日中の建設現場での労働は流石の中国人でさえ耐えられず、南アジアの労働者でないと勤まらない様です。
藤沢さんのユダヤ人迫害の原因研究には感心しておりますが、中国にも「中国のユダヤ人」と呼ばれている人種が居ます。 それは客家(ハッカ)と呼ばれ、大昔の春秋戦国時代(紀元前8-3世紀)に戦争に負けた王族が中原から南部や東南アジアへ逃れた漢民族の末裔で、現地に同化せず独自の風習や言語を未だにかたくなに守っていることもユダヤ人と似ている
と思います。 通常なら被征服者は征服者に自然と同化してしまうものですが。 このために移住先の住民からはよそ者という意味で客家と呼ばれた由縁です。 しかしユダヤ人同様商売や教育熱心で、知名人が多く輩出しています。 孫文や |
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