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松原ホテル寿司バー寿司職人の阿久根隆行さん
『私たちの40年!!』あるぜんちな丸第12次航の着伯50周年記念のメイン行事は、松原ホテルの地下にある大サロン東京1と東京2をお借りして行う予定にしていますが、当日の日本食料理を準備して呉れるのが一流寿司職人の阿久津隆行さんです。これまでに2度ほど阿久根さんの料理を試させて頂いていますが、これなら安心してお任せ出来ると安心しています。寿司を握って貰いながらお聞きしたお話を下記に纏めて置きたいと思います。
写真は、ご自分で総て料理される阿久根さんです。阿久根さん50年祭には是非腕を振って同船者の皆さんを喜ばせて上げて下さい。


阿久津隆行1952年6月19日生まれの今年還暦を迎えられる男ざかりです。阿久根さんは、移住船がなくなり第1回の飛行機移民のお一人で1973年9月23日、日本を発ってロスで1泊、リマ経由でサンパウロに9月25日に着かれたそうです。同船者ならぬ同機者が50人近くおられたそうですが、どのような人が居られたか殆ど覚えていないし同船者意識は、理解出来ないと笑っておられました。第1回の飛行機移民にも日本政府の渡航費援助は継続していたようで補人負担が20%の5万円だったそうです。と云う事は飛行機賃25万円の内80%の20万円の政府援助を受けたようです。同機者の約半数は、全拓連派遣の農業移住者だったそうです。工業移民の方もおられたようですが、阿久根さんご自身は、長崎県の普通高校卒だそうですが、ブラジルに移住する為に北海道に現在も存在する農業高校の海外移住専門学校で勉強し同校を卒業し21歳でサンパウロ奥地のサンマヌエル農業高校に入学し15歳以下の若者に混ざって全寮制の農業高校生として勉学に励みポルトガル語を勉強したそうです。2年から3年の寮生活が保証されていたようですが、1年で中退してブラジルの農業高校は卒業出来なかったそうです。母方の親戚もおりブラジルでの生活には困らなかったようですが、当時一世を風靡していた炉端の権兵衛(コンベー)で10年修業し日本料理の勉強をみっちりと日本食の職人として鍛えられたとの事でその後色々な日本食店も渡り歩いたが、2年前に同船者の奥野 俊さんの紹介で現在の松原ホテルの寿司バーに働く事になったそうです。
同機者の仲間には、一緒にサンマヌエル農業高校に配属され卒業しサンパウロ大学の農学部を卒業した仲間もいるとのことですが、農業は、好きではあるが向いていないとの事で現在の日本食職人としての生活が気に行っており、5月のあるぜんちな丸第12次航の集いには腕を振い皆さんの喜んで貰いたいとの抱負を語っておられました。楽しみです。



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