HOME  HOME ExpoBrazil - Agaricus, herbs, propolis for health and beauty.  Nikkeybrasil  編集委員会  寄稿集目次  寄稿集目次  通信欄  通信欄  写真集  リンク集  準会員申込  em portugues




ブラジルPENTAの記録【その2】
日韓共同W杯開催とサッカーに明け暮れした開催国の日本とPENTAで沸き返るブラジルの話題を記録して置くのも2002年の大きな出来事の一つと云えるのではないかと思い拾って見ました。私たちのあるぜんちな丸が出港した町、ベルギー戦でブラジル選抜軍がお世話になった町、私が生まれ育った町神戸の神戸新聞6月22日付け【ブラジル4強進出 料理店でサポーター大歓声】、6月27日付け【かみしめる母国の誇り 日系ブラジル人】、7月1日付け【試練乗り越え勝利祝う 震災経験のブラジル女性】の3記事を選び転載させて頂く事にしました。それぞれの人がスポーツとしてのサッカーを通じて味わった違った感情、祖国ブラジルを離れ日本でブラジル選抜軍の活躍ぶりを見聞し忘れ得ぬドラマを作り挙げた多くの人達の一部が伝わって来そうです。写真も神戸新聞からの転載です。


ブラジル4強進出 料理店でサポーター大歓声
--------------------------------------------------------------------------------

2002/06/22

 サッカー・ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント屈指の好カード、イングランド―ブラジル戦があった二十一日、ブラジルへの移民船が最初に出港したゆかりの地、神戸では熱狂的なサポーターが声をからし応援した。勝利の瞬間、こぶしを突き上げ絶叫した。「優勝はもらった」

 神戸ハーバーランドのブラジル料理店「サバスKOBE」では、ブラジル人など約五十人のサポーターが観戦。得点を重ねるたび大歓声があがり、太鼓やラッパで店内が揺れた。

 試合終了のホイッスルが鳴ると、明石市西二見町の派遣会社従業員ソーサ・ダンベルトさん(35)は仲間と熱い抱擁を交わした。顔を紅潮させ「十人でよく戦った。きょうが一番強かった。チームはわれわれの誇りだ」。

 黄色のユニホームで声援を送った神戸市中央区のフリーター福田沙織さん(29)は「見ていて楽しいのがブラジルサッカー。全員最高。みんなと一緒に熱くなれた」と手放しで喜んだ。

 店長のツツミ・エリザルドさん(32)は「イングランドの守りは固く、前半はちょっと心配したがよく勝った。もう次の試合からは心配ないね。優勝は間違いなし」と、余裕の表情で店内のけん騒を見守っていた。

W杯 かみしめる母国の誇り 日系ブラジル人
--------------------------------------------------------------------------------

2002/06/27


「セレソンすごい」
 スタジアムに響く太鼓のリズム。黄色いユニホームが飛び跳ねる。サッカー・ワールドカップ(W杯)で二十六日、強豪ブラジルがトルコを破った。決勝へ。「セレソン(代表の愛称)はすごい」。日本育ちの日系ブラジル人の子どもたちが、母国への誇りで胸を膨らませた。

 毎週水曜日、神戸・三宮で開かれるポルトガル語教室。母国語を学ぶため日系人の小中学生が集まる。加古川市のアベ・ジアナちゃん(10)は日本生まれ。ブラジル流団らんは家族全員がそろうが、日本ではお父さんの夜勤もあり、少なくなりがち。でも、試合の日は仕事を都合してもらう。

 「みんなで応援できるから楽しい」とジアナちゃん。ブラジル代表が勝ち進み「こんなに強いと思わなかった。めっちゃうれしい」とご機嫌だ。

 兵庫県立西宮香風高校二年のタムラ・レイラさん(17)=明石市=は滞日七年目。神戸でベルギーと対戦した代表チームが滞在中、テレビ局に通訳を頼まれた。買い物を手伝い、エジウソン選手にユニホームをもらった。「すごく人懐っこくて、いい人たち」と感激。ブラジル国旗のイヤリングをするようになった。

 二十六日は、近所の日系ブラジル人も交えにぎやかにテレビ観戦。決勝進出が決まって「夢のよう。このまま優勝、間違いない」と満面の笑みを浮かべた。

試練乗り越え勝利祝う 震災経験のブラジル女性
--------------------------------------------------------------------------------

2002/07/01


忘れられない日に
 W杯決勝戦の三十日、百数十人のサポーターで埋まった神戸市中央区のブラジル料理店「コパカバナ」。店長の田中康友さん(53)と、ブラジル出身の妻バヌーザさん(31)は、特別な思いでこの日を迎えた。阪神・淡路大震災から約七年半。店の被災、バヌーザさんの病気など数々の試練を乗り越えてきた。八年以上も母国に戻っていない妻はこの夜、横浜のスタンドへ。妻を見守り続けた夫は、神戸でブラジルの優勝を祝った。

 同店は一九九五年一月の震災で被災し、半年にわたって休業。その前年に来日し、同店でダンサーとして働いていたバヌーザさんは、地震のショックから体調を崩した。

 仲間は次々に帰国し、異国での生活に不安は募った。そんなバヌーザさんを見守り続けたのが、康友さんだった。震災の年の夏に結婚し、二人の子どもにも恵まれた。

 苦しい日々を乗り越えてきただけに、ブラジルチームの来日は、バヌーザさんにとって特別な出来事だった。神戸でブラジル―ベルギー戦が行われた六月十七日には、ブラジルの選手らが来店。同じリオ出身のロナウド選手はユニホームのプレゼントを約束した。

 「ブラジル人のW杯への思い入れは、私たちが想像できないほど強い」と康友さん。決勝ではそのロナウド選手がバヌーザさんの目の前で二点をたたき出した。「妻にとって人生最高の出来事。帰ってきたら『よかったね』と言ってあげたい」と、優勝を心から祝福した。



アクセス数 7583125 Copyright 2002-2004 私たちの40年!! All rights reserved
Desenvolvido e mantido por AbraOn.
pagina gerada em 0.0149 segundos.