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シアトル南2時間のポートランド 砂古さんからのお便りです。
83歳の現在もサンパウロでコロニアの画家として活躍されておられる砂古友久さんが昨年11月から年末に掛けお嬢さんが住んで居られるポートランドに出かけられたとの事で『シアトル南2時間のポートランド』というお便りを送ってくれています。
ポートランド―シアトルーバンクーバは、西海岸の3都市で商社等ではこの3都市対抗のゴルフ大会等を通じて交流があると聞いていますが、良いところのようです。
クリスマスのツリーを農場で自分で鋸を使って切り倒して持ち帰り自宅にクリスマスツリーを飾るとか、残念ながらこのサイトでは写真が一枚しか使用できないので送って頂いた写真6枚の内、どれを使おうかと迷ったのですが、大きな楡の木を使用することにしました。砂古さんご夫妻が野外ストーブで暖を撮っている写真には二人合わせて160歳との説明がありました。関係写真は、下記BLOGに掲載して居りますのでそちらでご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/32170715.htm


Watasitatiの40年グループの皆さま

昨年10月の文化協会美術展と11月の総領事館での7人展の開催をおえて、11月18日に出発し、北米オレゴン州のポートランドに40日間滞在してきました。12月末サンパウロに帰国早々風邪をひきました。高齢83歳にとって、頻繁に出る咳は横隔膜を激しく揺するので疲れ果て,誠に情けない年末年始でした。                                    
ポートランド市は豪華な外洋客船も市内のウォーターフロントに接岸できる河川港都で、水深十分なこの河が都市を二分します。高級住宅の多い山手を後ろに控える側はダウンタウン、河を隔てた他方は延々と平坦で住宅地区といえましょう。この二区を繋ぐ十程の鉄橋はそれぞれ特色あり、この都市に美観を添えます。オレゴンは珍しく消費税ゼロの州のためか、それともシアトル港には降ろした車両の場所不足なのか、日本や韓国からシアトル向けの車はほとんどポートランドで降ろされ如何に水深ふかく水量豊かな都市かが想像できます。ダウンタウンには栓なしの常時噴上する自然水が飲め、美観も呈する飲み場が路上のあちこちにくあり、夏になると複数の広場では地面から噴水があがり、その脇で子供たちが水浴びに興じるように広くタイルが張ってあります。  
レストランでは着席するなりおいしい水がサービスされ、注ぎ足しにガルソンが頻繁に廻って来ます。本場ながらもコカコーラをレストランで飲む風景はここでは滅多にありません。皮肉な事にコーラの最大消費国はアメリカでなくてブラジルと聞きます。そして食事は安くて食材豊かで美味しく、世界中の珍味、ヒマラヤ料理店までありますが、大衆向けにはタイ料理店が一番多く見受けます。パソコン持ち込みで居座り客の多い軽食店はもちろん、大抵のレストランはブランチ風の朝食を毎日提供し、どんな時間にも客が座っていて、ここの人間は一体何しているんだろうとまで考えさせられます。ヒッピーの発祥地とも聞きますから、自由職業者が多いのでしょう。

ダウンタウンでの勤め人は、ブラジルのように雇用側で提供義務の無料昼食券は貰えなく、弁当持参か Food-cartで購入する昼食を、30分の短い昼休みで済ませます。 Food-cartは、ダウンタウンには多くの広場にあり、流行る広場によっては100台以上。それぞれのカートは世界中の食べ物で競合し、一品5ドルから10ドル位で、これまた旨い。カート場に行って今日はどのカートで何を選ぶかの楽しみもあるようです。ダウンタウンだけでなく住宅地区でも10台,20台のグループがあります。カートと言われるものの、まだ寒い5月、最高の気候の9月頃、寒い冬、この10年数年間何時行っても、娘の家から遠くないカートグ―プではそれぞれが自分の同じ位置に定着しています。でも最低タイヤの車輪2個の装備は義務です。市制で何かの折に移転出来る態勢義務と解釈します。これで成功し、レストラン開店から2号店3 号店への発展実例もあるそうで、腕のある無資本の若者にはチャレンジに最適でしょう。

カートでの値段が出たので、外食値段に触れます。朝食(ブランチ)には滞在中4回行きましたが、中でも美味しい、行くたびにwaiting listで待たされる定評の市内に2店を持つ、いろいろのパンやお菓子の部門でも知られるフランス人経営のインテリアは黒一色に金の筋模様が施されるレストランに行きました。私はサンパウロで最大の巨大市場 Ceasa で昔食べた有名なオニオンスープをメニューに見つけ注文、待たされたがこれが旨いの何の。、そしてonly 7ドル。 帰る前にもう一度行った折は、1時間以上待たされ客多く、オーヴン仕上げに必要な時間を充当しなかったのかちょっと幻滅でした。2回とも家族3人の女性の注文一品は7ドルから11ドルで、美味しいパンが添えられます。回転すしは2か所だけ入り、2個入りが2ドルから3ドルまで3段階。有名レストランで5時(もう暗い)から6時半まで着席すれば、一品10ドル前後ですが、7時からのデ ィナーは別メニューで品目も幅広い。料理学校を経営するレストランでは、娘が一月前から予約した7時スタートのみのディナーで、メニューには3種類のみ提供でその中から選択するフルコースが、美味しいのに大変安くワインは別で18ドル。9時には閉店の夜一回転だけの店でした。

シアトルでも以前入った事がありますが、ポートランドにも「宇和島屋」同名称の日本食の大きなスーパーがあります。サンパウロの「丸海」の数倍か10倍のストックでそれ以外に書籍部門がサンパウロの太陽堂の数倍で満喫させてくれます。ここでアメリカ産の松竹梅・大関・月桂冠1..5リットル瓶 が7ドルの廉価。日本から輸入の750ccか1リットル未満の高級ブランドは30ドルから50ドル位。娘が家で大関を料理用に使っている理由がわかりました。消費税ゼロの上ともかく何でも、ブラジルに比べれば安いポートランドでした。   

さて今頃クリスマスの話とは時期外れですが、滞在した娘の家でのクリスマス飾りのモミの木の買い出し話を提供します。住宅地区のでは11月末頃から、駐車場などを利用して、一本25ドルでクリスマスツリーがびっしり並び始めるのが、あちこちに出現します。娘はごく普通の二階建ての家に住んでいますが、この10年ほど買い足して来たツリーへの飾りが結構増えて、毎年天井に届くほどのツリーを買うならわしです。

娘の運転で私どもは、郊外の農場へドライブ方々YouCutツリー式買い出しに出かけました。 田舎道の右左はYoucutの標識が続きます。対向車のほとんどが大きなクリスマスツリーを頭上に括りつけて走って来るので、同乗の11歳の孫は大喜びです。 気の向いた雰囲の農場を選んで車を乗り入ると、先客が30台位? 小説に出てくる感じの大きな楡(ニレ)の木の下にある大きな売店にはいりました。暖炉に薪が燃え、座り心地の良い椅子も十分にあり、温かいココアの飲み物とアメリカ風の駄菓子はフリー。娘はレジに並び treecutに10ドルの支払い。鋸は家族で必要な数だけas you like 。 農場に乗り入れたので車は泥まみれ。街に戻り8ドルの洗車代でしたが、楽しいYoucutでした。                 

農場では、個人購入で追い回される週末以外は環太平洋諸国への輸出や国内他州への発送で忙しく、オバマのホワイトハウスだけでも数十本飾りつけたと新聞にありましたが、オレゴン物だったのでしょう。

Youcutの写真6枚添付します。                             
(1) 我々が選択したツリー。手前の生株は先客が切り残したもの。直径10センチ程の生幹では、みなが交代で鋸をいれても半分もカット出来ない。トラクターで巡回する農場の兄ちゃんに電気鋸でチョン。運搬もしてくれる。
(2) まずカットした木は電動振動器に乗せられ、ゴミや枯れ葉を完全除去。機械に入れられ、紐で括くられて細くなり、買い手の車の上に乗せてくれる。 
(3)   家で飾り付け終わる。
(4)   農場で火にあたる我々二人。合計年齢160歳。
(5) 楡(ニレ)の木。
(6)美味しかったオニオンスープ。 表面だけでなく中にあるパンの小片もかっちりとした歯ごたえ。スゴイ。
長い旅行記を読んで頂き有難うございました。

(コメント集)
砂古 さん
写真6枚無事受け取りました。下記BLOGに上手く本文と共に写真も掲載出来ました。どの写真をHP用に採用しようか迷いますが、楡の木の写真がポートランドらしくてよさそうですね。合わせて160歳も良いのですが。。。オニオンスープも美味しそうです。
有難うございました。掲載URLは下記です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/32170715.htm

和田さん、
写真6枚を、ポートランド滞在記にうまく挿入編集頂き、操作の巧みなのに驚いています。
それにしても大変だったでしょう。 お手数かけました。 有難うございました。
HPへの写真選択は楡の木で結構です。

皆さんへ、
40年グループに所属の根川先生との昨日交信したメールを、皆さんにも披露させてもらいます。1950年前半当時のヅッツラ街道、国際国内の航空事情、50冊程の春日日記、オベリン大学創設以前の話を皆さんにもお届けしたいと考え直したからです。人文研での面接では、今のサンパウロ文化協会の一部(奥の部)を占めていた戦前からの大正小学校の話も出ました。大正小学校の存在をご存じの方は今では極めて少ないでしょう。
話は飛びますが、先日書き込みの滞在記ポートランドでは戦前の邦人が銭湯を利用していて、4世達が運営するささやかな Associationには、その所在を明示する Displayがありました。
気候の違いのせいか、サンパウロに風呂屋があった話は聞きませんね。

砂古様
昨日は人文研までご足労いただいた上、貴重なお話を賜り、誠にありがとうございました。
砂古様の体験談や君塚大使のお話はたいへん興味深く、また春日家のお話ではブラジルに来ている人がいろいろなつながりを持っていることにあらためて驚きました。
まだまだ研究者としては未熟な私ですが、今後ともご助力賜りますようよろしくお願い申し上げます。
以上、簡単ながらお礼まで
ブラジリア大学  根川幸男

根川様、
久方ぶりに、研究調査に情熱をもやされる学究肌の先生に接し私こそ感動させていただきました。
オベリン大学創立の清水先生が1953年かにNova Friburgoの春日とくさんにサンパウロのコンゴーニャス空港で出迎えを受けたと、先生自身が書き残されているのは清水先生の思い違いの筈です。リオ訪問の後でコンゴーニャスでサンパウロのキリスト教関係者に出迎えられた記憶と混同されている筈です。サンパウロには当時も現在もキリスト新教関係者は少なくありません。新教の中にも名称の違う各派が2桁もあり、新教の連盟が有るほどです。出迎えたとすればリオのガレオン空港の筈です。
とくさんの姪である私の家内も左様に申しております。私の52年到着以来の記憶では、1950年前半は、まだリオ―サンパウロ間のヅッツラ街道は単線だったのは間違いありません。片道8時間は要したと思います。フリブルゴからリオまでバスで2時間半かかります。大変地味な農園生活を切りまわしていたとくさんがリオから当時のDC-3の3脚機に乗ってサンパウロまで来て出迎える筈もありません。
それに、当時NYから来る Panair do Brasil機その他国際線すべてはブラジルの当時の首都リオのガレオン国際空港にまず到着しました。サンパウロの存在は小さかったです。今は反対になりましたが。
文協の移民資料館にある春日日記50数冊に清水先生の訪伯が記載されているかも知れません。春日日記はコピーが国会図書館、ベレンとサンパウロの文化協会。オリジナルは在日の某氏が持っております。ベレンにある理由は春日亨氏が戦前のアマゾン移民の農業指導者として呼ばれ、自分の農園を とくさん にまかせて、北拍に滞在していたからです。
今週末のポルトアレッグレ・グラマードをお楽しみください。 砂古拝

砂古様
いろいろと細かいご教示ありがとうございます。こういうことは、当時の交通事情をご存知の方ならではの情報ですね。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
根川幸男拝

根川 幸男 先生
20日、日曜日の12時42分着のAZUL4074便でポルトアレグレに到着されるとのことですので飛行場に出迎えに上がります。
丁度、杉浦ご夫妻、ソニーの佐藤さんルネサスの川崎さんも誘いアトリエ『和み』でシュラスコを焼いていますので途中参加になりますがご出席頂いて皆さんと歓談して下さい。楽しみにお待ちしています。

和田様
お心遣いありがとうございます。明後日、皆様とご一緒できること、本当に楽しみにしております。
お手数をおかけいたしますが、よろしくお願申し上げます。
根川拝



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