徳力啓三「皇居の奉仕でご先祖に会えた」 第二部 富田さんからのお便りです。
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和田さん&私たちの40年の皆さん、
徳力啓三氏の「皇居の奉仕でご先祖に会えた」第二部をお送りします。
皇居の勤労奉仕は朝8時、皇居内の窓明館(ソウメイカン)に全員集合して、その日の段取りの説明を受けることから始まります。窓明館は皇居を参観する人々が参観の説明を受ける場所でもあるので、一般に開放されている東御苑にあります。
何しろ皇居は120ヘクタールもあるので、仕事現場まで、2キロほど歩くのです。昼食時にはまた同じ場所に戻ってくるので、この往復に4時間かかる、と徳力氏は書いています。その行き返りが格好の皇居観光だった、とも同氏は書いています。
今回は「皇居の奉仕」のハイライトでもある、「両陛下のお会釈」の榮に浴した際起こったハプニングが、たくみに描写されています。お見逃しのないように!
では、徳力啓三団長の「皇居の勤労奉仕レポート・皇居の奉仕でご先祖に会えた」
第二部を下記のブログ「アメリカ便り」でご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/24666793.html
Shinzo Tomita
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皇居の奉仕でご先祖に会えた
ブラジル日本会議・第7回皇居勤労奉仕 第二部
徳力啓三(ブラジル日本会議・第7回皇居勤労奉仕団団長)
東京滞在中の徳力啓三、洋子ご夫妻
一日目の午前中の作業は、結局宮殿まわりの観光と仕事の説明に始終した。11時半には窓明館に戻るべく隊列を整え、点呼する。一人でも足らぬとどこで迷ったか分からなくなるからである。休憩所に戻ってお弁当となる。勿論自前で、旅行社が皇居外より仕出してくれている。作業場に行って戻って2km〜3kmは歩く。昼から又作業場まで往復すると2kmから3km歩く。作業は簡単であるが、すべて足を使って移動する。夕方4時に桔梗門を出るころには7から10km位は歩いている。平均すれば12000歩から15000歩に達する。
多いときには最大20000歩にもなると職員さんから注意を受けていたのを思い出したが、実際作業自体より、歩くことがお年寄りにとってはちょっとつらい。奉仕団の参加条件が75才とされているのも頷ける。何しろ皇居は広い。お堀まで入れると全面積は120ヘクタールもある。ブラジル式にいうと50アルケールであり、FAZENDA(大農園)の面積に匹敵する。世界一の無冠の皇帝のお住まいは広く、隅々まで美しく、静謐である。自然の美と人工の美が調和した皇居の見事さは日本の誇りである。奉仕団は隅々までたっぷりと見学することが出来、その素晴らしさを肌で感じることができる。
午後はちょっとだけ仕事をした。宮殿の中庭の掃除である。天皇陛下が執務されるお部屋の傍の庭園である。充分手入れの行き届いたお庭であるが、庭石伝いに苔が出ていたり、芝の中に芝以外の植物が入り込んでいたりする。
また八重桜の花びらが吹きさらされていたりしている。何かしたがっている26人の奉仕団の面々は、係りの人の合図待って、それはそれは熱心に作業を開始する。誰もしゃべらない。黙々と小さな鎌を動かす人、竹箒でもって落ち葉を掃く人、もっこをもって収納をはかる人、それは見事に、たちまちにして、庭園の掃除は終わる。家では掃除などやったことのない人も、皇居にくると熱心にやるものだ。そこがまたなんともいえぬ奉仕ではないか。小1時間で終わった庭掃除の後、天皇皇后両陛下のみが使われる車寄せに繋がる道路の清掃を行った。力の余っている26名は我先に竹箒を振り回し、突進する。100メートルほどの道路はたちまちきれいになってしまった。
3時半には整列、点呼、掃除道具をリヤカーに乗せて、意気揚々と窓明館に向かって進む。軽い疲労と充実した一日を振り返りながら歩く。4時きっかり、桔梗門から退出、第1日が終わった。
2日目は皇居の東御苑が作業場であった。ここは江戸城時代に本丸、奥の院、二の丸、三の丸の在ったところである。一般に開放されており、外人観光客が沢山入園していた。彼らはカメラを持って、めずらしい生き物であるかのごとく奉仕団を撮る。めずらしい生き物たちは手を振って応える。それにしても観光する方はカメラは自由に使えるが、奉仕団はカメラはご法度。係りの人に聞いてみたが、奉仕団はカメラは使わないと言う約束だから駄目という。駄目なものは駄目。やっぱり「これが生きている証拠」となんとなく納得した自分がおかしくて、大様に笑って済ませたのも皇居のせいか。
いつもの自分と違う自分がいたように思える。
東御苑は1968年に皇居の付属庭園として完成したもので、比較的新しい。
21ヘクタールの広さのお庭である。武蔵野の多様な樹木を入れた雑木林がある。30余年前に植え始めたものらしいが、武蔵野を彷彿とさせる景観となっている。昭和天皇が江戸時代の景色を再現し、国民の皆さんに見てもらおうと企画されたと聞いた。果樹古品種園には、大昔の日本のりんごやみかんの木が植わっていたし、二の丸庭園の続きにある江戸時代の菖蒲園跡には、沢山の品種の菖蒲が植えられていた。椿園、竹林、お茶畑、バラ園、多種類の桜などなど皇居ならではの小植物園が揃っているのもうれしい。
皇居の航空写真、右下に二重橋が見える
東御苑には本丸跡がある。天主台跡に登ると北桔橋門が見える。地下鉄竹橋駅より東御苑へ入る北口である。大奥跡が天主台の下に見え、大奥跡の手前に本丸跡の大芝生が広がる。赤穂浪士の話で有名な松の廊下は本丸の左手辺りにあり、ここにいると300年前の物語が脳裏を掠める。今日のお掃除は桃華楽堂と楽部の周辺のお庭と道路をきれいにすることであった。雅楽の音色が微かに聞こえる雰囲気の中で、まずは道路にたっぷり積もっている落ち葉の整理であった。今日の作業はブラジル組の他に、埼玉県より来ていた50人位の団体と同じところを一緒に作業したために、彼らは庭園の中に積もった落ち葉拾いに廻った。私たちが作業していると、観光客が続々と通り過ぎてゆき、中には声を掛けてくれる人もいた。
午後もまた同じ作業場所に戻り、それぞれの持ち場を心をこめて清掃した。
午前中正味1時間半、午後は1時間ちょっと、皇居の中にいる時間は8時間だから、昼食に1時間半としても、観光と待ち時間と歩いている時間で片道あたり大よそ一時間、朝昼2回の往復で4時間ということになろうか。世の中の苦労をすっかり忘れて、奉仕作業に没頭する。健康そのもの、人生最大の安穏さである。大船に乗った気持ちで、気持ちよく過ごせる。初めての経験だが皇居の中で何に焦るでもなく、何にいらだつ訳でもなく、実にゆったりした気分を味わうことが出来た。奉仕団の皆さんも皆んなが同じ気分ではなかったにせよ、大なり小なり、日本の文化の香りを腹一杯吸い込んでいたと思う。又どこに行っても見ることの出来ない日本の歴史を垣間見ることが出来た一日であった。
私たちにとっては2日目の作業が終ったところであるが、月曜日から奉仕に入っていた4グループは、皇居での3日の作業は終わり、明日は赤坂御所での作業、私たち残った4グループはもう一日皇居での作業をするためこれでお別れとなりました。
4月11日木曜日、奉仕3日目。今日は天皇皇后陛下のお住まいのある御所周りでの作業、奉仕団の休息所から一番遠く、深い森の中を長く続いて歩きました。天皇陛下の個人的な安息の場であり、天皇陛下の祈りの場でもあるところです。賢所や生物研究所、御田、繭の飼育所、などが森の中に佇んでいます。私たちの作業は沢山の盆栽が管理されているところの雑草取りでした。いままでみたこともない巨大な盆栽がありました。最初に見たのは380年ほどもたった黒松の巨大盆栽でした。それに驚いていると更におおきな盆栽がありました。鉢の大きさが高さ1メートル余、直径1.5メートルもの大きさで、樹高2メートル、幹の太さが30センチ、張り出した枝は3メートルもの大きさ、総重量1300kgの盆栽なんて聞いたことさえありません。たまげた大きさでした。こんなお化けのような盆栽がいくつも並んでいるのです。一番古い木は600年も経っているというから驚きを越えます。
皆で盆栽園の草取りをしながら考えました。いくつもの戦争を乗り越え、いくつもの危機を乗り越えこの盆栽たちは生き続けているのです。皇室の歴史は神武天皇以来2673年と聞きますが、何が起ころうとも長く生き続けるということが、日本文化の真髄なんでしょうか。何もかも受け入れる、その上で受け入れたものを肥やしにして又延びてゆく、それが日本の歴史なのでしょう。驚くべき生命の強靭さがそこに見て取れます。奉仕を通じて何か大きなものを頂いたような気分になりました。
午後2時から「お会釈」の時間です。昼休みを少し延長して1時半には宮内庁の直ぐ横にある蓮池参集所に4グループの奉仕団が集まりました。奉仕団係りの職員より「お会釈」の式順を教わります。壁際に4列横隊に並び、団長がその前に一歩進んで立ちます。天皇皇后陛下がお着きになったら、深々とお辞儀をすることから始まります。天皇皇后陛下が団長の前に御立ちになられたら、団長はどこから来たか、グループは何人であるか自己紹介をすることと教えられます。余分のことは言わないようにとの注意もありました。団長経験者のOISCAの副理事長の渡部忠氏の助言では「ブラジルから参りました。ブラジル日本会議の第7回皇居の勤労奉仕団でございます。今回はオイスカと宮城県名取市の海岸林再生の会の皆様と一緒に、奉仕させて頂いております」といおうという提案があった。実際には、もう少し詳しくブラジルからは13名が来ておりますと付け加えたように記憶する。うち3名はパラナ州からですといい足したら、皇后さまが、「私たちもパラナにいきましたね」と陛下にいわれた。「副団長の谷口さんはパラナからです」と私。両陛下は1997年の移民90周年祭のことを想いおこされた様子で谷口さんに質問された。そこで出たのが、「おたく・・・」発言。あとで団員さん同志が、びっくりするやら、笑うやら。両陛下は何もおっしゃられず、おみすごしなされました。4つのグループを廻られた後、両陛下は「お会釈団」の前に戻り御立ちになった。団長4人が両陛下の御前に進み、私が代表して「天皇陛下、皇后陛下、ばんざーい」と大声で先導、続いて団員が唱和、「ばんざーい」「ばんざーい」と三唱した。大感激の一瞬でありました。
勤労奉仕の大役を果たして、リラックスした様子の皆さんの皇居外での写真
「お会釈」のあと、また作業に戻りました。1時間弱の作業、3時半に終了。これで皇居のお仕事3日間は終わりました。窓明館に戻り、天皇陛下よりの「引き出物」を代表がとりにゆきました。「引き出物」は「皇室」という2文字が入った立派な封筒に「天皇ご一家の写真集」が入っておりました。また小さな小箱にはご紋入りのお乾菓子でした。その他、想い出に残るものとしては集合写真一葉のみ、それでも心の底に沢山の思い出を詰め、日本の原点、日本人として生まれたルーツを見つめたこの3日間をこの上もない貴重なものと感じた次第です。(第二部終わり)
「皇居の奉仕でご先祖に会えた」第一部のURLは下記の通りです。
http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/24662858.html
なお、この項の写真はすべて徳力氏からお借りしました
コメント集
和田:富田さん 徳力さんの寄稿第二部有難う御座います。同じ原稿、写真を徳力さんから受け取っておりながらその処理は、富田さんのBLOGにおんぶにだっこそのままトラックバックさせて頂いています。写真の配置が良いですね。特に徳力さんご夫妻の写真が良いです。『私たち40年!!』寄稿集にも収録させて貰いますが、写真は1枚しか使えないので迷いますが、この徳力ご夫妻の写真を使用することにしました。
下記BLOGにトラックバックさせて頂いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/32910073.html
富田:和田さん、徳力さんはいつも良い顔で笑っていますね。
奥さんも良いお顔で写っています。よほど二人とも普段の行いが良いのでしょう。
こういう記事に多くのアクセスがあるのがうれしいですね。
徳力さんに感謝です。
池田:富田さん 徳力さん 富田さんの写真入れの丁寧なまとめと徳力さん夫妻の福顔見てるだけで皇居勤労奉仕の心構えがあったことが感じられます。出発前まで内心相当な苦労と心配があったのですね、勤労奉仕(重労働)も覚悟しておられたのでは、徳力さん始め参加者の皆さんのことを考えるとまだまだ修業しなければならないことが沢山あるように感じており今後の人生の参考にします。
富田:池田さん、「皇居の奉仕でご先祖に会えた」は徳力さん、渾身の力作で、
私は感動しながら、ブログにのせました。
この報告書が読む方々に感動の嵐を巻き起こしているのは、徳力氏のひたむきな祖国への思いが伝わってくるからです。
ブログに掲載することを許可してくださった、徳力さんに感謝しています。明日、第三部を投稿する予定です。
和田:富田さん 徳力レポート第2部も『私たちの40年!!』寄稿集に収録して置きました。有難う御座います。
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