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ブラジルに50年・男のエッセイ(92)ホタル 東海林正和
神戸高校12回生、私の2年後輩に当たる東海林正和さんは、2010年6月からブラジル50年・男のエッセイを書き続けている。5月27日にその(92)ホタルを掲載している。東海林君のブラジル50年を総括するような時空を感じさせるエッセイは、見事です。久し振りにお借りして『私たちの40年!!』寄稿集に収録させて貰う事にしました。これまでにも西精二先輩を悼むエッセイ他を収録させて貰っておりこれからも楽しみにしている文筆家です。彼が日本でポルトガル語の新聞、TUDO BEMとポルトガル語の月間雑誌MADE in JAPANを発行している時に長女弥生が記者として2年間日本でお世話になった。
写真は、高校時代に国体にも参加した馬術部の猛者だっただけに馬上の姿が似合うのでこの写真を使わせて貰いました。


今日、ホタルを見た。
グアルジャー島の自宅前から海浜まで200m余り続く草原に、それははかなげな光を放ちながら飛び交っていた。
去る4月、日系ブラジル人の連れ合いを伴って訪日した際、九州一周のパッケージ・ツアーに参加して初めて鹿児島を訪れた。そして思いがけず、あの特攻隊の基地があった場所、知覧の存在を知った。
基地跡に再建された、特攻隊員が出撃前の数日間寝泊りしたという三角形の宿舎、再生された旧式戦闘機、それに彼らの遺留品を保管した博物館は、訪れた人々に当時の様子を生々しく思い起こさせるのに充分な存在で、さらに作戦で命を落とした隊員と同数あるという、1千200体余りのずらりと並んだ灯篭は、特攻隊が単なる語り草ではなく、まぎれもなく現実の、悲惨な出来事であったことを如実に物語っていた。
とりわけ特攻隊員の年令が、17才から22才の若者たちであったことに、私は強く胸をうたれた。というのは彼らと同じ年令で、ブラジルに一人で旅立った自分のことが、思い起こされたからだ。
出港前の数日間、移民収容所で寝泊りした後、船に乗り込んだ私には、別世界に旅立つ大きな不安こそあったが、それに勝る希望があった。それに比べ、三角宿舎で数日間寝泊りした後、戦闘機に乗り込んで、死の世界に旅発った彼らの心境は、いかばかりのものであったろうか。
同伴した連れ合いは日系二世で、戦前に16才で家族とともにブラジルに移住した父親の年令を逆算すると、特攻隊員と同年代に当たることを知り、もし家族がブラジルに移住していなければ、父親は戦死していた確率が高く、そうなると現在の彼女は存在しないことになるので、感慨深げであった。
私は、知覧の小さな売店の棚にあった「ホタル」というタイトルのDVDが目に留まり、思わず手を延ばした。ブラジルに戻ってから数日後に、高倉健主演のそのDVDを鑑賞したが、知覧の地を踏んできたすぐ後だけに、涙が止まらなかった。そして今日、はかなげに草原を飛び交うホタルを見て、死に向かった一隊員が、ホタルになって戻ってくるシーンを、再び感慨深く思い出していた。
映画で、生き残った特攻隊員である高倉健がレポーターに語った「死んでいった者、生き残った者、どちらにとっても人生は決して生易しいものではない」というセリフは、「ブラジルであろうが、日本であろうが、人生は決して生易しいものではない」と言っているように聞こえ、今回の訪日で再会した同窓生たちに、改めて深い親近感を覚えた。
さて、そのDVDを連れ合いに見せたところ、「極めて退屈だ」という。彼女は日本語が解るが、この映画のセリフは半分も理解できないという。従って映画の内容も半分位しか理解できないということで、特に感動した様子もなかった。そういわれてみれば、戦争という、日本人にしか理解できない背景があってこそ、セリフも内容も理解できる映画なのかも知れない。
彼女曰く、高倉健が演じる、いつもむっつりしていて、ポツリポツリしか話さない亭主像は、ブラジルでいうと、亭主としては最も退屈なタイプだという。日本では、同じタイプの亭主が、絶対数では断然多いと思われるが、確かにブラジルには少ない(というか、ほとんど居ない)。初期の日本移民は、ほとんどの男性が同タイプだったと思われるが、彼らの大部分は世を去り、世代が移って日系人も3世、4世の時代になると、日系男性たちの習性は一般のブラジル人たちとほとんど同じで、気持ちを態度だけでなく言葉で表現することが身についていて、女性に優しく、気配りすることを怠らない。
かくいう私は、れっきとした(今ではブラジルでは数少ない)日本人男性であるが、過去に3回、結婚に失敗した原因は、ひょっとしてその辺にあるのかも知れない。
ブラジル生活が50年にもなりながら、いつまでも「日本人」を決め込んでいては進歩もなく、また連れ合いに見捨てられてはかなわないので、ブラジル人を見習って、せいぜい良きコミュニケーションを心がけ、女性に優しく、気配りを怠らないようにしようと思っている今日この頃である。                       (完)

mshoji について
兵庫県神戸市出身。1960年、県立神戸高校卒業後にブラジルに単身移住。サンパウロ・マッケンジー大学経営学部中退。貿易商社、百貨店でサラリーマンを経験後に独立。保険代理店、旅行社、和食レストランの経営を経て、現在は出版社を経営。ブラジル・サンパウロ州サントス沖グアルジャー島在住。趣味:ゴルフ、乗馬、社交ダンス、カラオケ、読書、料理。twitterF@marcosshoji



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