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『私の54年振りの訪日』 舟越広子さんの訪日記
サンパウロ新聞主催の『ブラジル移住者里帰り訪日使節団事業』の一員としてポルトアレグレ婦人会より推薦を受けた舟越弘子さんが、3月29日より4月18日まで54年振りに帰国訪日されました。訪日団員の義務としてサンパウロ新聞社に報告書を送っておられそのコピーを今回お借りして『私たちの40年!!』寄稿集にも収録して置くことにしました。舟越さんは、ポルトアレグレ婦人会のメンバーとして活発な活動をしておられ何かの行事が有る時には得意の和菓子を作って皆さんに振舞っておられます。私もこの美味しいい舟越さんが作られる和菓子の大ファンで何時も楽しみにしています。毎日新聞社よりの要請を受けてご自分のブラジルでの生活を書きつづった文も提供頂いているので、舟越さんのサンパウロ新聞社に送られた報告書と一緒に掲載して置きます。
写真は、婦人会の活動の一つ『墨絵教室』に参加するためにアトリエ≪和み≫に来られた時に撮らせて頂いたものです。


私はブラジル移住者里帰り訪日使節団に参加54年振りに訪日させて頂きました。
主催者の皆様から 素晴らしいチヤンスを与えていただき感謝の気持ちでいっぱいです。
関係者の方からは心のこもった記念品をいただき有難うございました。
ポルトアレグレ婦人会の皆様から 私を推薦して頂き 有難うございました。
実は昨年 私たちの40年のブログで里帰り訪日使節団の記事を読みました。
日本行き往復航空券、三日間のホテル、東京都内観光 全ての経費を負担してくれる方が居られることに感動しました。この魅力的な記事を読んだ時、これで私も行けるのでは、、と思い応募して見ました。
サンパウロ新聞社から当選の知らせを受けた時は、びっくりと嬉しさで二、三日落ち着きませんでした。初めての飛行機旅行は不安でしたが、関係者皆様の親切な気配りに安心な旅行できました。
ドバイの巨大な空港は、あまりにも豪華で驚きました。 成田空港に到着した時は感動で胸がドキドキと高鳴りました。品川プリンスホテルに宿泊、浅草寺、雷門、アメ横など 東京都内観光は全てが美しくて珍しい所ばかりでした。毎回 替わるレストランの食事は どれも美味しかったです。
そして日本の方でも予約が難しいと言うスカイツリーに登らせて頂き有りがたく思いました。 
桜の満開時期は、過ぎていましたがまだ少し残っていました。地面に散ってる桜の花びらも又綺麗でした。 
私は故郷の北海道に行こうかと迷いましたが やはり9年間 再会してない娘、息子達とまだ一度も会っていない孫もいるのでこちらの方を選びました。
解散の日、次男が愛知県から車で出向えに来てくれました。長男の住む静岡県に向う途中、車の中から見る田んぼ、農家の景色に子供のころ北海道で過ごしていた時の事を思い出しました。胸がいっぱいになりしばらく言葉が出ませんでした。 無言でいる私に息子から「ママイ、どうして黙っているの」と心配してくれました。
長男家族は仲良く頑張っていました。大きくなってる2人の男孫達に初めて「おばあちやん」と呼ばれて戸惑う私でした。
毎朝、窓から見える富士山の景色は美しく飽きることなく眺めました。
16年振りに妹、姪子とも再会出来ました。

岐阜県に住む娘は可愛い女の子の母になっていました。娘夫婦達と京都観光しました。白川郷合掌造り集落に行きました。かやぶき屋根が並んで田んぼあぜ道など昔ながらの景色でした。峰には雪が積もりまるで墨絵を画いたようでした。午後からは雪が降り始め 替わった景色はとても綺麗でした。
のこりの四日間は次男家族と過ごしました。名古屋港水族館、東山動物園、なばなの里チユーリップ祭に行きました。何万本という あざやかなチユーリップが そろって咲いてるのに感心しました。目が覚めるような美しさでした。

スポンサーと主催者の皆様のお陰で 素晴らしい体験をさせて頂きました。
この御恩を大切にします。  
有難うございます。

舟越広子                     平成25年6月22日 土曜日
サンパウロ新聞社への報告書


私は1951年に 北海道旭川市鷹栖町で生れました。
父石神友一郎と母美佐子の次女です。
1953年に私が八歳 姉十一歳 妹五歳の時 両親と叔父に連れられブラジルに移住して来ました。南大河州のリオ.グランデ港に上陸しました。
ビアモン市の加賀美様の農園で一年間お世話になりました。
姉と私は近くの小学校に入学しましたが 言葉が通じないので大変困りました。一年後 両親は独立して借地をして野菜栽培をはじめました。電気も飲み水も無い所でした。姉は小学二年で中退し 両親と共に朝早くから日が暮れるまで 働いていました。ブラジルに来てから 男の子が二人生まれたので 父は大喜びでした。私は十歳の時から炊事と弟達の子守をしていました。私の良き話し相手だった姉は 十八歳で嫁に行き 子供一人残して二十四歳で亡くなりました。 1966年に コロニア.イボチに入植しました。そこには家、水、電気も有りました。七年ぶりの電気生活ができ 嬉しかったです。私は中学中退して農業の仕事を手伝っていました。
1973年に 義理の兄と結婚しました。五歳になっていた甥子は喜んで すぐに ママイと呼んでくれました。私の新しい人生の始まりでした。
当時主人は サン・フランシスコ・デ・パウラ市で農業をしていました。そこは高原地で 冬には雪が降ることもあり 寒さに耐えるのが大変でした。電気もなく洗濯は手洗いでした。二人目の子が生れた年にやっと六年ぶりに電気が入りました。主人はすぐに洗濯機、冷蔵庫、テレビなど電気製品全て買ってくれました。家の中が明るくなり 家族で大喜びしました。息子達も成長し 家族で力合わせて 頑張りました。野菜の値段が良い時は トラックの新車を現金で買えることもありました。息子二人、娘二人の母親になりました。息子二人は成人になり 日本へ巣立って行きました。
主人は五十九歳で膀胱がんで亡くなりました。次男が帰国してくれましたが三年後 日本に戻りました。そのころ長女も 大学中退して日本へ出稼ぎに行ってしまいました。
私は 三十一年間暮らして居た所からポルト.アレグレ都市に引越しして来ました。
精神的に辛い出来事があり 息をしているのが苦しい時もありましたが 家族や親戚方々に励まされて どうにか乗り越える事が出来ました。アパート暮らしも九年目になります。
今年 ポルト.アレグレ婦人会の推薦で 里帰り訪日使節団一員として 54振りに日本へ行かせて頂きました。会長様の和田恵子様から 応募申し込み書取り寄せ 記入など親切な気配りを頂きました。
子供達と九年振りの再会と四人の孫に会えて感激でした。
東京都 静岡 愛知 岐阜 京都など観光させて頂きました。
本当に夢のような三週間でした。
今は 日本で過ごした時を思い出しては楽しんでいるところです。
皆様 有難うございます。
舟越広子
毎日新聞社よりの依頼に基き書き送った手記



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