西郷 勝弘さん逝く!! 砂古さんから訃報が届きました。
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『私たちの40年!!』のメーリングリストのメンバーのお一人サンパウロの西郷勝弘さんが膵臓癌で亡くなられました。先般66歳の誕生日をお孫さんより若い息子さんの正雄君と撮った写真を送って頂いておりBLOGにも紹介させて頂いていました。日伯協会の季刊誌≪ブラジル≫に釣り談義を寄稿しておられ2013年夏号(7月31日刊)にもブラジルの魚・釣り(3)を寄稿されておりWORDで送った原稿を送付して欲しいとのメールを出した所返事がなく不思議に思っていた矢先の訃報となりました。
西郷さんを偲んで彼の最後の寄稿に成る全文を彼を偲びながら叩いて置こうと思います。この寄稿文の最後に掲載して置きます。
写真は66歳の誕生日にお孫さんと息子さんと撮られた写真を使わせて貰いました。ご冥福をお祈りします。
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サンパウロの西郷さん逝去
和田さん、皆さん 砂古です
サンパウロの西郷さんが亡くなられました。‘10日ほど前だったそうです。膵臓癌だったと聞きます。
最初の三菱重工の駐在員時代に、テニスのお相手を頂いた事があります。20数年以上前の事です。2時間ダブルス、その後3時間の夕食と酒を楽しむためのわれわれの遊びテニスの相手にしては、滅法強過ぎるテニスプレイヤーだったので、その後疎遠になったままでいました。
現地退社の後、旅行社やサッカー留学生の呼び寄せなど大変積極的にやっておられる消息は聞いておりましたが、再婚のブラジル人の奥さんとは2歳か3歳の子供さんを残されたそうです。
精力的なちょぼ髭の西郷さんを思いだします。心から合掌です。
膵臓の場所は引っ込んだ処にあり、手遅れの率が極めて高く手術の成功率が悪い所です。身近な友人では3人とも亡くなりました。血液検査の折には、膵臓機能〈糖尿のインシュリン〉を調べるアミラーゼも検査科目に是非是非入れるよう医師に注文する事をお忘れなく。
(コメント集)
和田:砂古 さん 古いテニス仲間の西郷勝弘さんの御逝去通知有難う御座います。
神戸の日伯協会の季刊誌ブラジルに寄稿された釣り談義の原稿をwordで送って欲しいとお願いしたのですがご返事がなくどうしたのかと気になっていたのですが、体調を崩して居られたのですね。
佳人薄命の言葉通りまだお若い西郷さんの急逝は惜しまれます。『私たちの40年!!』MLの管理運営者としてメンバーの訃報は、一番堪えます。特にお孫さんより若いお子さん正雄君を得て若い奥様と共に皆を羨ませて居ただけに人生の悲哀を感じます。
『私たちの40年!!』関連BLOGにも西郷さん関係の記事が幾つも掲載されていますのでお子さんの写真も含め皆さんの書き込みも一緒に纏めた特集を組み故人を偲びたいと思います。
西郷さん残された西郷ジュニオルは、立派にブラジルの地で大きく育つでしょう。心安らかにお眠り下さい。私も其の内に追い掛けます。聞き逃した釣り談義は、そちらで続きを聞かせて下さい。ご冥福を祈ります。アーメン、合掌。
丸木で〜す 日本とブラジルの両西郷さんの格調高い寄稿には感銘を受けてましたが、お亡くなりになりましたか。謹んでご冥福をお祈りします。僕の2歳下の妹が60歳の時に膵臓癌で亡くなりましたが、黄疸に誤診され手遅れになったのでした。おふくろが術後に出て来た手術執刀医(誤診した馬鹿医者)の白衣のポケットに50万円入れたのを目撃しましたが、こちら北米だったら薮医者を訴えますよ。医者の方も誤診保険に入ってるから医者には実損はないのですが、アホみたいな世の中です。
横浜の西郷正雄:サンパウロの西郷 勝弘さまが逝去されたのですか。
心からお悔やみ申し上げます。
私がこの「私たちの40年」に参加させていただいたのは、西郷勝弘さまがいらっしゃったからです。
彼の息子さんが私と同じ「正雄」であることがきっかけです。
勝弘さまには、時々息子様のお写真を送って下さいとお願いしていたのですが、なかなか送って下さらなかったのは、このようなご事情があったのですね。
本当になんとお悔やみを申し上げて良いのか。残された奥様、お子様は、大変ではないかと思います。
奥様が、この「私たちの40年」をご存知でしたら、ここでお悔やみ申し上げます。
ご存知ないようでしたら、和田さまより、お伝え頂けないでしょうか。
勝弘さまのご冥福を心よりお祈りいたします。
また、息子様のお写真がございましたら、「私たちの40年」に載せて頂けないでしょうか。宜しくお願いします。
園田昭憲:砂古さん 西郷さんが亡くなられましたか。 知りませんでした。
西郷さんには、CBC時代、CosipaとかUsiminas関係など、仕事でも大変お世話になりました。
ゴルフもシングルで、PLで時々一緒にプレーもした仲です。
あの、ちょび髭が印象的でした。
ご冥福をお祈りします(合掌)
古谷:和田さん,皆さん 西郷(SP)さんとはマリコさんを囲んだ夕食会で一度お目にかかっただけでしたが、がっちりした体格と健康そうな顔色から、とても膵臓癌で亡くなられたとは信じられません。
実は、次男の嫁の父親も先年膵臓癌で亡くなりました。最初にかかった病院の医者の誤診で、見当違いの治療を施している内に、癌が進行してしまい、別の病院で診て貰って膵臓癌と分かった時は手遅れでした。膵臓癌は臓の位置から非常に判定の難しい病気ですが 、西郷さんの場合、若し発見が遅かったとしたら、ご家族の悔しさは如何ばかりかと胸が詰まります。
衷心より故人のご冥福をお祈りします。合掌。
西郷勝弘さんサンパウロ在住の日伯協会の季刊誌ブラジル2013年7月31日発行960号に寄せられた≪ブラジルの魚・釣り(3)≫の寄稿文を西郷さんを偲びながら叩いて残して置きたいと思います。
ブラジルと言えば、アマゾン?って言うぐらいにアマゾン河があまりにも有名ですが、淡水魚の釣りとしては、ボリビアとの国境側にあるパラグアイ河を水源とする世界最大級のパンタナール大湿原(日本の本州ほどにもなる広い地域に大小の河川や湖沼、滝などが点在する)での釣りが好まれます。この大湿原は、2001年に自然美、生物多様性の保全に重要な自然生息地ということで世界遺産に登録されました。1000種類の鳥類、400種類の魚類、300種類の哺乳類、430種類の爬虫類が自然のままに棲息している姿が観察できます。11月から3月は雨期で産卵期でもあり釣りは禁止されています。4月から半年の間に、船上ホテルと呼ばれる100トン弱の船(ホテル)を1週間借り切って、20人くらいの仲間達とよく釣りに出かけました。船は夜の間に静かに釣り場を移動し、朝早く母船につながれた釣り用アルミボートに、それぞれ釣り人二人と船頭が分乗し釣りに出かけます。お昼には母船に戻って食事を取り、午後3時頃からまた釣りに出かけ暗くなる前に戻ります。最後の日には、仲間の中で期間中最も大きな魚を釣ったボートの船頭に賞金を渡します。船頭に渡すのは、こうすると船頭が個人的に知っている穴場に連れて行って何とか大物を釣って貰おうとするからです。船の設備は立派で全室空調完備で、夜になると大きなサロンで、マージャンやカードをお酒を飲みながら楽しみ賑わいます。20人の釣り人(客)に対して船頭、料理人等20人以上の乗組員がいてボーイが飲み物等を気持ちよく昼夜サービスしてくれ、釣ってきた魚の刺身、ピラニアのスープ等食事もおいしく、すばらしいものです。朝早くおきて釣りをし、昼食と取ってマージャンををし、寝る間を惜しんで楽しむ、運悪く不本意で大物が釣れなくても、都会の喧騒と仕事を一切忘れ、大自然の中で過ごす1週間は、すばらしい休暇になります(続く)
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