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2013年秋、10月20日から11月12日まで3週間訪日しました。(後編)
2013年秋の訪日後編は、11月4日から12日までの9日間の記録です。通常は、BLOG掲載の記事を拾って纏めるのですが、今回は、結構豆に暇な時間に(特に飛行機、汽車の中)i-padに書き込んでいたのでそれを一部修正して訪日の記録として残して置く事にしました。まだ2ヶ月も経っていないのに遠い昔の出来事のように思える記載もあり年と共に感受性が薄れ物に感激しなくなる傾向も感じられその場で記録して置くことの必要性を感じている。
自分の足で歩ける内は、又日本に歩きに行きたいと思っている。元気な内に海外、ブラジル国内を恵子と二人でじっくり歩いて回るのを今後の楽しみしたい。後何年、歩けるか?娘達も巣立ち我々二人だけの今後の生活での楽しみは、旅をして廻ること位しか残されていないような気がする。特に趣味の無い私はそうです。
今回の訪日では、紅葉を期待していましたが、北では遅すぎ、関西以南では早過ぎたようで結局、中途半端な紅葉狩りに終わってしまいましたが、しゅくこさんと歩いた散歩道での紅葉らしい写真を見つけたのこれを使用することにしました。


2013年秋、10月20日から11月12日まで3週間訪日しました。(後編)

11月4日
昨日午後は、雨の中での慰霊祭のミサ、その後親族を集めての宴会と朝起きると歩行数は、まだ3600歩、新幹線での青森行きは7時間以上掛かる予定で1万歩確保が危ぶまれることから、朝の暗いうちから神戸の街を歩く事にする。幸い雨は上がっており気持ちの良いお天気で1時間程昔は緑の市電が通っていた山手通りを大倉山、山手教会、県庁、加納町近くまで歩き戻って来る。ホテルから反対側の湊川公園まで行き朝食の6時半にはホテルに戻る。
ホテルの朝食は、インド風のカレー。変わった昼食に面食らう。荷物を纏め新神戸迄タクシーで行き8時25分発のひかり460号に乗り込む。曇天が続いているが雨にはならないよう。浜松駅で晴れ間が見えて今日は富士山が見えるのではないかと期待したのですが、静岡駅ではまたもや雲に覆われて視界が閉ざされ、何も見えなかった。
東京駅着11時40分、新青森行きはやぶさ15号は、11時56分発で乗り換え時間が短く少し慌てる。無事乗り込み楽しみにしていた駅弁を楽しむ。
駅弁は、《列車の幕の内弁当》と《みやぎ石巻大漁宝船弁当》を買い求める。
結構美味しい。駅弁は、矢張り汽車の中で食べるのが最高。トンネルに入りトンネルを出る。移り行く景色を眺め時々他愛ない会話を交わし小さな幸せを確かめ合う。
午後3時14分新青森駅着。青森駅に移動後浅虫温泉行きに乗り換える。
浅虫温泉のホテルは、海扇閣、以前一度泊まったことがある。今回は和室を頼んでいたので陸奥湾に落ちる夕陽を眺めながらの和室での夕食。豪華な夕食に満足。伊丹の酒を三田から貰って来ていたのでそれを開けて二人で飲む。夜は、津軽三味線のライブが有るとの事で聞きに行く。売店にあった普段着らしいものを3枚ほど気に入ったものがあったようで購入していた。
4日歩行数 17254歩

11月5日
6時過ぎに起きてホテルの最上階にある大風呂の温泉の朝風呂に入りに行く。 朝食は7時からとの事で暫く部屋で陸奥湾越しに青森の町並みを遠望する。其れ程寒くなく気持の良い一日となりそう。
朝食は、豊富な地元料理が並びまたもや食べ過ぎ。ロービでメールを落とし支払いを済ませて駅まで1分歩く。青い森鉄道という私鉄でレールパスは、使えず青森駅迄440円払う。8時3分浅虫温泉発で20分ほどで青森に着く。
11月5日からバスのダイアが変更しており十和田湖行きは、9時50分との事でこれでは、十和田湖迄行くと八戸、または新青森に戻るのが夕刻遅くなるので十和田湖行きは、諦めて八甲田山のロープウェー前駅まで行き八甲田山に登ることにする。
バスの発車迄時間があるので青森駅周辺を見て回る。有名なねぶたを飾る大きな≪ねぶたの家 ワ・ラッセ≫と云う博物館があり覗いて見る。昔の青函連絡船≪八甲田丸≫がそのまま港に繋留されていた。時間が有れば見学するのだが諦める。
JRバスでレイルパスが使用でき無料バス?で八甲田山登山口まで行きロープウェーで山頂まで行き八甲田ゴールドライン散策コースを歩くが、氷状に残った雪で道がぬかるみ滑り易く難渋する。湿原展望台70メータの表札があり板の道に残った雪氷の上を滑らないようにと声を掛け合って注意深く歩いていたが恵子が足を滑らせたのを支えようとして二人とも尻餅を着く。恵子は、利き腕の右腕と尾骶骨を強く打ち私も尻餅でズボンが濡れてしまう。幸い二人とも起き上がる事が出来たが助けを求める必要があれば山頂駅まで30分は歩く必要があり大惨事に繋がるところでした。何とかそろりそろりと山頂駅まで戻り昼食を摂ったがストーブの近くでお尻を乾かしました。
早めにロープウェーで下山、2時12分の新青森駅行きのバスを待つ。紅葉は、既に終わってしまい雪が降っている気候でバスの時間も11月5日から30日迄の中間的紅葉シーズン終了後の時間表に変わっており更に12月1日より3月末までは完全な冬の時間表が採用されるようです。八甲田山のロープウエイのゴンドラの定員は、101人との事で2459mを一気に数分で繋ぎ乗り応えがある。11月初旬とは言えゴンドラから見た景色は、冬景色で茫洋とした枯れ木の原が続き紅葉は、見る事が出来なかった。紅葉は、残りの仙台と金沢、奈良に期待したい。
バスの時刻表変更で十和田湖迄行くことが出来なかったのは残念で有ったが、既に紅葉の行楽時期は過ぎてしまい十和田湖は、寒い冬の季節に入っているとの事で八甲田登山が出来、雪氷の道で二人して滑り尻餅をついて大変でしたがことなきを得たのを喜ぶべきでしょう。またチアンスがあれば少し早い9月ー10月のゴールドラインめぐり、紅葉、八甲田登山の季節に来て歩いて見たい。青森市の人口は、30万人とのこと。
新青森発3時42分のはやて40号で仙台に向かう。
車内で写真整理をTRYするが、バテリーが切れ続ける事が出来ず。電源はあるが取り込みのアダプターが見付からず諦めてiーpadでこれを叩いている。
仙台では、楽天の日本1を祝う大売り出し等で湧いており、活気付いた仙台駅前のホテルメトロポリタンに2泊することにする。
夕刻、農林省から出向でサンパウロ総領事館に勤務されていた山口領事がホテルに迎えに来て呉れて一緒に洞林寺住職の吉田俊英さんを訪ねる。洞林寺の元住職の吉田道彦和尚は、ブラジルのパラナ州のローランジャ仏心寺を開かれた方で奥さまの吉田ふく子さんは、私たちと同じあるぜんちな丸でブラジルに渡られた花嫁移住者と云うことで色々写真を見せて頂きながらお話しを伺う。いずれ纏めて紹介させて頂く積りです。洞林寺は、ブラジルで亡くなった移住者の人達を祭る碑があり御祈りをさせて頂く。住職のご母堂ふく子さんが用意してくれた心の籠った夕食をご馳走になり話が弾む。
広い洞林寺の境内を吉田さんご一家に案内して頂きながら御一族の立派な墓、檀家の皆さんの墓が境内に並び裕福そうな御寺に感心する。仙台駅の近くまで山口さんと一緒に歩いて戻る。
明日は、いよいよ元日伯交流協会ブラジル研修生の河北新報の大友記者の運転と案内で被災地を見に行くことになっており楽しみにしている。
5日歩行数 11808歩

11月6日
7時40分に大友君が取材にも使う大きな車で迎えに来てくれる。洞林寺に行き吉田住職とふく子さんを乗せて松島に向かう。松島が一望に望める丘の上の展望台に行き、松島の絶景を楽しむ。松島では瑞巌寺を地元の方に案内して頂く。松島は、それ程津波の被害は、なかったそうですがそれでも瑞巌寺の街道の松の半分が塩害で枯れてしまい伐採してしまったとの事で街道両脇の松は山側の塩害の少なかった片側だけが残っていた。瑞巌寺の本堂は、修理中で非公開に成っていたが、その代わり庫裏(庫裏)、仮本堂(大書院)、陽徳院御霊屋(寶華殿)が特別公開されていた。松島の商店街で名物の笹蒲鉾の串刺し焼きを焙りながら食べましたが、これは美味かった。
その後、被災地の一つ石巻に行く。昼前に石巻に着き早稲田の移住研究会の仲間の一人三浦忠義さんを訪ね昼食をご一緒しながら仲間達の近況を確かめ合う。菅間会長から連絡先等の詳細を知らせてもらっていたので助かる。地元の案内等は、地震、津波発生時石巻に住んでいた河北新報に勤務していた大友君が一緒なので車2台で回ることもないとの判断で昼食後名残を惜しみつつお別れする。5人も大挙して押しかけたにも拘らず地元の義務とのことで美味しい寿司をご馳走して呉れる。菅間会長からの依頼だとの事で石巻名物の笹かまぼこをお土産に頂く。未だに食べる機会がなく、仙台、郡山と担いで回っている。何とかしないと。。。
石巻の被災地を見て回り、女川町にも立ち寄り広い小学校校庭で80数人の児童が水に飲まれたとの現場を見る。袈裟掛けの吉田俊英和尚は、慰霊搭の前で御経を上げておられ我々も一緒に頭を垂れて犠牲者の冥福を祈る。
6日歩行数 11174歩

11月7日
恵子を仙台に残し私だけ7時52分発の新幹線はやぶさ4号で東京に1日出張する。
朝は、駅弁を楽しむ。大宮にONE STOPで東京に着き、山手線で大崎にある日本製工所本社を訪問、打ち合わせを持つ。
稲富さん、馬本さん、宮田さん、若山さん、加藤さん、井澤さん、香川さん、工藤さん、小川さんにお会いする。
昼は、大崎駅ビルの中のレストラン街で若山さん、井澤さんと寿司屋に行く。午後に新しく入社された堀川公美子さんを紹介される。井澤さんと大型機関係の打ち合わせをする。
2時半には、11月1日付の新しい業務契約書を交わし恵子の待つ郡山に戻る。
3時8分発のやまびこ143号、郡山着4時28分。駅の傍のアパホテルで恵子が待っていてくれ合流する。
恵子は、午前中は、仙台で又吉田親子にお世話になり青葉城見学、書道関係の買い物に付き合って頂いたそうで昼食後郡山に移動したとの事。予定では≪八重の桜≫縁の会津若松に行く予定だったが私の東京出張で駄目になり結局、郡山駅周辺、さくら通りを歩いて回り夕食を摂りホテルに戻り早めに寝る事になる。
7日 歩行数 13377歩

11月8日
7時53分発のやまびこで大宮迄出る。大宮から、Maxとき新潟行きに乗り越後湯沢まで行く。越後湯沢で少し待ち時間があるが予定していたはくたか6号、10時48分発金沢行きに乗り込む。金沢着は、13時24分の予定で、途中直江津、魚住、富山等に停まる。楽しみの駅弁は、かにすしといくらたらこめし(魚沼産コシヒカリ)を買い込み車内で楽しむ。まだ、11時だが昼迄待ちきれず食べ始める。
昼食後、うとうとと午睡を楽しむ。1時前に富山に着き、後、半時間程で目的地の金沢に着く予定で車窓の流れ行く風景をお楽しむ。日本海側は、雨が上がっており助かる。高岡に到着、次は金沢との事、既に5時間汽車に乗っていることになる。現在3分遅れとのアナウンスがあった。日本の列車でも遅れることがあるのだと変なことに感心する。
金沢駅には弥村さんと上司の浦田課長が待っていて呉れる。知らせてくれていたスケジュールで市内見学、姉妹都市公園で懐かしいポルトアレグレシンボルであるラッサドール(カーボイ)の像を見て感激する。夕刻市役所で副市長、横越市議会議長の表敬訪問を実施する。
ホテルにチェックイン後、夕食に繰り出す。ナメコやウツボのお地元特産?に出始めたズワイガニ等の海の幸を楽しむ。東北地方の地酒を冷酒と熱燗で賞味する。
8日歩行数 15608歩

11月9日
朝から歩いて兼六園と金沢城趾に出掛ける。ホテルに戻り急いで朝食を摂り金沢市役所の国際交流課の弥村さんと山田課長補佐が8時45分に迎えに来てくれて9時には
九谷焼のお窯元を訪問、色々説明をお受けながら見学させて貰う。荷物になるので何も買わないと言っていたが、それでも九谷焼らしい小さなちょこを一つ記念にと購入する。
鈴木大拙館を訪問する。館長の木村宣彰さんにご挨拶。学芸員の猪谷聡さんに色々説明を受ける。隣接する旧本多邸後の庭園を散策。
大樋美術館の大樋長左衛門窯の10代大樋長左衛門さんと11代の年雄さんと名刺交換させて頂き大樋焼きの340年の歴史と伝統に満ちた作品を鑑賞させて頂く。
駅の近くで昼食をして14時17分金沢発のサンドバートで京都に向かう。京都からは、杉井さんの指示通り近鉄奈良線の特急で大和西大寺で降り難波行きに乗り換え学園前まで行く。
学園前北口に出ると杉井さんが待ってくれておりタクシーで杉井さんのお宅に着く。早速ワイアレスに接続をTRYするがパスワードが分からず繋がらない。
杉井さんの家庭料理で夕食を楽しむ。食後近くの公園界隈を小一時間歩く。
インターネットに繋がらず杉井さんのPCでyahooに入り繋ぎのメールを出す。
9日歩行数 12140歩

11月10日
6時起床。PCが繋がらず30分程散歩に出る。
杉井さんが用意してくれた美味しい朝食を摂り杉井さんのPCで今晩のホテルを予約する。中部空港内のコンフォルトホテルを予約。日本のホテルで支払ったホテル代で楽天のポイントが1400円分溜まっていたのでこれを利用、9600円(一人5500円)。多加代と電話で話す。荷物の送り状をFAXで送って貰う。帰国モードに入る。
雨が降り出し散歩が出来なくなる。寒くてパッチが必要?セーターを着用。
杉井さんの6月のドイツ旅行の写真を見せてもらいながら寒さに耐える。
寒さを感じブラジルから準備して来たパッチと長袖の長シャツをトランクから取り出し着用、寒さを凌いでいる。明日の飛行機に乗る前には脱いで行く必要がありそう。
10時からOCNで客先サービスが始まるとの事で電話をして繋げ方をお問い合わせて呉れる。
バテリーに着いている番号がパスワードになるとのことでTRYすると上手く繋がる。
メールの処理ができる事になり助かる。BLOGの更新もして午前中に近くの公園に散歩に行く。昼飯は、また杉井さんが器用に昨夜の鍋料理に讃岐うどんを入れて石巻の三浦さんから頂いた笹蒲鉾に煮物、漬物を添えた完全食。その器用さとこまめさに驚嘆する。ご本人は、山男の質素な山の料理と謙遜しているが料亭の一流料理人並みの腕で3食ご馳走になる。
昼食後、小雨が降っていたが傘に東京で台風27号対策として山本さんがくれた雨ガッパを取り出して奈良の変わった魅力探索目的で武家屋敷が残る今井町に行くことにして荷物を持って杉井家を後にする。西大寺の駅構内にあったコインロッカーに荷物を預けて橿原神宮の近くの今井町に出掛ける。華瓦見学中に雨が激しくなり雨ガッパを取り出して使用。日本では使う機会がないのではと思っていたが帰国前日の大雨で大いに役立ち助かる。今井町で一番見答えがあると言われている今西家を見学する。又雨足が強くなり雨宿りも兼ねて茶屋に飛び込みお善哉を食べる。少し甘過ぎる感じがしたが、餅が美味かった。古い酒蔵にも立ち寄り酒を試飲する。
予定していた時間より遅くなったが、今回の旅の終着駅、中部空港に向かう事にする。西大寺で荷物を引き出し京都向けの電車に乗るべき所、間違って奈良行きに飛び乗ってしまう。奈良駅迄行き特急列車京都行きに乗る。
京都、名古屋、金山経由中部空港に到着、空港隣接地のコンフォルトホテルにチェックインする。無事、日本最後の日を迎える事ができた。
11月10日 歩行数 14220歩

11月11日
日本最後の日は、何時もの時刻 6時頃に起き出す。窓の外は明かるく海に面した風景が広がる。朝食を済ませて早めにコンフォルトホテルをCHK OUTして地続きの空港に出向く。大阪から送って貰っていたトランク2個と前田さんが送って呉れていたDVDの小包を受取りDelta便の改札口に行く。搭乗券をコンピュターで叩き出し荷物を預けに行く。一番大きいトランクが26キロとの事で4個ともなんなくパス、サンパウロ迄直接行くとの事でデトロイトでの待ち時間が長いが荷物がないので歩けるだろう。12時30分中部空港を出発。11時間30分程度の飛行時間との事。
食事3食、日本語の映画を見て時々居眠りをしながらデトロイトに着く。日付変更線を越し現地到着時間は、11日の午前10時、ブラジル時間正午になる。これでブラジル時間帯に戻る。
現地時間20時5分発の予定が機内に座ってから1時間も遅れてデトロイトを出発する。後一飛び10時間ほどでブラジルに戻る。17日の金沢市会議員一行の歓迎会の通知メールを書きあげる。帰国後する大事な仕事。何とか50人は、集めたい。
映画を1本見てブラジル時間午前3時。明日の事を考えて少しは寝ておこう。ブラジル着予定午前10時前、残り飛行期間6時間となる。
11日歩行数 11466歩

11月12日
午前10時前サンパウロ着。10月20日に家を出て24日振りのブラジル。名古屋を出てから33時間半。
何時ものように6時には目が覚める。出発前に夏時間にせずに発ったので夏時間に合わせ時計を1時間進める。現在7時15分。到着予定9時50分は、変わらず。お腹が空いて来ており朝飯を待つ。恵子は、映画を見ている。
予定通り10時前にサンパウロ国際空港に到着する。入国管理局の手続きは、永住者はブラジル人扱いで列のない窓口で帰国手続きを済ませて通関所を手押し車に各自2個の荷物を乗せて平気な顔して通過する。Boa tardeとニツコリ笑顔で通る。最近は、ほとんど無検査のようです。
ポルトアレグレ行きの国内線もお国際線(デルタ便)との直結便でGOL社でも超過運賃等は、発生せず無事積み込み完了。Dinersの部屋でフライト待ちする。時計をブラジルの夏時間に合わせ1時間進める。これで日本との時差は、11時間となる。
ポルトアレグレの飛行場には義妹のリリアが迎えて呉れる。前日は、また大雨で大変だったそうです。家に辿り着き荷物は、恵子に任せ直ぐに事務所に行く。
これからまたブラジルでの日常生活が始まる。
これで秋の訪日2013年は、終了することにする。
12日 歩行数 10590歩



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