第26回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2013/2014』(その3)
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第26回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2013/2014年(その3)を収録して置きます。今回も戦艦、空母等の話で賑わっていますが、駆逐艦≪雪風≫を戦後台湾でその姿を見たと云う岡山の賀多井さんのコメントや雪風に触発されてもう43年も前に亡くなられたご尊父を思い出された内田さんのお話し等が続きました。それにしても麻生さん、古谷さんを中心に杉井さん他の博識には驚嘆します。一応戦艦の話題は、ここまでとして以後は、バーチャル座談会では取り上げないことにしますのでご了解下さい。やっと話題が香織さんの新作関連記事に入った所で1万語の制約に引っ掛かり次回に持ち越されました。従い予定していた香織さんのアフリカ女性の像は、次回に回し100年以上の歴史があるオランダのあや子さんが受け継がれた裁縫箱を使用させて貰うことにしました。古谷さんの紅白歌合戦の話題、工藤さんのクリスマスカードも届いており(その4)以後は、通常の年末年始の話題に戻るのではないかと思いますが、7泊、8日のぺルー旅行に出ますのでバーチャル座談会の続きは、新年に入ってからに成るかも知れませんが、出来るだけ丹念にBLOGに書きとめて置いて掲載したいたと思いますので自由闊達に語りあって下さい。
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山下@リオ: 古谷さん、麻生さん ここにも世界一、 世界で最初に、設計段階からの空母を完成させたのは日本と知ってました?「鳳翔」1万トン1922年12月27日イギリスの技術でイギリスよりも先に完成。(起工はイギリスのハーミーズの方が早かった。)
麻生: 山下さん 知りませんでした。ウイクぺジアで調べたら、鳳翔は1921年進水し、太平洋戦争にも参加しています。イギリスの空母ハーミズはインド洋で大戦中、南雲機動部隊が撃沈していますが、イギリス最初の空母と同じ空母ですかね?
古谷:山下さん、麻生さん 制式母艦として世界で最初に竣工したのが「飛翔」だったとは知りませんでした。支那事変から太平洋戦争に参役、更には戦後復員船として活躍し、一番長生きし無傷で解体されたのは、正しく「無事之名馬なり」の譬えの如くです。
1942年06月のミッドウエー海戦に参役しながら、後方の戦艦の護衛に就いていたため、被弾を免れました。
麻生さん仰せの通り、帝国海軍はミッドウエーの敗北からケチが付き始め、第三次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦と負け続け、多くの艦載機とパイロットを失いました。如何に砲撃力のある戦艦、重巡と言えども、ゼロ戦の上空援護が無ければ、敵機の餌食になるだけ。戦艦武蔵(捷一号作戦)、大和(沖縄特攻)の末路がその証左でした。開戦直後、マレー沖で、海軍一式陸攻が英国新鋭戦艦Prince of Walesと巡洋戦艦Repulseを撃沈すると言う大戦果を挙げましたが、これは直援機が付かなかったためでした。この教訓を日本海軍が後の海戦で生かせなかったのは真に残念とし言い様がありません。
麻生:古谷さん
ー最初の正式空母の名は鳳翔ではないですか。
ー英国の空母ハーミスは2番艦ですが、インド洋で日本機に撃沈されています。(南雲機動部隊がセイロン島空襲をした時脱出しましたが、捉まり爆撃されました)
古谷:麻生さん ご指摘の通り、世界で最初に竣工した制式空母は「鳳翔」でした。「鳳翔」と書いたつもりが間違えました。Sorryです。
この空母に似て長生きした駆逐艦がありました。雪風です。真珠湾
攻撃から戦艦大和特攻まで出撃し、数々の激戦に耐え、戦後賠償として中華民国(蒋介石)に引き渡されました。
麻生:古谷さん 奇跡の駆逐艦雪風は16回の主要作戦に参加して無傷で終戦を迎え、復員船としても従事しました。
台湾に引き渡され、丹陽と改名されていましたが、1969年、台風で破損し廃艦となりました。
岡山の賀多井:古谷さん、 麻生さん 他 40年のみなさん
横から失礼します。駆逐艦『雪風』は、私が商船に乗船中の昭和30年の半ば頃?に、台湾の基隆港に入港した際、この『雪風』が、岸壁に現役艦として?係留されていました。 乗り組みの先輩が、旧帝国海軍の『雪風』であると教えてくれたのを思い出しました。ただ、それだけです。
麻生:賀多井さん 御連絡有り難う御座います。
三笠のように記念艦として日本に残しておきたかった艦ですが、アメリカが許さないでしょう。
靖国神社併設の遊就館に、保存展覧してある、艦上攻撃機もアメリカは今でも、撤去しろと云っているぐらいです。
古谷:賀多井さん 返信が遅れて申し訳ありません。
過日申しました通り、駆逐艦「雪風」は戦時賠償として中華民国に引き渡されました。
添付資料をご参照下さい。Wikipediaからの抜粋です。
1947年07月06日、上海で中華民国に引き渡され、「丹陽」と命名されました。
国共分裂後、台湾の基隆を母港として対中共戦で大活躍したとあります。1960年頃基隆でご覧になった時は、未だ現役でした。
皆さん 駆逐艦雪風は1939年に進水、1969年に台湾で解体されましたので、丸30年日本・中華民国両国で現役を貫きました。太平洋戦争では、主たる海戦十戦以上に参役、無事生き残っています。皆勤賞です。
雪風と言えば、寺内正道中佐と言う名物艦長がいました。1943・12・10-1945・05・10間艦長を務めました。その間、マリアナ沖海戦、捷一号作戦・沖縄特攻作戦と日本海軍が米軍に追い詰められた激戦を戦っています。
日本海軍は凡そ60隻の駆逐艦を持っていましたが、悉く失い残ったのは雪風くらいと言われ、その強運が称えられています。寺内中佐は勇猛果敢な艦長でしたが、その操艦指揮が変わっていました。操舵手の肩の後ろに座り、足をその肩に置いて、左右の足で肩を押して「取り舵」「面舵」を指図しました。
口で指示してたら、操舵手の操作が一瞬遅れるとの考えによるものです。元々駆逐艦は動作の速い艦ですが、それでも激戦の最中、どこから砲弾や魚雷が襲ってくるかも知れません。瞬時の判断・回避努力が必須です。全ての僚艦が沈没した中で、ヒトリ雪風が生き残ったのは、単に運がよかっただけでなく、艦長が考え出した操艦技術も預かって大きかったと思います。頓首再拝
麻生:古谷さん
ー雪風が中共の海防艦2隻と実戦を戦ったのは、知りませんでした。
ー寺内艦長の指揮は、急降下爆撃機から着弾を避ける為に効果があったそうです。急降下されたら、寸前に艦の向きを変えて避ける。戦艦大和の沖縄特攻出撃にも参加し、大和の最後を見届けました。
丸木で〜す 艦長と云う言葉を聞いて、はたと想い出したのは戦艦長門の野田艦長です。長門は連合艦隊旗艦で山本五十六元帥が乗っていた戦艦でした。
僕と同じ甲子園に住んでおられた野田さんは終戦直後にはラジオの修理屋でした。古いラジオでは雑音がひどく英会話講座が聞き取れないので、6球スーパーを野田さんに作ってもらったことがあります。
古橋選手等が数々の世界新記録を樹立された甲子園大プールの向かいに住んでおられた2年先輩の野田さんの娘さんが高校水泳部に居られ、国体選手でした。
息を飲むほど素晴らしい彼女の水着姿に魅せられ、僕は水泳部に入りました。一緒に練習したのは1年だけでしたが、男勝り(体育系独特の男言葉)の彼女には鍛えられましたが楽しかったです。
麻生:丸木さん 戦艦長門も無傷で終戦を迎えた艦です。1946年のビキニ環礁でのアメリカの原爆実験に標的艦として爆心地に置かれ、米戦艦ネバタ、空母インデペンデンス等と共に沈みました。それでも原爆による爆破でも4日間、浮いていたそうで、長門の建艦技術の高さに、アメリカも舌を巻いたそうです。
丸木で〜す サンパウロに居られた森田左京さん(海兵出身)の叔父さんが原案設計されたと聞き及びます。なんでも日本人初の近代造船学をスコットランドのグラスゴーで学ばれた方とか。
古谷: 麻生さん、丸木さん こんな話をご存知でしょうか。
戦艦大和と武蔵は姉妹艦です。片や呉海軍工廠、他方は三菱重工業長崎造船所で建造され、建造時期も設計図も同じでした。三号艦は空母に転用された信濃でした。
武蔵は昭和19年10月レイテ沖のシブヤン海峡で沈没しました。雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上、軍艦史上最大の急襲を受けながら、被弾で急速に減速を余儀なくされ乍も、10時間海上に浮かんでいたと言われました。被弾が左右両舷略同数で、浸水に因る傾きが僅かで復元が可能であった事、機関部が被弾を免れた事が10時間も持ち堪えた理由でした。これに学んだ米海軍機は、翌年04月の大和攻撃では、徹底して左舷を攻め同所に魚雷25本を撃ち込み(右舷は僅か五発)、艦の傾きを誘った結果、大和は二時間で沈没したと言われています。大和は仮令二時間でも、魚雷30発、爆弾35発(直撃17、至近弾18)を撃たねば沈まなかった事、武蔵に至っては十時間も洋上に浮かんでいた事は、日本の造艦技術の高さを示したものであり、戦後、為替レートが自由化される迄は、日本が造船王国であり得たのは正しくその技術が継承された証左です。
戦争が勃発すると、戦費は一般会計では賄い切れず、特別会計(戦時国債)で調達するのが一般的です。
戦費調達の特別会計など縛りが有って無い様なもの。その一部が兵器開発に振り向けられますので、兵器の開発が格段に進むのも事実です。原発の開発がその典型でしょう。戦争が起こりそうだから、或いは勃発したから、急ぎ新兵器を開発する、これは謂わば必要悪、御釈迦さんも見逃して呉れるかも知れませんが、新兵器・新技術開発の為に、戦争をおっ始めたいと言う軍需産業が某国にあります。これは、幾ら訳の解ったキリストさまでもお許しにならないのではありませんか。
麻生: 古谷さん 空母信濃は遠州灘沖で米潜水艦に撃沈されました。護衛に、あの駆逐艦雪風がいました。
信濃は巨大艦でしたが、艦載機の搭載能力が低いのは、改造型だったからでしょうか。未完成艦でしたが、呉に回航中、米潜水艦の魚雷攻撃で、沈没しました。1944年頃になると、日本近海は米潜水艦がウヨウヨしていました。駿河湾に出入りし、清水港の石油タンクが潜水艦から砲撃を受けたりしました。
例え、完成していて、戦線に出ても、もう載せる艦載機もパイロットもいなかったのではないですかね。
古谷: 麻生さん 「貧すれば鈍する」正しく改造空母「信濃」の運命そのものでした。
仰せの通り、沈没(1944・11・29)を免れて、就役しても搭載する艦上機は無かったと思います。戦艦武蔵が沈んだレイテ沖海戦(捷一号作戦)は1944年10月でしたが、直掩機無しでした。ミッドウエー海戦(1942・06)で母艦を四隻いました。母艦を失うと言う事は、艦載機もパイロットも失う事です。それから海軍航空戦力は釣瓶落としに衰えて行きました。
太平洋戦争の海戦は空母が主力になっていましたから、戦艦を空母に改造するアイデイアは正しかったと思います。しかし、戦艦として七割がた建造されていたのを母艦に改造する為に、解体するのは大変な作業で、軍令部が故障艦の修理を優先させたのは、解らぬでもありませんが、三号艦(信濃)の改造を後回しにしたのが、運命を狂わせた最大の原因と思います。
三号艦は呉へ回送中に、四発の魚雷で沈みました。武蔵・大和の被弾数からみると沈むような魚雷数ではないのです。乗っていた兵士は、皆新米でハッチを閉めれなかったと言いますからお粗末な話です。ご存知かと思いますが、艦の構造は二重構造(隔壁)で、しかも蜂の巣の様に細かく仕切られていますので、一箇所に被弾しても、ハッチさえ閉じれば、浸水は一区分に留まる構造になっています。武蔵が10時間も持ち堪えたと言うのは、この構造に負う処が大きく、大和が二時間で沈んだのは、啄木鳥の如く、同じ箇所をしつこく攻撃されたので、ハッチが損壊した所為です。三号艦が四発の魚雷で沈んだと言うのは、乗員の基礎知識・訓練の無さが原因で言語道断と申すべきでしょう。
麻生: 古谷さん 護衛機のいない戦艦は哀れですね。大和の攻撃は、武蔵攻撃の教訓を生かして行ったとは知りませんでした。
このときになると、アメリカに余裕が見られます。
信濃の乗組員は殆ど、海軍兵員ではなく、横須賀海軍工廠の工員さん達でした。呉に回航しても、余分な工員は応召されていなく、改造中の横須賀から同乗しました。空襲にも雷撃にも、備えの訓練は全くありませんでした。
従い、ハッチを閉める動作も出来なかったと思います。雷撃した米潜水艦は4発発射して、3発が信濃に当たったと文献にはあります。
第二次大戦は航空機の時代、第三次が起こるとすれば、ミサイルの時代になるでしょうか。
湾岸戦争でも、イラクの主要施設は、艦上ミサイル、トマフォークで壊滅しています。又、空爆の精度も物凄く正確でした。イラクの精強革命防衛隊の戦車群も、空陸の対戦車ミサイルでなすことなく壊滅しました。
麻生:古谷さん 第二次大戦は航空機の時代、第三次が起こるとすれば、ミサイルの時代になるでしょうか。
湾岸戦争でも、イラクの主要施設は、艦上ミサイル、トマフォークで壊滅しています。又、空爆の精度も物凄く正確でした。イラクの精強革命防衛隊の戦車群も、空陸の対戦車ミサイルでなすことなく壊滅しました。
古谷: 麻生さん 少なくとも、国連安保常任理事国を巻き込んだ大規模な戦争はもう起こらないと思います。戦後、米ソから始まった核保有はもう何カ国になりますか?互いに核兵器を持つ事で、相手国に対する牽制ー撃てば撃ち返されるーこの心理効果が抑止効果を発揮しています。イスラエルがイランに核兵器を持たせまいとして盛んに破壊攻撃を’繰り返しているのは、国のスケールが違うからです。日本の強硬派が核保有を主張するのは、核兵器で脅され、人質問題を弄ばれるキタチョーセン如きに舐められて堪るか?の怒りからです(ヨクワカリマス)。しかし、キタは日本にミサイルを撃ちません。米国が、イラク、アフガンの紛争に介入したのは、所期の成果を挙げ得ていませんので、失敗です。縦しんば、予算があってももうやらないでしょう。中東の武装組織の闘争は、国家単位の戦争とは異質です。夫々に闘争目的・理由があっての事で、国が関与できる性質のものではありません。大国が絡むとすれば、背後から武器援助(ロシア、イラン、サウデイ等)するくらいのものです。残念乍ら、この種紛争は無くなりませんね。
麻生:古谷さん 米ソの核戦争が起きたら、地球が破滅するかも知れない程、両国は原水爆を保有しています(米ソで2万発ぐらい持っているのでは)。然し、小国同士の衝突は無くならないでしょう。
特に、中東と極東には火種が絶えないと思います。昨今の北朝鮮の動向は、最大の守護者たる中国に刃向かう行動です。中国とのパイプ役のナンバー2を処刑してしまい、貿易の80%を占める中国を怒らせて、北はどうするつもりなんですかね。経済封鎖をされて、軍が暴発する危険もあります。
中朝戦争が起きたら、北は当然、核(中距離弾道弾)で威嚇(又は実力行使)するでしょう。
古谷: 麻生さん 以前申し上げたと思いますが、現在中国には七軍区があります。北朝鮮に接しているのは瀋陽軍区で、組織も大きく強力な部隊です。陸軍だけでなく、空軍、海軍も持ち、原爆も所有し
ている強力な軍団です。これが、北朝鮮を併呑して独立するのではないかとの噂を仄聞します。
又、瀋陽軍区だけでなく、中国全体が、所得格差、地域格差が拡大しすぎて、軍・政府では抑えきれなくなって、国家が分裂すると予想する意見があります。添付資料をご参照下さい。
人口が異常に多く、国土面積も広い上に、多民族国家、加えて所得格差、地域格差が大き過ぎます。それを一党独裁政治で、非党員国民を無理やり抑え付けてきましたが、今の習近平総書記は、段派(胡錦濤)にも上海閥(江沢民)にも属さず、強力なバックアップが無い様で、軍に対する支配力が強そうに見えません。軍の発言力が増した場合、七軍団は必ずしも連携はうまく行ってない様なので、軍団がバラバラに行動した時が、国家分裂の危機に瀕する時ではないかと思います。
杉井:麻生さん 北朝鮮の張成沢粛清は金正恩暗殺を2度企てたというのが主な容疑ですが、中国が保護している兄の金正男を担いで親中派の張成沢にクーデターを起こさせるのを未然に防いだというのが真相の様です。しかしこれで中国・北朝鮮の仲は最悪になり、中国は経済制裁を強めることでしょう。
中国はいずれ経済的に北朝鮮を干し上げた後に傀儡政権として金正男を据えたい意向でしょう。
北朝鮮軍が暴発しても中朝戦争にはならず、むしろ韓国に対する攻撃が始まるのではと思います。
しかしその中国も習近平政権が安泰ではなく、現在汚職容疑で自宅軟禁されている元常務委員の周永康は2度にわたり習近康の暗殺を謀ったとか。北朝鮮とは違い中国ではケ小平が遺した「刑不上常委」という不文律があって、党内の権力闘争の激化を避けるため政治局常務委員経験者の刑事責任は追及しないことになっており、これがいくら利権を利用して不正w)?チ澪發靴討癨・実匸処刑されるのは官史ばかりで党幹部は罰せられない原因になっています。
麻生: 杉井さん 貴重な情報深謝いたします。
米韓は北の暴発を来年3月頃が危険だと、新聞ニュースで警告しています。
北を巡って、ひと波乱起こりそうですね。中国空母が海南島に移動したのは、北のsミサイル攻撃から避難している等憶測もあります。
麻生: 古谷さん 貴重な情報有り難う御座います。
北と瀋陽軍区が組んだら、革命です。少数民族を共産主義と言う鉄の鎖でしばって来ましたが、タガが外れれば、バラバラに分裂するでしょう。それを先読みして、御偉方は資産を海外に移して、ズラかる準備です。アメリカCIAはこうした幹部のリストと海外預金のデーターを把握しており、敵対してきたら、預金封鎖等の措置をとるでしょう。
又、アメリカが北を煽って、中国分裂工作も予測できます。アメリカさんの匙加減で極東情勢も変わってくると思います。
石田: 麻生さん、古谷さん、丸木さん。横から失礼します。
W40ブログ感心して読んでます。それにしても、アメリカCIAの情報量は、凄いと思います。
平時におい準備をしなければ、平和は保たれないですね。
麻生さんの博識に、改めて感心してます。
内田: 皆さま 横から失礼します。雪風は、たしか、中華民国海軍に移ってからは、艦名は「丹陽」タンヤンとなって艦隊旗艦となったと聞いたことあります。
また、解体されたとき唯一残されたのが、艦内時計で、正確にときを刻んでいたそうです。この時計はいまでもどこかで保管されていると思います。 ひょっとして、旧乗組員の会、雪風会?かなんかがありそこで大事にされているのかなと思ったりしています。でも、おそらく、もう80歳、90歳の方々でいくら潮ッ気横溢のシーマンたちとはいえ、お元気にされているのでしょうか。
また、帝国海軍の戦艦長門や陸奥は、私の父などはあこがれの象徴のようだったようです。私が小学生の戦後、昭和30年代近所の中学校の横を父とあるいていたとき、いきなり、「ムツ ヤッタラ コレクライアルヤロナ」と校庭の石垣を指差して私に言いました。恐らく、水面からの舷側の高さ、御紋章のあたりまでをイメージして言った言葉だと思います。
私には、なんのことかわからなかったですが、しかし、鮮明に耳に残って、後年、やっとわかったものです。
大正9年1920年生れの父は、当時の男の子の誇りのようなものを陸奥 長門にもっていたはずで長門のビキニ実験台を、心中はどのように解釈していたのかと思います。 その父も逝って、まもなく43年になります。
麻生: 内田さん
ー雪風は直撃弾を受けても、機雷に接触しても、不発弾で爆発しなかった、強運艦でした。16回の主要海戦に参加して戦死者が10名いませんでした。
ー長門の2番艦が陸奥で、戦前の帝国海軍の栄光の象徴でした。陸奥は1943年、桂島沖で謎の爆沈で沈みました。
火薬庫爆発の原因は不明の儘です。船体の一部はまだ沈んだままです。
和田: 内田さん 太平洋戦争時に活躍した戦艦、空母、駆逐艦等の話で賑わっていますが、≪雪風≫「丹陽」に触発されてのもう43年も前に亡くなられた御尊父(齢50歳で若くして亡くなられた)の想い出を読ませて頂き胸が熱く成りました。誰しも戦時、戦後のこの種の話を胸に秘めておられるようですね。良いお話しを有難う。
内田: 和田さん ありがとうございます。父は、私に日本人の誇りのようなものを私に教えようとしたのかも知れません。
内田: 麻生さん ありがとうございます。武運強いとはいっても、結局、人と人の連携が神業の域にたっし、難をのがれたのでしょう。
陸奥は、なにか艦内に違和感があったのでしょうかね。一枚岩の帝国海軍でもなかったのかしら。
麻生: 内田さん
ー雪風の艦長の操船は急降下爆撃に対し、神技であった由。
ー陸奥爆沈の原因は全く不明です。修理中、隠れてタバコを吸った火が火薬庫に引火したなどと云われています。
間違いなく、原因は何かの事故だったと思います。一枚岩の帝国海軍でも、特攻攻撃の突撃寸前、テイコク海軍ノバカヤロウと打電した無線が1件残っています。
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