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≪何故、私たちは、慰霊祭を開催したいのか?≫ 中井 成夫さんの寄稿です。
ブラジルの日本学生海外移住連盟では、2014年9月28日にサンパウロの日伯寺で9時から先に逝ってしまった仲間を弔う慰霊祭を開催することになりその趣意書とも云える≪何故、私たちは、慰霊祭を開催したいのか?≫を中井 成夫さんが日本の仲間へのお知らせ、案内状の草案として彼の思いを綴っています。これを叩き台としてブラジルの日本学生海外連盟の日比野会長、富田祭典実行委員長が中心に検討の上2月中旬までには案内状の最終版が作成される予定ですが、中井さんの熱き思いを綴った文章を原文のまま『私たち40年!!』の寄稿集の学生移住連盟関連欄に収録して置きたいと思います。
写真は、1月12日、中華料理店で開かれた学移連の2014年新年会で撮った記念写真を使いました。中井さんは前列左端です。


50年前のあの頃:
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私たちが日本を船出してから、約50年近くになります。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイなど、その場所が日本と反対の地球の裏側であっても、当時の海外発展を望む若者たちにとっては、その距離は全く問題ではなかった。いや、遠ければ遠いほど、「坂の上の雲」は、魅力的に思えたものです。事実、当時のブラジルのGDPは、6%から8%の高い数字であり、さらに、キューバ危機の後に、南米各国に向けて行われた先進国からの多額の融資は、南米の大国ブラジルの経済発展を刺激して、その後に起こった中国の大発展と同じ様な、GDP10%を超える素晴らしい国家となりました。
一方、その頃の日本は、敗戦の痛手から回復しつつあったが、経済発展に必要な自然資源を持たないために、ブラジルよりも低いGDP指数、そして、雇用問題、食糧問題を解決するために、移民政策が、政府の手により進められていた。だから、その様な未来の大国へ、自らの意思で移住した私たちの決断は、正しい様に思えました。
しかし、その決断の裏には、苦労して育てて来た息子が遠い遠い外国に行ってしまう事を知った母親の嘆きを目の前にして、「泣いてくれるな、おっかさん」と、手を合わせて乗船したつらい経験を、皆が皆、持っています。更に、1964年の東京オリンピック頃から始まった日本の復興を、ちらっと横目で見ながら、「あるいは俺たち、乗る電車を間違っているのではないのか?」と言う小さな疑念も、心の底に生まれていたことも、正直に付け加えます。

エレヴェータ経済のブラジル
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随分といろんな事が起こりました。私たちの第二の故郷、ブラジルで起こった事を、現在の十分な人生経験を持った観点から冷静に分析するに、「500年の歴史の移住者国家の未熟さ」にあると思われます。いや、その未熟さの故に、大きな未来があり、そして、その世界に賭けたのは、他ならぬ私たちだったのですから、誰にも文句は付けられません。しかし、そうと分かっていても、この50年間の出来事は、私たちに大きなショックと心労を与えました。ブラジルは、政治も経済も、大きく上下に振れる社会構造を持ちます。ひとつは、「エレヴェータ経済」です。エレヴェータが、最上階に留まってくれれば、それは国民にとって最高です。しかし、最低線に落ちてしまい、そこから上がることが出来ねば、国民を苦しめます。  GDP10%を超える最上階の後に来たものは、数年間の経済成長ゼロの世界。インフレ年間2000%、貧困層の増加、食料を求めての商店打ちこわし、機関銃で武装した銀行強盗、ピストルを突きつける路上強盗。そして、2度にわたるブラジル政府のモラトリアム宣言。

この様な、夢にも想像しなかったブラジル経済のどん底に落とし込められている間に、日本は、バブル経済の繁栄を謳歌していました。日本から送られて来た写真で、私たちはその事実を見せられて、がっくりさせられました。乗船する前に、ふと脳裏に浮かんだあの思い、「乗るべき電車を間違っているのではないのか」と言う疑問が、現実になっていることを知らされたのです。

そして、時代はまた大きく展開します。ブラジルはその波に大きく翻弄されます。南米で初めてのオリンピック開催国。50年前のあの時、誰がブラジルで開催される世界的なスポーツの祭典を予想した事か。移り気な国際金融界は、20年前のモラトリアムをまるで忘れさったごとく「ホームレスマネー」と呼ばれる世界中を徘徊する外貨をブラジルに振り向けて、ブラジル金融界を有頂天にさせたかと思うと、年明けて早々に、「消費誘導型の経済成長モデルの崩壊」「2億ドル(2兆円相当)の外貨流出」と、これからの経済のボトムダウンを予想する。

私たちの「心の底」にあるもの。
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この様なエレヴェータ経験をしている内に、それに関係なく、確実に起こっているものは、「私たちの老齢化」「2世の子供たちの素晴らしい成長」です。移住者国家に生まれ育った彼らは、同じ年齢だったあの頃の私たちと比べて、移住者社会で揉まれ鍛えられて、素晴らしい国際人に育っている事を発見します。


話は変わります。一昨年の暮れ、ハワイの移住者長老、ダニエル イノウエ氏が亡くなりました。その功績に対して、アメリカ政府は、最高の栄誉を与えて、国葬とした。その報道の中で、ハワイの日系人で構成された442部隊が、ヨーロッパの戦場で、ナチスドイツ軍と戦った素晴らしい戦闘の事を学びました。フランスの片田舎の町、「ブリエラ」では、自分たちをナチスから解放してくれたアメリカ系日本人の事を忘れない様に、石碑にその事実を記録して、町の公園に保管していると聞きます。その兵隊たちは、20歳前後の二世たちでした。「JAP」の汚名から逃れる為に、また、カリフォルニアの収容所の家族を守るために、自らの血を流してアメリカ国民である事を示す必要があったのです。その素晴らしい精神と行動は、のちにリーガン大統領が、「ファシズムと人種差別の二つの敵と戦った」と述べて賞賛しています。

そして、ほぼ同じころに始まったブラジルへの移住では、「日本人は、溶かすことが難しい硫黄と同じ様に、他民族との混血をしようとしない民族」とブラジル社会から非難されながらも、その頑固さを守って日本人移住社会を作ってきました。つまり、同じ移住者集団でありながら、一方は、収容所に残した家族が生き延びて行くための補償として、自分の命を投げ出した。他方、ブラジルでは、「勝ち組、負け組」騒動を起こしながらも、その強烈な民族意識を発揮していった。その底にあるものは、アメリカの「人種偏見」であり、ブラジルの「混血主義」です。


そして今、私たちは、南米の地を第二の故郷として、穏やかで、満ち足りた日々を送っています。そして、「いつも、自分一人の力で生き抜いてきた」、と言う「強い思い」と「自負心」が、「心の底」にしっかりと根を張っているのを感じます。 その様な感謝の思いを持つとき、そして、逞しい息子たち孫たちの姿を目にする時に、もうこの世に存在せぬ「戦友」の事を思い浮かべます。そうです、彼らは、学生時代の「仲間」であったが、開拓と挑戦の日々を送っている間に、「戦友」になったのです。
あの戦友たちに、「ブラジルのオリンピック開催の話をしてやろう。驚くだろうな。」 まるで二匹の子犬の様にじゃれあっていた私とあいつの息子。今では素晴らしい若者に育っている。「その姿を見せてやりたい。」

その様な思いが、サンパウロを中心に集まる、「学移連」の仲間たちの共通意識になって、今回の企画を作りました。

以上。



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