ガウーショの街、ポルトアレグレに暮らして
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在ポルトアレグレ領事事務所(日本語での新しい呼称)の後藤 猛領事は、既にポルトアレグレ在勤3年目に入っておられ少なくとも後1年は、当地で活躍して下さる予定ですが、日本からの訪問者が来られると一番先に案内するのがこの領事事務所の後藤領事の所です。今回岡山の和気郡から成田から37時間掛けてポルトアレグレに直行して来られた徳永鯉のぼり(株)の徳永 深二会長も後藤領事に表敬訪問に行き1時間半も色々お話しを聞いておられましたが、もっと時間が有ればとコメントしておられましたので後藤領事が書かれた掲題の『ガウーショの街、ポルトアレグレに暮らして』と云う恰好の読み物を日本ブラジル中央協会の会報『ブラジル特報』2013年9月号に寄稿しておられますのでお借りして皆さんにも紹介して置く事にします。
『ブラジル特報』に≪ガリバルジ第1回日本文化祭開会セレモニー≫の説明がある写真をお借りしました。
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ガウーショの街、ポルトアレグレに暮らして
後藤 猛 (在ポルトアレグレ出張駐在官事務所長・領事)
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私のブラジルでの生活は、通算17年余りで、北は、マナウス、北東部のレシフェそしてサンパウロの各総領事館勤務を経て、現在は、在ポルトアレグレ出張駐在官事務所に在勤しております。その間、各地に在勤してみて今さらのように豊かな自然、豊富な天然資源に恵まれた南米の大国ブラジルは、北部、北東部、中部、南部でそれぞれ特色のある文化を持ち、そこに生活する人の生活様式も様々であることを痛感しています。
ブロッコリーを敷き詰めたような熱帯雨林のあるアマゾンの奥地には、現代社会と接触を持たず、ゆったりと生活している人々がいるかと思うと、そんな自然溢れるアマゾンから俗に南米のニューヨークと呼ばれるサンパウロに行くと近代的高層建築が立ち並び、政治、経済、文化などあらゆる情報が飛び交う世界の先進地域を思わせる街もあります。そして、そこに住む、パウリスタのライフスタイルからは、イタリア人のそれに似たものを感じ取れます。
リスボンにも住んだことがありますが、パウリスタのライフスタイルについて旧宗主国であるポルトガルの影響をそれほど感じたことは有りませんでした。そのため、このルーツは、一体どこにあるのだろうかと常々疑問に思っておりましたが、実は、イタリアにあるのではないかと感じております。
以前、ミラノにも在勤したことがありますが、カフェでたまたま居合わせた客同士があたかも旧知の友のごとくカウンターで会話を弾ませ、足下を包み込むようにゆったりとした時間を楽しんでいる様子に似ています。
そして、現在、在勤しているリオ・グランデ・ド・スール州は、ドイツ系とイタリア系住民が多く占め、ポルトアレグレ市内にもドイツ系、イタリア系の地名も見られ、イタリアに在勤したことのある私にとって親近感を感じる街です。また、リオ・グランデ・ド・スール州は、ブラジルの中でも教育水準も高く、日本に関心を持っている若者も多くリオ・グランデ・ド・スール連邦大学が日本語学科を有している他、私立のカトリック大学他幾つかの私立大学でも日本語講座を開設しており非日系の多くの学生が日本語を学んでおります。また、州民の州への愛着も大きく、イベントの際には、ブラジル国旗とともに必ず州旗が掲げられ、州歌が高らかに歌われます。昨年末、新装成ったグレミオのサッカー競技場のオープニングに出席する機会がありましたが、6万人のガウーショ「スペイン語では、ガウーチョ」(アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部で主として牧畜に従事していた先住民等を表し、現在もリオ・グランデ・ド・スール州出身者は、誇りをこめてガウーショと自称しています)の声が国家を斉唱するときよりむしろ州歌を歌う時のほうが大きく感じられ、来場者が一体となったその大合唱の迫力には、圧倒されました。
リオ・グランデ・ド・スール州の日系社会と進出企業
リオ・グランデ・ド・スール州の在留邦人のほとんどが戦後移住者であり、2011年には、リオ・グランデ・ド・スール州日本人移住55周年を迎え、グラバタイ市においてその記念式典が行われました。
そして、一世を中心とした南日伯援護協会があり、福祉、文化、教育を主にした活動や各種親睦を深める行事を実施していますが、昨年2月に実施された同協会の新役員選出選挙において日系二世が主になる執行部が初めて誕生し、当地においても世代交代が行われようとしています。
また、当地に進出している主な日系企業としては、住友商事の他クラシキ・ド・ブラジル(紡績業)、JTI(日本タバコ・インターナショナル)、大塚化学のそれぞれの工場があり、JTIは一昨年末、サンタ・クルス・ド・スール市にある同社の施設に新たにタバコ農家を対象とした農作技術および品質向上を目的とした農業センターを開設しました。
また昨年には、武田薬品がサンジェロニモ市にあるMultilab社を通じて投資を行い、フジクラがモンテネグロ市の工業地帯に光ファイバーの導体ケーブルを生産する工場をジョイント・ベンチャーで建設する予定であるほか、ブラジル・クリタ(栗田工業)がリオ・グランデ・ド・スール州での企業活動30周年を祝い記念式典を行うなど、日系企業の進出、活動が一層活発になってきています。
草の根無償資金協力を通じての協力
ポルトアレグレ出張駐在官事務所を通じて草の根・人間の安全保障無償資金協力(以下「草の根無償資金協力」という)を実施しており、州政府、ポルトアレグレ市、NGO、日系人社会等各方面から謝意が表明されています。中でも、日本人移住地のあるイボチ市は、人口約2万人の町で住民の約9割がドイツ系で残りの1割が日系人ですが、先般、本年就任した同市のアルナルド・キニイ市長を表敬訪問した際、同市長より「日系人は、ブラジル社会に良く溶け込んでおり、イボチ市の発展に貢献している。また日本政府より同市内にあるサンジョゼ慈善病院に対し、草の根無償資金協力を通じて医療機材を供与頂いており、活用させて頂いている」旨の謝意が表明されました。
ちなみに2010年11月には、イボチ市の全面的な支援により同市に「イボチ日本人移住資料館」が完成しており、これも日系人と同市の良好な関係の証と捉えております。
文化交流
(1)日本祭
2012年8月18日および19日の両日には、当地日系団体が主催し当事務所の後援のもと、ポルトアレグレ市において初めて「第一回日本祭」が開催されました。これには、約1万3千人が来場し、日本文化に対する関心の高さが伺われました。同「日本祭」の開会式には、ジョゼ・フォルツナッチ・ポルトアレグレ市長も出席し、席上、同市長は、「私たちの街は、様々な移住者から構成されている。 その移住者間の交流こそが、ポルトアレグレという街を言語、伝統、料理文化等の多様性に寛容であり、多様な移住者達が一緒に共存出来る場所にしている」旨述べ、その際 8月18日を毎年「日本人移住の日」とすることが表明され、12年に市議会において「日本人移住の日」がポルトアレグレ市制記念日と制定されました。これには、この第一回日本祭に大きな反響があったことが少なからず影響しているのではないかと思っております。
(2)姉妹都市を通じての交流
ポルトアレグレ市と金沢市が姉妹都市であり、リオ・グランデ・ド・スール州と滋賀県も姉妹都市として既に30年を越える交流の歴史が有ります。本年2月には一時停滞気味であった交流関係を活性化すべく、滋賀県より担当者が来訪し、州知事官邸においてタルソ・ジョンロ州知事出席のもと今後の姉妹都市としての具体的な活動について懇談が行われました。
そして、本年7月には、リオ・グランデ・ド・スール州から数名の職員が滋賀県を訪問しており、相互交流が一層深まることが期待されます。
(3)地方での文化イベントの開催
ポルトアレグレ市近郊には、日系人も住んでいますが、リオ・グレンデ・ド・スール州の地方には、日系人も少なく、また、日本についての情報も限られています。
ガリバルジ市は、ポルトアレグレ市より約102km、人口約3万人、そのほとんどがイタリア系移住者の町であり、そこで昨年10月に当事務所が主催し「第一回ガリバルジ日本文化祭」を開催することが出来ました。
当事務所とガリバルジ市との関係は、2010年に草の根無償資金協力によりガリバルジ消防団に救急車を1台供与したことにより始まります。
同「第一回日本文化祭」開会式には、私の他、シジロット市長、松尾国際交流基金サンパウロ日本文化センター副所長、来賓として在ポルトアレグレ、ハンス・オーバー・ドイツ総領事並びにアウグスト・バカーロ・イタリア総領事のほか、地元有力者、一般市民等に出席頂き盛大に行われました。また、開会式に引き続いて行われた日本酒についての講演会並びに試飲会もワインにゆかりのある地だけに非常に好評でした。
この日本文化祭実施にあたっては、同市長、市議会やガリバルジ消防団、フィスル大学や多数の地元ブラジル企業の協賛、そしてラジオ・ガリバルジをはじめとする地元のマスコミ等の全面的な協力を得ました。
さらに国際交流基金サンパウロ日本文化センターより、日本酒の専門家および折り紙の専門家の派遣、そして、ブラジル都道府県県人会連合会より沖縄太鼓のグループ並びに藤間流の日本舞踊の派遣を得て実現しました。また武道、コスプレ、生け花、書道、寿司、焼き鳥等のスタンドについては、当地ポルトアレグレおよびカシーアス・ド・スール両市に在住する日系人のボランティアの方々の全面的な協力を得て実現出来ました。
ガリバルジ、ベント・ゴンサルベス、カシアス・ド・スール市等の地域は、イタリア系住民がほとんどで、ワインやシャンペンを製造しておりワイン街道もあります。この街道を辿ってゆくと道の左右にワインの醸造所が現れ、そこで見学も試飲も出来ます。またこのあたりの山間部では、冬には、零下になることもあり、まれに雪が降ったり、霜も下りることもあります。したがって、秋になると木々も紅葉し、山を背に小川が流れる風景などは、まるで日本のどこかの里山の景色を見ているような錯覚を覚えます。
以前、カシアス・ド・スール近くにあるワイン醸造所を訪ねた際、日本酒を研究している醸造所が有りました。同地域には良質な水もあり、ワイン、シャンペンを製造していることから何時しかカシアス・ド・スール産の日本酒が製造される日が来るかも知れません。そんな思いを抱きながら、日々暮らしております。
(なお、本稿は筆者の個人的見解であることを申し添えます。)
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