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第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』を開始します。(その1)
今年は、昨年より1週間遅れで12月12月13日(土)から1月10日の第2土曜日までの皆さんの書き込みを拾って今年もバーチャル座談会として残して置きたいと思います。余り溜まると整理が付かなくなるのでせっせとBLOG掲載分を集めてホームページに収録して置きたいと思います。その1は、西郷さんの腰痛手術とその経過報告が中心に成りました。2014年の出来事、2015年への展望をこの時期に語りあい記録に残して置く良い機会ですので是非お便り下さい。
(その1)の写真は、しゅくこさんが送って送ってくれた『落ち葉の散歩道』を使わせて頂きました。


和田:2002年、年末に『私たちの40年!!』HPの5000件達成記念として始めたバーチャル座談会は、今回で第28回目で新春放談として12回目に成ります。毎年この時期にその年の出来事、来る年への抱負等をメンバー間で語り合い年末年始の挨拶の交換等にも利用して来ましたが、今年は、昨年より1週間遅くなりましたが12月第2土曜日から1月第2土曜日までの1ヶ月間の皆さんの年末年始の書き込みをバーチャル座談会として残して置きたいと思います。毎年トップバターが丸木さんに定着しており年初めの来伯、秋の同窓会、日本シリーズの阪神応援と話題をふりまき1月2日には花の80年代に突入する丸木さんから始まるのではないかと思いますが、どうでしょう?何方か丸木さんを出し抜く方はいないでしょうか?
年末、年始行く年、来る年を見据えて何でも結構ですので自由にご発言下さい。
何時もの事ですのでお分かりと思いますが、ご発言の前か後ろに名前を明記して下さい。それでは皆さんの活発なご発言をお待ちします。
写真は、しゅくこさんから送って頂いた[落ち葉の散歩道]の1枚を使用させて頂きました。

丸木で〜す 今日は忘年会のダブルヘッダーです。昼がトロント元気会、プレゼント交換には九州で前田さんから頂戴した高級焼酎の大きな函にミニチュア焼酎を入れ替えて持って行きます。昔、上司が最高級コニャックの函に機内サービスのミニチュアのブランデーを入れてくれたことがありました。夜は、元皇族のご令嬢でサンパウロ州生まれ日系二世のお宅に呼ばれてます。ロシア文学者でトルストイ翻訳者の北御門二郎さんの姪御さんで、1967年に訪伯された天皇皇后の皇太子時代にエスコートされた方です。充実した訪日旅行も含め暮れ行く2014年の想い出は追々書き込みます。

和田:丸木さん。矢張りバーチャル座談会の1番バターの席は、今年も誰にも譲りませんね。これで皆さんが書き易く(しゃべり易く?)なったようですね。さあさあ御用と御急ぎでない方は、参加下さい。
皆さんの2014年は、どうだったのでしょうか?来る年2015年に掛ける思いは?
私にとっては、男の孫が二人誕生、おじちゃんらしくは成れないのですが、それでも地球上に子孫を残す事になり喜ぶべきなのでしょうね。何時まで見守って遣れるのか疑問ですが。。。

前田:丸木さん 皆様 丸木あや様の句集に暮の句があります。
何とも繊細で豪快な句だと思います。
「行く年の 波の残せし もののかげ」

和田:前田さん。丸木さんの御母堂の句、紹介有難う。何処の海辺に立って詠われたのですかね?波際に佇む姿が見えるようです。
『行く年の 飛行機の微動 眠気を誘う』サンパウロに向かう飛行機の中でコックリ、コックリしています。

西郷:私たちの50年の皆さんへ 手術後、14日に初めてパソコンを開きました。
以前に、トルコ旅行したことをご連絡したと思いますがその時には、この8日に 腰痛手術をすることは決まっていました。
現在そのリハビリに入るところですので、以下に手術後の状況をお知らせします。
病名は、腰部脊柱管狭窄症です。普通に椅子に座っていると痛みは、殆ど感じません。しかし、10分ほど歩きますと、腰の部分だけでなく、膝の近くの部分が痛くなり、脚がどんどん痛くて、歩いていられなくなります。
休憩をとると、痛みが和らぎますので、再度歩きますが歩くことのできる時間は短くなります。
これが、間欠性跛行症と呼ばれる典型的な腰部脊柱管狭窄症の症状です。
トルコ旅行は、止めようかとも考えましたが、そうしますと一緒に行く予定していた相棒(義弟)も止めることになるので、決行しました。バスが大半でしたので、また、歩く際に杖を使っていると、周りの方々が手伝ってくれて、楽しく旅行ができました。
本題の手術後の状況ですが、腰部の神経を圧迫させている腰部5椎弓の個所を神経を圧迫させないように全て削ってもらいました。医者は、悪い個所は、全てきれいにしたからと笑いながらの説明に安心しました。
しかし、手術後は、手術による影響で、両足に痛みの伴うしびれが、
動くと走ります。
歩くのに、歩行器だけでもままならぬ、殆ど寝たきりになりました。
また、寝返りをするのにも、脚に何とも言えない痛みの伴うしびれが腰痛部から両足に走りました。
従い、手術前には、歩行中になって足腰に痛みが出てきて、休まなければならない状況が、今は、それ以前の足腰を動かす時から、痛みが腰から両足に向けて走る状況です。
主治医は、手術結果の状態を調べるのに、切断患部の痛み以外に寝ていて痛みの殆どない状態において、脚に力がうまく入っているかを調べて把握します。即ち、神経に障害を与えていないかどうか、また、力の入り具合により、以前より悪くなっていないかどうか、良くなっているかどうかを調べているようです。
私が訴える痛みについては、手術に伴う影響で、この痛みは、時間をかければ、軽減されるので全く心配の必要がないということです。今は、一人で歩行器を使って、廊下での「歩く」リハビリをすることができる状況になりました。
一番困ったのは、下の取り扱いでした。
10日までは、カテーテルをしているので、また、便秘が続くので、問題がないのですが、その後、カテーテルをはずしてから、看護師に連れられての便所通いです。
できるだけ、回数を減らそうと、出せる小水は徹底的に出そうと心掛けました。しかし、夜間は、以前から頻尿の兆候がありましたので、2,3時間ごとに看護師を呼び出してのトイレ通いは、困りました。
13日より、「一人での歩行器による歩行が大丈夫」とリハビリの先生から許可が得られ、やっと何とか、看護師なしの歩行ができるようになりました。
2番目に困ったのは、寝ているときの寝返りです。コルセットで、胴体を締め付けて、回転するときは、丸太を転がすようにしろとの事です。
ねじるのが、今一番患部に良くないので、気をつけることと言われました。
それでなくても寝返りする際には、痛みが走ります。しかし、同じ状態を続けているのは、だんだんと辛くなりますので、どうしても寝返りをすることになります。また、寝ているときに膝を立てたり、伸ばすときにも痛みが走りますので、本当に困りました。
今でもその兆候は、続いています。ただ、少し慣れてきているのと時間の経過により、良くなってきています。
やっと余裕ができて、パソコンを開くところまで来ました。
パソコンには、数百ものメールが来ていますので、それらの処理を少ずつはじめようと思っています。
15日からは、患部の状態が良くなっているとのことで、本格的なリハビリが始まるとのことです。
筋肉の伸縮リハビリは、すごく痛いと同じ病室にいる先任者が申していましたので、回復への第一歩として、痛みにこらえて頑張りたいと思っています。
ご心配をおかけしましたが、これから、徐々に良くなっていくものと願っています。年内退院を目標に頑張ります。

和田:西郷さん 西郷さんの年末は、リハビリで過ごす事に成りそうですね。元バスケットボールの選手でも歩けなくなる疾病に悩まれるのですね。幸い私は、足腰の痛みもなく歩き続けています。
12月11日のサンパウロでの1日が7330歩しか歩けず25回目の1万歩以下の記録をマークしましたが、12日11638歩、13日12079歩、14日12416歩とサルバドールのぺトケミセンター、カマサリのPE1工場内を歩き回っています。工場内には椅子がないので苦労しますが、何とか18日までは頑張る積りです。バーチャル座談会もそれ以後のフォロウと成りそうです。リハビリ頑張って良い年をお迎え下さい。バスで回られたトルコ旅行記も落ち着いたら書いて下さい。
和田inサルバドール

西郷:和田さん お見舞いメール有難うございます。
今年は、リハビリに専念し、良き正月を迎えられようにしたいと思います。
和田さんのように、一日に10000歩けるようになることを夢見ています。

和田:私の2014年の年末は、ブラジルノルデステ(東北伯)のサルバドール近郊のカマサリにある石油化学プラントのPE1(ポリエチレン製造)の既存機の改造(メインモータ、減速機、スクリュウの取り換え作業)に来ている3人の日本製鋼所のスーパバイザーの皆さんと一緒に工場に入っていますが、工場現場には椅子がなく疲れます。それでも大きな会議室を控え室として準備して呉れているので客先で地元の成田さんと云う方を通訳として用意して呉れているので出来るだけ成田さんに任せてこの冷房の効く控室に逃げ込みます。NOKIAの携帯電話から電波を飛ばしインタネット、メールが使えるので重宝しています。18日には組立のスパーバイザーのお二人が帰国するのでそれに合わせてサンパウロに同行、夜行便での帰国を見届け最終便でポルトアレグレに戻ります。19日以後には、バーチャル座談会を活発化させたいと思っていますので宜しくお願いします。
杉井:和田さん 燃料電池車のトヨタMIRAIが世界で初めて販売されました。
ブラジル駐在時の40年前にフランスの技術者が開発した水で走る車がブラジルでテスト走行されたとニュースになっていて、水蒸気を利用した車かと推察していましたが今から思うとこれが燃料電池車だったのですね。コスト高と水素供給問題からその後実用化しなかったのが、漸く日本で実現しました。値段は750万円とまだ高いですが。

和田:杉井さん40年後に実用化された燃料電池自動車が走る世の中になって来ているのですか?
その内、試乗して見たいですが750万円は、高いですね。水素(水?)さえあればガソリンとか電機はいらないのですか?これから話題になって行くでしょうね。伯国トヨタでもその内、作るのでしょうか?物作り日本の旗頭になって貰いたいですね。
今年も公私ともにお世話になりました。又日本の何処かを一緒に歩きたいですね。

杉井:和田さん 当時のブラジルは油田が無いのが泣き所で輸入に依存していたので、水で走る自動車というのは画期的な話題になっていました。その後海底油田が発見されて自給出来る様になり、サトウキビから採種するエタノールが燃料に使用される様になったので、高価な燃料電池車はブラジルでは普及しないでしょうね。

和田:杉井さん ブラジルでは高価な燃料電池車は、普及しないですか?結構金持ちと珍しがり屋多いのでその内走っているのを見る事が出来るでしょう。トヨタ自身が輸入販売すれば宣伝効果発揮するでしょうから話題性はあるでしょうね。数量より宣伝効果を狙い以外に早くブラジルにも入って来るのではないかと思います。

駒形:今考えられているのは・
1) 工場などで水(H2O)を分解して水素ーH(酸素ーOも出来る)を取り、この水素を熱源として車を走らせる。(水素供給ポストが必要)
2) 一般の電気をエネルギー源として、電気で直接MOTORを回す車を走らせる。がありますね。
この2)のケースでは 現在ブラジルでは 電気自動車の価格が高過ぎる、が問題でしょう。ニッサンのゴーン社長はジウマ大統領に2016年の OLYMPICにはニッサン電気自動車を走らせるーと約束(?)して、政府に電気自動車採用の優遇措置を頼んでいます。

和田:12月13日から5泊6日のサルバドール近郊のカマサリ地区の石油コンビナートBRASKEMのポリエチレンプラントに20数年前に収めた日本製鋼所の押出機の改造作業をフォロウするために出掛けていました。組立作業を終えて帰国するスーパバイザーをサンパウロで見送り(CHK INをお手伝いしただけですが)ポルトアレグレ行きの最終便に乗り戻って来ました。大幅遅れで我が家に着いてたのは19日の午前2時過ぎで疲れもあり2時半にはバタンキュウで寝ましたが、珍しく朝まで起きずに寝る事が出来ました。現在8時半ですが、これからの年末年始何かと気忙しいと思いますが、バーチャル座談会、BLOG更新等に時間を割いて行く積りにしていますので宜しくお願いします。

都賀:2014年も もう少しで終わり2015年がすぐそこまで来ています。
今年は 偽物NEWSが多かった、
1) 難聴の贋作曲家/NHKも加担していた
2) STAP細胞 /理研も加担していた
3) 自ら勝手な 衆議院解散で投票率51%の選挙をして税金を無駄使いの総理/共産党も加担した
4) パイロット試験に不正をした日本の航空会社
今年の文字は 嘘 とするべきだった。全て 後の祭り
メリークリスマス

駒形:面白いなー。 着眼が良いなー。今後も面白い話を聞かせてください。

和田:都賀さん 名無しの権兵衛は、バーチャル座談会では、通用しません。都賀さんの名前を明記したくないのであれば削除します。駒形さんのコメント通り、着眼ガ素晴らしく今年の世相を反映した書き込みで残して置きたい書き込みです。

Tsuga: Wada san Yes I am the writer as you have comented.
Ok no problem.

和田:都賀さん 今度は得意の英語ですか?このMLは、日本語が中心ですが、ポルトガル語も英語も自由ですが、余り使われていません。そのままバーチャル座談会に残して置きますが、出来れば日本語での投稿をお願いします。日本からの出張者が読み終わった本を7冊ほど置いて行ってくれましたが、その中に森村誠一の短編集が有りその一つにそれぞれの人が住む世界(サークル)には、暗黙の了解と云うのがあるとの事で『黙契』と云う短編に興味が湧きました。皆さんの中で読まれた方がいませんか?

西郷:皆さんへ ご参考までに、腰痛手術後2週間目の状況を添付でお知らせします。
手術後2週間目の状況 平成26年12月23日
腰痛手術後2週間が過ぎました。
ようやく両杖で歩行できる状況と回復への進行が、少し遅いように思っています。退院は、どうも年明けになりそうです。
丁度手術後2週間が経ちましたので、症状がどのようなのか、整理してみました。
添付 [(2) 現在(h261222) の脚・腰の症状の整理] にその状況を示します。
添付では、一見悪くなったが、良くなっていないように見えますが、悪くなっている個所は、リハビリと時間治癒で良くなるものと思っています。
しびれは、元々良くならないと言われていますので、間欠性跛行症が退院して実際に長く歩いても発生せず、良くなっている(痛みが発生しない)のを確かめることで、最終的に手術がうまくいったのか、確認することになると思います。
(1) 手術後最も気になっていた、仰向けに寝ているときに膝を立てたり、伸ばしたりする動きの時 (寝返りの時も同様) に、両脚に何とも言われぬ強い痛みの伴うしびれがあったが、それは殆どなくなった。
(2)手術以前には、気になっていなかった右脚について、手術後、痛みの伴うしびれが脚を動かす際に発生した。それについては、だんだんと回復に向かっているようで、痛みが弱っている。
(3)痛くない両足(くるぶし以降) のしびれについては、以前からの神経の損傷に伴うものであるために、今回の手術では良くなりそうも無い。 以前と全く変わらない。
(4)手術後は、歩くのもおぼつかない状態 (膝がガクンとする状態) になったが、今は、両杖で歩行できる段階に来た。
(5)悪かった左脚 (間欠性跛行症) については、実際に長く歩いて見て、痛みの出ないことを確認しないと何とも言えない。

和田:西郷さん 凄い記録ですね。流石バスケット部のマネジャーとしてチームメイトの健康管理をしておられた経験が生かされていますね。表は使えませんが、最初の記述は、残して置く事にします。
早く元気に成って歩き回って下さい。良いお年をお迎え下さい。

西郷:和田さん ご連絡有難うございます。
今回、手術後2週間目についてまとめましたのは、主治医は、悪い個所は、全て取り除いたとのことでしたが、手術前より、手術後が、歩行が困難になったりして、思わしくなかったので、今後、どのように回復するのかを見守ることから、まとめて見ました。
また、リハビリの先生に的確なリハビリをお願いしたいことも有りました。
さらに、今後、同様な腰部脊柱管狭窄症の懸念が御有りの方にご参考になればと思った次第です。
そのような方は、近くの開業医に通うのでなく、大きな総合病院などに行って「手術しなくて良いかを判断してもらうこと」を早い時期にするように勧めたかったからです。
なお、私は、バスケットボールについては、学生時代プレーヤーであって、マネージャーでは有りませんことをお伝えします。

和田:西郷さん 以前見せて頂いた写真では、皆さんがプレイしているのに西郷さんだけが腰痛でプレイできないとの事で皆さんのマネジャーを遣っておられるとのコメントを見た気がしての記述ですが、学生の頃はれっきとしたプレイヤーだったのですね。失礼しました。

丸木で〜す ブラジル二世でトロント郊外にお住まいの北御門さんのお宅で、彼女のご親戚に当たる三笠宮妃殿下が1970年にブラジル訪問された際の写真を見せていただきました。色々話を聞くに就け、ブラジルに移住された皇族が居た事実を、歴史の生き証人でもある彼女の存命中に聞いておこうと思います。彼女の掲げる写真の真ん中が妃殿下で右側が若き日の北御門さん。

和田:丸木さん トロントにお住みの皇族の親戚に当たる北御門さんの貴重な話は、彼女うがお元気な内にお聞きして置いて下さい。良いお話しを有難う。
砂古:ブラジル移住の元皇族は、僕と同じ1929年生まれの多羅間さんです。62年前リオで出会った事もあり、サンパウロでも公式のパーティーなどで会います。東京都友会の会長をされた事があり、現在も文協の評議員です。Wikipedia を貼り付けします。
多羅間 俊彦(たらま としひこ、1929年3月24日 - )は、日本の元皇族。旧名、俊彦王( としひこおう)。 ... 内親王の第四王子として生まれた。学習院に学ぶ。1947年、皇籍 離脱し多羅間キヌ(元サンパウロ総領事多羅間鉄輔未亡人)の養子となり、ブラジルに 移住。

砂古:先日のNHK勝ち負け抗争では、とりあげられませんでしたが、偽の宮様の登場があり、勝ち組の一部はだまされて金銭を巻き上がられていました。1950年台半ばで活躍期間は結構長かったです。 実名は加藤拓治ですが、朝香の宮と称 しました。 僕の友人が認識派のパウリスタ新聞の記者をしていて何回も探訪記事を書き、名をあげました。何人かの勝ち組の召使いが立派な家に住み、偽の妃殿下もいたような記憶があります。

和田:砂古さんは、コロニアの生き字引的な貴重な存在ですね。出来ればコロニアの戦後移住史初期(砂古さんの独身の頃?)を中心に≪思いつくままに≫と云う題で当時の様子を書き残して頂けないですかね。普通の投稿で結構ですので溜まったら『私たち40年!!』寄稿集に皆さんのコメントと共に収録させて頂きたいと思います。宜しくお願いします。

和田:2014年と云う年は、皆さんにとっては、どんな年だったのでしょうか?又新しい年2015年に掛ける思いは?
私自身、2014年を振り返って見ると色々な事が有りました。まだ発展途上?と自分では思うのですが、年の初めからのトピックスを拾って見る事にします。
1月は、誕生日が並び2日が私の74歳の誕生日、16日が恵子の66歳の誕生日、23日が義妹リリアの誕生日、2月7日が茜、3月10が弥生と続きました。
2月には、元民主党幹事長の藤村 修さんが前回衆議院選での落選を機に政治活動を辞し古巣のあしなが育英会の副理事長として3年4ヶ月振りの34回目の来伯、ポルトアレグレにも来られました。
3月には、丸木ご夫妻がポルトアレグレにも立ち寄られグラマードで同船者の石田さんに会われました。
4月には、サンパウロで行われたブラジル稲門会総会に久し振りに参加しました。5月に出生予定だった二人目の孫、マルコ見性君の出産を手伝いに恵子が4月18日から成田経由クライストチャーチに出掛けましたがマルコ君は恵子の到着を待たず4月18日に生まれてしまい間に合いませんでした。
5月には私もアブダビ、成田、オークランド経由73時間掛けてクライストチャーチの二人目の孫の顔を見に行きました。ペドロ悟君も大きく成り3度目の対面でポルトガル語でおじーちゃんと呼んで呉れました。
ニュージランドでは、汽車とバスでクライストチャーチーウエリングトンーオークランドと羊と牛、馬が多い田園風景を楽しみながら恵子とのんびりと旅を楽しみ19日成田着、千葉、東京、金沢、大阪、神戸、広島、岡山、高知(大歩危、小歩危)、大津、奈良と転戦6月3日にポルトアレグレに戻って来ました。
6月は、ワールドカップがブラジルの12都市で開催されポルトアレグレでも5試合が行われ日本サッカー協会の松田 浩さん(元日本ブラジル交流協会第1期生、昨年までJ2栃木FC監督)の好意で全試合2枚の入場券を贈って頂きワールドカップ1位から3位までのドイツ、アルゼンチン、オランダの試合を観戦する事が出来、ワールドカップを一緒に観戦して呉れた家族と共に堪能しました。写真も各話題のBLOG掲載欄より選びました。
7月以降の後半は、次回にさせて貰います。

丸木で〜す  暮れ行く2014年は格別の想い出深い年でした。高校同窓から受信したメールに、2011年の喜寿同窓会のプログラムに僕の水泳マスターズ世界選手権メダル受賞の和田さんのブログが転載され、2013年の卒業60周年同窓会には校長室前の廊下に飾られてる僕のメダルの両面がデジタルパワーポイントで写されたりしたので、ほんまに僕が生きてるのなら本人が顔を出せと書いてありました。僕はレスに今年の世界選手権でメダル受賞すれば傘寿同窓会に訪日出席するとメールしました。折り返し、僕の都合を照会してきましたので、阪神タイガース対ソフトバンクホークスの日本シリーズの頃にしてくれれば好都合とレスに書きました。僕の予想通りになりましたので、日本へ行く事になりました、続。

和田:丸木さんにとっても今年、2014年は、特別の年だったようですね。後10日もすれば新年、1月1日の元旦が誕生日で華の80年代を迎えられる。私は翌日の1月2日で75歳になります。私は、確か12月23日生まれとか聞いていますが翌年の1月2日に出生との戸籍を作成されたようです。谷広海君も12月生まれでしたが、彼は元旦生まれで登録されています。丸木さんは実際に正月に生まれたと以前聞いていますが、お目出度い怪物です。2月21日にサンパウロで皆さんが集まるようですが、私はカーニバル明けからまたヒューストンから出張者が来る予定でサンパウロには行けませんので1月23日ポルトアレグレ飛行場でお会いする事にします。

丸木で〜す  想い出深き暮れ行く2014年で特筆すべきは何と云っても阪神ファンクラブ会員の杉井さんのご子息が日本シリーズ第2戦の東アルプス席を確保してくれた事です。阪神タイガース前オーナーから「日本シリーズは阪神に興行権が無く来賓席へ招待出来ない」と連絡受けてたので、祈る思いで杉井さんからの連絡を待ってました。
チケットを持って甲子園球場前のダイエー玄関に現れたニコニコ顔の杉井ジュニアーは東大法科卒の関電勤務エリートで桁外れのネアカ、将来の大物の片鱗を垣間見ました。
日系文化会館でのダンスパーティーで大晦日のシャンペンを飲み干せば僕は満80歳。馬齢を重ねるという言葉がありますが、時が来ればアホでも歳とります。思惑通り黄金の80代となるか一巻の終わりとなるか、禁酒すればアルチューハイマが少しは緩和されるかな(続)

和田:丸木さんは、記憶力だけでなしに先を見通す能力を備えているようですね。今年の阪神の日本シリーズ進出を見通しておられた。高校同窓会を日本シリーズに合わせて設定させ杉井さんと甲子園に観戦された。私は5月に甲子園に矢張り杉井さんのご子息に切符を3枚取って貰い観戦に行きましたが見事負けてしまい今年も≪あかん≫と諦めていました。3位から広島、巨人を破り破竹の勢いで日本一だと確信したのですが、4連敗でそのチャンスを逃してしまいました。阪神らしいですね。だから可愛い?これからもこのMLでは、阪神を公式応援チームに指定して置きますのでパトローノの丸木さん頑張って下さい。



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