第28回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2014/2015』(その3)
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(その3)は、前回の(その2)の書き直し追加書き込み等により『花咲爺さんの会』の年次報告的な井川会長関係の書き込みがずれ込みました。伊豆山さん、相田さん、砂古さんのグリーチングカード党もこの(その3)にずれ込んでいます。
その他は、私事で恐縮ですが私のカトリック大学卒業40周年関係、恵子の書道に置ける最優秀賞受賞等の後、しゅくこさんのヨーロッパ旅行の第1報が入りました。この2014年末に砂古さんの≪思いつくままに≫富田さんの渾身を込めたメキシコ小話、駒形さんのブラジル小話?等が届いていますが、別枠としてHPに残す事にして敢えてバーチャル座談会には収録していません。御了承下さい。
(その3)の写真は、これも私事になり恐縮ですが11月4日に生まれた3人目の孫、洋君(HIRO)の両親と散歩を楽しむ写真を記念に残して置きたいと思います。
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有隅:井川さん 阪口多加代さま
井川さん、只今阪口さまご労作の、見事な「5円玉カメストラップ」と、熱帯雨林を守る会の珍しいゾウゲヤシの加工品、干支の羊のストラップとネックレスを、有難く拝受いたしました。何れも大事に、そして最大限有効に使わせて戴く所存です。
実は熱帯雨林にIvory Palm(Phytelephas)なる植物があって、その種子殻taguaをこのような見事な細工に仕立て上げているとは、まったく知りませんでした。目からウロコでした。家内が特にネックレスを、「これはお洒落だ」と、とても喜んでおります。
阪口さま、かねてからお名前はたびたび伺っておりましたが、このようなお便りを差し上げるのは初めてです。どうか宜しくお願いいたします。
和田さんは、予てからイペー・アマレーロを日本中に広く普及したいという夢をお持ちでしたが、今回それが「花咲爺の会」に結集され、一歩を踏み出しました。
ご承知のようにこのIAの最大の泣き所は耐寒性に欠けることにありましたが、今回ブラジル現地の池田さんのご尽力でブラジル一番の寒冷地、São Joaquim 地域の種子が入手出来ることになり、また受け入れ地の関東では井川会長や小出さんのご努力で受け入れ態勢が整いつつあります。
そのような中でお兄さん思いの阪口さんが、精一杯側面からの応援をして下さり、このような見事なストラップを作って皆を力付けて下さっていることは、洵に有難く感謝に堪えないところです。
そのご厚意にお応えするためにも、このプロジェクトを何とか成功させねばと思っております。宜しくお願いいたします。
阪口:有隅先生 池田さま 小出さま 前田さま 井川さま 皆さま
色々な方からのお礼のお言葉頂きまして、有難うございます。
趣味でやっているのにこんなにもお褒め言葉に驚いていますが、幸せを感じてます。
ずに乗ってこれからも五円亀さんを造り押し売りをしたく思ってますので、よろしくお願い申し上げます。
今年も残り少なくなりましたが、お元気で風邪など引かずご自愛なさって、新年をお迎え出来るのをお祈り申し上げます。本当に色々なお言葉に感謝しています。
和田:井川さん 恵子が描いて呉れたイぺーの画面一杯の黄色い花が写真では、茶色にしか出ないので少し加工して見ました。オリジナルは、もっと薄い黄色でですが少しは良くなりました。この綺麗なオリジナルは、矢張り井川会長の所に置いて置く方が良いので郵送しますが、住所が東京都江戸川区しか分かっていないので郵便物が届く住所を教えて下さい。
井川:和田さん、小出さん 恵子さんのご活躍、すてきですね? 入選した書は、素人の小生にも十分に魅力が理解できます。恵子さん、おめでとうございます!
さて、その恵子さん作「イペーのカード」ですが、それは、江戸川の下町の小生宅へ置くよりも、鎌倉のイペーが春には咲き乱れるはずの、小出さんのゆったりした暖炉のあるリビングに飾った方が何倍も映えるでしょう。
何卒そのようにご手配ください。
実際、四月にあの小出さんの庭に、イペーが咲き乱れる様を想像するだけで、ワクワクして2〜3年若返るような気がします。小出さん、以上の件もよろしくね?
池田:和田さん 奥さまの幸せはあなたの幸せでもありますね。画面一面の迫力有るイペーアマレロは我々を象徴するに相応しいですね、しゆくこさんと共に恵子さんも後押しする一員ですから宜しくお願いします。
小出:井川さん、和田さん 井川さんのご配慮深く深く御礼申し上げます。
この素晴らしい「イペーカード」は和田さん、恵子奥様の井川さんに対する心からのエールですので、私がお受けするわけにはいきません。
ブラジル・日本の懸け橋として井川家に永久保存版としてぜひ飾っておいて下さい。
和田さん、井川實さんの住所は、〒133−0064 東京都江戸川区下篠崎町9−4 TEL:03-3678-8960です。
よろしくお願いいたします。
我が家のイペ‐達は2・3年かけて咲き乱れ、ご近所の方々にもブラジルをお分けしようと夢見ております。
感謝!!
和田:小出さん 井川さん 皆さん 余り大袈裟にしないで下さい。恵子がさっと描いて呉れた葉書大のカードですので折角だから記念として机の抽斗の中にでもつ込んで置いて頂く程度のものですので御迷惑で有れば送らずにこちらに置いて置きます。
井川さんからの特別の断りの意思がない限り押し売りになりますが、クリスマス明けの金曜日26日に教えて頂いた住所に郵送して置きます。
和田: 井川さん 皆さん
お約束通り26日(金)にイぺーの花と私たちの50年の皆さん宛の賀状を封筒に入れて投函して置きました。1月10日までには届くのではないかと思いますが、年末年始郵便局が混むので遅く成るかも知れません。来る年も宜しくお願いします。
伊豆山:和田さん、W50仲間の皆さん
MERRY CHRISTMAS AND HAPPY NEW YEAR!
2015年が皆さまのより良い年でありますように。
和田:伊豆山さん クリスマスとお正月のシーズングリチング有難う御座います。
今年もこのMLの大久保彦左衛門的な役割を果たして頂き有難う御座いました。お陰さまで健全な住み心地良いMLとして育っています。これからも宜しくお願いします。
来る年も良き年でありますように。。。
クリスマスカードは下記BLOGに掲載しております。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35430773.html
工藤:クリスマスの喜びと優しい気持ちが永遠に続きますように...
愛と笑いがあなたを包んでくれますように!!
どんなに暗い状況にあっても光は必ず生まれる。
見方を変えれば、光は見えないだけでいつもある。
"I wish everyone merry Christmas !"
from
iwao kudo
相田:皆様 私からも年賀状をお送りします。
W-50年の皆さま 謹賀新年
和田さん主宰のもと、この一年の皆さんの遣り取りを拝見してしてきました。
このところ着信数が激増しその処理に忙殺されますが、『花咲爺の会』肇、多忙な皆様の来る年のご発展をお祈りします。佳きクリスマスとご多幸な新年をお迎え下さい。
相田祐弘 (24−12−2014)
和田:相田さん 賀状有難う御座います。慶応の伊豆山翁(失礼!)と同じ個所に早稲田も負けずに相田ブラジル稲門会長の賀状を貼り付けさせて頂きました。来る年も稲門会会長として早稲田を取り纏めて下さい。宜しくお願いします。URLは、下記です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35430773.html
砂古です。貼り付けが上手くいかないので、添付でGreeting Cardを差し上げます。
W50nen の皆様、ナタールを祝い、良い新年を祈願します。新年もよろしく。日本向けには、縦紙を中折れにして、ブラジルの風景などを表にし(メッセージは中に薄紙で)、上のように 毎年Greeting Cardを自家製します。
和田:砂古さん ニテロイの街からリオを望む新作(ポンデアスーカルが主役でなくさりげなく見分けが付くのが嬉しいです)を使っての賀状有難う御座います。写真では味わえない風景、大変気に行っています。下記BLOGに掲載させて頂いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35433787.html
和田:井川さん 皆さん お約束通り26日(金)にイぺーの花と私たちの50年の皆さん宛の賀状を封筒に入れて投函して置きました。1月10日までには届くのではないかと思いますが、年末年始郵便局が混むので遅く成るかも知れません。来る年も宜しくお願いします。
和田:カトリック大学(PUC/RS)法学部卒業40周年記念夕食会が12月10日に行われました。
たまたま仕事でポルトアレグレに来ておられた丸紅の駒形さんが参列して呉れたカトリック大学(PUC/RS)の法学部の卒業式が1974年12月13日だったそうですが、今年で卒業40周年に成るとの事で学友が40周年記念夕食会を開きました。
幹事役のRICARDO ALFONSINさんから下記コメントと共に写真を送って呉れました。
私は、12月11日にサンパウロで開催された官民合同会議に参加の為に10日の午後からサンパウロに出ていた為に参加できずじまいでした。今年の痛恨の出来事の一つと成りました。
また3月に学友の一人ANTONIO SOARESさんの海浜の別荘で集まろうとの事ですので次回は、是非とも旧友と会いたいと思っています。
私のRS州弁護士協会の登録番号が8088番ですので1974年当時、RS州人口が800万人程度でしたので州民1000人に一人が弁護士と云う事に成りますが、40年後の現在は、州人口が1000万人超に対し弁護士協会に登録さえている弁護士の数は、10倍に増え8万人を超えているとの事で現在では、州民の
125人に一人は弁護士なる計算です。この番号は永代変わらないことから既に亡くなられた弁護士、年次会費が払えずに除名されている弁護士等の数を減ずる必要がありますが、ブラジルでは、法科大学卒即弁護士となり裁判官、検事に成るには特別の試験を受ける事に成っています。警察の所長クラスに成るには弁護士の資格(法科大学卒)が要請されて居り日本の法学部卒業者の数と考えて良いのではないかと思いますが州民125人に一人とは、驚くべき数次です。もっとも私の住んでいるマンションには、弁護士が多数おり珍しくないのかも知れません。
Recuerdo de nosso encontro. Para deixar os que
não foram com inveja. 私たちの集まりの記念と出席できなかった友を羨ませる為に。。。
Komagata: Nosso querido Advogado, Dr. Wada
Congratulações a seu 40o. aniversário de Formatura de PUC.
Agradeço sua lembrança a minha presença na sua gloriosa formatura.
Parabéns !
和田: 駒形 さん もう40年の月日が経つのですね。私が丸紅ポルトアレグレの開設と共にポルトアレグレ総領事館からジョインした年の暮れの出来事です。もっとも駒形さんとは、駒形さんが丸紅ベロオリゾンテのワンマンオフイスで頑張っておられた1963年に事務所でお会いしているのでもう51年も前からのお付き合いになります。当時はまだお一人だったのでしょうか?人生の大先輩です。今後とも宜しく。。。
駒形: DR.WADA 意気盛んな大学生ー和田さんがBELO HORIZONTE に私宅を訪問下さり、抱負を語ってくださったのはよく憶えています。
P.ALEGREは大学、BRASKEM. SPL.RIOでは今問題の石油化学センター、色々なところでお会いしましたね。今もなお現役での御活躍には本当に偉いと感心しております。
こちらこそよろしく御指導御願いします。
和田: 駒形さん まだ早稲田の休学中の学生で東京都の農業移住者として遣って来ていた若い頃の私に付き合って呉れたのですね。さぞ勝手な事を話していたのではないかと顔が赤く成る気がしますが、そこが若さの良さもの怖じせずに大きな声で意気軒昂に語っていたのではないかと思います。生意気だった学生ももう75歳になります。少しは年相応にすべきでしょうね。新しい年もせっせと歩き続けたいと願っています。
駒形さんにこのMLに入って頂き直接語れる機会が出来たのは本当に幸せです。今年の大収穫といえそうです。これからも宜しく。。。
都賀:皆さん(駒形さん 和田さんの記事を読んでいて、、、)
ブラジルへ来る前 1978年 勤務地(神奈川県藤沢市)から東京のカトリック大学=上智大学へ通って 夜間学習でポ語を学んだ記憶が甦りました。
その当時ブラジル移住は奇異に見られたのかどうか、NHK 教育テレビから 要請がありました、内容は1978年の移住者が集まって その抱負を語る、、でした。職場へ予定欠勤(水曜日) 願いをすると 会社の方針は なるべく出るな、課長が説得することでした。
好きな課長の減点になることを 好まなかった自分は、 残念だが NHK へ出席を取り消しました。それから一度もテレビ出演要請がきていません。
所で 上智大学にはブラジル出身の神父さんが 沢山在籍していてブラジル話を聞いたものです。夢見る若き頃の思い出です。
池田: 都賀さん 上智大学でポルトガル語の講習されたのですか、懐かしい思いでおります。昭和39年頃ABCを習う為少し通いました。あの頃ポルトガル語学部長ウェンデリーノ ロゥシヤイタ神父(ガウシヨ)は友人で移住前にポ語レスンの本にサインしたプレゼントは未だに大切に保管しております。
何かの縁で我々は繋がっておるんですね。
富田: 都賀さん、池田さん、私も上智大の海協連主催のポ語講習会に二年ほど通いました。
NHK海外放送のアナウンサーやブラジル二世嬢たちに教わりました。しかし、私はメキシコで途中下車して、ブラジルには行けませんでした。当時の仲間二人はブラジルに渡って、大活躍しました。1959年頃の懐かしい思い出です。
和田: 都賀さん、池田さん、富田さん 皆さん 年代はずれても皆さんポルトガル語習得には、上智大学にお世話になっているのですね。私は早稲田に特殊語学講座が有りポルトガル語を外語大の佐野先生に少し教わりましたが、着伯早々サントスの税関で試して見ましたが余り通じませんでした。2年間の放浪中の実戦とカトリック大学時代に勉強したのですが未だにLとRの発音の区別がつかず書く時も間違います。これは死ぬまで治らない日本人特有の欠点としてあの世に持って行きます。
和田:恵子が伝・北辰12月号で近代詩文書で3度目の写真入りの最優秀賞を得ました。
これまでに条幅と一字書で最優秀賞を得ていましたが、今回3度目の最優秀賞は、近代詩文書で獲得しました。今回の12月号は、秋の昇段試験の発表も兼ねての大事な雑誌ですが、これが月始めに届く筈が届かずもう駄目かと諦めていたらクリスマスイブのプレゼントのように今夕、郵便箱に入っていました。
昇段試験は、漢字規定10段、仮名準7段、硬筆準8段、一字書準9段、細字9段と順調に昇段していましたが、段の対象に入らない近代詩文書で3度目の写真入りの月間最優秀賞に選ばれていました。昇段一字書と半紙随意の部でも優秀作品として写真が掲載されていました。
関係写真を掲載して置きます。日頃の精進が報いられクリスマスを前に嬉しそうな恵子を見るのはこれまた嬉しいものです。おめでとう 恵子!
井川: 和田さん、小出さん 恵子さんのご活躍、すてきですね? 入選した書は、素人の小生にも十分に魅力が理解できます。恵子さん、おめでとうございます!
池田: 恵子さん 御目出度う御座います。
ご家族揃って吉の年でしたね、心からお慶び申し上げます。
習字というよりも芸術の段階なので私にはどう書いてあげたらよいかわからない始末です。相撲で言えば白鵬の切れ味が有る締め括りなのでしようか。Parabéns Dra. Prof. Keiko-san.
斎藤: 恵子さん 入選おめでとうございます、心よりお慶び申し上げます、
クリスマスと2015もおめでとうございます、
砂古: 和田恵子さんの3度目の最優秀賞オメデトウ御座います。
どれも時間のかかる、多くの事に挑戦され、感心します。
又新年の9月の書道展でお目にかかれ、デモンストレーションを見せて頂きます。
イッペーのカードも、慎重に配分を手配した上で、サラーっと彩色されたのが、カードとして引き立たせてあり、感心しました。樹に咲く花は、こだわって丁寧に彩色すると、コントラストを失う可能性高いですね。ジャカランダもまさに、
そうで、むつかしい思いをした事があります。
和田:砂古さん 有難いコメント感謝します。恵子の励みになると思います。自分では余り書きませんが読むのはきっちり読んでいるようです。(私の書く事の監視の為?)。良く余計な事を書くと叱られます。大学を辞めてからは、正反対の自分の好きな事(子供のころから遣りたかった事)に没頭ししており幸せそうです。又来年の9月のブラジル書道愛好者展でお会い出来るのを楽しみにしているそうです。画家の砂古さんのイぺーの花のコメント参考になったようです。近くにいれば教えて頂きに行きたいそうですが、ポルトアレグレからでは無理でしょうね。又機会が有れば指導して遣って下さい。
丸木で〜す 化学教授だから理系の才媛とばかり思ってたら、伝統芸術にも秀でた多才な方とは驚きました。男なら文武両刀と言うのでしょうが、女性の場合はなんと言うのかな
和田:丸木さん 御褒めの言葉有難う。恵子は、もともと絵を描くのが好きで芸術学科に入りたいと希望していたそうですが、親父さんから『絵描きで生きて居るうちに裕福になった者はいない。食っていける道を選べ!』と云われケミカルエンジニアになり4年で卒業(普通は5年)請われてそのまま大学に残り教鞭を取り大学院(修士課程と博士課程はリオに行き私は父子家庭で娘3人とおばちゃんを人質に取って奮闘?)ブラジルに移住して来て以来、黒板を前に勉強、黒板を背に教鞭を取り60歳で大学をリタイア―出来る権利が生じたら直ぐに退職手続きをしました。私の希望はさわやか商会の社長として仕事を手伝って欲しかったのですが、見向きもせず自分の遊び場アトリエ『和み』を購入、好きな事を水を得た魚のように楽しみ、それなりの成果と云うか花を咲かせているようです。連邦大学で最高給まで行っていたので生涯その最後の給料を支給される事になっており経済的には心配なく好きな事をやりとおせる環境にあり毎日張り切っています。社会奉仕もとポルトアレグレ婦人会の会長として地元の皆さんにも重宝されているようです。
丸木で〜す 絵描きでは飯が喰えんとは名言、和田さんの義父は流石に大阪の男ですね。応用化学の学位を持っておられれば学会でも官界でも業界でも引く手数多ですから正解です。引退後に趣味に生きるのは理想的ですよ。僕の義弟の父親も大阪野郎で、歴史の勉強したい息子を商科に進学させました。彼は日清製粉グループの社長、会長、相談役歴任後は最高顧問として名誉会長の皇后の弟を輔弼しながら大学院で歴史の研究し修士号を取り、現在は博士課程に在学中です。どんな博士論文を書くか楽しみです。
和田:丸木さんの周りには、凄い人たちがいますね。功なり名を遂げた後に修士課程、博士課程をTRYされるとは凄いです。私は何とかアルチュウハイマ―に成らないようにビール位で控えせっせと歩いていますが、今更勉強する気にはなれません。趣味もないしHP、BLOGの更新、MLの管理運営程度しか出来ません。これらは来る年も歩くことと共に続けて行く積りにしています。何時まで続くか分かりませんが。。。少なくとも来年は大丈夫でしょう。来る年も手伝って下さい。
川越: ≪掛け足のドイツ、オーストリアの旅から戻って来ました≫恵子さん & 50 年のみなさま しゅくこでーす
恵子さん、1人ひとりに別々のひつじを描いているんですか?
すばらしいですね〜。ほんわかした温かい毛のぬくもりが伝わってきます。
私もこんなのをいただいたら嬉しいとおもいます。(おねだりしているわけではありませんが、・・)
20日にドイツ、オーストリアから帰ってきて、いま写真の整理をしています。
思えば、今年のうま年の元旦に生まれたピーナッツのご報告をしてからもう一年がたつんですね。 ピーナッツはもう母親と別々の馬房で元気に身障者の方たちを乗せる調教を受けているようです。
そして、ここ年末にきて、私はウイーンの王宮内にある、スペイン乗馬学校の誇り高い馬たちを見てきました。シャンデリアの輝く馬場内で、私と友人は二階のバルコニーからヨハンシュトラウスのワルツに乗って調教されている白馬たちに魅せられました。室内は撮影禁止なので、絵ハガキを添付します。
よかったらご覧ください
馬で始まり、馬で終わる、一年の締めくくり。まずは満足できる一年でした。
井川さん フジコ・へミングさんのことでメッセージを頂いた日はフランクフルトにいて、
今日、プログを開けてしりました。ありがとうございました。
彼女はパリと日本の半々の生活で、海外でのコンサートも増えているのか、あまりにも衝撃的なデビューだったので、その分、静かになったと思われるかもしれませんね。
彼女はときどきキィを間違う事を指摘されますが、おはこのラ・カンパネラ(鐘)については「鐘だって古いのもあるでしょ」と平然と、技術に走りがちな音楽界の体質を一笑しています。私は間違いなんて分かりませんから、感性に訴える彼女の弾きかたが好きですね。
パソコンのキイさえ打ち間違える私ですが、83才の彼女が鍵盤の上に指を躍らる才能は驚異です。
いつまでも元気で弾いていてほしいですね
和田: しゅくこさん 下記BLOGにお便りと写真を掲載して置きました。
≪掛け足のドイツ、オーストリアの旅から戻って来ました≫ 川越しゅくこさんからのお便りです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35426863.html
(追伸)恵子が早速年賀状を描き上げたのですが、昨年頂いた三田の住所が見付からないとの事でないしょで下記アドレスに知らせて欲しいとのことです。明日投函するそうです。お手数を掛けます。
keiko@sawayaka.com.b
恵子:しゅくこさん 喜んで貰ってくださるとの暖かいお言葉を頂いて感謝しています。明日送り出します。しゅくこさんの写真はいつも楽しみに見せて貰っています。ご主人の絵も又見せていただけるとうれしいです。良いお年をお迎えになることを心から祈っています。
和田:今年の我が家のクリスマスイブは、洋君の取り持つ縁でDIEGO君のご両親が住むマンションのサロンを借りて集まりました。何時もは、ポルトアレグレに居れば我が家で家族のクリスマスイブを祝うのですが(昨年はマチュピッツ出掛けて不在)今年は、洋君を囲んでDIEGO君のご両親が住んでいるマンションのサロンを借りて両方のおじーちゃん、おばーちゃん合同の初めての洋君のクリスマスをリオから戻って来た茜夫妻を入れて皆で集まりました。一応AMIGO SECRETO(隠れたアミーゴ)を指定してプレゼントの交換は、やりましたが番外の洋君が一番沢山プレゼントを貰っていました。
弥生を通じて当日の各自持ち寄りの料理の写真を撮っておれば見たいとDIEGO君の御母堂が云っているとの事で飲むのと食べるのが忙しくて殆ど撮っていなかったのですが、何枚か貼り付けて置きます。また家族の集合写真は撮らなかったのですが、何枚か主役の洋君を囲んでの家族写真も貼り付けて置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/35447367.html
池田: 和田さん お側に居られる洋君を囲み皆さんと和やかにアミゴセクレド交換されたのですね。あと三日で新年を迎えるのでメルカド ムニシパルで手打ち白餅を買いお雑煮食べる準備しました。レンチリヤ(平ったい豆)も食べます。
和田: 注目を集める洋君の散歩 アトリエ≪和み≫まで 注目を集める洋君の散歩は、弥生の家から我が家、DIEGO君の実家とそれ程沢山は、無いのですが我が家からアトリエ≪和み≫までは茜が是非立ち寄りたいとの事で皆で歩いて1キロ半を乳母車で交代で押しながら歩きました。週末は、茜のアテンドであちこち出向きましたが、夕刻の洋君を中心にした散歩は、至福の一時になりました。写真を貼り付けて置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/47956013.html
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