≪ボルガ河畔の十日間≫ 丸木英朗さんの寄稿です。
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自らブラジル移民の成りの果てと公称して憚らないトロント在住の丸木英朗さんが、今回水泳世界選手権大会とマスターズ水泳選手権が史上初めて同時開催された会場となったタタールスタンの首都カザニにカナダ代表として参加、76歳―80歳のカテゴリーで年齢上のハンデイーをものともせず最年長の80歳で銀と銅のメダルを獲得されました。丸木さんの≪ボルガ河畔の十日間≫と題した紀行を送って頂いたのでこの寄稿集に収録して置くことにしました。
写真は、銀メダルを獲得し美女からメーダル授与を受ける際に取ったガッツポーズの写真を使用しました。今後も選手としての競技生活を継続するとの事でいずれ世界1の金メダルを授与すること間違いないのでその時にはまたお知らせします。あ楽しみに。。。
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旅行記レポーター:丸木英朗
Hideo Maruki
805-4001 Bayview Avenue
Toronto, Ontario
M2M3Z7
TEL:FAX(416)222-1726
CELL:647-523-6550
E-MAIL:maruki_hideo@rogers.com
題名:ボルガ河畔の十日間
水泳世界選手権大会とマスターズ水泳選手権大会が史上初めて同時開催されるタタールスタンの首都カザニに到着したのは午前3時、空港には写真撮影禁止の掲示が至る所にあるにも拘らず、デジカメやスマホを持ち出して忠告や逮捕されてる人々の列を尻目に、僕達選手団は入国通関検査無用のゲートから選手村行きのバスに案内された。コンシュラーフィー無料のヒューマニタリアンビザの為、競技会開催中の滞在のみ許可され、最終日の翌日までしかロシアには居れない。
選手村の宿舎に入居出来たのは夜明け前で、チェックインを済ませ宿泊費に含まれてる6時半からの朝食食堂のある道路の向かいにあるテニスアカデミーに入った。マリア シャナトバ等世界有数のプレーヤーを輩出してる国策テニス学校は豪華な設備で、さすがにスポーツ キャピタル オブ ロシアだけある。
初日にレースの無い僕は、かるく2千メートルほどウオームアップしてトロントの同じ水泳クラブの同僚と市内観光バスに乗った。
ボルガ河畔の美しいカザニの街は、まるでお花畑の様な都会で塵一つなく清潔な印象を受けた。東京も1964年のオリンピックの頃から塵だらけだった街が見違えるようになったから、世界選手権誘致に成功したので街の浄化を図ったのかも知れない。モスク(回教寺院)とロシア正教の教会の多い街並には、レーニンやトルストイも在学したカザニ大学のキャンパスに銅像が建っていた、偶然にも二人共に卒業出来ず中退したそうです。
観光バスは先ずクレムリンで停まり、1時間の散策にバスガイドが案内してくれた。大統領官邸や市庁舎もこの辺りにあり、農業省の偉容な建築物が他を圧してるのは農業国であるからか。13世紀にはモンゴルの来襲もあり、16世紀にはロシアのイワン雷帝(アイバン ザ テリブル)の支配下に入り革命後はソ連領になったりしたが原住民はタタール族で回教国であり、西暦でなくモスレムカレンダーを使用してる。
選手村の警備は厳重で多数の出入り口周辺にはガードマンの他に警官や兵隊も整列して24時間の警護体制で治安には問題なかったが、年齢別マスターズ競技の前に開催されてたオリンピック選手達の出場する世界選手権大会最終日を観た帰りの選手村行きバス乗り場に入れず、香港から来てたイギリス人の遠泳選手と困り果ててたら、コンパニオンらしき美人が門衛にかけあって事なきを得た。
彼も僕も選手証を首にぶら下げてるのだから市内の交通機関は無料で、地下鉄で帰れば良かったのだ。二日目に銅メダルを、三日目には銀メダルを受賞した僕は四日目のリレーには出場予定が無いので、ブラジル代表選手の宝田さんと街の散策に出掛けた。地下鉄で街の中心のトウカイ広場まで行き、地球の歩き方に載ってる焼き鳥屋に行ったらケンタッキーフライドチキン、その隣が孔子の学校で道路を渡って裁判所、その前に巨大な珍しい形の水しぶきの噴水、劇場街が続き近代的な並木道を駅に向かって歩いた。
中央市場に入り漬物屋で見本を試食したらキムチの味がした。場内の大衆食堂で見本を見て食べた家庭料理らしき一皿は値段も安過ぎて余り美味くなかった。マスターズ選手は選手村でも従業員と同じ食堂で一般の家庭料理で味もなかなか良くて安価なのが何より、3ドルか4ドル相当でボルシチスープにビタミンサラダ(わかめ)に肉料理と魚料理にキャベツ料理で満腹になる。オリンピック選手の多い世界選手権出場選手は選手村本館の豪勢なレストランで無料でたらふく高級料理を食べており、差をつけられた。あの連中にはアディダスやコカコーラやヤクルト等のスポンサーがついてるから当然か。勿論旅費もスポンサー持ちか各国の水連や後援会が払ってる。マスターズの選手達も元オリンピック選手の同窓会みたいなもので、昔はただ乗りしてたやつが多い。
五日目のレースでは泳法違反で失格したので、宝田さんの力泳ぶりをスマホでビデオに撮りユーチューブにした。お互い、翌日の最終日は出場種目が無いので夜の街へと繰り出した。オペラハウスの当たりには夜の街の趣があって着飾った老若男女が右往左往してた。先ずは酒場に入ってテーブル席に座っても誰も注文を取りに来ないしメニューを見てもロシア語はチンプンカンプン。勿論、言葉は通じない。仕方なく、僕はカウンターに行ってバーテンダーにウオッカの瓶を指差し、ようやくロシア入国1週間たって待望のウオッカにありつけた。駆けつけ3杯、五臓六腑に染み渡る美味い本場のウオッカ、一杯たったの80セント相当の値段。キャビアも食べたかったけれど高過ぎて手が出せなかった。選手村のスーパーマーケットで瓶詰のキャビアを売ってたけれど、選手村は禁酒禁煙、麻薬も厳禁なのでしらふでキャビアでもなかろうと辛抱し、帰りの空港内ラウンジでウオッカもキャビアも堪能した。
日本へ行けば真っ先に歌声喫茶、東京では「ともしび」、大阪では「ピープルズ」に行く僕は、ロシア民謡の本場で唄いたく、歌声喫茶を探したが見つからず言葉が通じないのであきらめ、ドミノと言う名のカラオケ店に入った。高級ナイトクラブの様な玄関でバウンスマンらしき男が数人でにらんでおり服装を値踏みしてる様子。支配人らしき男が出て来てゴーサインが出てボックス席に案内された。ここでもウオッカは1ドル程度でがぶ飲みしてもおつりが来るぐらい安い。カラオケは1曲5ドル相当だから割高、その上ロシア語の画面は読めないので新宿ともしびの歌集を見ながらメロデーに会わせて唄った。カチューシャは難なく唄えたが、ステンカラージンはメロデーも調子も日本で唄いなれた曲とはずれており立ち往生してもた。まぁ、それでもボルガ河の畔でボルガの舟歌を歌い、本場のウオッカに酔いしれたのでロシアに来た甲斐があったとしよう。
石油価格の暴落でロシアの通貨の対ドル為替レートが下落し、120ドルで予約してた宿泊費が朝食込みで49ドルにまで下がってたのも自費で競技会に参加する身には有り難かった。80歳を超えても未だ現役の水泳選手の僕を同窓、同僚、友人、知人達は、凄いと申しますが、もうこの歳になれば、やけくそで泳いでる様なもんで、これでもやらんと酒浸りになってポテトカウチになるのがわかってるので、家内も金のかかる遠征を大目に見てくれるのが助かります。内助の功とは良く云ったものです。
(注)原稿と一緒に沢山の写真が送られて来ているので選別して下記BLOGに掲載して置くことにします。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/36473866.html
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