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私達より2年前のあるぜんちな丸で渡航されその後帰国、40年目の里帰りの野口みどりさんとの交歓会を計画。
既に寄稿文の欄でもお知らせしていた通り、私達のあるぜんちな丸第12次航より約2年前の60年9月11日にサントスに着かれその後帰国された野口みどりさんが8月2日(金)にお母様80歳とお嬢さん15歳の3人で40年振りにブラジルに里帰りされます。ブラジル到着日でお疲れとは思いますが、私も仕事でサンパウロ出張中である8月2日の夜に野口さんとの交歓会をあるぜんちな丸第12次航のサンパウロの世話人の一人吉田和子さんが音頭を取り開いて呉れる事になりました。あるぜんちな丸第12次航の私達同船者のみでなくあるぜんちな丸と言う移住船で絞り多くの関係者が集い40年以上前の船内生活、その後の生活.現在と未来を語り合える一時が持てればと今から楽しみにしております。これからこの様な新しい出会い、移住船あるぜんちな丸で結ばれた輪が広がって行けばと願ってます。送って頂いた写真と共に野口みどりさんより頂いた「交歓会へのご挨拶と自己紹介」を掲載しておきます。


交歓会へのご挨拶と自己紹介
みなさん、こんにちは!
ムイト・プラゼール!
この度は思いがけないウェブ上の出会いから、
交歓会を開いてくださることになり、大変嬉しいです。
わたしたち一家が乗船したのは横浜港から60年8月4日、
下船したのがサントスで9月11日でしたので、
みなさまより2年早いことになりますね。

同船者の方がいらっしゃったら、痩せっぽちの双子の姉妹
などご記憶されていませんか?
毎日、船内の子どもたちを引き連れて走り回っていました。
甲板に寝そべって船べりからあがってくる水平線を眺めたり、
船内を探検してちょっとした秘密基地を作ったり、
船内学校でポルトガル語を勉強したり、
食事の配膳を手伝ったり、
ボーイさんからインスタントラーメンなるものをもらったり、
寄港地のラガイラで港にいる人たちとバドミントンをしたり‥‥。
船内の生活がとても楽しくて、
サントスで降りるのが、まさに無念!という感じでした。

その後、サンパウロに住んで、
リベルダーデの日本人学校(大正小学校)や、
カンブシの公立小学校に通ったりしましたが、
2年後に大西洋航路で帰国しました。
たしか4月ごろに乗船したので、
ちょうどみなさまとすれ違ったのではないでしょうか。

現在は東京近郊の町に住み、
フリーライターやら日本語教師やらをしております。
まだ身軽だったころは、トラベルライターとしてヨーロッパや
アジア、アメリカを旅して回り、渡航先は50カ国以上に
なると思います(数える度に数が変わる)。
ブラジルの親類からも「遊びに来い」と催促されていたのですが、
なぜか行きびれ、あっという間に40年がたってしまいました。
このままでは一生行けそうにないので、エエイこのへんで!
と、高齢の母と、ブラジルをまだ知らない娘(15歳)を連れての
里帰り(?)となりました。実は去年の10月に来る予定だった
のですが、あのテロで急遽取りやめたりして‥‥。

40年という歳月に我ながら驚くばかりですが、
叔父叔母従妹や友人がちょくちょく日本に来ていたし、
ブラジルのことは話によく聞いていたので、
そんな遠い国という気がしないんです。
(それにして飛行機に乗る時間の長いこと!)
ワールドサッカーではもちろん、ブラジルを応援しました。

ブラジル、サンパウロ、リオデジャネイロ‥‥
ずいぶん変わったことでしょうね。
クリスマスのころ、キレイに飾り付けられた家々を一軒一軒
のぞいて歩いたことを思い出します。
あのころの日本にはそんな光景はありませんでしたから。

あるぜんちな丸に乗っていたころのこと、
ブラジルにいたころのことは、
今も昨日のことのように記憶に鮮やかです。

それでは、お目にかかれるのを楽しみにしていおります!

★野口みどり★



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