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『ブラジル良いとこ!!』 吉田 昌治さんよりの寄稿。
あるぜんちな丸第12次航の船内世話人会代表として船内生活の潤滑油的な役割を果たして頂き、船内ニュースの最終版にあるぜんちな丸第12次航の仁平仁平船長始め乗組員の皆さんへの感謝の辞を書いて頂いた吉田昌治さんが4年程前に現在お住みのヴィトリア日系15周年記念誌に執筆された原稿をご子息の吉田明さんから送って頂きました。吉田さんご一家はグアタパラ移住地に入植されその後ご子息の教育等の問題もありブラジリアに移り現在はブラジリアとヴィトリア、和子さんはサンパウロとブラジルで大きく根を張っております。船内ニュースに掲載された吉田昌治さんの『感謝の辞』長女の藤井美智子さんが書かれた『ケーススタデイー1』も参照下さい。写真は吉田昌治さんの誕生日の日に家族全員で撮ったものです。8月27日で87歳になられます。少し早いですがお誕生日おめでとう御座います。


1962年5月11日。私達一家7名は、神戸港出港後38日を要し、無事あるぜんちな丸の船旅を終へ、サントス港に上陸することが出来た。翌日、列車に乗せられ、途中のブラジルの景色は、初めて見るユウカリ林の20米余にも真直ぐに伸びた幹が珍しく、最も印象に残っている。終着駅モジアナ線モンブカ駅に着いた頃は陽も西に傾き、迎えに来ていたトラックに乗り約8粁、目的地、予て造成中の全拓連移住地に着いたのは薄暮く、本部入口の道路の両側に、大きく薪を積み上げて盛大に燃やして歓迎してくれる先着の移住者達全拓連職員工事関係の人達の表情が炎の暖かさに加えて心地良く身にしみて感じたれたのを想い出す。以来7年足らずの間、計画された営農設計に沿いコチア産業組合技術者の企画指導のもと、稲、ミーリョ、大豆等の雑作、柑橘植付育成、トマト、胡瓜等の園芸作を試み、二年目から始めた養鶏が意外の好成績を示し、5年目には飼養農家も増え飼養羽数も12万羽近くになり、飼料配合所を本部に設置建設することになり、当時養鶏部の部長に推され、これ実現にコチア産組との折衝等に微力を傾けた次第だった。
そんな折、小生健康を害し67年10月にはリベロン・プレットの病院にて胃潰瘍による全胃摘出の大手術を受ける等、心境にも変化を来たし、特にグヮタパラ移住地の置かれている特殊な環境を考える時、又子供達の将来をそれぞれ適した方向に伸ばすのがブラジル移住の主目的で二、三男の二名は高校大学進学を目前に控えている現状から意を決した。予て視察し第一候補と定めていた首都ブラジリア近郊に68年8月に約20日を費やし、鶏5千羽と共に八百粁の大移転を決行した。以来16年間、養鶏に専念。飼料も自家で配合し、飼育費の軽減に努めた。
鶏卵も直接小売店に配達、有利に販売し、鶏糞も近郊に園芸農家が多く高値で引き取って呉れる等、当初予期した以上の収益を挙げる事を得た。これは64年9月グヮタパラ移住地で結婚し同行した長女藤井夫妻が主となって事業運営に当って呉れた努力の賜であり、当時として立地条件に恵まれていたことに負うところが大きい。この間、長男武弘が71年に結婚し、その商才は夙に私も認めていたところでありブラジリアの中心街で食品店を経営独立。又コチア産業本部の職員として早くからサンパウロで自立していた次女和子も養鶏部職員と結婚。二男寛も77年に国立ブラジリア大学情報科学科を卒業、政府企画省に就職し結婚。三男も同大学電気科を卒業ツバロン製鉄所に就職し結婚。以上で私達夫婦の親としての責務も人並みに果たし得たとして自分なりに満足し予て区切りとしていた70才を引退の目途に長女と末子が住む白砂の海岸を太平洋の紺碧の大海原を一望する風光明媚な景勝地ヴィトリアを老後終焉の地と定め、84年2月に移り住んで今日に至っている。ブラジルにも満36年になる今日。
これまでの82年余の生涯を顧みると、
(1) 生まれ育ち敗戦で親子4名(私30才、妻貞子26才、長女美智子3才、長男1才)一切を捨て引き揚げを余儀なくされた朝鮮(韓国)での30年
(2) 本籍地佐賀での生まれて始めての鍬を握っての農作業の重労働の辛さに耐えて、種々苦労はあったが、人間としての貴重な体験をし、自分の今日ある基礎を築いた尊い17年。
(3) ブラジルに移住して36年。良かったと想うことは、まず教育である。国立の学校では殆ど学費が要らなかったこと。授業も午前中だけで事業を子供達が手伝って呉れたこと。人情が大らかで差別がなく特に老人を労わる(バスに乗ると進んで席を譲ってくれる等)国民性。ヴィトリアに来て特に強く感謝している次第である。
 さて、末尾になったが、あらゆる辛苦に堪え、終始片腕になって呉れた伴侶、貞子を94年にこの地で亡くしたことである。
    (平成14年8月8日 和田 好司 タイプアップ)



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