≪移民先駆者を詠む≫ 早川清貴さんの移住者目線で詠んだ秀逸短歌10首です。
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これまでにも何度も早川さんの秀作を40年‼寄稿集に収録させて頂いていますが今回日本移民109年の6月に下記コメントと共に10首を送って頂きました。
『1908年6月笠戸丸は800人強の移民先駆者を乗せてサントス港に着きました。それから2008年に100年祭を実施しました、以降すでに来年で10年が経過します。小生の先駆者に対する畏敬の念は心の底に根付いています。少しでも先駆者移民の姿を日本の同胞へ知らしめるべく、折に触れて、別添の如く彼らの夢への戦いを短歌にしました。別添は日本の短歌同人誌に掲載されてものです。既に、本欄に発表したものもありますが、109年を祝して、再び、発表しました。』
写真も早川さんから送って頂きましたが、病み上がりの写真だとの事ですが、良く撮れていると思います。
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≪移民先駆者を詠む≫
01)拓人の墓は祖国の日本(ひのもと)へ東を向きて静かに眠る
移民先駆者の夢は、中途で、敗れて異国の土と化した、一日千秋の思いで願った祖国への錦を飾ることは果たせなかった. せめても卒塔婆を祖国、日本へ、東に向けて立てて物故者を慰める後輩諸氏。
02)老境に入りたる二世しみじみと故郷(ふるさと)無き故郷我らのさだめ
アララクワラ在住の古参二世著名な健筆家『馬場健介』氏が著した<ふるさと無き故郷>を読んだ後の感想である。古参二世の故郷は父母の国か将又生まれたブラジルか、二世の揺れ動く心境を如実に著している。
03)森を出て夜逃げしたりし先駆者の求めし青山何処にあらむ
田舎のコーヒー園で黒人と共に重労働に従事したが、酷使される毎日に我慢出来ずにとうとう夜逃げすることになった。夜陰に紛れてコーヒー園の近くの山に逃げ込み、翌朝其処から鉄道路線をめがけて一気に山を下り、駅に着く。求めた青山は遙かに霞み消え去らんとしている。
04)宵来れば涙ぐむなり丸々とコーヒー園に祖国の月が
一日の重労働が終わり、汗と埃で汚れた手足を小川の淵で洗う。夜空には真ん丸の満月、日本で仰いだ月と変わりなく、又父母もこの月を眺めていることであろう。襲い来る望郷に涙ぐむ、一日の疲れを抱えてこれから夕飯の支度に取りかかる。
05)医者の無き移民船の中疫病に死せる数多(あまた)は海に葬りき
移民先輩によると、神戸発の移民船は看護師のみが乗船、船中疫病に数多くの移民者が死亡した、遺体は儀式を経て海に放棄された、既に此処から移民の悲哀が始まった。
06)老移民焦がるる両手節くれて不運嘆きつつコーヒーすする
サンパウロ州アラサツーバ市から40kmの地点の古い日系の移住地を訪ねた。一軒のあばら屋で古老に合った、かつての成功者で今は落ちぶれて独り暮らし、自分の運の悪さを嘆いてはコーヒーを一口すすり、ぼそぼそと話すその手は黒く節くれて土に生きた過去を物語るものであった。
07)開拓に膨れたる手を洗ふ川水面の月に涙零るる
灼熱の炎天下で終日密林の伐採にくれた、夕闇迫る頃粗末な移民屋に帰る、前の小川で洗う手は重労働で膨れ、小川の冷気が気持ち良い、水面に映る月に故郷と後悔偲び後悔の念にかられ思わず涙がこぼれた。
08)先駆者の遺しし伝統餅搗きの杵取る若者今は四世
一世紀以上の歳月が流れたブラジルの日本移民、世代はすでに四世から五世の時代へ入りつつある。正月の伝統的な餅搗きの習慣は笠戸丸の先駆者が齎し、以降、後続者により継承されて来た。そして今は四世が当然のことのように年末の餅搗きに興じている、しみじみと歴史の流れと民族の矜持等を考える。
09)老移民の開く旅券に挟まれる天子の御影今に色褪す
日本の国政選挙がブラジルでも実施された折の情景。年配の移民者が投票に来た身分証明書として渡伯時の色褪せた古びた旅券を持参した、其処には、セピア色の昭和天皇の御真影が挟まれていた。一瞬この老移民には渡伯以降時間が止まっているのであろうか、、、と言う錯覚に襲われた。
10)三線を抱え爪弾く四世の声は曾祖父の望郷唄ふ
沖縄県人会の宴会に出向いた、宴会酣のとなり三線と太鼓による民謡、民舞が始まった。その中の一人に三線を懸命に爪弾き声張り上げて合唱する子供が見られた、聞くと既に四世の由。曾祖父の郷愁を懸命に歌うがごとく、此処にも民族の伝統と誇りが見られた。
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