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≪ブラジルの醤油≫ 久し振りの麻生さん登場です。
以前は、私たちの40年!!のホームページ向けに元ブラジル三菱商事食料部長として活躍されておられた頃の経験と知識を基にブラジルのリンゴ栽培、畜牛事情、即席ラーメン、エタノール生産、酪農、ビール、コーヒー、養豚、養鶏、鶏卵、養蜂、紅茶、天然ゴム、胡椒、タバコ、養殖エビ、ココア、ジュート麻、等々に付き統計資料と共に分かり易い説明を送って頂き掲載していましたが、その後45回まで続いた『ブラジル不思議発見』の記事が下記に掲載されていますので是非お時間のある時に覗いて見て下さい。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biogcat.php?cod=3
麻生さんは、現在、展望台と云うメーリングリストでブラジルの出来事を毎日配信されていますが、その10月30日から4回に分けて醤油について蘊蓄を傾けておられ始めて書いた話題との事ですのでこの40年‼寄稿集にも残して置くことにしました。
写真は、ブラジル醤油の90%を占める大手の中矢アリメントス社のブランド≪サクラ≫をスーパーの店頭に並んでいるのを撮って来ました。


ーブラジルの醤油=醤油は中国で最初に作られ、鎌倉時代に日本の留学僧が持ち帰った 発酵食品である。日本で独自の発展を遂げ、今や、醤油は国際的調味料の横綱とも云えよう。
醤油に類似した調味料は中国の生油(醤油の原点)、韓国のカンシャ(100%大豆)、インドネシアのケチャップ、タイのシーユー、フィリッピンのトヨー、又ベトナムには魚を発酵させた魚醤と呼ぶ調味料もある。醤油は、原料大豆に炒った小麦に塩と麹菌を混ぜ合わせ高温と湿度で発酵させ、3ヶ月位い寝かせ、絞った黒いエキスを云う。この醤油は日本で毎年100万キロリッター生産され、海外では25万キロリッター合計125万キロリッター(kl)生産される。海外生産は、アメリカ75%、欧州(オランダ)12%、アジア(シンガポール、タイ、台湾)7%、ブラジル6%の比率である。海外に醤油が広まったのは、戦後であり、それまでは日本の影響圏の台湾、朝鮮、南洋諸島、満州位でアメリカには、進駐軍が日本で味を覚え、本国に輸入が始まり定着した。1974年の醤油の海外生産は僅か8千klであったが、2010年には19万klで24倍に増えている。最大手のメーカーキッコーマンは海外に12工場を稼動させている。
2番手のヤマサがアメリカ、タイで生産しており、味の素はペルーでアミノ酸醤油を発酵した醤油を寝かせず、塩酸をかけ、エキスを抽出した醤油で天然醤油ではない。ブラジルも1970年頃まではこのアミノ酸醤油だったが、今は、全て天然醤油になっている)を生産している。
アメリカで急速に醤油の消費が広がったのは、彼等が日常食べる、ステーキに醤油で味付けをする、テリヤキの食べ方がふっきゅうしたからである。勿論、日本食のふっきゅうや蒲鉾をFish Stickと呼んでバーベキューの定番にして醤油を掛けて食べる食べ方の普及も大きいがなんといっても、バーベキューに塩味からしょうゆ味を取り入れたことも大きい。ブラジルではシュラスコの味付けは岩塩と決まっているが、醤油を導入すべく、キッコーマン当たりがシュラスカリアに宣伝し、啓蒙したが、醤油のバーベキューはブラジルではまだなさそうだ。ブラジル人は案外、保守的で古い習慣を貫く習性がある。(次回に続く)
ブラジルの醤油、(その2)=醤油は800年前の鎌倉時代に伝わったが、紀州湯浅出身の留学僧が杭州の径山寺で金山寺味噌の製法を学んで帰国し紀州湯浅で製造した。中国では、醤油より先に味噌が発見され、一般化されていた。味噌を瓶に保存すると、黒い水分が底に溜まり、旨みが感じられ、調味料として使い出した。この味噌の副産物、たまり醤油が今日の醤油の原点である。江戸時代ぐらい前までは日本でも、醤油は溜まり醤油を意味していた。しかし今は原料から直接(味噌の工程を通さず、たまり醤油が作られ、その生産量も醤油全体の2%に届かない。独特の濃厚の味は、加工食品の調味料として重宝されており、韓国では醤油をカンジャと云うが、それは溜まり醤油を意味する。それと、醤油には濃い口と薄口があり、よく、関東は濃い口、関西は薄口等言われる。この濃い、薄いは味の表現と理解している人が多いが、薄口は製造工程で色を薄くした醤油で、自然その物の色は濃い口で、醤油の80%が日本では濃い口である。関西は料理にこだわりが強く、白身の魚を煮た時、白身が黒に染まらないように、色抜きして、薄口醤油を使用する。関東では、こだわりが強くないので。濃い口を白身魚の煮物にも使用するのが一派的である。どちらが、塩味が強いかは、薄口の方が、強い。
薄口の塩分濃度は18%で、濃い口は16%である。薄口、濃い口の区別は、あくまで色合いの問題であり、味の問題ではない。(次回に続く)
ブラジルの醤油(その3)=日本には醤油メーカーが1400社ある。20年前は
確か1500社あった筈だは、100社余り、減ったのだ。たかが、醤油で1400社 も作り手がいると云う事は、味のヴァラエテイーが多く、好みが多様である事である。
甘いの、辛いの、コクがあるの、色が良いの等によって、好みも異なり、消費者の
好みによって、購買する。もっとも、日本の年間生産量約100万klの半分は
大手5社(キッコーマン。ヤマサ、ヒガシマル、ヒゲタ、ショウダ)によって占められている。
キッコーマンは日本全体の30%のシェアーを持っている。2位ヤマサの10%、残り 3社で10万klを分け合っており、土間に樽を置いた家内工業が殆どであるが、めいめいがブランドと固定客を持ち、営業している。大豆油などは、品質、味とも、どこのメーカーから買おうと、殆ど、一緒であり、吉原製油の大豆油と日清の油と変わらない。従い、日本に大豆油のメーカーが5社あるが、それで、充分である。しかし、薀蓄の多いい、 醤油やコーヒー屋では、そうは行かない。コーヒーの焙煎業者も日本に1千社ぐらいあろう。ブラジルには醤油メーカーが5社ある。(サクラ、トウザン、マルイチ、ヒノモト、マリリア在の小メーカー)。ブラジルに於ける醤油の年間生産量は1万5千キロリッター であるが、その90%(13500kl)はサクラ(メーカー味の醤油社はサクラが買収済み)が占めており、10%(1500kl)を東山(キリンがオーナー)、丸一、日の素で分け合っている。
日本とブラジルの醤油の品質の決定的違いは原料にあり、小麦(日本)かトウモロコシ
(ブラジル)のどちらを使っているか、である。日本は、大豆+小麦+塩であるが、ブラジルは大豆+トウモロコシ+塩である。(水や麹はこの場合考慮せず)小麦とトウモロコシの原料の差が味を変える。しかも、小麦は炒って加えるので、香りと焦げの香ばしさが、醸し出される。
又、色も黒っぽくなる。日本とブラジルの味の差は、煮物に現れる。日本の醤油を使かった煮物では、先ず、香ばしい独特の匂いが漂う。ブラジルの醤油では無い、香りである。
次に、醤油の色が黒くなるのは、小麦の焙煎(焦げ)も大いに関係しており、トウモロコシを使った、ブラジルの醤油の本来の色は、白っぽい。しかるに、製品の醤油はブラジルの方が黒っぽい。ブラジルは、色を黒くする為に、カラメルと云う色素を加えて、黒く加工しているからである。日本の醤油はメーカーにより、違いがあるが、ブラジルでもある。サクラと日の素とは類似しているが、トウザンは原料に小麦の皮のフスマを加えて、味が、若干マイルドである。
丸一は刺身用を意識した、濃厚で、甘みの多い醤油である。サクラは味が若干、淡白で大豆醤油らしからぬ、味であるが、これが、トウモロコシ醤油の特徴と云えよう。日本人が、醤油をブラジルに導入してから、1世紀、ブラジルに住む、醤油愛好者は、トウモロコシ醤油こそ、醤油だと、味を覚えこんでしまっており、日本の日本人が、いくら、けなそうと、本来の味を力説しようと、ブラジル人にとっては、無縁である。(次回に続く)
ブラジルの醤油(その4)=日本人移民が異国に来て、一番先にノスタルジーを
感じるのは、やはり、日本食である。その代表が醤油味で、これがないと、食事を
した気にならない移民も多かった。イの一番に、日本人集団地で作ったのが醤油
である。数年前。ウルガイに旅行した折、モンテビデオの日本食堂で、見慣れない
醤油があった。卓上壜にパンパ紫とブランド名が紙に書かれ張ってあった。聞いたら、ウルガイで日本人が作っている醤油だという。 ウルガイに日本人が集団で移民した事はなく、殆ど、隣国アルゼンチン、パラガイ、ブラジルからの転出組で、その数も精々在住者は7−8百名程度ではなかろうか。殆どが花卉栽培に従事しているらしい。
その程度の数の日本人社会でも、醤油を作って、流通させている事実を知った次第
だが、醤油は日本人の必需品だとわかる。
ブラジルのトップメーカーのサクラ ナカヤ アリメントス(株)は愛媛県出身の中矢末吉が1940年にサンパウロ州奥地のPresidente Prudente市で創業した企業で、現在は2世の中矢レナットが社長である。1970年位までは、ブラジルでの醤油メーカーは 約30社あったが、後継者不足や企業化に遅れをとって廃業し、現在は5社程である。
サクラは家内工業から、工業的生産にいち早く乗り出し、1980年にサンパウロ州より100km南西のBoituba市に本格的工場を建設し、1989年にはゴヤス州に工場を新設し、ブラジルの国産醤油のシェアー90%と云う、驚異的市場占有率を誇っている。
日本人が入植した当時の1900年初頭は、ブラジルの小麦はリオグランデドスール州 で細々と栽培され、日本人入植地とは数千キロも離れ、醤油の原料として入手は不可能だった。フェジョン豆、米、等を使用して試行錯誤の上、トウモロコシにたどり着いた。
ブラジルの醤油全部が、原料は大豆とトウモロコシであり、トウモロコシの独特の甘み が特徴である。ブラジル在住の醤油愛好者はこのトウモロコシ醤油にすっかり慣れてしまい、日本の大豆+小麦の醤油に逆に違和感を感じる者もいる。日本に出稼ぎで20万人位の 日系ブラジル人が在住しているが、醤油の本場、日本で、日本の醤油の味が馴染めず、ブラジルの輸入品のサクラ醤油を買っている者もいる。年間リッター壜で3千本ぐらい出稼ぎ組に輸出されている。トウモロコシ醤油の利点は、グルテンがない、グルテンフリーであることで、グルテンアレルギーの多いい欧州系人がブラジル醤油を指名してくる。
1980年世界一の醤油メーカーキッコーマンがブラジルに上陸してきた。ブランド力、販売力いずれをとっても、ブラジルメーカーには勝ち目はなく、早晩、世界各国の例の ように、キッコーマンに制圧されるだろうとと、誰もが予想していた。1980年から約10年間、キッコーマンはCampinasの東山農場のいっかくのトウザンアリメントス社の醤油工場で委託生産で、日本式醤油を製造し、販売してきた。キッコーマンの必死の戦略と努力に関わらず、キッコーマン醤油の販売が伸びず、市場の2%のシェアーの獲得も難しかった。天下のキッコーマンが現地(特にサクラ)に負けて、尻尾を巻いて、閉鎖し帰国と相成った。今は再度ブラジルに事務所を構え、輸入を中心に新規介入の機会を狙っているところだ。世界広しと云えど、キッコーマンが現地の企業に負けたのはブラジルだけで、他国ではその例を見ない。いかに、ブラジル醤油の味に消費者が慣れ、ブラジル人が意外と保守的であると言う見本である。敗れたキッコーマンは、敗因を、悪貨は良貨を駆逐する、などと遠吠えをしたが、醤油に関する限り、ブラジル勢の見事な勝ちっぷりである。
アメリカでは醤油の卓上壜が50%の家庭であると云う。ブラジルもそこまで浸透する可能性はある。昨今のヤキソバのふっきゅうは目覚しく、アマゾンの田舎でも、ポルトガル語化したYakisobaが食べられる。ブラジル人が容易に醤油味を覚えてきており、それが、昨今の手巻きすしブームにも繋がっている。近い将来、年間生産量が倍加し3万klも夢ではない。
以上



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