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≪エベレスト街道トレッキング≫ 杉井さんからのお便りです。
『日本百名山登頂を達成したら世界一のエベレストが見たくなって急遽11/3 - 14エベレスト街道トレッキングに家内と行って来ました』と云う杉井さんのお便りを頂きました。日本百名山登頂の過程を何時も送って頂きFLWしてきましたが、今回のエべレスト街道トレッキングを40年寄稿集にも収録して置きたいと思い纏めて見ました。奥さんも同伴のエベレスト街道トレッキングは、日本百名山と違う意味で登山家としても忘れ難いものになったようです。私の3女小百合は、エベレスト界隈を1ヵ月間歩き回ったとの事で杉井さんと同じ街道をトレッキングしたのではないかと思います。
写真は、エベレストを背景にした多分奥様が撮った写真を使わせて貰うことにしました。


和田さん、皆さん
日本百名山登頂を達成したら世界一のエベレストが見たくなって急遽11/3 - 14エベレスト街道トレッキングに家内と行って来ました。
日本発のツアーだと自由が利かないし、高齢者が他の皆さんの足手まといになってもと思い、現地のトレッキング会社にポーターガイド付きの個人旅行を依頼しました。カトマンズから往復5日の行程です。
カトマンズ(標高1,500m)から小さな飛行機で25分、ルクラという町(標高2,850m)に着き、そこからナムチェバザールというシェルパの村(標高3,450m)まで約20kmの街道を途中ロッジに1泊して歩きます。
街道は村々の生活道路ですが、非舗装で岩がゴロゴロした所や石段があったりで車やバイクは通れません。輸送手段はゾッキョ(ヤクの雌と牡牛を交配したもの)とロバとシェルパ族のボッカです。欧米人(ドイツ人とロシア人、北欧系が多い)や韓国人、中国人のトレッカーが行き交う中、ゾッキョやロバとのすれ違いで6ケ所ある吊り橋では結講待ち時間もありました。道はゾッキョやロバの糞だらけですが、当初気になって避けていたもののその内気にならなくなりました。
ロッジのベッドには布団や毛布は備わっていますが、暖房は無くて寒いので持参した寝袋を中に入れて寝ました。日本の山小屋と違ってホットシャワーが有料で使え、WIFIも有料で使えました。朝晩は冷えますが日中歩行中は日差しが強く汗ばむ程でした。ロッジの食事は大抵朝はトーストかチャパティ(インドパン)夜はダルバート(豆スープとカレーと野菜炒めを白飯に掛けて食べる)で、昼食も途中のロッジかレストランでダルバートかチョウメン(焼きそば)が主体の素食でした。一度ヤク肉のステーキに挑戦しましたが、鯨肉の様に固くて美味しくはありませんでした。シナモンを少し入れたミルクティーは美味しくて朝昼晩良く飲みました。
全行程天候に恵まれ、特にナムチェ村からシャンボチェの丘(3,880m)に登ると日本人経営のエベレストビューホテルのテラスからヒマラヤ山群の4巨峰、ヌプツェ(7,864m)、エベレスト(8,848m)、ローツェ(8,518m)、アマダブラム(6,812m)が雲一つ無い青空にくっきりとそびえ立つ勇姿を一望出来、今回の目的を果たして大満足でした。
日本人トレッカーにもロッジや道中で会いましたが、ネパール好きのリピーターが多く、ナムチェから更に奥のエベレストベースキャンプ(5,364m)、カラパタール(5,545m)、ゴーキョピーク(5,360m)まで行って来た人が多かったのには驚きました。そこまで行けばエベレストがもっと間近に見れますが、高山病を考えると自信がありませんでした。
もう10歳程若ければ挑戦したでしょうが。
ナムチェ村への帰途立ち寄ったクムジュン村の寺院ではイェティ(雪男)の頭皮を見ましたが、本物かどうか怪しいものです。
国内フライトの遅延や天候を考慮して十分な予備日を設けていたのでカトマンズへ戻ってから世界遺産の寺院巡りをしましたが、2年前の大地震で建物の多くは崩壊して修復中でした。ヒンズー教とチベット仏教は寺院が分れているものの混合している所が多く、ユダヤ教からキリスト教が生まれた様にヒンズー教から仏教が生まれたのだと感じました。しかし信仰心が厚いのかどの寺院も信徒で混んでいました。
パシュパティナート寺院では川沿いで火葬して遺灰を川に流す光景も見ましたが、これはインドも同様です。
ネパールは人口30百万人の内首都カトマンズに3百万人住んでいますが、丁度30年前の中国の様に道路はオートバイ天国で信号や交通警官は機能しておらず、埃っぽくて皆マスクをして歩いています。インドや中国からの輸入品が多く、人件費は安いものの基幹産業が無いので30年後に今の中国の様になるのは難しいと思われます。日本への出稼ぎが多い為か親日的で、街中でも日本語を話す人が結講居て何でも親切に教えてくれます。財布を落としても出て来るというほど治安は良いそうです。そういうネパールが気に入って被災地の復興活動や学校建設などの支援活動をしている日本人も結講多い様です。

しゅくこさん
村人達はゾッキョやヤクの糞を乾燥させて燃料として利用しています。餌は放牧のため草を食べています。
雄のゾッキョはシェルパ族には貴重な輸送手段ですね。
動物たちの写真をもう少し紹介しましょう。

麻生さん
ヤクは毛が長くてヤクウールとして毛糸にして帽子、セーター、ブランケットなどに使用されますが、4,000m近い高地でしか生息出来ないのでもっと低地でも力作業に使えるゾッキョが開発されました。しかしヤクの雄と雌牛の交配ではあまり性能が良くないそうです。荷物の運搬作業に使われてるゾッキョは雄で、雌は乳牛としてバターやチーズ製造に使われたり牡牛
との交配に使われます。なお雄のゾッキョは生殖能力が無くて一代限りなので重労働だけさせられて哀れなものです。
ゾッキョやロバの隊列はシェルパが後ろから声を掛けて追い立てますが、行き違う時は谷側に寄ると近寄られて滑落する恐れがあるので必ず山側に寄って避けます。それでも一頭が近寄って来たので後ろすざりをしたらひっくり返ってしまいました。



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