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丸木英朗作 痔切る博士の発明 誕生日の2018年元旦に掲載
12月某日に転載の『痔切る博士の発明』と珍しく姪の結婚式の日に撮ったという正装の写真を送って頂いていたので丸木さんの最新作を全文40年‼ホームページに残して置くことにしました。これは、長編の走りだけを纏めたものかと思って居たら、何と短編として一度に掲載可能作となっており何時もながら丸木さんのカンピュータに驚嘆します。数えていませんが何人の方が登場しそれぞれの正確な名前、職歴等が明確に記述されており驚きの一言に尽きます。ポルトアレグレ総領事、サンパウロ総領事をされていた近藤ウルグアイ、キューバ―大使迄出て来て懐かしく思いました。丸木さんの誕生日を飾る短編をお楽しみください。


1 痔切る博士の発明 世の中には優れたアイデアを持っていても公表しない人が居ます。
X線を発見したのはドイツのレントゲン博士と言われてます。
それ以前、既に日本の島津源蔵が同じ放射線を発見してましたが公表してなかったのです。現在のGSユアサ電池はゲンゾー・シマヅの頭文字がつけられてるとおり、蓄電池の発明者でもあります。
 この物語も、これに似たような話を明らかにしておきたくなり、隠れたる発明者の名をつまびらかにする動機で書きました。ラパロスコピック・サージェリー即ち腹腔鏡手術はフランスのリヨンに住むムレ博士が発明者と公表されてます。本当はムレ博士が初めて胆嚢摘出される以前にも、アメリカのナッシュビルに住むレデック博士が腹腔鏡手術によりゴルブラッダー摘出されていたのです。
 先月、帝国大学病院外科の日出名誉教授が他界されたのを機に、筆をとりました。と申しますのは、今から20年前に東京で開催された世界外科学会の座長をされたのが当時の日出教授でした。メイン会場の京王ホテルに滞在され陣頭指揮されていたのを昨日の事の様に思い出します。シリコンバレーでレーザースコープに勤めてた僕も、同じホテルに宿泊し毎朝のように同じテーブルで和朝食を食べながら話し合いました。釣りが趣味の先生はレデック先生に招かれたミシシッピー河での釣りの話を嬉しそうに話されてました。
 そんなことで、この学会の目玉として帝国大学病院での手術にレデック先生を招聘し、手術現場をカリフォルニア大学アーバイン校病院の講堂に衛星中継し京王ホテルの学会場と3箇所を結び討議することになってたのに、学会直前になって、アメリカ外科学会からの通達で、このプロジェクトを取りやめるよう指示があったのです。

2 レデック先生は既に医師を辞め手術から遠ざかっており、帝国大学病院で手術することは危険でありアメリカ外科学会の規約に反するというのです。その経緯は後段に譲り話を進めます。
 現在は世界最大の医用機器(専業)メーカーになってるミネアポリスのメディトロニックで40年以上前に共に働いたタウスが社長をしてるレーザースコープにスカウトされ転職した僕は、シリコンバレーの生活費の高さに驚き、倍の給料に釣られた自分を反省したが後の祭り。専業以外では、アメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)、ドイツのシーメンス、オランダのフィリップスの他にも日本の東芝、日立、島津製作所等に大規模の医用機器部門があります。僕達が勤務してた頃のメディトロニックは従業員百人未満の零細企業でした。僕もタウスもGE出身で彼はメディトロニックを首になった後もGEに再就職してます。当時、チーフ・エンジニアーの彼は国際部門の中南米担当者マニー・ビラファーニャと結託し心臓ペースメーカーのノウハウを盗用しCPIを設立。マニーは現在、アメリカでも数少ないロールスロイスに乗る大富豪。生まれ育ったニューヨークの貧民街に、彼の名前をつけた小学校を寄付されてます。子供の頃には貧乏で乞食だった彼は、小学校にすら行けなかったのです。
 一方、僕と同期入社のアル・ボイテルもノウハウを盗みテキサス州ヒューストン近郊にインターメディックを設立し大成功されましたが、セスナ操縦中に墜落死、若死にされました。父親が経営を引き継がれましたが、CEOとして雇ったラッセルの過剰接待費を歳入庁から追徴され左前になり、スイスの造船会社に買収されたと聞き及びます。

3 僕がメディトロニックのブラジル代理店メディトロニカの総支配人の頃、担当者のマニーが来訪してました。ミネソタのメディトロニックに僕が入社する際、サンパウロのメディトロニカに身元照会されたら、ニールセン社長からネガティブな回答があったそうです。
マニーによればナチとソ連の二重スパイをしていたニールセンほど不快な人物は居ないそうで、そんな男から悪い情報を受けたから僕は採用になったとか。不思議な世の中、何が幸するのか判らんものです。ニールセンから僕を推薦する回答が来ておれば不採用だったかも。
 戦後、デンマーク人のニールセンはブラジルの南大河州に逃亡し、コカコーラのルートセールスをしてる際に、ミナス州の富豪フルタード氏の知遇を得、息女と結婚しニールセン・フルタード商会を共同経営。アメリカの名門ピッカーX線の販売権を取り離婚しサンパウロに出てきたばかりの頃、ピッカーがメディトロニック社製ペースメーカーの輸出元になってました。マニーはピッカーからメディトロニックに転職したばかりでもありました。その後、ピッカーはRCAの傘下に入ったり、英国GE(米国GEとは無関係)の医療機器部門になったり、フィリップスに買収され業界の名門企業は消えてなくなりました。
 メディトロニック創立者のアール・バッケンは、看護婦の夫人に大学院の学資を出してもらい、心電計の修理サービスのアルバイトをしてたとか。資本主義体制のアメリカの実業家には珍しい男で、金儲けには興味が無く研究開発一本槍の科学者。会社が小さい頃からロビー受付の横に瞑想室があったので、僕は昼飯でビールを飲んだ後、いつもそこで昼寝して仕事をさぼってました。

4 バッケン社長は社員の健康を第一に重んじる人で、海外出張は役員も社員も工員も全員がファーストクラスでした。現在ハーバード大学経営大学院(ビジネススクール)教授で当時はスペリーランド(ユニバック)社長だったウイリアム・ジョージにメディトロニックの経営を託し引退したアールはハワイに城を建てて悠々自適。部下が企業機密を利用して同業者として成功するのを訴えるどころか、むしろ部下の成功を祝福する人格者です。
 20年前にミネソタで同じ釜の飯を食ったハーブ・タウスと再び同じ屋根の下で勤務することになった僕は、寒いコネチカット州の冬におさらばし常春のサンノゼ空港に到着したら、まるでファッション・モデルのような長身の社長秘書のリンダ・バックマンが迎えに来てました。オーチャード・ドライブまで20分のドライブ、モダンな富士通アメリカの向かいがレーザースコープ。社長室に案内されましたが、お互い若い頃の面影が無く、首をかしげてたのですが思わずスマイル、肩を叩き合い再会を喜びました。彼は入社面接はそっちのけで、冷蔵庫からシュパーテンを取り出し先ずは乾杯。
このドイツのミュンヘン産ビールの旨かったこと、未だに想い出します。早速、タウスは社長室に各部門管掌の全副社長を呼びつけ、僕が国際業務の責任者になる人事を発表されました。
 画期的な外科用レーザーを発売した会社は創立後2年経って7ドルだった株価が300ドルを超え、役員や従業員に億万長者が続出したのです。僕の秘書のオーストラリア人ルイーズ・イアナもフィジー諸島の島を買いリゾート経営を始めました。彼女の電話の受け応えがルイジアナと聞こえるので人気者でした。

5 この会社の創立者は全米最大のベンチャーキャピタルのパートナーでもあるENT(耳鼻咽喉科)専門医ロドニー・パーキンス博士です。日本の会社には珍しく社名に日本語を使用しない会社HOYAの創立者直系の山中副社長が来社された時にも、シリコンバレーで最もナウいメンロパークのレストランでパーキンス会長、タウス社長と僕が接待した時にも、ドイツビールのシュパーテンで乾杯しました。
HOYAは山中さんの姉婿の鈴木哲夫さんが業績を上げれれたので、山中さんの甥の鈴木ジュニアーの代になってると伝え聞きます。
 HOYAをレーザースコープの日本総代理店に斡旋されたのは、フランク中本さん。この方はAHS(アメリカン・ホスピタル・サプライ)ジャパンの社長を引退後はコンサルタントとしてアメリカの新設医療機器メーカーの羅針盤的存在でした。彼は元々、住友化学に居られた方で二世のような日本語を話されます。面接当日に彼と同宿になったサンノゼのホテルで、営業担当副社長のボブ・ジャグニッチも含め会食し歓談しました。
 ボブもAHS出身のエリートで、以前は画期的な超音波診断装置メーカーであるアキュソン社の営業副社長でした。ところが、海軍技術学校出身のボブ・マコーミックが上級副社長として入社し彼を首にしたので、レーザースコープに拾われたのでした。あろうことか、タウス社長が首になった後任に、そのマコーミックがスカウトされ就任するや、又もやジャグニッチを解雇しました。
マコーミックと僕が成田行きのファーストクラスでウオッカとキャビアをエンジョイしながら彼が話したのは、アメリカでは一流大学を出たり大企業に勤めてた奴にはろくなもんがおらんとの事でした。

6 ところが、ソフトスポークンのボブは屋内でもサングラスを使う麻薬中毒者でした。麻薬が切れると何の能力も無く、ただの役立たずが、ひとたび投薬すると見違えるような能力を発揮するのです。シリコンバレーでの成功者は例外なくドラッグをやっております。これを見抜いたのは北里大学病院からレーザー購入選定に来社された産婦人科医でした。先生曰く「あの社長はホモでは?」と言われるほど弱々しい話し方の男でした。どっこい、薬の効果はてきめん。黒眼鏡をかけてのセールスマン会議でのプレゼンテーションでは、全米から参集したセールスマン連中にやる気を起させる天才的なスピーチをされるのです。その後に登場した全米四箇所の支店長連中も新しいボスを見習い室内にもかかわらずサングラスをかけ熱弁を振るうようになりました。
 僕の直属の部下であるアイルランド系の赤毛の女性マネージャーのスー・スレーダー(ベトナム従軍看護婦)と日本の代理店との間がギクシャクして業績が伸びないのが僕を採用した一因と判ったのは、僕が入社して間もなく彼女が近くのカルディオ・リズム社へ転職してからでした。
 日本出張中に酔っぱらって露天風呂で大立ち回りをやり、レーザースコープを首になって同社の社長になったばかりのハリー・ロビンソンに彼女は招かれ転職したのです。露天風呂に一緒に入った北里大学病院の先生によれば、まるでトルコ風呂かローマ時代の戦士のようだったそうです。その会社もメディトロニックに買収されハリーもスーザンも解雇されたそうです。まさに、生き馬の目を抜くのがシリコンバレーの日常です。

7 アメリカの会社では秘書がボスの日程を組みます。世界各国から来社する外科医や産婦人科医をレーザーのユーザーである全米の主要病院に案内するかたわら、アメリカの有力医師に同行し世界各国の病院へレーザーの売り込みに行くのが僕の主要業務でした。
先ずは、韓国から来られた延世大学病院の池先生をピッツバーグ郊外にあるマイク・ケーシー先生の腹鏡鏡手術研修所へ案内しました。
アンドリュー・カーネギーのUSスチール発祥の地、アメリカ資本主義の象徴とも言うべきピッツバーグには往年の繁栄は見られませんが、重厚な街並みは残されてました。
 フランス留学から帰ったばかりの先生の令嬢が研修の手伝いをされてたので、僕も楽しくレーザー指導が出来ました。同宿の池先生から食事中に由緒ある高麗焼の花瓶を頂戴しました。日本とは逆で業者が得意先に贈り物を貰うのは、お世話のし甲斐があります。
ルイジアナ州のチューレン大学出身のウイリアム・セイ先生の腹腔鏡手術研修所はジョージア州アトランタにあります。ここは、腹腔鏡手術のメッカとも言うべき立派な施設で、この手術法を発明されたエディー・ジョー・レデック先生がテネシー州ナッシュビルから来て直接教えておられます。別名ホッグクラブと称されるのは全員がホッグ(豚)のデザインされたTシャツを着るからです。
 KTPレーザーによる手術には豚をモルモット代わりに使用します。受講者の初心者が豚を殺してしまうこともありますが、実習が成功し胆嚢や胆石を摘出された豚は健康を取り戻し喜びの叫び声で歩き回るので、その図案がTシャツのデザインなのです。

8 同宿のレデック先生から聞いた話では、自分を医師にするのが親の夢だったので、ミュージッシャンになりたかったけれど痔専門医になられたそうです。ところが、痔切る毎日は地味な仕事で飽きが来たので、開腹せずに手術するアイデアを実用化されたのです。レーザーを使うこの手法は可也の教育訓練を要し、未熟なままやると危険極まりない治療法です。全米各地に開設された研修所にはアメリカ国内のみならず世界各地から、画期的な手法を学ぼうと有能な若手ドクターが集まるようになりました。
 この研修に使用する医療機材メーカーがスポンサーとなり、僕達セールスマンが見込み客を研修所へと案内するようになったのです。
メスで手術してきた外科医は、どうしても患部の近くでレーザーを照射しようとするので、メーカーからは選り抜きのインストラクターを派遣して、牛肉や豚肉に照射して実演しました。博士号を持つ元看護婦長のキャシー・ジョストがヘッドで全米四箇所に地域責任者(いずれも看護学修士)を置き、その傘下には優秀なインストラクターを全米に配しております。
 インストラクターは殆んどが病院勤務経験のある優秀な看護婦です。本社マーケティング部門には、各種手術別のマニュアルやビデオが完備され日毎にアップデートされており、あらゆる照会に応じる用意があります。
 ビデオは有力な医師による手術を撮影編集したもので、産婦人科医ジム・ダニエル、外科医ダグ・オールセン等々いずれも名門ヴァンダービルト大学傘下の病院勤務で神業の持ち主ばかり。マーケティング部門にあるテレマーケティングではレーザー関連の付属品を電話とインターネットで売込んでおり、各社の製造するそれらの製品はすべてレデック・ブランドですから、レデック先生には莫大なロヤルティーが毎日湯水の如く入るのです。

9 シンガポールで開催された国際産婦人科学会にジムと同行した際に、国際産婦人科学会会長のフィリョ先生に会いました。先生はブラジルのカンピーナスにあるサンパウロ大学学長で高名な医学者ですが、気さくな方で遠く国を離れてお互い共通の言葉(ポルトガル語)で話せたことでくつろがれました。この学会には、中国からも多数の参加者があって、当社製品の販売権を獲得しようと広東省医薬公社の幹部が接待攻勢をかけてきました。参事の肩書きの女性幹部が僕の手をさすりながら、顔はともかく良く入れされた若々しい魔女の手に、僕は蛇に睨まれたかえるのような気分にさせられました。耳元に囁くのは、今で言うバイアグラに相当する性欲強壮剤(漢方薬)を僕のポケットに入れてるとの甘い誘いの言葉でした。
 サマーセット・モームが名作「月と6ペンス」を執筆した由緒あるホテルの庭園で飲んだシンガポール・シリングには睡眠薬が入ってたのか、僕は不覚にも眠り込んでしまったのでした。
昏迷してたのか目が覚め気がついたのは、中国の昆明でした。どえらいところに誘拐されたと気づきましたが、これまでも死と裏返しの土壇場を度々経験してきたので腹は据わってました。
 以前にも、イースタン航空がハイジャックされた際に、キューバで日本大使館に保護され、久し振りで近藤大使に再会したことがありました。僕がブラジルのサンパウロに住んでた頃、プラザ・ブエノスアイレス公園を挟んだ向かい側に総領事公邸があり近藤さんが当時の総領事でした。

10 それはさておき、その近くにある桃源郷では文字通り酒池肉林のもてなしを受け抜き差しならぬ状況になってしまいました。連日連夜、選りすぐりの美女達がはべり、得体の知れぬ芳しい薬草酒に酔いしれる毎日、夢と現実の境目も判らなくなってる間に、巧妙に再現された僕の自署で医薬公社が中華人民共和国総代理店と印刷された公文書が捏造され、既にレーザー1台受注済みでした。これは明らかに製品コピー目的の取り込み詐欺ですが、中国の法律ではどうにもならないのです。
一方、対岸の台湾では昔から親交のある僕が最も信頼する三光儀器の董事長をされてる黄添印さんに全権委任しました。ピッツバーグからケーシー先生夫妻が台湾レーザー学会の権威者高先生を訪ねられた際に、黄さんがケーシー夫妻を円山飯店での晩餐に招待されました。
蒋介石夫人の宋美麗の経営する超豪華なホテルでの食事に驚かれた夫妻は、三光儀器から営業マンと技術者の一人ずつ製品実習の為、アメリカへ派遣されて来た際に、鉄道全盛時代の旧ピッツバーグ駅が改装されたレストランへ招かれ「ピッツバーグには台北のグランドホテルのような豪華なレストランがないので」と申されましたが、料理も美味しく、なかなかのもので決してひけを取りませんでした。
台湾のセールスマンはともかく、若い技術者は新婚早々で食事中も口数少なく寂しげでしたので、食後に公衆電話で台湾の自宅につないであげたら、大喜びで、人が変わったように新妻とのおしゃべりは延々と続きました。

11 ケーシー先生の研修所でレーザー手術見学の後、ナッシュビルに飛び、ヴァンダービルと大学の病院で実際の手術を見せてあげました。カントリー・ミュージックの都ナッシュビルはラスベガスと共にショーガールの都でもあり、キャバレーではテーブルダンスが呼び物でした。セールスマンは大喜びで食い入るようにダンスを楽しんでましたが、あまりにも開けっぴろげな女の仕草に技術者のほうは嫌気が指し、「こんなショーは嫌い」とはっきり言われました。同じキャバレーで日大病院の高名な産婦人科医と行った時には、女性器を見慣れてる先生とは思えないぐらい自らチップをはずんでダンサーに様々な体位をとらせてました。そう云えば昔、島津製作所の真壁専務から「高名な先生方ほど地元では名士だから地元では羽目を外せないのでストレスが溜まっており、京都三条ミュージックへ連れて行くとかぶりつきに陣取られる」とか。
サンノゼに戻り、カラオケレストランで台湾人2人は大いにリラックスされ、台湾で流行りのポップスをリクェストし嬉しそうに大声で唄い捲り、順番を待つ日本人が雅痺れを切らし絡んできました。あのおとなしい技術者が少林寺拳法免許皆伝の腕前で、酔っぱらいの日本人を叩きのめしたら、僕がいつもスペシャルランチを食べにいく「讃岐」の板前さんが中に入り、「ここは警察沙汰にせず納めましょう」と申し出て、その後は日台親善仲良く唄いました。
 予科練出身の「讃岐」の親父は♪赤い血潮の♪と唄いだし上機嫌、酔っぱらいも台湾人から中国語の「支那の夜」を教えてもらい、僕も一緒に唄いました。酔っぱらいは日本から単身赴任のビジネスマンで、カラオケが唯一のストレス発散で失礼したと詫びてました。

12 日本からアメリカに派遣されてくる駐在員は人選を誤ったとしか思えないような人物が多いのが現状です。アメリカの風習に馴染もうとせず単身赴任の侘しさをカラオケなんかで紛らわすなんてアホな話ですわ。家族全員で赴任してヨットかプレジャーボートを買いカリブ海で長期休暇をリラックスするとか、アフリカへ猛獣狩りに行くとか、コロラドにスキーロッジを買うとか将来は骨を埋める覚悟で来る人間が望まれます。

最終章:
日本での世界外科学会で手術が出来なくなったレデック博士は、音楽の都ナッシュビルのナイトクラブでバンジョーを弾いてる自分のビデオを学会場に送られ、それが閉会式で上映されました。四千件数以上の腹鏡鏡手術をされ若くして医師を辞めた先生は、朝はセスナを操縦し空を飛び、昼は作曲に専念、夜はナイトクラブで演奏という生活をエンジョイされてます。




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