昭和四十三年十月三十一日発行の週刊現代の記事、(1968年)
秋晴れの一日、羽田に二人の男が降り立った。ブラジルからきた一人の外人と、一人の日本人。搭乗者名簿によると、外人は モライス.ブラーガ、日本人は稲川恵一という名前である。「ミスター稲川、きみのような腕のある日本人が、うまく集まるだろうか」 「関係方面には手を打ってあります。こちらの条件は好条件ですし、きっと大丈夫ですよ」 ホテルに向かう車のなかで、二人はこんな会話をかわした。(以下全文は他のページで紹介)
かくして、運命の扉が叩かれ、我々六十余名がこの若々しい池内淳子に見送られ、遙々この地ブラジルに到着しスタンダード.エレートリカ社に入社してから早や三十余年が過ぎようとしています。いろんな事が有りましたが、今となっては懐かしいことばかり、そこでこのシミのついた週刊誌の表紙を見ながら我々の過去を振り返り、又現在を見、将来を楽しもうではありませんか。
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