『あるぜんちな丸! 有難う!』見果てぬ夢、顛末記
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2018年、日本移民110周年の年始めに見果てぬ夢として『あるぜんちな丸! 有難う!』の戦後移住者全員で移住船でブラジルに渡航して来た移住船あるぜんちな丸を象徴して感謝の気持ちを込めて日本祭りの会場で大集会を実施出来ればと夢見たのですが、見果てぬ夢に終わってしまいそうです。私たちの40年‼の寄稿集の中にだけでもそのような夢を見た者がいたことを記録に残して置きたいと思います。
写真は、私たちの40年‼のシンボルマークにもなっているあるぜんちな丸第12次航のパナマ運河を出たボルボア港ですれ違う時に貨物船に乗っておられた賀多井さんが撮られたあるぜんちな丸の雄姿を使いました。
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事の始まりは、もう15年以上前に遡るあるぜんちな丸第12次航の着伯40周年記念を2002年5月に船内新聞の編集を手伝って呉れていた仲間達と着伯後初めての集まりを持った。それまでは、仕事仕事に没頭し同船者なんて頭にも浮かばなかった。少し一息つき今だから出来る、今やらなかったらもう出来ないとの気持ちに駆られて開催した。その後2007年の45周年、助走期間10年を経て2012年に着伯50周年を実施した。前夜祭を含め都合3日間に渡る盛大なコロニア史に残る50年祭だった。昨年の55周年もと考えていたが、もう誰も付いて来て呉れない。681人の同船者を抱えた最後の大型移民者を運んで来たあるぜんちな丸第12次航だけの集まりでなく戦後移住者の全体の集いを目指すべきだと思うようになった。
今年2018年は、日本移民110周年を皇室の訪問も含め盛大に行うことになっており我々戦後移住者の最後の出番となるであろうこの110周年に是非、『あるぜんちな丸!有難う!』の戦後移住者を中心とした1958年6月2日の処女航海から1971年10月29日の第40次航まで13年間に10817人があるぜんちな丸で南米に移住して来ています。あるぜんちな丸以外で渡航して来られた戦後移住者の糾合しコロニアから生まれコロニアが祝う『あるぜんちな丸!有難う!』の大集会を開催出来ればと思いその司令塔、頭に立つ人を探そうと最初に名著『航跡』移住31年目の乗船名簿の作者、元NHKの相田 洋さんにお願いのメールを出して見ましたが、「お引き受けできない」との返事を受けました。
その後、サンパウロ新聞の鈴木社長が、3月から学移連の存在をコロニア110年に当たる年に50回前後の連載で残して置きたいと云う時宜を得た企画を発表されたのを機に鈴木さんに相談して見ました。サンパウロ新聞も110周年祭関連事業では、手一杯の事業を抱えており面白い企画ではあるが、旗振りは出来ないとのご返事で見果てぬ夢として終わって終いました。
着伯40周年記念として開設した私たちの40年‼あるぜんちな丸同船者寄稿集のホームページは、現在477万回のアクセスを記録しておりこの寄稿集に『あるぜんちな丸!有難う!』見果てぬ夢 顛末記として相田さんとの交信。鈴木社長との交信を残して置くことにしました。
和田 様
あけましておめでとうございます。
ご無沙汰お許しください。
この度は、弊紙の元旦号に掲載しました「もう一つの学生運動」をWEB版から転載していただきありがとうございます。実は一昨日、そのページのPDF版を学移連オールに送ったのですが、学移連オールに登録されている私のメールアドレスではなく別のメールアドレスから送ったからでしょうか、皆さんに届かなかったようです。今、お送りしましたところ、届いているようです。PDF版の方が見やすいと思います。ご使用いただければ幸いです。
記事にも書きましたように、3月から連載を始めるべく、OB有志各位のご協力を得て資料収集や取材を始めております。わずか60年前のことなのですが、すでに他界されたOBの方々もおられ、当時のことがよくわからない部分があります。加えて、学移連の活動を浮き上がらせるには、当時の日本の政治情勢や社会情勢が切り離せないため、様々な資料を集めております。
学移連が40数年間にわたり行った活動は、日本政府が進めた移住政策と軌を一にしていることがよくわかります。歴史を残すということはジクソーパズルを一つ一つ合わせていくのと同様、根気のいる作業です。今私が取り組もうとしている新聞連載は、まさに、この作業なのです。どれ一つが欠けてもパズルは完成しないのです。草創期から解散に至るまで、そして現在に至るまでの活動に関わった人たちの協力がなければできません。どこまで、書き込めるのか、やってみなければわからないのですが、多分連載は50回以上になります。これは、自らも学移連にかかわり、その総括の意味で取り組んでおります。一般の方々にはあまり興味がないのは重々承知の上で行うのですが、学移連の活動、それぞれの時代に活躍されたOB各位の活動を通してその時代の日本の社会や移住政策が浮き彫りにできればそれなりの成果は上げられると思います。ブラジルに限らず移住先国に移住された移住者たちも世代交代で「老兵は消えゆくのみ」です。一世最後のブラジル日本移民110周年にふさわしい連載にしたいと思っております。ご支援、ご協力をお願いする次第です。
サンパウロ新聞社
鈴木 雅夫
サンパウロ新聞社主兼編集長 鈴木雅夫 さん(さん付けで失礼します)
ご丁寧なお便り有難う御座います。何時もHP、BLOG、MLにサンパウロ新聞の記事をお借りして居り感謝しております。今回は、特に我らが学移連を取り上げブラジル移住史の中における学移連が果たした役割をきっちりと検証しコロニア史に残して置こうとの高邁な視点に立ち50回前後の連載を企画しておられるとの事。3月からの連載が待ち遠しいです。
私が681人の同船者の移住先国(ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイ)における定着の過程を戦後移住史の一部として書き残して置きたいとの気持ちで着伯40周年に始めた私たちの40年‼は、既に477万回のアクセスを記録しています。この私たちの40年!!(実際は56年)のホームページの中に貴重な学移連関係の44件の記録が掲載されておりますので是非参考に目を通して頂けると嬉しいです。また日本の駒井さん、富田さん、井川さん等の学移連を日本サイドで支えて呉れた皆さんもMLに参加して下さっており正確な情報を提供して呉れる方々だと思います。今回のサンパウロ新聞の新年号の記事は、学移連関係欄に掲載させて頂きましたのでお伝えして置きます。今後とも宜しくお願いします。又別件でご相談させて頂きたいことがありますので相談に乗って頂けると嬉しいです。
和田様
メールありがとうございます。
私でお役に立つことがございましたら何なりとお申し付けください。昨年は体調の関係で日本暮らしが長かったのですが、もう少ししたらサンパウロへ戻れると思います。
寒い日本にいると、熱いサンパウロがなつかしいです。引き続きよろしくご指導のほどお願いいたします。
サンパウロ新聞 鈴木 拝
鈴木 雅夫 サンパウロ新聞社長 殿
私信で書かせて頂きます。
ご相談、お願い毎は、いずれ公開すると思いますが、最初は、鈴木さんだけに送らせて頂きます。
昨年は、日本で過ごすことが多かったとの事、関西にお有られたのでしょうか?
今年7月の日本祭りの開催時に日本移民110周年記念式典が行われることになっていますが、出来れば移民船あるぜんちな丸!有難う集会を式典開催時に実施できないかとのご相談です。WORDで簡単に叩きましたのでご一読頂きご返信頂けると幸甚です。
110周年実行委員会の副委員長として菊池さんを手伝っておっれる同船者の園田昭憲同船者からは、日本祭りの会場でブースを提供、式典開催の許可程度は大丈夫取れるとの事ですが、旗振りは出来ないとの事で相田先輩を担ぎ出そうと相談して見ましたが断られました。事務局としては、ホームページ、BLOGもありお手伝いは出来ても遠くのポルとアレグレに住む私がヘッドを遣る事は難しく頭(司令塔)不足で計画はポシャテ居ますが、サンパウロ新聞で何とか実施、あるいは良いアイデアを出して頂けないかと無理なお願いです。ご相談に乗って頂けると嬉しいです。
添付書簡をお読みください。
和田好司
移民船あるぜんちな丸!有難う集会 移民史の半分以上就航60周年を迎える記念式典
サンパウロ新聞社 鈴木雅夫様
学移連参加団体早稲田大学海外移住研究会派遣東京都の農業移住者、1962年3月30日横浜港発の移民船あるぜんちな丸第12次航移住者の和田好司です。
着伯40周年の2002年5月に私たちの40年‼あるぜんちな丸同船者寄稿集と云うホームページを開設、同船者681名の移住先国であるブラジル、アルゼンチン、ボリビア、パラグアイに入植された同船者の定着の過程を戦後移住者の歴史の一部として残すことを目的に管理運営し現在477万回のアクセスを記録しています。
これまであるぜんちな丸着伯40周年、45周年、50周年の同船者会を開催してきましたが昨年の55周年記念同船者会は、実現しませんでした。今年は、日本移民110周年の記念すべき年であり、第何次航と云った枠を外し1958年6月2日の処女航海から1971年10月29日の第40次航までの13年間にあるぜんちな丸で渡航した10817人の日本政府の渡航費10万2千円の貸し付けを受けて移住して来た正規国策戦後移民全員による移民船、あるぜんちな丸有難う!集会を7月の110周年記念式典に合わせて開催したいと思うのすが、サンパウロ新聞で取り上げて頂けないでしょうか?これこそ日系コロニアから生まれたコロニアによるコロニアの為の記念式典になるとおもうのですが。。。
第12次航の同船者には、元県連会長の園田昭憲さん、コロニアの陶芸家鈴木章子さん始め681名が乗船していました。40回往復したあるぜんちな丸で渡航した仲間、あるぜんちな丸以外の移民船で渡航した戦後移民の皆さんで日本移民110年、あるぜんちな丸処女航海から60年の節目の年に移民船あるぜんちな丸!有難う集会を実施出来ればと望むのですが、サンパウロより遠く離れたポルトアレグレに住んでおり下記添付の書簡を航跡 移住31年目の乗船名簿 作者 相田 洋 先生にご相談したのですが、見事断られてしまい『見果てぬ夢』になっていたのですが、サンパウロ新聞の鈴木さんが学移連の存在の意義を戦後移住史の一部としてきっちり検証し残して置くとの企画をされているのを知り再度ご相談をして見たくなりました。ご一考頂けると嬉しいです。
和田好司
相田先生宛LTRとそれに対する返信等を下記して置きます。
航跡 移住31年目の乗船名簿 作者 相田 洋 先生に
あるぜんちな丸第12次航の同船者寄稿集と云うホームページの管理運営をしている在ポルトアレグレの和田 好司と申します。今回マナウスのATS旅行社の島 準さんから先生の連絡先を教えて頂き折り入って先生に相談、お願いがあり一筆啓上させて頂きます。
島情報では、私より4年先輩にあたる82才になられる先生が来年の日本移民110周年祭に取材も兼ね又来伯されると聞き及びもし可能であれば先生を軸にした大あるぜんちな丸で移住してきた第1次航1958年6月2日出港の842名、1962年4月2日出港の678名、678名、1966年2月27日出港の91名、1971年10月29日出港の127名等を含めた第1次航から第40次航までの13年間にわたり合計10817名、にっぽん丸を入れると11102名の移住者がお世話になっており全あるぜんちな丸で移住して来た関係者を日本祭りのメイン会場に一堂に集め≪有難うあるぜんちな丸!≫の式典を開催したいと思うのですが、相田先生にその旗振り、司令塔として実行委員長をお願いできませんか??各準備はあるぜんちな丸関係者、県連、文協、援協始め邦字新聞にも協賛頂き日本祭り式典の会場で実施する。ベースになるあるぜんちな丸のブースは、110周年祭実行委員会からお借りすることが可能であり各航海毎の会場を訪れた方に署名頂き式典でその数を発表する事を考えています。
詳細は、相田先生がこの企画に乗って皆なの旗印、司令塔になって頂けるのであれば具体的な計画を皆で相談して行く事になります。先生が既に腹案をお持ちであれば、諦めざるを得ませんが、もし可能であれば同船者会と云った狭い範疇で括るのでなく1万人以上の全あるぜんちな丸家族、日本移住の歴史の半分以上の処女航海から丁度60年目の60周年記念を祝う一大イヴェントを実現させるための旗印、司令塔、実行委員長をお願いしたいのですが、如何でしょうか?
私が管理運営している私たちの40年‼寄稿集は、現在476万回のアクセスを記録毎日1000人以上のアクセスがあります。
https://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php
また毎日更改しているBLOG1とBLOG2にメーリングリスト会員339名も十分役に立つ媒体になると思います。
早稲田の誼(先生が卒業された1年前の1959年に第1政経政治学科に入学しています)ご熟考の上、お引き受け頂けると大変嬉しいです。
若し駄目でも110周年には、サンパウロで是非お会いしたいと思います。
ポルトアレグレ 2017年12月29日
和田好司拝
和田好司様。メール拝読いたしました。結論から申し上げますと、私にはとてもそのような重責を担える余裕がありません。2018(平成30)年の5月と6月の2ヶ月間に、サンパウロ周辺→南伯→アルゼンチン→パラグアイ→北伯と巡り、45人の皆さんの取材をしなければなりません。なにしろ、90分×3本と60分×3本の計6作品を制作することが私の仕事で、体も頭も、そのことで一杯です。ただ、和田さんご企画の『あるぜんちな丸全航海乗船者大会」が実現できれば、ブラジル移民110年記念行事の一つとして番組に取り込ませていただくことは可能だと思います。その場合も、私が主催者の一員に連なれば、テレビの視聴者にはお手盛りの印象を与えることになり、好ましくありません。そんなわけで、お引き受けできなくて、申し訳けありません。相田洋。
相田 先生 明快なご返事有難う御座いました。期待していた司令塔としての先生のあ名前が使えないとの事ですので、この企画は、ポシャリました。諦めます。あるぜんちな丸第12次航の40周年記念に立ち上げた私たちの40年‼を大事に守って行く事にします。45周年、10年の助走期間を準備に当て実施した50周年記念式典、今年実現できなかった55周年であるぜんちな丸第12次航だけの同船者会は、諦めました。全あるぜんちな丸の1万人以上の40次航の全員に声を掛ければちょっとした式典が出来るかなと思いましたが、先生がお忙しくて名前も貸せないとの事ですので諦めることにします。残念です。ブラジル始め南米の取材が上手く行くように遠くから祈っています。
和田好司
メール拝受しました。面白い企画だと思います。しかし、ブースを借りて何を行うか、具体策がなく、これでは記事にできません。まず、具体的に何を行うのかを決めることです。以下、思いつくまま羅列します。
また、弊社が主導権を握ってやることは難しいです。その理由は、@日本祭りにおいて弊社の姉妹紙である毎日新聞社とイベントを行うことが決まっており、そのほか、日本からのツアーが2本日本祭り会場で舞台公演するのを請け負っています。このため、弊社が主導権を握ってやる余裕がないこと、A何をするにも資金が必要です。弊社は移民110周年記念事業で様々な企画を実施するため、資金的な余裕がないのです。
ですから、資金を用意いただければ、日本祭り当日は動けませんが、それまでの作業(例えば、下記に書いたパネル製作や小冊子制作、機材のレンタルなど)は中心になってお手伝いはさせていただきます。当日のブースでの人員に人を割けないし、私もいることができないということです。
1)ブースの設置:
園田さんはかつて県連の会長を務めたものの今は直接関係ありません。移民110周年祭典委員会の副委員長ですが、日本祭りそのものは県連主催ですので県連との交渉になります。一番小さなブース(4m×5mだったと思いますが)でも正規料金は多分4,000レアル程度はかかります。園田さんの口利きで無料にしたりかなり安くしてもらったとしてもこの程度の広さでは、写真パネルを張るにしても10枚(壁面は2面しかありません)がせいぜいです。パネル展にするのであれば、少なくても4コマを借りて、そのスペースにパネルを飾る展示用パネルをレンタルしなければなりません。それにも費用が掛かります。
2)具体的な事業について:
1ブースだけ借りて実施するのであれば、あるぜんちな丸に関する小冊子を作成し、配布することです。内容は、私などより和田さんの方が何を入れるのかはわかると思いますし、その資料も十分お持ちだと思います。この場合、大々的に行うのであれば10万部程度は必要です。3日間で15万人入りますので2〜3万部程度はすぐになくなってしまうのです。弊社は、毎年日本祭りのオフィシャルガイドブックを作って無料配布しています。B5版32ページオールカラーで8万部で約9万レアル(手元に資料がないので少々違うかもしれません)かかります。この9万レアルを広告で賄うのですが、一昨年あたりから広告が集められず、今年は出せるかどうか、担当責任者は頭を抱えています。
もう一つは、ブースの前に大型テレビを置き、あるぜんちな丸の映像を流すことです。60インチのTV画面でDVDの再生機をレンタルすると3日間で1,200レアルぐらいではないかと思います。これはインパクトがあります。相田さんと連絡できるようですから、彼に頼んで彼が制作した番組を使わせてもらえばいいのではないかと思います。
以上の2つをセットにすれば、しっかりとしたイベントにはなります。
時間的に小冊子を作るのなら、今から原稿を作り、少なくても4月末ぐらいに完成させないとだめです。しかも、日本語だけでなくポ語も必要ですのでページ数が増えますし、翻訳業務も並行して行わなければいけません。
3)資金集めについて:
2つの方法があります。
1)あるぜんちな丸乗船者の人から寄付金を募る。この場合、奉加帳方式にする。奉加帳を作り、最初に和田さんが金額と名前を書き入れる。金額は大きいほうがいい。この金額が基準になります。例えば、3,000レアルと書き入れると後に続く人はそれ以上の金額は書けないのです。ですから、お金を持っていそうな人の順に奉加帳を回すことです。
2)小冊子への広告出稿:
あるぜんちな丸の乗船者でも会社経営している人は広告の方が処理しやすいでしょう。あとは、三井商船です。あるぜんちな丸の船会社ですが、けちでね。1,000レアルも出さないでしょうが、アタックしてみる価値はあるでしょうね。もちろん、1,000ではなく、10,000レアルで話をしないとだめです。園田さんは出すでしょう。そのほか、企業をしている人なら2,000や3,000レアルで交渉してみるといいと思います。
思いつくまま書きましたので、雑駁です。まず、具体的な企画書を下記、予算がいくらかかるかをはじき出し、資金集めをすることです。時間がないので、早急に決断することです。
サンパウロ新聞 鈴木 拝
鈴木さん (さん付けで失礼します)
早速の具体性のある貴重なご返信有難う御座います。
何事も人のふんどしで相撲を取るのは難しいと云うのが結論のようですね。
同船者の僚友、園田昭憲さんに相談しお手伝いは出来るが旗振りは出来ないとはっきり断られ航跡の相田洋に相談しましたが、既に110周年事業には、目一杯仕事を抱えておりお手伝い出来ないとの事でしたので鈴木さんに泣きついたのですが、サンパウロ新聞でも大きな予算と人材を注ぎ込み手が一杯であるとの事、現実の厳しさを感じています。
移民船あるぜんちな丸!有難う。就航60周年記念集会を日本移民110周年の年に記念事業として実施する事は、きっぱりと諦める事にしました。言い出しっぺ、立案者が、自ら司令塔になり旗を振らない限り、人のふんどしで相撲を取る事は、不可能であるとの結論を十分思い知らされました。地方、ポルトアレグレ在住の私がサンパウロの全国規模の日本祭りの式場で行われる行事の旗振りをするには、実力不足であることを身に染みて思い知らされました。
今後は、地元ポルトアレグレの南伯日本商工会議所会頭職を2020年まで3年間預かることになっており地元地場企業の若い経営者にバトンタッチ出来るように努力していく積りです。
また681人のあるぜんちな丸同船者の共有財産と位置付けているあるぜんちな丸同船者寄稿集私たちの40年!!を従来通り守り続けて行くこと8月18-19日実施の第7回ポルトアアレグレ日本祭りへの協力、姉妹都市金沢、姉妹県の滋賀県との連絡連携等をお手伝いしていく事にします。身の程を知れ!との神のお告げでしょう。アドバルンを挙げそれに向かって努力して来た若い頃からの癖が抜けず年を顧みずの見果てぬ初夢に終わってしまいましたが、鈴木さんの適切なご指導、ご指摘に感謝します。事の経緯を記録して置く意味で50年‼メーリングリストにも流すことをお許しください。
ご返信を感謝しています。有難う。
サンパウロの日本祭りには、是非サンパウロ新聞のブースを訪問させて頂き直接お会いしてお礼を云わせて頂きたいと念願しています。今後とも宜しく。。。
和田 様
メール拝読しました。残念ですが仕方ありませんね。
仕事に限らず何事もそうですが、「人、モノ、金」と言います。その中で一番重要なのは人です。旗振り役が1人いても動きません。それを支えてくれる人たちがいないと前に進みませんし、成就しません。
頑張ってください。何かあれば、お手伝いはさせていただきます。遠慮なく申し付けてください。
サンパウロ新聞 鈴木 拝
鈴木さん 貴重なご意見拝聴しました。何事に限らず『人、モノ、金』が必要とのご意見肝に銘じます。モノと金は、何とかなっても一番需要な人が揃いません。私に必要だったのは、司令塔と云うか旗振り役でしたが、それを得られず計画と云うか企画を断念せざるを得ず、新年早々の見果てぬ夢となって終いました。『あるぜんちな丸!有難う』の企画は、40年‼寄稿集の中で保持続けることにします。この年始めの貴重な経験、見果てぬ夢は、一連の出来事として寄稿集に残して置きたいと思いまう。個人的に大変お世話になりました。何時の日かサンパウロ新聞として取り上げて頂ける日があると嬉しいのですが。。。今後ともご指導下さい。
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