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新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その26−その29)
桜井さん手持ちの連載記事が前週の39で一応終了し今後は、新しく掲載される時に同時公開して行く事になり暫くは、40年‼ホームページに掲載されるものを毎週火曜日に掲載して行く事にしました。
その第1弾は、その26から29までの4回分となりました。26は、ブラジル大好きのブラキチにも古い型と新しい型があるとの興味ある説明で何でもブラジルが好きと云うのでなくきちんとブラジルの良し悪しを見据えたうえでブラジルが好きという新しい形のブラキチを増やしたいと提唱しておられます。
ブラジル在任中に全国で公演をされた実績に基づいた話し、ウジミナス製鉄所の業績発表会に出席された時の話、ブラジル駐在は、単身が良いか家族同伴が良いかと云った身近な問題に適切な指針を示しておられ興味深いです。
写真は、パラナ州での講演時に懐かしい上野下院議員とご一緒の写真を使わせて貰いました。


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その26)
連載エッセイ26
ブラキチ・アンチーゴとブラスキ・ノーヴォ
執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)

ブラキチ・アンチーゴとブラスキ・ノーヴォというと何が何だかわからないと言われそうである。それもそのはずで、これは、2005年2月のブラジル日本商工会議所の業種別部会長シンポジウムの際に、私が提唱した言葉である。
不思議なことにラテン系に駐在すると総じて、駐在国が好きになる傾向がある。欧州のフランス、イタリア、スペイン、ポルトガルに駐在した経験のある日本人は、ほとんどが好きになって帰国する。ラテンアメリカでも一部の例外を除き、ほぼ同様である。メキシコに駐在した人は、メキシコが大好きになる。チリ駐在経験者はほとんどすべてが良い思い出を持って帰る。アルゼンチンも同様で、アルゼンチン大好き人間を「アル中」というらしい。ブラジルにいたっては、「ブラキチ」と呼ばれるほどで、大好きを通り越しているのである。駐在地は自分で決めるのではなく、人事部のような部署が決めることになるのだが、ブラジルに駐在する人を分類すると、4タイプにくらいに大別できる。第1のタイプは、ブラジル一筋の駐在員である。ブラジル生活10数年、場合によっては、20数年の人も珍しくない。第2のタイプは、同じ中南米から平行移動してくる駐在員、第3のタイプは、米国や欧州の経験者である。第4のタイプは日本からの直行組である。スペイン語圏の中南米の場合、言葉が共通のため、メキシコ、コロンビア、ペルー、チリ、アルゼンチンと横移動のケースが多く、1か国に長期間駐在することは、それほど多くない。しかし、ブラジルの場合、唯一ポルトガル語圏であるためか、長期間の駐在が多いようである。日本人がいかにブラジル大好きかを知る上で参考になるのは、中南米主要国における在留邦人数のデータである。
国名 在留邦人数 日系人数
ブラジル 54,377名(長期滞在者と永住者の合計、2014年10月時点) 約190万人
メキシコ 9、437名(2015年10月時点) 約2万人
アルゼンチン 11,675名(2014年時点) 約3.5万人
ペルー 3,585名(2014年10月時点) 約10万人
チリ 1,622名(2015年時点) 約3,000人
出所:外務省ホームページ
これをみると、人口比率で見た場合、ブラジルとアルゼンチンが突出して高いことが理解できる。ブラジルで定年退職し、そのまま居就いてしまう日本人駐在員が多い。永住権を持って日本に帰国した人も、2年に1度ブラジルに戻らなければビザが失効するというので、せっせせっせと里帰りする人も多い。

 日本企業のブラジル進出の歴史をたどってみると。興味深いことがわかる。1950年代から1960年代末から70年代前半にかけて、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる経済成長の時期があった。日本企業によるブラジル進出大ブームが起こり、日本企業も500社以上進出した。その後、80年代のブラジル経済の不調、90年代の日本経済の低迷の結果、200社程度が撤退した。その際、撤退を指揮した日本人駐在員が帰国し、日本式年功序列にしたがって、企業内で重要なポストに就くことになった。彼らは、ブラジルで痛い目に会っているので、ブラジルビジネスの推進にそれほど熱心ではない。むしろ足を引っ張りがちだ。後輩が優良案件を提出しても反対に回ることが多かったという話を何度も聞いた。たぶんブラジルで苦い経験のある人は、「ブラキチ」ではない人もかなりいるかもしれない。それでもブラジルに一度でも駐在した人は、ブラジルが好きになるケースが多い。私の主張は、ブラジルを好きになるのは全く構わないが、古いタイプの「ブラキチ」は望ましくないということである。なぜなら、ブラジルを知らない東京本社の関係者や一般の人々にとってみれば、「ブラキチ」の言うことなら真面目に取らないで話半分に聞いておこうと言うことになるからである。そこで、新しいタイプのブラジル好きになろうというのが、「ブラスキ・ノーヴォ」である。ブラジルの良いところ、悪いところを客観的に評価し、冷静に対応するというタイプである。ブラジルを好きになる必要はないが、ブラジルを嫌いにならないことが重要である。こういう姿勢であれば、ブラジルに関連するプロジェクトや話について、第三人者に対し、ブラジルのことを上手に理解してもらえるのではないかと考える次第である。
                     2016年9月上旬

写真1 東京でのブラジル・フェステイバルの写真

写真2 パンデイロ教室の風景


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その27)
連載エッセイ27
全国講演行脚から得たこと・学んだこと
執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)

私は海外駐在地でスピーチや講演を依頼された場合、原則すべて受けることにしていた。もちろん、物理的に不在であるとか、全く私の専門外は別である。なぜなら、日本や日本人は、全般的に対外発信が諸外国と比較して十分でないこと、したがって、ジェトロのような政府機関は率先して、発信すべきと考えたこと、また人脈の形成に最も効率的な手法であると判断していたからである。食事による方法も人脈形成に大いに有効であるが、講演やセミナーとなると、対象相手が多いので、一挙に多数の人々に名前を浸透させることができる。
  
最初のメキシコ駐在では、そのことに気がつかず、2〜3回だけであったが、チリのサンティアゴでは、70回、イタリアのミラノでも、つたないイタリア語で30回行った。ブラジルのサンパウロ駐在(2003年11月〜2006年3月)は、定年直前でもあったが、最後のご奉公ということで、事務所を挙げて、対外発信に取り組んだ。言葉は、ポルテニョールでほとんど自信がなかったが、やるしかないと考えた。2年半の滞在期間中に、ジェトロは、ブラジル人対象のセミナーを、合計67回開催した。そのうち私自身も30回くらい講演・スピーチを行った。

幸運なことに、ジェトロ時代の同期の堀静雄氏が、JICAの長期専門家として、ブラジリアの開発商工省(MDIC)にジャパン・デスクを構え、ブラジルの輸出振興業務に取り組んでいた。彼が考え出したことは、ブラジル全州で「日本―ブラジル・ビジネス・オポチュニティ・セミナー」を組織し、ブラジル人ビジネスマンの輸出マインドを一気に高めることであった。JICAの招待でブラジル全土を回れるという恵まれた機会に大いに感謝したものだった。当時の次長の澤田吉啓氏は、ブラジルのエキスパートであったため、ブラジル全州を訪問すべきと考え、未訪問州には、彼に出かけてもらった。残りの州は、私が担当したが、それでも、エスピリト・サント州、パラ州、バイヤ州、ペルナンブコ州、アラゴアス州、リオ・グランデ・ド・ノルチ州、アマゾナス州、マット・グロッソ・ド・スル州、サンパウロ州、パラナ州、サンタ・カタリーナ州の11州をカバーすることができた。ジェトロの役割は各地で、「日本に輸出するには」、「対日輸出にあたって克服すべき点」、「ジェトロの活用の仕方」というテーマで話すことであった。開発商工省が各州の工業連盟にセミナーの組織を依頼し、JICAー開発商工省―各地の工業連盟の3者共催で行った。セミナーは合計29回に及んだ。セミナー参加者総数は2,677名で1セミナーの平均参加者数は92名であった。ブラジル全土の企業家に輸出マインドを植えつけるというこのプロジェクトは成功裏に終了した。各地では、ブラジル人ビジネスマンの常として質疑応答も盛んであった。セミナーには、毎回新聞記者やテレビ局が多数取材に来たこともあって、短期間のうちにJICAやジェトロの名前をブラジル全州に知らせることができた。その後各州を訪問した際にも、各州の要人もこの時のセミナーを覚えていてくれた。

このセミナーを契機として、ジェトロに対し、遠隔地の州政府から、それぞれの職員をジェトロ・サンパウロで研修して欲しいという予期せぬ要請が出された。ジェトロは、アクレ州、トカンチンス州、ホンドニア州、アマパ州の職員を受け入れ、それぞれ2日間の研修を行った。研修の終わりには、レストラン・サントリー(今は名前が変わっているが)で日本食をご馳走した。

 これらJICA招待の出張は、通常1泊2日ないしは2泊3日であった。滞在期間を最大限有効に活用するために、各州政府の開発長官や工業連盟のリーダーにアポイントをとり、意見・情報交換を行った。アポイントもセミナーの講師で行くと説明すると簡単に取ることができた。日本企業による投資誘致について最も関心を持っていた。さらに自由時間を利用して、代表的な名所旧跡や博物館を見学することができた。ブラジルの歴史、自然、民族の多様性当の理解のために大いに役立った。

その他、ブラジリアの下院会議場で行った講演、パラナ州選出の故アントニオ上野連邦下院議員の要請でクリチバ、ロンドリーナでは数回行った講演も思い出深い。上野議員とはたびたび食事を共にし、彼の経験談について聞くことができた。

 セミナーや講演を通じての情報発信は、数々のメリットがあった。まず、ブラジルの多くの州政府や工業連盟にジェトロや日本の存在をアピールすることができたこと。第2に、直接各州を訪問することにより、ブラジルの広大さ、多様性、美しさを実地に感じることができたこと、第3に、各州の要人と面談することにより、各州の経済・産業事情を取材でき、自分で各州の相違点を確認できたことである。

日本人対象の講演・セミナーにも力を入れた。ジェトロ主催のもの、ブラジル日本商工会議所コンサルタント部会の活動の一環として私が組織を担当したものを含めると2年半で55回組織させていただいた。
                   2016年9月下旬

写真1 JICAセミナーでの講演

写真2 パラナ州クリチバ市でのセミナー、右はアントニオ上野連邦下院議員


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その28)
連載エッセイ28
単身赴任か家族帯同か?
執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)

 サンパウロに駐在して驚いたことは、駐在員の単身赴任が多いことであった。おそらく商社やメーカーの社長クラスの半分は単身赴任であろういう印象を持った。単身赴任の理由は、@子供の教育上の心配、A治安の悪さのために家族を帯同できない、B親の介護のお世話を奥さんに任せなければならない、C奥さんが来たがらない等々があげられる。
単身赴任者の生活は外から見ていても味気ない。唯一の楽しみは、週末のゴルフという駐在員が多かった。私はゴルフを月に1回か多くとも2回、週末に、PLゴルフクラブ他でやっていたが、行くと必ず会う人が相当数いた。おそらく、彼等は、毎週末の土曜日、日曜日には皆勤していると考えられた。コンペの時はいろいろな人とプレイすることになるが、それ以外の時は、ごく限られた親しい日本人とゴルフをエンジョイしているのだろう。日系のゴルフクラブなので、日系コロニアの方はおられるが、ブラジル人は極めて少ない。当然、話題と言えば、ゴルフとビジネスだけになり、ブラジルの政治、経済、社会、文化等に話は及ばないし、現地社会にも融け込んでいるとは到底思えなかった。ウイークデーは、ブラジル人とのビジネスで忙しく、出張で飛び回っているので週末くらいはゴルフでもしてリラックスしたいという感覚は理解できるものの、もっと有意義な時間の使い方もあるのではないかと考えてみたりもする。
私は、ブラジル日本商工会議所で、コンサルタント部会長や常任理事をしていた。最も力を入れたのは、家族そろってのピクニックや遠足であった。写真にあるように,カンピーナスにある東山農場には、社長の岩崎透氏に無理をお願いし、バス3台を連ね、120名の会員の家族が参加した。コーヒー農場での各種実演や岩崎社長が関係されているサンリオのハローキッティ人形を子供たちにプレゼントし、大いに喜んでいただいた。もう1枚の写真はプロポリス工場に行ったときの写真である。サンパウロ郊外の花樹園3か所訪問も評判が良かった。
サンパウロにはフラッチと呼ばれる長期滞在用のスイートがある。キッチン等がついている施設である。私も赴任直後、アパートを探すまでの期間、パライソ地区のフラッチに滞在したが、滞在者のほとんどはあらゆる業種の中長期の単身赴任者であった。中には、日本人だけかと思われるフラッチもある。
外国人夫婦の場合、単身赴任すると言ったら、離婚ものだとよく言われる。そのため海外駐在のため別居するという発想は存在しないのだが、日本人は何故か、単身赴任が多い。家族に対する考え方が異なるものと思われるが、外国人から見ると極めて不思議で理解不能の現象のようだ。そう言えば、受験競争の激しい韓国でも子供の教育のため単身赴任するケースもあるそうだ。私は、メキシコ、チリ、ミラノ、サンパウロと4カ国に駐在したが、すべて家内同伴であったのはラッキーであり、家内に感謝している。
 今、家族同伴と単身赴任の一般的なメリットとデメリットを挙げてみよう。

家族同伴 単身赴任
メリット *生活が安定する
*旅行、パーティ、買い物等で家族と思い出をシェアできる
*奥さん人脈、子供人脈で人間関係が広がる
*国際的に見てごくノーマルな状態
*子供をインターナショナル・スクールに通わせることにより、国際人に育てることができる *時間が自由に使える
*仕事に専念できる
*好きなことに没頭できる(ゴルフ、旅
行、恋愛、遊び、研究・学習等)
デメリット *子供の教育に不利になる可能性がある。現地日本人学校に通っても帰国後、メリットが無い。
*インターナショナル・スクールなどでは、授業料が高い *生活が不安定かつ単調になる
*家族関係、夫婦関係が希薄になる
*現地に融け込めない
*国際的に見て異常

 思いつくまま挙げてみたが、どう考えてみても、単身赴任のメリットは多くはない。やはり、どこか不自然で国際スタンダード、グローバル・スタンダードではない。ブラジル人に、日本人の単身赴任者の多さにつき説明しても納得が得られず、不可解な日本人という印象が残るであろう。この問題についてもっと派遣元の政府、政府機関、団体、企業はもっと真剣に考えるべきであるし、個人としても何が幸福なのか、何が家族にとってベストなのかを考えた方がいい。

(2016年10月上旬執筆)

写真 家族そろっての東山農場見学

写真 プロポリス工場見学


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その29)
連載エッセイ29
「ウジミナス社業績発表会」に参加して考えたこと
執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協常務理事会)

ブラジルの代表的な鉄鋼会社であるウジミナス社(ミナスジェライス製鉄所)といえば、1950年代後半の日伯巨大プロジェクトの代表例として広く知られている。旧新日本製鉄の技術援助に基づき、1962年に生産を開始した。その技術力は定評があり、自動車の鋼板等の品質は群を抜いている。日本企業のブラジル進出のサクセス・ストーリーとして、必ず取り上げられた。

しかし、ここ数年、日本の経済紙誌で、ウジミナスについて好意的に取り上げられるケースは少ない。2011年にブラジルの大手鉄鋼メーカーのナショナル製鉄がウジミナスの買収を試み、大いにこじれたことがある。その際に、既存の株主である大手セメントメーカーのボトランチン社に代わって新株主になったのがアルゼンチンのテルニウム社である。その際に、テルニウム社出身のCEOが就任した。ところが、2014年9月に、役員報酬をめぐり、不当な役員報酬があったとして、テルニウム側の社長と2人の副社長を解任したが、この措置をめぐり、日本ウジミナス社とテルニウム社側が対立した。2015年に入って、新日鉄住金は、資金不足に問題を抱えるウジミナス社に最大300億円の追加出資を決定したが、テルニウム社は、この措置に同意していないという。さらに5月25日にウジミナス社が、株主間協定に反して、新社長にテルニウム者側が推すレイテ副社長が就任すると発表し、新日鉄住金は無効と主張している。その後、6月1日の日経新聞によると、新日鉄住金側とテルニウム側が、ウジミナスの事業分割協議に入ると報道されている。イパチンガ製鉄所は、新日鉄住金に、クバトン製鉄所はテルニウムに分割される可能性があるという。まさに泥沼の様相を呈してきた。さらに7月初めの新聞情報によると、新日鉄住金側が社長人事をめぐって、訴訟を起こす可能性があると報道されている。

さて、ウジミナスウジミナス社の現状はこれくらいにして、業績好調だった時代のウジミナス社に関する私の思い出を紹介したい。
2013年11月にサンパウロに赴任して、すぐに新日本製鐵のブラジル事務所長の浅賀健一さんから電話があり、ウジミナス社の業績発表会が12月に開催されるので参加しないかという招待を受けた。学生時代から日伯共同プロジェクトの成功例であるウジミナス社に大いに関心があったので、すぐに参加させて欲しいと回答した。業績発表会は、毎年12月中旬に開催されていたが、私は、2003年、2004年、2005年と3年連続して参加することができた。私はこのイベントを大いに楽しみにしていた。早朝にサンパウロとリオからチャーター便が出され、ウジミナスの本社のあるミナス・ジェライス州のイパチンガ/ウジミナス空港に向かう。チャーター便なので待ち時間も短く快適だ。あたりを見渡すと、知り合いの日本人もかなり見受けられる。空港到着後、バスに乗り換え、ウジミナスの支援でできた立派なコンベンション会場に連れて行かれる。当日のプログラムは、過去1年間の業績の発表、社員表彰式、工夫の凝らしたアトラクションがあり、最後に盛大な昼食会と続く。その中でも、最も心待ちにしていたのは、ウジミナス社の当時の社長のRinaldo Campos Soares氏のスピーチであった。彼の話を聞いていてすぐにわかったことは、彼が日本の文化、国民性に精通しており、日本式経営や品質管理に心酔していることであった。新日鉄の企業哲学がウジミナス社の社員の隅々まで浸透しているようであった。当時業績も好調で、スピーチにも自信に満ち満ちており、感動的であった。企業の功績に貢献のあった社員表彰も日本的で微笑ましい感じであった。受賞した社員も喜びと誇りに満ちていた。
マナウスにあるモトホンダの工場の労働者が、同社で働くことに誇りを持っていると語ってくれたことを思い出した。ショウも毎年趣向が凝らされていた。外部のアーチストの公演であったり、同社に所属する体操や柔道等スポーツ選手が登場し、パーフォーマンスを披露してくれたリと様々であった。ウジミナス社がスポーツ振興に相当支援していることは有名な話であるが、そのことがよく理解できた。昼食会は豪華で和気あいあいの雰囲気であった。Rinaldo社長も機嫌よく、我々出席者との写真撮影に応じていた。最後に、ミナス・ジェライス州の産物であるカシャサや蜂蜜がお土産として参加者全員に手渡された。その日、1日は、「ブラジルの中の日本」を経験することができ、新日本製鐵等が精魂込めて育て上げた企業をつぶさに見ることができる貴重な機会であった。

 1950年代後半、当時の日本企業は、今ほど国際的でもなく、地球の反対側にあるブラジルのことも十分知らずに進出したに違いない。ウジミナス社の成功談については、種々の書籍で紹介されている。私が大いに興味を持つ点は、どのようにして、日本人の考え方、経営方針、品質管理の哲学と手法を末端の社員・労働者にまで浸透させることができたのかである。日本から延べ何千人という技術者がブラジルに派遣され、技術移転をし、ブラジルからも何百人かの技術者が日本で研修を受けたと思われる。日本人はコミュニケーションに苦労しながら、必死になって技術移転を行ったに違いない。その間、中小の失敗を数多く重ね、最後には、技術移転を成し遂げ、揺るぎない友情と信頼が日伯の技術者、経営者間に生まれたのであろう。振り返って、現在のウジミナスの複雑な問題の根底には、ウジミナス社は日本が丹精こめて育てた会社で、日本の会社であるという強烈すぎる自負心や思い入れがあり、そのことが事態の解決を妨げているのではないかとふと思ったりしている。ウジミナスはブラジルの会社であり、多国籍企業であるという発想が大切なような気がする。
そう言えば、ウジミナスと並んで語られるのは、石川島播磨重工業(IHI)によるISHIBRASの例である。同社はブラジル人のエンジニアやワーカーの人材教育に多大なる貢献をしたことで有名である。ISHICOLA(ISHIBRASと学校のESCOLAをミックスしたもの。石川島学校)はあまねく知られている。残念ながら、IHIは撤退を余儀なくされたが、今でもブラジルの造船所で働く、工場長クラスの技術者はISHICOLAで学んだ人物が多いと言う。サンパウロ駐在時代に、石川島播磨重工業本社の若手社員がジェトロ事務所を訪れたことがあった。その時に私に語った言葉を今でも覚えている。彼らがブラジルの会社を訪問し、IHIだと言うと誰もが、知っており、すぐに打ち解け、大歓迎してもらったということであった。
 話はまた飛ぶが、エリゼール・バチスタさんの話も大いに日本人魂を鼓舞するものであった。リオに出張するとリオ・デ・ジャネイロ工業連盟に立ち寄ることが多かった。専務理事に会っていたが、その際、不思議にエリゼール・バチスタさんが同席していた。バチスタさんと言えば、1924年にミナス・ジェライス州に生まれ、ブラジルが世界に誇る鉄鉱資源会社のヴァーレ・ド・リオ・ドーセ(現ヴァーレ)の社長を長く務め、鉱山エネルギー大臣も務めた大人物である。有名なトゥバロン製鉄所プロジェクトの推進者でもあった。数年前には、日本・ブラジル賢人会のブラジル側の代表も勤めていた。面会時に彼が語っことは忘れられない。「自分は、日本政府や企業と26回契約書を締結したが、一度として期待が裏切られたことはなかった。日本は尊敬すべき国である」と語った。彼は、90歳を数えていたがまだはつらつとしていた。

 80年代には、ブラジル経済が停滞し、90年代には、日本経済はバブル崩壊によって、低迷した。その結果、日伯関係は、失われた20年と呼ばれる時期を迎えることになった。両国の経済関係は低調に推移し、人脈関係も失われることになった。今、もう一度、ウジミナス社、イシブラス社などのビッグプロジェクトがブラジル人企業家にどのような影響を与えたか、エリゼール・バチスタ氏等知日派との過去の深い人的繋がりはどのように築かれたのか等について振り返り、今後どうすれば、日伯経済関係、人的関係を深化させるかを考えるべき時期が来ていると思われる。
                (2016年10月下旬執筆)

写真1 ヒナウド社長との写真

写真2 ウジミナス社のイパチンガ製鉄所



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