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新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その30−31&その35)
桜井さんの『ブラジルを理解するために』のその30,31と35を掲載して置きます。30は、「ブラジルをしりすぎると?」 31は、「ブラジル日本商工会議での思い出」と字数の関係と話題を纏める意味で35の「ラバジャット事件で考えたこと−寛容性と許容度の範囲」を掲載しました。いずれの話題もサンパウロのJETRO事務所所長としての実務の中からご自分で経験、参画した事実に基づいた実例を使っておられ説得力がある。最後のラバジャットの理解の仕方、コメントが独特であり贈収賄事実を解説するだけでなく寛容性と許容度の範囲と云った観点から光を当てる手法には感嘆する。
写真は、ラバジャットに付けられていた写真を使う事にしました。


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その30)
連載エッセイ30 
ブラジルを知りすぎると?
         執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)
2004年7月8日にマナウスのアマゾナス州工業連盟(FIEAM)の会員対象に、講演を行ったことがあった。マナウスの有力者である山岸照明さんのアレンジによるものであった。直前に、「ブラジルに外国資本を誘致するには」というレポートを執筆し、ポルトガル語に翻訳したばかりであった。一通り、具体的にどうすれば、ブラジルに外国投資を導入することができるかにつき、外国の例をあげて詳細に紹介した。質疑応答に入ったところ、同連盟の副会長であるRaimarda Silva Aguiar氏から意見が出された。シゥヴァ氏は、マナウスでは誰もが知っている企業家で、コカコーラ・ボトラーズの業務を一手に取り仕切っていた。「話は興味深いが、桜井さん、あなたはブラジルの実情がわかっていない」とのコメントであった。サンパウロ赴任後、9ヶ月くらいしかたっていないので、ブラジルを知らないのは当然である。しかし、私はこう反論した。「シゥヴァさん、ブラジルは知れば知るほどわからなくなる国です。また知りすぎると何も言えなくなり、物事すべてを諦めるようになります。ブラジルを知らない段階だからこそ、勇気をもって世界の外資誘致の動向を皆様に知らせることが大切なのです。少しでも外国の良い点を取り入れれば、もっともっと外資が来ることになります。」シゥヴァ副会長は、苦笑いしながら納得してくれたようであった。
 もうひとつのエピソードを紹介しよう。
2003年11月26日〜28日まで「ブラジル全国貿易会議」という会議がリオ・デ・ジャネイロで開催された。ブラジル貿易協会主催の会議で、ブラジル全国から輸出業者・貿易業者が集まる会議である。サンパウロ赴任直後で、1か月も立っていなかったが、貿易振興と言えば、ジェトロの出番だとばかり思いきって参加することにした。3日間の長丁場の全国会議であった。当時、ポルトガル語も不十分であったが、ブラジルの輸出に関わる現状、種々の問題点等がそれぞれの分野の専門家による話があり、大いに勉強になった。まるで年に1回のお祭りのように熱気にあふれていた。リオという場所がそうさせていたのかも知れない。講演あり、パーテイあり、展示会ありと盛りだくさんであった。ブラジル人がまずやることは、参加者の中から知り合いを探すことである。この点は日本人と良く似ている。私は、セミナーでは、できるだけ集中して講師のスピーチを聞きたいので、可能な限り前列に座ることを常としていた。前の方に座ろうとすると、会議の女性事務局員が制止する。前列は予約席だと言う。私は、頭にきて「貿易というのは国内取引ではなく、外国との取引ですよね。ということは、外国人が主人公であるはずです。主人公が前列に座れないのはおかしいではないですか」とやや大きめの声で抗議した。事務局員は抵抗したが、周りにいたサンパウロ出身のビジネスマンたちが「そうだそうだ」と賛同してくれた。結局前の方の席に座ることができたのだが、ブラジル人は外国が関係しようがしまいが、常にブラジル人が主人公でありたいと思っていることがよくわかった。以前駐在したチリでは、このようなことは決して起こらないのにと思ったものであった。おそらく私がブラジルに駐在してかなりの時間が立っていたとすれば、ブラジルというのはそんなもんだと諦め、後方の席に座っていたかもしれない。これは、小さな出来事であるが重要なポイントである。
もっと大きいテーマを取り上げよう。ブラジルでよく話題になるのは「ブラジル・コスト」である。ビジネスする上でブラジル的な数々の障害のことである。例えば、複雑かつ高い税金、高金利、物流インフラの不備、為替リスク、通関など行政手続き・官僚制度、ビジネスをする上での透明性の無さ、硬直的な労働制度、ビザ、治安問題等々、障害物のデパートである。これらの問題についても、ブラジルを知りすぎる外国人ビジネスマンは、いくら言っても無駄だと諦めがちになる。ブラジルを知りすぎると不思議に諦め癖がつくのである。何も変えたくないブラジリアの高級官僚にとっては、狙い通りの筋書きである。今、ブラジルは空前絶後の政治的経済的混乱に陥っている。今こそ、「ブラジル・コスト問題」を劇的に解決する絶好の時かもしれないとふと思う。ブラジル人は、なかなか人の意見を聞かない。特に政治や経済が絶好調の時は、まず絶対と言っていいほど、人の話を聞かない。サッカーでも攻撃に回れば手をつけられないが、守勢に回ると俄然弱く、ワールドカップでもドイツにも見るも無残な敗退をした。ブラジルに進出している外国企業や外国商業会議所が一致団結して、「ブラジル・コスト問題」の解決を訴えるのだ。この機会を逃せば、当分の間、「ブラジル・コスト問題」を解決できないと思う。こういうことを主張すると、「あなたは、ブラジルのことを何もわかっていない」と言われそうであるが。
(2016年11月上旬執筆)
写真1 アマゾンのジャングルロッジ
写真2 パウリスタ通りのFIESP(サンパウロ工業連盟)ビル


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その31)
連載エッセイ31
ブラジル日本商工会議所での思い出
執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)
 サンパウロに赴任した直後の2003年11月にコロニアの重鎮であるコンサルタント部会長の故西川悦治氏と赤嶺尚由氏(ソールナッセンテ人材銀行代表)がジェトロ・サンパウロに来られ、ブラジル日本商工会議所のコンサルタント部会の会長になって欲しいという要請があった。私は、ミラノでも日本人商工会議所の理事・事務局長をやった経験もあった。サンパウロでは、日本企業や日系コロニアの方々のお役に立とうと考えていたので、喜んで引き受けることにした。当時、商工会議所には、自動車、電気電子、機械、化学、食品建設、運輸等業種ごとの部会があり、コンサルタント部会は、その中でも最大の部会で、主要業種に当てはまらない企業や個人が入っていた。当時、会員企業数は280社、個人会員は16名であった。会議所の課題は、@国際化をいかに図るか、A会議所の提言能力をいかに高めるか、B企業の社会的責任活動をいかに強化するか、C会議所の本来の機能を果たすために、いかに活性化するか等々である。その後、部会長は、常任理事会にオブザーバー参加は可能であるが、投票権が認められていなかったこともあり、2004年11月に常任理事選挙に立候補した。本稿では、平田藤義事務局長と協力し、会議所の発展のために少しは役立ったことを紹介したい。
1)イベント共催制の実現
不思議なことに、当時会議所の各種イベント、セミナーでの共催は認められていなかった。ある時、JBIC(国際協力銀行)からジェトロに金融関係のセミナーを開催したいので協力して欲しいという依頼が入った。相談の上、JBIC,ジェトロ、商工会議所の貿易部会が共催で実施しようということになった。JBICが講師を日本から派遣し、ジェトロが通訳代を出し、会議所が会議室を提供するという役割分担である。その旨、会議所に要請すると、会議所は共催をしないことになっていると言う。その理由を尋ねると会議所の名前を悪用される可能性があるからだとのこと。会員数5,000社を誇るアメリカ商工会議所や1,000社のドイツ商工会議所ならその可能性も否定できないが、たかだか280社の会員の日本商工会議所の名前など、日本政府の組織であるJBICやジェトロが悪用するはずもないのだが、当時の商社や保険会社出身の副会頭(田中信会頭は日本に出張中)が臆面もなく言ってのける。埒があかないので、JBICとジェトロ主催、商工会議所貿易部会協力という形式にした。成功裏に終了したが、民間企業出身の会議所幹部の頭の固さには驚かされたものであった。サンパウロの外国商工会議所の機能や活動を調査してみると、彼等は、共催制は当然のことと考えており、積極的に推進していた。各種イベントがより大規模かつ質の高い内容のものにできるかが、共催するかどうかの判断の基準なのである。その年の理事会で判断基準を作成したうえで共催が可能となった。
2)スポンサー制度の導入
もう一つの不可解な点は、日本商工会議所のイベントや活動にスポンサーを認めないという規則であった。具体的には、会議所のクリスマス・パーテイでヤマハ・ミュージック等がブラジルの著名なミュージシャンを善意で呼びたいというオファーがあっても、認めないということである。他の外国商工会議所であれば、会議所には経費はかからず、参加者全員が喜ぶとあって大賛成するところである。しかし、日本商工会議所の場合は不可だった。会議所が経済的に裕福であるならば、それでもいいが、決してそうではないにも関わらず頑強に反対する。そういう驚くべき体質を持っていた。私も常任理事であったので、制度改革のために、早速共催とスポンサーシップの承認にあたってのルールを作ることにした。常任理事会での難航が予想されたが、意外にすんなりと承認され、日本商工会議所もようやく普通の外国商工会議所並みの常識が通用するようになった。早速、スポンサー制度確立の成果が出たケースがあらわれた。
当時会議所紹介のパンフレットはあるにはあったが、極めて貧粗なものであったので、新しく見栄えの良いものに作ろうということになり、初めてのスポンサーシップ採用制度を活用することになった。具体的には、1社、2、000レアル(約10万円)で10社のスポンサーを募り、3つ折り6ページの日本語版とポルトガル語版の見映えのするパンフレットを2006年に発行した。スポンサーの会社にはロゴを掲載した。これにより、会議所は2万レアル(100万円)の節約が可能となった。
3)「現代ブラジル事典」発行の話
 2005年5月に、小池洋一教授他監修者の方々、多くの会議所会員等の執筆者の協力で「現代ブラジル事典」が発行された。原稿の遅れなどで出版が遅れ、データも古くなっていることもあり、会議所の会員企業の中でも、出版しても売れないという人もかなり多かった。そのため会議所の予算計画には、当初3万レアル(約150万円)の赤字が計上されていた。私は、その数字をみて大いに憤りを感じたものであった。販売努力をせずに初めから赤字計上するとは何事だという意見である。そこで、会議所の中で、いくつかのルールを定め、販売計画を立案した。
@ 大使館に対しても寄贈しないで購入してもらう、A常任理事会社は、10冊購入、B部会長会社は、5冊購入、Cその他の会社は、T冊購入という方針で進めたところ部数が足りなくなったのである。その結果、3万レアルの赤字が反対に3万レアル(150万円)の黒字になり、会議所の財政基盤を強化する上で、少しは役立った。
(2017年4月執筆)


新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その35)
連載エッセイ35
ラバジャット事件で考えたこと−寛容性と許容度の範囲
執筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)
1)ブラジルの贈収賄事件に関する興味ある3つの点
今、ブラジルで大問題になっているペトロブラスを中心とした贈収賄事件、「ラバジャット事件」の動きをフォローしていると、いくつかの信じられないことが指摘できよう。まず第1は、収賄者の限りない広がり、第2は、収賄額の巨大さ、第3は、贈収賄方法の露骨さである。その背景となる国民性の相違につき独断で考えてみた。
シェークスピアの作品「ジュリアス・シーザー」に出てくる「ブルータス、お前もか」を思い出させるくらいに次々と収賄者が出てくる。大統領、大臣、連邦上下院議員等国内の政治家のみならず、ベネズエラ、ボリビア等ラテンアメリカの大統領等にまで広がっている。収賄しなかった連邦上下院議員を探す方が難しいくらいである。まるで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的現象である。クリーンと思われている日系議員の名前も取りざたされている。興味ある点は、日系議員の場合、その真面目さを反映してか、収賄金の額が、ブラジル議員と比べて、俄然低額なことである。
第2の贈収賄額の巨大さは、日本人の発想からは信じられないくらい巨額で、2〜3桁上でないかと思えてくる。しかも年々エスカレートしてくる。日本でも昔、ロッキード事件のように大きな金額の賄賂の話があったが、総じて規模が小さいと言えよう。最近の新聞やテレビの報道を見ていると、ラテン人もびっくりするほどの小さな額、例えば、10万円以下の贈収賄や接待でも新聞沙汰になり、逮捕されたり、あちこちから大なるバッシングが加えられる。収賄者は、容赦なく再起不能なまでに叩かれる。
第3の賄賂の露骨度合いもびっくりするくらいである。先進国であればもっとスマートな方法で贈収賄が行われるのであろう。ブラジルでも、おそらく、もう少し目立たずにやっていたと思われるが、今回のように限りなく収賄者数が広がりを見せると自ずと露骨なやり方になってくるものと想像される。
2)贈収賄を考える上での2つのポイント
ラバジャット事件から、日本人とブラジル人やラテン系の国民性も考慮し、2つの点を指摘したい。1つは、寛容力と許容度の相違、2つ目は、リカバリー・ショットの有効度の相違である。
ブラジルやラテン系の人々は、総じて寛大な性格を持っている。自分に対しても他人に対しても寛大である。時間に対しても寛大だし、お金に対しても、寛大である政府予算などは、時折ルーズとも思われる時もある。
どこの国でも、贈収賄は罪であり、法律に抵触する。そのことは誰もが知っていることである。しかし、ここで問題となるのは、どの程度までが、大目に見られるのか、許容範囲なのか?ということである。日本とブラジルでは相当大きな、相違があると思える。例えば、日本の場合、公私混同は嫌われるところであり、ラテンの世界から見ると十分に許される、極めて些細な公私混同も排除されがちである。ネポテイムズに対しても慎重であり、限度を心得ている。贈収賄額にしても、前述のように、ラテン人なら何の関心も呼ばないほどの小額でも反応する。これに対して、ブラジルやラテンの世界では、公私混同の幅が相当広く、アミーゴにでもなると、日本人から見ると、公私混同と思えるようなことをダメ元で頼んでくる。ラテン系のアミーゴを持った人なら経験したことであろう。しかし、これはどちらかというと公私混同の限度に関わる問題であり、どちらが正しいというような問題ではない。
ラテンの世界では、貧富を問わず、政府、政府機関、公社公団、企業で出世し、収賄者の仲間に入るくらいになると、一族郎党やアミーゴが黙っていない、何とか出世者がもたらす恩恵や甘い蜜にたかろうと集まってくる。仮に一人だけ清廉潔白でいたいと思っても決して一族郎党、アミーゴは許してくれないだろう。そんなことをしようものなら、一族郎党やアミーゴ仲間から爪弾きされる。特に貧困層出身者の場合、一族郎党は千載一遇の機会を逃すはずがない。日本の場合もネポテイズムが存在するが、元々許容度の幅が狭いのと、少しやりすぎるとマスコミ沙汰になることもあり、限定的と言える。日本人は、総じて裕福で、他人に頼ることを潔しとしないという性格も影響しているのかもしれない。
 誰でも最初に収賄金を受け取る時は、恐る恐るであろう。しかし、回数が重なると、慣れで麻痺してしまう。さらに、収賄金の要求もエスカレートして行くのである。加えて、自分だけが甘い汁を吸っていると、周りから足をすくわれることもありうるので、アミーゴ社会のルールに従って収賄仲間を増やしていくことになる。発展途上国では仕事をする上で、賄賂は必須と言われてきた。自分たちが賄賂を贈らなければ、他企業が贈ることになり、プロジェクトを取られてしまい、勝機を逸することになる。OECDなどで賄賂を禁止するルールが出来上がっているが、なかなか贈収賄絶滅とまではいかない。発展途上国で、ビジネスをする場合、プロジェクトの契約額の10%とか15%をキーマンが賄賂として受け取る例もあり、中には、Mr. 10%とかMr.15%と呼ばれている人もいると言う。露骨度もこれくらいのレベルに達すると比較的清廉潔白な日本人ビジネスマンとしては、なかなか手が出なくなるし、むしろ手を出すべきではないと思われる。
ブラジルやラテンの世界では、一度又は数度、悪いことをして、有罪になった人でも、再び、三度、表舞台に出てしぶとく活躍する人が少なくない、特に政治家に多くみられる。日本では、名誉回復のためのゴルフでいう名誉回復・失地回復のための「リカバリー‣ショット」はなかなか認められない。一度でも破産したり、事業に失敗したりすると、その後成功しても名声に尾を引くケースが少なくない。ラテン世界では、寛容度の幅が大きいので、「リカバリー・ショット」に対して、総じて寛大である。表舞台に出てきた人物もあたかも何も悪いことをしなかったかのように堂々と振る舞うのを常とする。この点も、贈収賄問題が繰り返されることと関連してくるように思える。
 1970年代に、メキシコに駐在していた時には、腐敗した警察官についての話題が多かった。街角に立って交通違反を取り締まる警察官も成績が良く、上司の覚えが目出度いと、白バイ、さらにパトカーに乗れるようになるという。出世すればするほど「mordida」(小賄賂)の収入が飛躍的に伸びるのである。それぞれの警察官が、収入の全額を受け取れるのではなく、機会を与えてくれた上司に対して上納金を納める必要がある。当時の雑誌によると、真面目な警察官は上司に上納金を支払えないので、週末の土日にパトカーを借り出し、収入を増やしたと報じられていた。ブラジルでも、警察やマフィアの世界では上納金が存在すると思われるが、政治の世界では、ラバジャットの贈収賄金がどれほど上納金として使われたかを知りたいものだ。とりわけ労働者党で上納金がどのように政治資金に使われたのを解明して欲しい。
 欧米では、よく司法取引が使われる。日本大百科全書によると、「被告や容疑者が罪を認めたり、捜査への協力や他人の犯罪について供述や証言する見返りに、検察が求刑を軽くしたり、訴因が複数ある場合にはその数を減らすことを認める制度」となっている。今回のラバジャット事件でも、ペトロブラスや大手ゼネコンのオーデルブレヒトの幹部の証言が多用され、それら証言に基づき起訴される政治家も急増している。このような大掛かりな贈収賄事件では、司法取引は最適の方法と思われる。日本に、司法取引制度は存在しないのは、大掛かりな贈収賄事件がないからかなと何の根拠もなく思ってしまう。
以上、全く個人の意見である。
2017年8月執筆
(注)今回は、添付写真が無かったので寂しいので勝手に1枚付けて置きました。



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