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城 島 学 校  あるブラジル日系異色企業の足跡
一つの企業から、かくも多くの人材が独立発展したという例がはたしてブラジル
80年の日系コロニアの歴史にあったでしょうか。戦後移住者や二世の若者に果たした城島商会の役割は正に「学校」ではなかったか。。。。60年間在伯したある移住者が設立した「異色日系企業」の足跡をたどる。ブラジルの熱い時代とその中を歩んだ城島慶次郎とその周辺。(城島学校表紙の扉書きより) 掲題の312ページの『城島学校』刊行委員会のメンバーで編集責任者の神戸高校10回生の山下 日彬(テルアキ)さんから同書の寄贈を受けた。私が最初にブラジルに住んだ学生時代の二年間は、この城島商会を連絡先として使用させて頂き神戸高校の同窓生が何人もお世話になっていた懐かしい会社であり、私も城島学校に一宿一飯の草鞋を脱いだ聴講生?の一人でビラマリアーナにあった城島御殿に御呼ばれに行った事もある事から同書から幾つか抜粋して掲載させて頂く事にします。


『城島学校』出版にあたって
 城島慶次郎は佐賀県の出身で、一九二七年に単身移住、一九四五年城島商会を設立、松下電器、株式会社リコー、TDKなど日本の一流メーカーの総代理店として活躍し、その最盛期には従業員500名、月商400万ドル(1972年)というコロニア屈指の商社に成長させました。
 その間ブラジル4H協会会長やサンパウロ学生会会長などの公職にもつき、一時は民間大使といわれたこともありましたが、すでに事業活動を停止、日本に帰国しました。
 城島商会時代に日本からの単身移住者の呼び寄せ、現地採用者、二世の若者など、のべ千名以上採用しましたが、現在この旧社員たちがブラジル各地はもとより、広く中南米を舞台に活躍しており、自営業者は五〇名を数えます。
 同じ職場から巣立った、かくも多くの人材が独立発展していったという例が、はたしてブラジル八〇年の日系コロニアの歴史にあったでしょうか。
 一人の戦前移住者が私企業を通じて、戦後移住者や二世の若者に果たした役割は正に「学校」ではなかったか、そしてその記録はブラジル移民史の一部として後世に残す価値のあるものではないかと考えるに至り『城島学校』出版の運びとなりました。

 本書を単なる伝記にするか日系コロニアの未来に一石を投じるためか、編集段階で関係者各位から色々と貴重なご意見を賜りましたが、結論は読者のご賢察にまかせるようという含蓄の書となりました。
                   『城島学校』刊行委員会

(平成14年8月11日タイプアップ 和田 好司)



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