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第38回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2018ー2019』その7
バ=チャル座談会その7は、五十嵐さんからのしゅくこさんへの少し遅れた返事から始まり花咲爺の会井川会長の今年の1年の総括で終わっています。久し振りの伊豆山さんのご発言も収録させて貰いました。今年初参加のカリフォルニア在住の村松さんの書き込みは、4月にロス、サンフランシスコ訪問予定の私には大いに役立つものです。麻生さんのブラジルニュースのイスラエルの造水技術ノウハウ導入の話題も広橋さんの実体験披露で沸き立ちましたね。
写真は、月並みですが、私の年末の挨拶状を使うことにしました。


五十嵐:しゅくこさん、みなさん ご返事が大変遅れ、先ず、遅ればせながら、「クリスマスおめでとう」そして続いて、年賀状の代わりに「謹賀新年」も書かなければならなくなりました。年の瀬で何かと忙しいのに急に眼の具合が悪くなって医者に行ったり、ぼやぼやしたりで、お待たせしてしまいました。右の眼は緑内障(眼圧の異常上昇による)左眼は反対の脈絡膜剥離と云う丸いはずの眼の玉が縮み眼圧がゼロになる奇病です。
 さて、亡父の事ですが、もう40年も前のある真夏の日、例のごとくサンパウロ大学の新キャンパスの工事の進行状況を見たくて出かけようとしている父に「今日はとても暑くなるようだからおやめになったら」という母の言葉を振り切るようにして出かけたのでした。家から大学の裏門までは約10-15分、あちこちの空き地部分には背の高い夏草が生い茂っていたころです。いつもあちこちの建物を見て、植物学科の近くにある日本庭園の青桐の下のベンチに腰かけて一休みし、またとことこ歩いて帰るのが日課だったようです。ところがその日は何時まで経っても、夜中になっても帰らない。「どうしたんだろう、さあ大変だ」。大学都市の管理室、警察、近くの救急病院、そして周りのバス会社などへの問い合わせ、身元不明の死亡者鑑別院から近郊の都市迄、手を尽くして探したのですが、見つかりませんでした。東京銀行に勤めていた弟を始め多くの友人たちも手分けをして協力してくれましたが見つからないのです。そして半年も経ったある寒い冬の日、枯れた草むらの中に散らばっていた父の白骨が、近くの道路で遊んでいた少年に発見されたのでした。警察の判定に役立ったのは骨の横に転がっていた杖に「一ツ橋大学校友会寄贈」の文字が刻印されていたからでした。88歳米寿を迎えた年の出来事です。どうして草むらにいたのか、或いは入れられたのか。警察で云っていた、死体を狙うカラスの群れが草むらの上を舞っていなかったのか今もって不明です。発見は小生のスイス滞在中で、遺体(骨だけ)の引き取りや書類の手続きなど弟に苦労を掛けました。母は7年後、弟もその数年後亡くなり、今は下の姉と小生だけが生き残っています。
 おのれの夢を果たしたい海外移住や長期出張で親を泣かせた不孝はW−50のお仲間も含めて多くの人が背負っている罪の十字架でしょう。小生の場合、外地が大好きで友人も多い父に同調 共鳴していた弟は南米銀行(宮坂氏、父の友人)の呼び寄せで慶応卒業後直ぐの1953年に、そして、南アメリカの香料開発の夢に取りつかれていた小生は2年遅れて兼松(広川氏、これも父の戦時中からの友人)の呼び寄せで55年に移住しましたが、その1年後、父に引かれて家をたたんでこちらに来た東京育ちで東京好きの母は移住に反対で、その上、やはり東京人の婿二人でともに日立製作所の内地工場勤務の技師に嫁いでいる姉二人と別れるのが悲しくて泣いていました。何年か後、上の姉が亡くなった時は皆で知らせないように工夫した手紙をやり取りしていましたが、何となく感じていていたようで、その後あとを追うように亡くなりました。父と同じ88歳の誕生日を迎える直前の事でした。
しゅくこさん 二伸 7人のご親友を招待し、腕によりをかけた素晴らしいお料理(写真を見てもよだれが垂れそう)を味わいながら賑やかに語り合って楽しいひと時を過ごされたのですね。 お尋ねの我が家のクリスマスパーティーは平凡なものでした。二人の息子がそれぞれ孫たちを連れて来てくれました。クリスマス&新年のプレゼント交換、持ち寄りの食材での食事、ケーキ切り、乾杯、写真撮影などです。中の娘(化学技師、独身で同居)が料理や部屋の飾りつけなど世話を焼いてくれました。長男には大学5年で来月卒業(都市計画デザイン科)の長女と2年生(スペイン語科)の次女がおり、次男の方には小学1年の男の子だけです。息子(二人とも電気技師)たちも、その嫁たちも孫たちもそして小生自身(卒業資格検定)もみんな亡父の望んだ家の前のキャンパス内のそれぞれの学部で学んだので、前便で書いたように泉下の父は満足していることと思っています。(しかし、内緒ですが、私は師弟関係が緊密で、学生にきめ細かく教え、生活、就職の世話までし、卒業生を大切にする日本の大学、例えばわが母校農大の方が学校(研究所ではない)としてはずっと優れていると思いますが)

村松:和田さん、麻生先輩からのご紹介に預かり、皆様の仲間に入れて頂き光栄に存じます。Texasには冨田学移連大先輩が居られ興味深い話題の投稿で楽しく拝読させて頂いて居りましたのでお仲間に入れて頂き感謝です。
 ご承知の通り米国も伯国と同様広大な国家です: 東部諸州は米国独立の初期の歴史を持ち初期には何事も英国に反旗を翻して来ましたが今は本国の影響を継続しています、そして国家の政治や教育の中心地でも有ります。南部諸州はフランスの影響が強くその後は黒人奴隷が導入されヤンキー化した白人社会で人種差別の問題が今だ続く州が多いところです。中部諸州は東西欧州各地から東部諸州に入った移民の子孫や、直接この地に移民してきた一世の子孫で真面目な農業者で穀物、畜産業の多い地区です、特に五大湖の周辺は大西洋への繋がりで重工業地帯であり、米国の自動車産業や鉄鋼業の発展を支えてきた諸州です。西部諸州は米国でも特異な地域で東部から中部へ移動し更に西部を目指した開拓者が開いた諸州で、金銀の鉱物資源の夢を求めまた農業生産に優れた地域をも同時に発見し豊な州となった、その後はハイテク、軍事、環太平洋貿易地区として続々と人が移り住んで更に米国一の富める州を築き、独立すれば世界第五位に入る経済力を持つまでになっている。
 Los Angeles滞在の日程(日時、ホテル等)が判明しましたら教えて下さい、お会いできるか解りませんが機会が出来ること期待しております。小生の住まいはロス中心から60km北に位置し砂漠の真っ只中、現在ロス地区は飽和状況で居住地区を東はColorado川に向かって、南はSan DiegoやMexico国境まで、そして北は我々の住む砂漠地まで広がってきて約2.5千万の人口です、ロスの大都市はビルが建ち並ぶ事務所街、その周りはラテン系や黒人系住民地区、その外側は日本人を除くアジア系や中東系、そしてその円の外側の衛星都市に白人系が居住する「ドーナツ現症」で出来上がっています、日系はこの白人系の中に居住しています。
 Manzanar Internment Camp(日系人強制収容所)は慰霊碑と当時のバラックだけでしたが、現在は日系社会の要請で国定史跡に登録され記念館が作られています、4月のManzanarは雪が見られる肌寒い気候です、またLos AngelesのLittle TokyoにもJapanese American National Museum(全米日系人博物館)が有りますので是非訪ねてください。San Franciscoには日本人共同墓地がColumaにある、咸臨丸乗組員三名や二系人排斥運動訴訟で活躍された国府田敬三郎(州のライスキングと言われた米作農家)の墓が建ち並ぶ、また日本人の最初の米国本土への移民を成し遂げた会津若松コロニー移住地がColoma(SFから150km Lake Tahoeに向かう途中の山岳地帯)にある、会津藩軍事顧問のオランダ人シュネール夫妻(婦人は武家の娘、赤子同伴)と25名の武士と農民の混合が米国の貨物船でSFに入港しこの地に馬車で入植、持参した桑の苗木、蚕で養蚕業、また緑茶生産を目指したが3ヵ年で失敗全員飛散、子守役の「オケイ」16歳が地主宅に滞在するが3年後風土病で死亡、その墓がGold Hillの丘の上にある、夕方になると日の沈む会津に向かって涙した場所。
 日系人の歴史がこのCaliforniaの各地に見られる、州の農業に大きく貢献したのも伯国同様日系移民の一世達である、その中には州の米産業に貢献した国府田ライスキング、レタスキングの南弥衛門、セロリキングの江藤為吉、ポテトキングの石丸、ペッパーキングの知野順三、等です、一世の殆どは大農場の労働者として働き貯蓄し、借地農(市民権無)からはじまり二世が21歳(出生地市民)となった時から農地を購入し、次第に自作農となり野菜や果樹、花卉、苺栽培で富を築いていく、二世の半数は農場経営継続し拡張するが、半数は高等教育を奨学金を受け優秀な成績で卒業し技術者、研究者、医師、弁護士、会計士、企業立ち上げに移行、三世の殆どは農業の後継が見られない、また日本語を解する者も少ない、そして今は四世、五世が主体となっている。
 California 州の状況も非常に変化に富んでいるので、またおいおい投稿させて頂き皆さんがこの地を訪問されたく思います。
 和田さんYosemite National Parkは4月雪が残っています、米国には沢山の国立公園がありますが、この公園は毎年の人気投票で上位5番以内に入ります、氷河で削られた岩の痕跡、ジャイアント・セコイヤの大木の森、花ミズキが一斉に咲、等素晴らしい公園です、楽しんでください。

和田:村松さん 丁寧な返信有難う御座います。訪日の際には。アメリカ経由が多くロス、サンフランシスコ、ヒューストン、デトロイト、シカゴ、NY、ワシントン、フロリダ、トロント等を経由していますが、今回各地域別の説明を受け勉強になりました。また4月に県連のふるさと巡りでロス、サンフランシスコを訪問する機会がありますが、マンザーナ日系人強制収容所、ロス、サンフランシスコ等カリフォルニアに於ける日系人の活躍の歴史を教えて頂き大変役立ちました。予備知識としては十分だと思います。その内にスケジュール詳細をお知らせします。自由時間もあるようですので是非直接お会いできる機会を作りたいと思いますので都合が着けば実現させたいですね。

五十嵐:村松兄 謹賀新年、貴兄のご健勝と貴家のご繁栄を遥かにお祈り申し上げます。
さて、貴提言(1)「太平洋戦争の原因解説」は100%適確なものとして、皆さまに広くお伝え願います。(2)外国人労働者導入の件も全く同感で、小生の例で汗顔ですが、65歳の定年後は80歳まで週4日技術顧問としてラボラトリオ(研究室)勤務、92歳まで週2日働きました。好きな香料の仕事ですから疲れることもなく幸せでした。要は自分に合った仕事を年寄りも続ければ国家の戦力になると思います。勿論ちゃんとした給料を払って、日本内地の遊んでいるような若い者たちもどんどん働かせることも肝要です。そのうち貴兄の云われるように事情は変って行きます。

和田:村松 さん 貴兄のご意見は、既に五十嵐さんも高く評価されておられる通り一つのはっきりした論拠に基ずく個人的なご意見としてバーチャル座談会にも残して置きますがその後の意見交換は、ご自由にして頂いて結構ですが、バーチャル座談会では取り上げない方針ですのでご了承下さい。管理人権限で勝手に判断させて頂きますが、ご理解下さい。

麻生:ブラジルニュース 東北伯の渇水地帯にイスラエルのノウハウ導入=イスラエルの斬新の用水ノウハウ取得のため、年明け調査団を派遣する。

駒形:イスラエルの造水技術をブラジルの旱魃地域に導入するのは・ 1)旱魃地域の(塩分を含む)地下水−カンスイーの塩分を除き、飲料水などに する。(作物への給水にも使う)2)大気中の水分を採取して飲用水などを作る。技術(設備)の導入のようです が、世の中には頭のよい人が沢山居るもんだと感心します。
海水から真水をとるなら、技術もあるし、コストだけの問題でしょうが、塩分含 む地下水から 採取ではどのくらいの量が使えるのか? 大気中の水分を固定するのでは大気の湿度がますます低下して、住民の健康問題にならないのか? などと思います。(ブラジル乾燥地帯は湿度が低く砂漠(湿度30%以下)並みという時期が沢山あります。湿度に恵まれる日本のヒトには想像できないでしょうが、大気の低い湿度は生活
に障害を与えます。)

麻生: 駒形さん  駒形さんがこれほどイスラエルの水利用について知っているとは思いもよりませんでした。小生は良く知りませんが、イスラエルは半砂漠のような土地で年間降水量は50−700mmとか。家庭用水の半分が海水から塩分を除いた装置から作くらえています。サナウロ州COLINAのCutrale社のオレンジ園ではイスラエルから導入した潅水システムを利用しています。それは点滴灌漑で、オレンジ木一本ずつ点滴して潅水します。少ない水源を有効に使うシステムです。
ブラジルの東北地帯は年間雨量700mmぐらいはありますが、700mmが3日間ぐらいの間に降ります。水を溜める池があえば利用できますが、そうでなければ水は未利用で無駄になります。又、地下に岩塩が多いい場所もあります。進んだイスラエルの技術は、東北伯で利用できるでしょう。

広橋: 一時(3年間半)ミナス州で電話関係で仕事をしていた頃、北東拍4州を視察で回った時、三、四年ぶりに雨が降りました。七歳の子供達が雨にびっくりしていたのを見てびっくりしました。北東拍では水は貴重なものです、今、透析治療の分野で仕事をしていますが、いつも、水質の問題が出ます。
ご記憶の事と思いますが、水の問題で60人以上の透析患者が一度に亡くなった事故が(フォホで有名なカルアル市で)ありましたが、その時の事故の経緯は、長期間雨が降らず、透析クリニック(水を大量に使用)が水不足となり、善意で市が急遽運んできた水の水質が悪く、その対処として、強いUV(紫外線)による殺菌をしてから使用しました。ですが、目に見えない菌の死骸を取り除くプロセスを怠り、その菌の死骸が毒素となって、患者達を一度に死なせてしまいました。
それで、ブラジルでは中央薬液供給方式(日本採用)が禁止され、個人個人薬液供給方式(複雑、面倒=弊社方式)に変わりました。(弊社は事故に関与していませんので、・・・・)急遽、丸紅が700台以上(アメリカ製と日本製の透析機をかき集め)を納入しました。この一度の納入ボリュームは世界でも例がありませんでした。
短期間で、ブラジル全国(60箇所以上)への納入、据え付け、トレーニング作業が大変でした。
丸紅は一か所一か所の作業承認のエンドユーザーのサインを取得しないと一銭も支払いをしてくれず、ひどい目にあいました。あれ以来、広橋のノイローゼが・・・・。

麻生:広橋さん カルアル市はセアラ州のカルアルですか? フォホとは何ですか?
サンパウロ市の水道水だって水質は悪いです。ブラジル人は黴菌がいなければ、良い水だと思っていますが、有機的には良くても、重金属や化学物質、いわば無機的に除去されていなければなりません。ブラジルの水道水は無機的には落第です。

広橋:麻生様 1)カルアル市はペルナンブッコ州都から60kmくらい内陸部にあります。そのままもっと内陸へ進めば(50km)ルーラガ生まれたガラニョン市です。2) フォホは北東拍地方の音楽の一種です。必ずアコーディオンが主役を務める音楽です。語源は英語の”For all"(みんなで!)から来ています。私が行ったころ、彼らはその言葉の起源を余り知っていませんでした。3) 透析に使用する水は水道水や井戸水を炭透過した後、OR処理します。この技術は海水を真水にする技術と同じです。

麻生:広橋さん 了解しました。Tks

駒形:古谷さん(及び参加諸兄姉)のご高説を拝聴しております。日本が世界戦争に乗り出した動機の解明とか、* 朝鮮、中国との(半世紀以上前の)紛争のいきさつとか、よく事情を調べられ、明晰な判断をされているものだと、感心、敬意を抱いております。
ただ、これだけの学識と判断力を「結果は動かせない、過ぎた昔の話し」でなく、「これからの世界の、或いはブラジルの話し」にご活用頂けたら、それを私共一般大衆にご紹介頂けたら大変ありがたいと存じます。
今回、麻生さんが「イスラエルのカンスイー真水化技術導入」案を紹介して下さいましたが、このようなブラジルに向く、明日のパンに貢献するような、できれば日本に関連したプラン、案など提案、ご議論頂けないものでしょうか?
 例えば、* 今在るブラジルの土地をもっと有効に活用する方策、(人も土地も余っているが、活用法が分からない)* 他の国では普及している 太陽熱利用発電、冷房などの利用、普及方策 * 日本では進んでいる魚類、海産物の養殖、生産方式の導入。など、諸先輩の所見をご披露下さい。

和田:駒形さん 貴重なコメント有難う。村松さん、五十嵐さんと同じ論旨の内容です。史実好きの古谷さんに新しい方向で博学と検索能力を生かしてメンバーの皆さんを啓発して呉れる事を期待しましょう。リオ3日目ですが、孫3人の世話が大変で大童ですが、暑いリオのクリスマス、年末を家族皆で堪能しています。来る年も宜しくお願いします。

伊豆山:山下さん、Batepapoの皆さん Boston の郊外、MIT, Harvardの隣接地Cambridgeに娘が住んでいます。
年末を一緒に過ごしたいとの招待で、昨日24日から娘の処に参りました。
昨夜、即ちクリスマスイヴに、近くの教会で行われたクリスマス特別コンサートに行きました。気温は約0度で、当地としてはそれほど寒くないが、サンパウロから来た僕には頬が痛い。教会に到着した時、既にコンサートは始まっていて、久し振りに荘厳なイヴを満喫することが出来ました。
ここ、ケンブリッジには中国、韓国の学生さんも大勢いるのですが、彼らはイヴの教会にはあまり関心が無いようで、東洋系は私と娘だけ。婿はゲルマンとユダヤの混血、白一色のコンサートの雰囲気は私にはこれが伝統的イヴかとの感じがいたしました。
マスコミを通して見るUSAはTrump暴風に大揺れの様ですが、市民の生活はここマサチュセッツでは10年前に訪問した時と変わらず、静かに流れています。では又、報告をいたします。

和田:伊豆山さん お久し振りです。クリスマスは、アメリカでおすごしですか。お嬢さんご一家と一緒との事、クリスマス特別コンサートに行かれ厳かな気持ちでクリスマスを過ごされたようですね。私は、孫3人をリオに集結させ暑いリオで娘たち夫婦と過ごしています。
私たちの50年!!伊豆山さんの所にも届いていますか?退会されたのでしょうか?伊豆山さんのメールを50年!!メンバーにも流して挙げてもよろしいですか?何か理由があるかも知れないのでこのBATEPAPOでお問い合わせさせて頂きます。
寒い北半球でのクリスマス、新年、寒さに負けず良いお年をお迎えください。
リオに居ますので山下さんとも連絡を取って見る積りです。近いようですが歩いて行けるかどうか?ではまた。。。

伊豆山:和田さん 娘さんと楽しいクリスマスを過ごされたとのこと、良かったですね。リオで娘さんのコンサートにご招待頂いたことを思い出します。
その折は大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。
又、何時も精力的に日系社会の情報を送って頂き、和田さんには大変感謝いたしております。
W50の皆さま、それぞれ個性がおありで、論戦が広がること大変結構なことです。私も議論好きなので、議論にのめり込むと徹底的論戦をやる羽目に陥り、それなりの時間と労力が必要となのでしょう。当面、私はそれを避け度く思います。
従って私の拙文のW50への転載は構いませんが、それに対するお問合せ、返信の応答は避けさせて頂きますので、ご了承下さい。以上、ご理解のほど、お願い申し上げます。

和田:伊豆山さん 山下さんのBATEPAPOを通じて久し振りに伊豆山さんのアメリカのお嬢さんご一家とクリスマスを過ごされ厳かなクリスマスコンサートを楽しまれたとの書き込みを見付け50年!!の皆さんにも流させて貰いバーチャル座談会にも残して置きたく問い合わせをさせて頂きました。50年!!のメールは受け取っておられるとの事安心しました。又お時間、心のゆとりが持てた時に書き込んで頂けると喜ばれる方が大多いのではないかと思います。宜しくお願いします。
娘、孫の世話に疲れ?今日はforga(休憩)を取り逃げ出して山下さんと10時半に落合、昼を含めた半日の男同士の付き合いを楽しむことにしています。
では、また。。。このメールを50年!!にも流して置きます。

井川: 50年のみなさま 2018『花咲爺の会』活動報告 遅くなりましたが、ご報告申し上げます。
1.本年度の活動
  @準備していた苗が寒波のため枯れたので、関東各地への移植はまったくできませんでした。
  Aブラジル和田さん、石田さん、久留米のはなさん、神戸の出石さん他からご送付いただいたイペーの種子は、熊本県大津町、山口県下関市、広島県東広島市、大阪府門馬市、京都府亀岡市、三重県津市、岐阜県中津川市、岐阜県関市、などブラジルと関係のある18の市町村へ贈呈しました。更に希望する個人28名(無償)及び購入希望者2名へ送付しました。ありがとうございました。
2.イペー苗の状況。
 @ 関東地方各地へ移植するために、前田・小出両氏提供のイペー苗約600本を立川市の東京都農林総合研究センターへお願いして育成中でしたが、今年の2月の予想外の低温(マイナス13度)のために、地植えした4年物の苗は全数枯れて廃棄されてしまいました。
A 幸いテントの中で冬を越した約30本の苗がこれから5年目の冬を迎えますので、来春、一部は千葉県一宮市の稲見氏の土地へ移植し、残りは東京都のどこかの公園へ移植する予定です。
 B江戸川区公園緑地化へ委託していた苗約120本も、低温と塩害で
  ほぼ全滅しました。 
 C2016・6移植した世田谷区駒沢オリンピック公園のイペー5本は、今年冬の低温(マイナス4度)で枯れて廃棄されました。
 Dその他の苗はまだ一年未満です。
3.開花の可能性
  来春の開花を期待している(要チェック)イペー これらの状況を見て、春以後の戦略を立てる。
 @横浜市鶴見区役所前 4本  
 A府中市神代植物公園 2 本(二年目も咲くか?)温室
 B群馬県立大泉高校 7本 
 C東京都大田区五味さん 1本
 D千葉県一ノ宮市稲見さんトレーラーハウス他 数本
 E仙台市営林寺 1本 (仙台初花?)
 F群馬県館林市はなさんのお友達 地植えで咲くか?
 G茨城県常総市 前田さんのご努力が実るか?
  茨城の寒さに「池前」は耐えるか?
4.来年の活動方針(案)
 @日本の寒さ(マイナス10度程度とする)と寒風に耐えるイペー
  を探したい。
 A上記及び日本での育て方について、的確なアドバイスをいただける学者または専門家を探したい。(上記@Aについては、在ブラジルの皆様のご努力を期待したい)
 Bなるべく多くのイペー栽培希望者を探して、(室内・鉢植えでいいから)
 一本でも多くのイペーを咲かせてもらうよう努力する。 
まことに情けない活動報告で申し訳もありません。 みなさま、良いお年をお迎えください。  感謝!

和田: 爺の会井川会長殿 実は、井川さんには、爺の会の2018年度の総括を是非お願いする積りにしていましたが、以心伝心と云うか井川さんより先に報告頂き有難う御座います。爺の会ホームページとバーチャル座談会に残して置きたいと思います。
井川さんに押し付けた形の爺の会会長職を全う頂き地道な活動を黙って続けて頂いている井川さんに頭が下がります。本年度の活動、イペー苗の状況、開花の可能性、来年の活動の可能性に分けて分かり易く簡易に総てを漏らさず報告頂き花咲か爺の会の現状が良く理解できました。
来年も細やかな地道な活動を続けて行きたいものですね。無理をしない程度で結構ですので宜しくお願いします。
よる年並みの老人の域に入って来た我々ですが、生かされている間は、ブラジルの国花、イペーの花を日本で咲かせるキャンペンは、続けて行きたいですね。来る年も宜しくお願いします。

井川:はなさん、杉井さん、出石さん、しゅくこさん、その他の皆様                 とつぜんですみません。
昨日「花咲き爺の会」の今年の活動報告をさせていただきましたがその際
皆様のことも書かせて頂くべきだとは思いました。しかし、よく存じ上げないことを勝手に書かせていただくわけには参りませんので、遠慮させていただきましたがみなさまがそれぞれイペーの普及のためにいろいろなご努力をされていることは、50年の皆様も先刻ご承知ですので、恐縮ですが、改めて、今年の活動報告と、来年以後の活動計画などについて、もしよろしければ、レポートしていただけないでしょうか?
「爺の会」への苦情、ご要望なども、ございましたら、お書きください。来年以後の活動の参考にさせていただきたいので、よろしく願い申し上げます。 感謝!                                    



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