第38回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2018ー2019』その11(番外編)サンパウロ新聞廃刊!
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今回の第38回バーチャル座談会の番外編として12月20日に発表された爆弾社告サンパウロ新聞廃刊のニュースを残して置きたいと思います。73年間の歴史的な幕閉めの鈴木編集局長の苦渋の決断、今後の動き等を社告、廃刊の経緯、新年最終号の挨拶等を収録、複雑な思いのライバル紙のニッケイ新聞深沢編集長の関係記事等を皆さんのコメントを含め1万語で纏めました。水戸に御住みの叔父さん、友人がブラジルに御住みと云う歳男の千田徳夫さんの飛び入りコメントも収録しました。
写真は、ニッパク新聞に掲載されていたサンパウロ新聞の廃刊のいきさつの記事を使いました。
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社 告
いつもサンパウロ新聞をご愛読いただきありがとうございます。
サンパウロ新聞は創刊以来73年間にわたり、読者の耳目となり、また日系コロニアのオピニオンリーダーとして微力ながら尽力してまいりました。しかし、新聞を取り巻く環境が大きく変化し、今年の12月22日に発行する今年最後の紙面及び2019年新年特集号(2019年1月1日号)を最後に廃刊せざるを得なくなりました。
近年、読者の急激な減少に加え、印刷、配送費の高騰により、新聞発行が困難となりました。新聞社としては、経営努力により、継続を模索してまいりましたが、新聞発行を続けるのは無理と判断し、廃刊を決定した次第です。
ご購読頂いてきた読者の皆様に大変ご迷惑をおかけすることを心からお詫び申し上げますとともに、長年ご愛読いただき、ご支援いただきましたことに心よりお礼申し上げます。
サンパウロ新聞は廃刊となりますが、読者はじめ日系人の皆様、日本の皆様に新しい邦字紙を提案したいと考え、インターネットでの情報発信を考えております。近いうちに立ち上げられるよう鋭意努力しております。引き続きご支援いただきますようよろしくお願いいたします。
サンパウロ新聞社
本紙廃刊のいきさつ
急激な読者減と経費膨張が引き金 度重なる運転資金ショートで決断
社告でお知らせしたように、サンパウロ新聞は今月22日付新聞及び2019年新春特集号(1月1日号)で廃刊となる。本来は、もっと早く皆さんにお伝えするよう準備を進めていたのだが、社告掲載直前になり新聞社に投資したいという人物が現れたため、最後の最後までもつれ、直前になってしまった。この顛末についても触れながら、廃刊を決めるまでの経緯について振り返る。【編集局長・鈴木雅夫】
◆投資家に振り回され 大山鳴動して鼠一匹
我々は当初、今月8日に社告を出す予定で進めていた。ところが、1日にかつてサンパウロ新聞にかかわった人物が「歴史ある新聞をつぶすのは忍びない。協力できないか考えたい」と接触してきた。知らない相手ではないので新聞社の現状や財務状況などを説明したところ「10日間時間が欲しい」、と引き上げていった。ところが10日経っても「もう少し時間が欲しい」と引き延ばされ、本人ではなく、弁護士を介しての連絡が多くなった。
相手は真剣に再建策を考えていたのだろう。弁護士、会計士などを呼び集め、さまざまな策を模索していたようだが、こちらには具体策が提示されず、時間ばかりが過ぎた。15日付け紙面で社告を出すのが限界だと考え、13日からは小刻みに返答の期限を切って、回答を迫った。本人が投資するのではなく、後ろにスポンサーがいたようだが、その素性は全く分からない。「協力を考えているが、今の段階では『可能性が高い』としか言えない」と一歩も前に進まない。こちらが出した条件は、「新聞発刊を継続するなら、少なくとも半年間の運転資金を用意する事」、「社員に対して改革の具体策を説明する事」の2点だった。
しかし、このいずれも回答が得られず、相手は、新聞社を清算会社として負債を背負った形で切り離し、新会社を設立して運営していくという骨子を決めただけだった。最終的には18日夕刻に物別れに終わった。相手が考えていたのは、新聞社の名前の利用価値だけで、読者や新聞社の社員の事は眼中になかったのだ。読者の皆さんには大変申し訳なく思っている。
◆社員は解雇し、精算業務主体に
数年前から購読部数が激しく落ち込み、さらに印刷費用、配送費用の値上がりも続き、これまで通りの新聞発行が難しくなってきたため対応策を考えていた。当初は週5日発行しているものを週3回に減らすことや配送を毎日ではなく、2日分をひとまとめにするなども考えた。しかし、弊紙1紙だけでなく競争紙があるため、こうした策が取れなかった。また、制作員や記者などの新聞作りにかかわる人員はすでにぎりぎりの数だったため、さらに減らすこともできなかった。
今年になり、印刷費や配送費の支払い遅延が頻繁に起こり、以前から続いていた社員への給与遅配がさらに深刻化するなど、運転資金が不足してきた。運転資金のショートだけでなく、国立社会保障院(INSS)への負担金が納められず、そして1年ほど前からは退職金積立制度である勤続期間保障基金(FGTS)への積み立ても滞り、小手先の対応策では処理できず、10月に廃刊を決断するまで追い詰められた。このままだと社員の権利まで奪ってしまうことになるため、10月下旬に社員に対して廃刊を通知し、正式なかたちではないが社員の解雇も告げた。解雇までの間にFGTSの未払い分を納めれば、社員の最低限の権利は守れると判断したためだ。ただし、社員らが消化していない年次休暇(有給休暇)の清算については、弊社が所有する不動産を売却して資金を作らない限り不可能であると告げた。これに関して、社主であるエレーナ・ミズモトは、不動産売却後に必ず清算する旨を確約する文書を作り、自らが署名した上で当該社員らへ渡すと明言した。
◆給与遅配で最後まで頑張った社員たち
読者の皆さんに対しても社員に対しても73年間発行し続けて来た新聞を廃刊にするのは断腸の思いだった。一緒に働いてきた社員にとっても職場を去らざるを得ない不安と新聞への思い入れがあった。社員からは、「12月末まで新聞を発行する資金があるのなら、今すぐに廃刊にして、その資金で我々に対して支払わなければならないものを払って欲しい」という要望が出されたが、会社側はこれを拒否せざるを得なかった。自転車操業で新聞を発行しなければ広告収入を得ることができず、社員に支払う給与が確保できないからだ。
廃刊を告げた時、若い女性の編集部員が、「中途半端に新聞を作るのではなく、最後まで精一杯いい紙面を作るよう頑張りましょうよ」と言ってみんなを奮起させてくれた。また、別の女性編集部員は「働いた分の給与をきちんと支払ってもらえるのであれば最後の号までやります」と付け加えた。さらに、編集部の中堅幹部2人は、「社告で知らせるだけでなく、紙面でこれまでの経緯を書いて残しましょう」と申し出てくれた。
社員の一人一人が様々な思いを持ち、自分の仕事を精一杯果たしてくれたことを誇りに思う。
Web版は実現できるのか 資金難を克服するのが最初の課題
【編集局長・鈴木雅夫】社告に「サンパウロ新聞は廃刊となりますが、読者はじめ日系人の皆様、日本の皆様に新しい邦字紙を提案したいと考え、インターネットでの情報発信を考えております。近いうちに立ち上げられるよう鋭意努力しております」という一文を入れた。
負債を抱える新聞社が資金もなく、Web版を続けることができるのか。Web版の中身を変え、毎日記事を更新していくためにはかなりの運転資金が必要になる。人材も必要になる。今も、頑張ってくれている社員への給与遅配は続いているのに、夢を語っているだけではないのか、と言われる。当然のことだ。
社員の給与を確保するため、日本で関係先を回る日々が続いている。しかし、廃刊というのは「敗戦処理」と一緒で、協力してくれる人は少ない。でも、「できることはしてあげる」と言ってくれる人もいる。涙が出るほどうれしい。新聞社が誠心誠意付き合ってきたからだろう。そして、Web版の話もすると、「それは、あなたたちへの投資だね。企画書を持っておいで。いいものなら投資として考えてあげる」と温かい言葉をいただくこともある。
Web版による「新しい邦字紙」とはどのようなものなのか。まだ、漠然としていて皆さんに紹介できるだけの具体的な内容にはなっていない。ただ、読者は今までのように日系コロニアだけを中心にしたものではなく、日本や世界各国に暮らす日本人でブラジルに興味を持っている人やブラジルの若い日系人を対象にするのがいいのではないかと考えている。このため邦字紙とは銘打っているが、日本だけでなくポルトガル語も含めた両国語のサイトが望ましいと思っている。
スタッフは筆者のような「老兵」が中心になるわけではない。若い人たちが新しい感覚で作るものを側面から応援する立場になる。新聞社で培った経験を生かして作り上げてくれることを期待している。皆さんもぜひ応援、協力してほしいと願うばかりである。
2018年12月20日付
和田:後先になってしまいましたが、サンパウロ新聞のWEB版でもサンパウロ新聞廃刊のお知らせが出てきましたので報告して置きます。残念です。
丸木で~す ブラジルに住んでた頃に邦字紙はサンパウロ新聞の他にもパウリスタ新聞と日伯毎日新聞がありました。カナダに移住した時にも邦字紙はトロントに大陸時報(コンチネンタルタイムス)とニューカナデアンがありました。この二紙が廃刊後に大陸の記者が独立発刊された日加タイムスが斬新な編集で気を吐いてましたが、印刷を辞めてから最近までオンライン電子版を発行されてました。今は僅かにバンクーバ新報が邦字紙として印刷発行されてるのみです。新聞はともかく、トロントには数年前からオーストラリアから来られた方が豪華な月刊雑誌TORJAを発刊されワーキングホリデーのビザで滞在中の日本人に好評です。僕はこの雑誌のレストラン広告を頼りに居酒屋巡りをして飲み友達が増え楽しんでます。
和田:丸木さん 丸木さんが居られた頃に有った邦字新聞3社は、パウリスタ新聞と日伯毎日新聞が合併して現在のニッケイ新聞になりサンパウロ新聞と2紙が頑張って呉れていましたが、活字の新聞を読む1世が激減し遂にサンパウロ新聞が廃刊になります。残ったニッパク新聞がどこまで継続して呉れるか? 1年でも1日でも長く続いて呉れる事を望みます。そうでないとBLOG、メーリングリストの話題が半減します。
カナダでも同じような現象が起きているようですね。サンパウロ新聞のWEB版が新規に活動して呉れるとありがたいのですが。。。
吉田:やはりそうですか,しかたありません。わたしも昔はニッケイ新聞をとっていたのですが、ある日新聞の全ページが真っ白になってきて次の日は全ページが真っ黒になって来たのでニッケイ新聞社に抗議にいつたところ、それは印刷所のミスだからわたしたちには責任ありませんとの答だったので憤慨しサンパウロ新聞に変えたわけですが、時勢ですね。先月まではフオーリヤでサンパウロな配達組織を使ってその日のうちに届いていましたが、今月から郵便でくるようになつて、二週間遅れでつくようになりました。二週間おくれでごそっと到着しても読む時間もないなで棄てています。来年の5月まで払ってありますがどうしようもないですね。深沢さんの勝ちでしようね。
和田:吉田さん サンパウロ新聞の廃刊は、残念なニュースですね。来年の5月まで支払い済みですか。実害が降りかかりますね。吉田さん御一人の実害だけでなしにブラジル日系社会の大きな打撃、損害です。今年の10大ニュースの第1番に上がるニュースです。年の瀬に来て遂に来てしまったかとの実感が沸いて来ます。
サンパウロ新聞の記者の皆さんが廃刊になる間に掲載して置きたいとの連載がこの所、続きサンパウロ新聞のニュースは良くなったと喜んでいたのですが、これが良識のある記者さん達の最後の仕事だったのですね。本当に残念です。
鈴木編集長兼実質社長職の鈴木さんの思いを想像すると断腸の思いだと思います。日本学生海外移住連盟の研修生として1年間サンパウロ新聞で実習記者を遣り帰国後もサンパウロ新聞の日本本社の責任者として働きサンパウロ新聞の経営が傾いてきた時にブラジルに乗り込み今まで編集長兼社長としてよくやってこられたと思います。
現在連載中の鈴木さんが書かれている学移連外史は、歴史に残る連載だと思います。これを残すことができただけでも鈴木さんの物書きとしての集成大作になったと思います。社会の木鐸と云われるブラジル邦字紙の半分が消えてしまう淋しを感じています。WEBの新しい形での復帰を切に望みます。
あけましておめでとうございます
皆様には長年にわたりサンパウロ新聞を愛読していただきましたが、すでに社告でお知らせしましたように、この新年号を最後に廃刊となります。
私ども邦字紙は、日系コロニアと運命共同体として72年間、新聞の発刊のみならず、様々な活動を展開してきました。新聞の大きな役割は、微力ではありましたが、オピニオンリーダーとして日系コロニアの健全な発展を願い、その道筋をつけたと自負しております。
日系コロニアは1世を中心とした社会でした。ところが、この社会も1世から2世、3世へと世代交代が進み、コミュニダーデ・ジャポネスと呼ばれる社会へと変貌を遂げました。この変化に対応するだけの力を蓄えられず、紙面刷新が十分に出来ませんでした。
ブラジル日本移民100周年の前後から新聞としての大きな使命は、ブラジルに移住した方々や初期の2世の方々の営みを、ブラジルのみならず日本にも知らせ、残すことだと考え、個人に焦点を当てた移民個人史を残すことに力を注いできました。まだまだやり残したことが多く、心残りです。
弊紙はブラジルと日本の交流に軸足を置き、社是としてきました。特に、日本文化をブラジルに紹介することを心がけてきました。詳細については、昨年12月22日付紙面に「サンパウロ新聞事業史」を掲載しましたのでご覧ください。皆様に思い出深い記憶として残っている事業を思い出していただけるのではないかと思います。
弊紙の創刊70周年記念としてブラジルで根付いた日本文化団体の皆様に実施していただいた「コロニア芸能界が贈るありがとう!感謝のショー」は、忘れることが出来ません。日本文化をこの地で守り、ブラジル社会に普及振興に力を注いでこられた各団体に微力ながら協力してきた弊社は、その成長ぶりに安堵するとともに、若い世代へのバトンタッチができていることをうれしく思います。
20年以上前の話です。米国サンフランシスコで発刊されていた邦字紙の社長が、本紙の学芸ページを見て、「この人たちが邦字紙を支えているんだ。大事にしないといけないよ」と言われたことがあります。その時、この新聞はすでに、学芸ページが組めなかったのです。当時、筆者はその意味が理解できませんでした。その後、弊社が主催する俳句会などに出席し、その意味が理解できるようになりました。ご高齢のご婦人が、毎朝6時になると自宅前に立ち、サンパウロ新聞が配達されるのを今か今かと待っていると言われたのです。この言葉を聞いたとき、読者の皆様が新聞を心待ちにされていることがひしひしと伝わり、我々の使命は新聞社の先輩が口癖のように言っていた「読者が最後の一人になるまで新聞は出し続ける使命がある」という言葉を胸に刻んできました。しかし、矢が尽きてしまったことは、言葉に言い表せない苦衷にとらわれています。それは、サンパウロ新聞発行にかかわってきたOBの皆さん、そして今日まで一緒に頑張ってくれた社員の皆さんも同じです。
我々も今日から新しい年が始まります。
人生100年の時代だといいます。どうぞ、いつまでもご健康で健やかにお過ごしいただき、皆様がこの地で活動してきたことを若い人たちに伝え、温かく見守りながらお元気にお過ごしください。長い間ありがとうございました。【編集局長 鈴木雅夫】
和田:サンパウロ新聞 編集局長 鈴木雅夫 さん
学移連派遣の関大学生当時にサンパウロ新聞に見習い記者として実習されて以来実に42年の長きにわたりサンパウロ新聞と共に歩まれ廃刊に当たり編集局長兼社長として廃刊を決意された苦衷を察しると松本さん、松田さん若い有馬亜希子記者(ポルトアレグレの日本祭りの取材に来て頂いた早稲田の後輩)の仲間同様にサンパウロ新聞の廃刊を悔やみます。昨年のコロニア10大ニュースのトップに位置づけられるコロニアの大損失になります。私たちの50年!!で開催中のバーチャル座談会のその11(番外編)としてサンパウロ新聞の廃刊を40年!!ホームページに残して置きたいと思います。
≪我々も今日から新しい年が始まります≫との事。新しい年を新しい門出として今後のそれそれの皆さんの新しい生活が軌道に乗るように心から応援しております。大変ご苦労様でした。今後とも宜しくお願いします。
千田徳夫:私は茨城県水戸市に在住している八十台の老人です、私のクラスメート、私の伯父さんのブラジルを永住の地として現在もそれぞれ生活をしているようです。私もイラン、テヘランに勤務の折に「アスンシオンでの会議出席のチャンスを利用してサンパウロに二泊して旧友に歓迎パーティーを開催していただきまして感激しました。伯父さんは「私の生まれた昭和11年にブラジルへ移住したとか、彼らが住んでいた跡地の名残からストーリーは聞いていましたが彼が懐かしんでいる世界はなく、私はサンパウロのホテルから岩手県に電話をして、前後に詳しい「岩手の兄貴へ電話して受話器を伯父に、もしもしだけの応答に終始しました、同席した伯父の子供たちは日本語も英語も解さない日本人の顔をしたブラジル人でした」その折に友人の案内で貴社を訪問、種々な話題に花を咲かせました記憶が昨日のような気分です。閉刊されるのは誠に残念至極デス。私がかって引き受けた農業研修「日系」はかっての日本社会の「良さ」を維持している人間で、今現在も私と彼は文通「メール交換」をしています。
和田:千田徳夫 様 サンパウロ新聞廃刊の報に接してのコメント頂き有難う。私宛のメールのようですが、鈴木編集局長さん宛とも思われますので50年!!と学移連ALLの皆さんにも流して置きます。バーチャル座談会の番外編、サンパウロ新聞廃刊の中にコメントの一つとしてホームページの残して置きますのでご了承下さい。今後とも宜しくお願いします。
サンパウロ新聞、73年の歴史に幕=急激な読者減少と経費膨張で=鈴木編集局長手記を要約掲載 ニッケイ新聞WEB版より 2018年12月21日
サンパウロ新聞が20日付で廃刊の告知を出した。今月22日付けが通常号としては最後、その後、年末に出す2019年新春特集号(1月1日号)をもって廃刊になると公表した。同日付コロニア社会面トップには、鈴木雅夫編集局長が「本誌廃刊のいきさつ」として、その経緯を記している。大見出しには「急激な読者減と経費膨張が引き金/度重なる運転資金ショートで決断」とある。経営が苦しいのは本紙も同様、まったく他人事ではない。サ紙創刊は1946年10月であり、2019年新春特集号まで入れれば73年目となる。コロニア史に残る大事件であり、鈴木編集局長の記事を以下要約する。(編集部)
◆投資家に振り回され大山鳴動して鼠一匹
当初は8日付けで社告を出す予定だった。ところが1日に、かつてサンパウロ新聞にかかわった人物が「歴史ある新聞をつぶすのは忍びない。協力できないか考えたい」と接触してきた。社の財務状況を説明したところ、「10日間時間がほしい」と待たされ、その後も「もう少し時間がほしい」と引き延ばされた。
サ紙側が出した条件は「少なくとも半年間の運転資金」「社員に対する改革の具体策の説明」だった。鈴木編集局長は15日付紙面で社告を出すのが限界だと考え、13日ごろから返答を迫ったが、「今のところは『可能性が高い』としか言えない」と前進がなかった。
最終的に18日夕刻、物別れに終わった。鈴木編集局長は《相手が考えていたのは、新聞社の名前の利用価値だけで、読者や社員の事は眼中になかったのだ。読者の皆さんには大変申し訳なく思っている》と社告がギリギリになったことを謝罪した。
◆社員は解雇し、清算業務主体に
最近の状況を《数年前から購読部数が激しく落ち込み、さらに印刷費用、配送費用の値上がりも続き、これまで通りの新聞発行が難しくなってきたため、対応策を考えていた》と説明。
今年に入って特に悪化した。《印刷費や配送費の支払い遅延が頻繁に起こり、以前から続いていた社員への給与遅配がさらに深刻化するなど、運転資金が不足してきた》ことに加え、INSSへの負担金、FGTSへの支払いも滞るようになり、《10月に廃刊を決断するまで追い詰められた》とある。
そして《10月下旬に社員に対して廃刊を通知し、正式なかたちではないが社員の解雇も告げた。解雇までの間にFGTSの未払い分を納めれば、社員の最低限の権利は守れると判断したためだ》とし、未消化の有給休暇の清算に関しては、《社主エレーナ・ミズモトは、不動産(社屋)売却後に必ず清算する旨を確約した文書を作り、自ら署名した上で該当社員に渡すと明言した》と説明する。
その上で、《読者の皆さんに対しても社員に対しても73年間発行し続けてきた新聞を廃刊にするのは断腸の思いだった》と綴る。
Web版として存続するか?=ブラジルに興味持つ日本人向け
鈴木編集局長は、コロニア社会面のカタに「Web版は実現できるのか/資金難を克服するのが最初の課題」という今後の指針を示す記事も掲載した。
同編集局長は日本で現在、社員の給与を確保するために取引先や関係先を回る日々を送っている。《しかし、廃刊というのは「敗戦処理」と一緒で、協力してくれる人は少ない。でも、「できることはしてあげる」と言ってくれる人もいる。涙が出るほどうれしい。新聞社が誠心誠意付き合ってきたからだろう》と記す。
いわく《Web版による「新しい新聞」がどのようなものなのか。まだ、漠然としていて皆さんに紹介できるだけの具体的な内容になっていない。ただ、読者は今までのように日系コロニアだけを中心としたものではなく、日本や世界各国に暮らす日本人で、ブラジルに興味を持っている人や、ブラジルの若い日系人を対象にするのがいいのではないかと考えている》と「新しい新聞」像を述べた。
和田:遂に来たか!!一番知りたくなかった大打撃!
サンパウロ新聞が73年に幕とのニュースがニッケイ新聞に掲載されていました。何時かは、来ると思っていましたがまさか今日、1月1日号が最後になるとの事。残ったニッケイ新聞に頑張って貰いたいと思います。
サンパウロ新聞社屋を売却して社員の退職金等に充てるとの事。淋しくなりますね。私が4000万歩を達成した12月20日に今年最大のニュースが飛び込んできました。時代の趨勢だと受け止める事が出来ない大事件です。
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