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≪California 州の水資源とその使途動向≫ 村松義夫さんの寄稿です。
カリフォルニア州のロスから65q北上した砂漠地帯に御住みの東京農大OBの村松義夫さんが麻生さんの質問に答える形でカリフォルニア州の水資源とその使途動向に付いて分かり易く纏めて送って呉れています。関係写真も5枚送って呉れていますのでこのホームページには、村松さんご自身のお宅の裏庭に植えられているオレンジの傍で撮った写真を紹介させて頂きます。残りの写真は、BLOGで使わせて頂きます。MLの仲間のコメントも収録しバーチャル座談会風に纏めました。村松さん労作を有難う。


村松: 麻生様 麻生さんからCaliforniaの水利事業についての質問がありましたので纏めてみました。
長文になり、また重複した箇所もありますがご容赦下さい。
米国は国の中央に流れるMississippi川を境に気候が変化します。
此の川の東の諸州は自然の雨で農業ができますが、西の諸州は灌漑が必要です。此の川の両地区は食糧及び家畜の飼料の穀物の一大生産地です。
灌漑設備の無い東地区は旱魃になり、雨の多い年は西側も洪水となる。
Chicagoの穀物取引の価格は此の地区の天候で左右される。

California 州の水資源とその使途動向:
 現在私達はLos Angeles 2.5千万人口を抱える大都市から65km北上した砂漠地に居住しています。此処での水道水は州の水利局の運営する運河から流れてきた水を、地区水道事業会社が購入し精製し各家庭に配水した水を購入して使用しています。実はこのLos Angeles 周辺を南Californiaと呼んでおり年間の降雨量は5-15cmで12月-2月の3ヶ月のみで, あとは乾燥した砂漠気候地域でサボテン系の植物だけが生息している、そのため水は700km北上したSacramento川から汲み上げ州の水利局によって幅30m、延長700kmに及ぶ運河を建設し流してきた水を利用している。
 それではこの州の水利事業について下記解説する。
California州の水資源はカナダ国の太平洋岸に沿って南下するCanadianRocky山脈が米国国境のワシントン州の東側に入り米国Rocky山脈とCascade山脈に別れる、このCascade山脈はOregon州の東側を通ってCalifornia州の東側に入りSierra-Nevada山脈となる、この山脈に冬期間(12月-3月)に相当量の降雪がある、この積雪が4月から溶け出し多くの河川となって麓のSacramento一級河川に合流、此の川の最終はSan Francisco湾に流れ有名な金門橋(Golden Gate Bridge)の下から太平洋に合流する、州の水は此の麓の平野に流れ下る川の水を、大小のダムを建設し貯水することから始まる。
 主要な貯水ダムは二箇所に建設されている:第一のダムは1930-45年米国の大恐慌時失業労働者へ仕事を与える為連邦政府プロジェクト(New Deal 政索)の一つがこのSacramento川の上流に建設されたCVP(CentralValleyProject)のShastaダム(多目的)である、此のダムの水は北部と中部北地区州内での都市用水と農業用水の両方に供給し州全体の25%を確保している。第二のダムは1960-69年カリフォルニア州独自でFeather川を堰止め完成したSWP(StateWaterProject) のOrovilleダム(多目的)が州の中部・南部地区(州最大の都市Los Angeles含)の都市用水そして中部の広大な農業地帯の灌漑水の50%を担っている。その他150万人口を抱えるSan Francisco市と衛星都市の大都会はSierr-Nevada山脈内のYosemite国立公園の外に1923-34年Hatch-Hetchyダムを建設しHHP(Hatch-HetchyProject) パイプラインで280km独自に水を引いている、また250万人口を抱えるSan Francisco湾岸都市の東の衛星都市(シリコンバレイ含)はSacramento川から1960年水をパイプラインで独自に引くTVA(TriValleyAqueduct)、そして最大の人口を抱えるLos Angeles地区は州東のArizona州境に流れるColorado川に1934年Parkerダムを建設し、CRA (ColoradoRiverAqueduct) 350kmパイプラインで引いてくる、その他数多くの貯水湖がこの山脈の麓に建設され麓の平野東半分地域DMC(Delta Mendota Canal) に水の供給をしている、此の州の水利事業完成によりCalifornia州は全米最大の4千万人口、全米一の農業、そして工業、流通、貿易の州となり米国経済への大きな貢献を成し遂げている。
Shasta Dam(CVP: Central Valley Project):1930年世界大恐慌時Roosevelt 大統領によるNew Deal 政策の一環として失業者対策のため建設される、場所は州の北部Sacramento平野にSierra山脈から流れるSacramento川を堰止めて建設され1945年完成する、此のダムは多目的でありSacramento川の洪水防止、電力生産、農地への灌漑用水、都市用水の安定供給にある。Sacramento川は途中州都であるSacramento市を通りDelta地帯に入り、その後San Francisco 湾に流れ込み太平洋へと続く、途中Sacramento平野地区への潅概水は水利組合(地域の農家が加入した組織)や周辺の町の水道会社によって大型ポンプで汲み上げられ農業用にそして町の水道水に使用される、特に此の川の周辺は州の米作地帯であり安定し安価な水代のお陰で、州の95%の米作(面積20万ha)が栽培されている重要な農業地帯である、その他アーモンド、胡桃、ピスタシオ、桃、梨、ワイン葡萄、加工用トマト、メロン等の果樹や野菜生産が盛ん、また乳牛の繁殖も盛んである。1960年に入るとDelta地帯に大型ポンプを設置しTVA(Tri Valley Aqueduct)と言う運河を建設し此処に水を汲み上げ、Tri Valley 地区(Oakland市から南San Jose地区)200万人口の都市用水に送水している。また同時時代幅15mの運河を建設しSan Joaquin 平野の西砂漠地帯200kmへ送水し新しい農業生産地を作った、此の水は連邦政府の資金で建設されている為水の利用者は安価な水代の恩恵を受けている(唯一の日系、国府田農家はこの地区で1,500haの米作農家である)。
Oriville Dam (SWP:State Water Project): 1960年カリフォニア州の人口は1.5百万に達した、特に南のLos Angelesは700百万人口と増加していった、連邦政府のShastaダムは北部の州と一分中部の地帯どまり、大半の中部平野の農業開発には水が無い為遅れていた、また大都市を抱える南部地区南Californiaは更に増加する人口や産業の都市用水にParkerダムからの水では不足してていた、そこで州水利局はSWP債権(水利用者の支払う確実な水代で30年の償却で、年6%の配当を確約)を発行しOroville ダムの建設とSacramento川が流れ込むSF湾の手前のデルタ地に大型ポンプを建設、そして南のLos Angelesまでの700kmの運河建設を開始した、そして1969年完成した。Sacramento 川の標高は殆どゼロ遅滞で此処から600mの高度の山を越えて南Californiaへ運河で水を運ぶには7箇所で巨大ポンプを儲け汲み上げ送水する方法がとられた、これによって600万haに及ぶ中央平野西半分の灌漑農地が生まれ、また南Californiaの2千万人口と各種産業の発展に貢献、またこれを管理運営する州水利局は、各地に農業者による水利組合、都市用水のための水道会社と契約し地域への送水は運河からの取り出し口を管理している、全てはSacramento州都にある州政府内の水利局がコンピューター管理で管理運営をしている。California州の1/3の北部地区は充分な雨量があり、多くの河川が流れる、特にSacramento川からの水に依存する米をはじめか各種穀物、野菜、果樹、ナッツ類は古くからの盛んな農業地帯である、そして中部地区の1/3はSacramento川から二基の巨大ポンぷで汲み上げ運河に流した水に依存する都市用水(70%)と農業用水(30%)で州最大の農業地帯となっている、此の地区での農業は350種類の農産物と各種畜産業である、そして700kmの運河で運ばれてきた最終の1/3の南California地区には大都市のLos Angelesをはじめ衛星都市の2千万人口があり全米最大の軍事産業、航空宇宙産業、IT産業、物流産業、環太平洋貿易都市をけいせいしている。
 1963年小生は1ヵ年の派米農業実習生とし配属された先はSacramentoの郊外の2,800haの米、トマト、馬鈴薯、玉葱、豆類、アルファルファ、アーモンド、胡桃の生産農場で隣にはSacramento川が流れていた。米:Sacramento川から水利組合のポンプで汲み上げた水を購入し水田に導入、Cal-rose種で州の米試験場で開発された品種、種籾を2日間水に浸し発芽促進し1日半乾燥し二枚翼の飛行機に積み込み水を張った水田を低空飛行で播種していく、私の役目はあぜ道に完全防具で旗を持って立つ、頭上を飛行機が飛び籾を播いていく、通過すると急いで30歩歩きまた旗を振る、始めてみた航空機による米の種まきには驚きであった。トマト:同じ水利組合から購入した水を使用し畝間灌漑、品種は大学の試験場で開発された生食用品種と加工用の両方を生産、収穫は200人のメキシコからの労働者が畝間に一列に並んで木製の箱に熟した物だけを採り、道端に持ち込むと監督が与えた用紙に穴を開ける、出来高払いであるため収穫の速さは凄かった、小生はジープの後ろの荷台に積んだ箱を配る役であった。馬鈴薯、玉葱:畝間灌漑、種芋は機械に二名乗って畝を切った所に機械についている穴に箱から芋を手で落とす方式、収穫は機械で畝の下を持ち上げると芋が表面に浮いてくる、それを箱の中に手作業で入れる方式。豆類:畝間灌漑、収穫は機械で根の元を切断し畑での自然乾燥をする、その後稲刈りに類似したコンバインが拾って豆だけを取り込み殻は畑に落とす方式、輪作のために導入。アルファルフ:洪水灌漑方式で水田のように一面に水を入れる、60日で花目が揃った時点でコンバインで刈り一列に並べていく、一週間後裏返す機械で反転させる3日間で乾燥度合いを調べ、ベール機械で45kgのベールにする、これをトラクターが牽引する荷台に手作業で積み込む、2日目には朝起きれずにトラクター運転と変わってもらった、年4回の収穫があり3年間収穫できる、マメ科の為輪作用に栽培する。アーモンド:スプリンクラー灌漑、収穫は木の廻り全体を耕起しローラーで平坦に固め、トラクターの先に挟みのアタッチメントを付け、幹を挟み振動させると実が落下する、それを機械で一列に並べコンベアーの機械で拾う、精製所に運びから硬い殻付の実を鉄板の容器に入れ、ボイラー室でガスで熱したものを組合の加工場へ運送する、この時ホークリスト運転中農道から畑にホークリフトとも落下し、下敷きになり病院で手術し1ヶ月の入院を経験した、丁度ケネディ大統領暗殺の翌日であった。胡桃:スプリンクラー灌漑、大木になるため収穫時はアーモンドと同様周辺をローラーで平坦にし、大木の枝を機械で振るい落とす、それをアーモンドと同様機械で拾う、時々実が落ちない枝を見付けると長い棒を使って手で落としバケツに拾う役は寒い冬の私の仕事であった。
 このように州の北部地域の農家はSacramento川の水を水利組合から購入する農業である、水利組合は農家が加入し非常勤理事を選挙し運営する、川に大型ポンプ場を設置し、汲み上げた水を水利組合が水路を張りめぐらし、そこから各農地に導入できる仕組みがなされている、農家が必要な水は48時間前に水利組合事務所に畑や果樹園(農場の区画面積毎に番号が付いている)の畑番号と水量を届け出る、事務所はその集計をポンプ場に送る、当日には水が回ってくるので水門の水量を開けてくれる、農家はその水門は決して触れない、水利組合の職員のみが許可されている。水代金は水利組合の電気代、農地周辺の水路建設費、管理費から計算されるため、中部や南部へ運河で送水しているCVP,SWP共全地域で水利組合が結成され、都市用水は水道会社が同じ要領で水を引く事が出来るが、運河建設・維持管理費や水利組合の費用で、北部地区のポンプで汲み上げた川の水を利用する農家よりはるかに高価な水代となる、南に行くに従い水代は更に高額となるため如何に水の使用を節約するかで農家は灌漑設備に工夫を凝らしている、近年は点滴潅水方式で水は大きく節約されている、大学の試験場や農機具メーカーはハイテク技術を取り入れ更なる機械化が進み、ロボット利用も含め人件費の大幅な節減に努力している、単純な労働力が機械に変わる姿は年々進歩している。California州の農家は7万戸であり、農地は1,250万ha、全米一の生産高を誇り、全米各地は勿論、NAFTAのカナダ、メキシコをはじめ欧州各国、中東諸国、支那をはじめアジア諸国、その中でも日本国は欧州についで第二位の輸出国となっている。
 近年中南米からの労働力依存は激減している為、トランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作り不法移民を阻止したいと議会で民主党と喧嘩している、また貿易の不平等差を解消する為に差額の巨大な支那との貿易・経済戦争に入っている、また国連やNATOそして各種支援団体では世界一の供託金を支出しているのに、成すべきことを長期にわたり米国に押し付けてきたと持論を訴えている。
2019/1/07  村松義夫(California, USA在)

麻生:村松さん 水利利用は流石、アメリカです、規模も違うようです。
ゆっくり勉強させていただきます。ブラジルの南部の農業は殆ど灌漑が要らず、その点がコストダウンになっています。乾燥地帯の東北地方はカリフォルニアに類似しています。
御多忙中、貴重なレポートをお願いし恐縮です。

和田:村松さん 写真を5枚も送って頂き有難う。40年HPには村松さんのオレンジの樹の傍の貴重な写真を使わせて頂き残りは、BLOG掲載時に適宜貼り付けさせて頂くことにします。

藤沢:村松さん 初めてお便りを差し上げます。ブラジル生活が約半世紀の藤沢晴己と申す者です。よろしくお願いいたします。
よほど前の話しですが、司馬遼太郎がカリフォルニアを訪れた際、通訳をしてくれた同行の日系二世の女性に、「ここで電気がなくなったらどうなるのか」と尋ねたところ、こともなげな「砂漠になります」の答えに感銘を受けたそうです(アメリカ素描)。それにしても何百キロ、いやおそらく何千キロもの水路でしょうが、これがアメリカの底力なのでしょうか。コロラド水系からも引いているのでしょうか。

村松:藤沢 晴巳様 ブラジル在住半世紀との事、小生もUSA在住が丁度50年(1968年渡米)を過ぎたところです。
 California州の農業の歴史は、北部地区の山岳地帯に1848年金や銀の鉱石を東部諸州で迫害を受け西部を目指したモルモン教徒によって、発見され
た事から始まる。その後多くの人々が東部から一攫千金をめざした、そしてその後大陸横断鉄道開通や太平洋地から船でSan Francisco湾を目指しやってき
た人々で、州の人口が急激にこの北部地区(州の1/3)に集中した、 金や銀の採掘は20-30年間続いて終焉を迎えたが、此の地区の平野の肥沃な土
壌と4月-11月迄の乾燥した気候は農業に適し、山岳地から流れる多数の河川から灌漑水を利用し作物や畜産が始まる、その後農業人口が増えるに伴い河川の水も夏から秋にかけて流水に限界が来た、その為小型のダムを各地に建設し北部の農業地帯は繁栄をしていった。
 中部地帯(州の1/3)、南部地帯(州の1/3)は1850-60年頃には既に東部から鉱山関係者が各地を探索していた、彼等は石油を中部地区平野の西側に連な
る山脈(Coastal 山脈、平均600m標高)の中に石油を発見する、更に南部地区(Los Angeles周辺)でも発見され東部・南部の石油企
業がCaliforniaに進出し1900年に入ると4百万バレルの石油を汲み上げ全米の5%の供給(Texas, Oklahoma, South Dakotaに次ぐ生産量)であった。同時に人口も増加していった。此の中部地帯の雨量は冬期間(11月-3月)約200-400mm、そして南部地帯は50-100mm程度でほぼ砂漠地帯である、そのための水を各地から運搬する必要に迫られた。
 中部地帯1/3は平坦な土地で肥沃な土壌で、3月-11月まで乾燥し雨量は殆ど無い状況であった、平野の東半分はそれでもSierra Nevada山脈があ
り、その雪解け水を夏まで使用できたが秋には水は枯れる、そのため1920-30年代に数個のダムを建設し秋の水を確保し一大農業地帯となり各種落葉果樹・柑橘・ナッツ類の生産が盛んで州の経済に大きく貢献していた、然し平野の西半分(約500万ha)は石油が出るが水は無い砂漠地帯であったため、北部地区に巨体ダムを建設し年間を通しての水量をSacramento 一級河川に流し、その水をポンプで汲み上げ中部地区から南部地区に運搬する為の運河を建設した、1930年の世界大恐慌時Roosevelt大統領の国策でShasta Damを建設(此の時代の州の人口は5百万)、その後1960年州独自にOroville Damを建設(この時代の人口は1.5千万)してSacramento川に流した水をSan Francisco湾にそそぐ手前で大型ポンプ2基で汲み上げ、連邦政府の運河200km、州の運河700kmを同時に建設し中央平野の農業、そして南部地区(Los Angeles平野地区)の都市用水に送水していった。(詳細は先に投稿した州の水資源用途を参照)
 仰せの通り「California州の電気が止まったら州は砂漠と化す」、でんげんは北部地区に出来た2基の大型ダムの水力発電が北部・中部を支えている、南の2.5千万人口へはこの州と隣のアリゾナ州との州境を流れるColorado川にできたParker Damの水力と都市の火力発電でまかなっている、電気が止まれば水も止まるそして州は北部1/3を除いて2/3は砂漠化する事は確かである、太平洋戦争開始と同時にPearl Harborと同時にShasta DamとParker Damを潰していれば、真珠湾攻撃以上に米国全土へ(米国最大の富めるCalifornia州が大きな経済力、勿論五大湖周辺の重工業地帯も)大きなダメージを与えた事でしょう。
 米国への日本人移民は1869年会津若松移民35名が最初である、その後1880-90年代ハワイ移民、その後ハワイから本土へまた愛媛県・広島県・山口県・和歌山県等からの移民が続く、1907-20年移民法改正で日本から移民禁止、1921年移民法改正で枠内での移民許可、1942年まで日系移民の2世3世が成長、そして1941年太平洋戦争開始、1942年西海岸から400km以内の日系居住者の強制収容開始(南米ペルー、コロンビア、チリー含む)、1943年日系二世の442部隊編成し対ドイツ戦へと続く。現在米国の日系人は5世までになり、1,250万人となっている。韓国は在日が1930年代に僅か渡米、本格的にはベトナム戦争参戦後参加兵士及びその家族の無条件移民許可で1970年(終戦は1973年)以降大量に移民が開始され、現在まで1世2世そして3世の幼児を含め650万人口となっている、日系の1世2世は日本人として理解しているが、その数は150-200万で、殆どの3-4-5世の人口は完全なる米国人であり、韓国人の1-2世450万人口が遥かに纏まっており、反日運動が米国国内で拍車がかかっている。

藤沢:村松さん 早速のご返信、ありがとうございました。味も素っ気もいない私の書き込みにもこれほど懇切丁寧な説明をたまわり、恐縮しております。これからも愚問、愚論を口にするかも知れませんが、気を悪くせずおつき合い願えれば幸いです。
余談ですが、「怒りの葡萄」や「エデンの東」の作家ジョン・スタインベックが生まれ、生活し、数々の短編も書いたサリナス渓谷を訪れたことがあります。生地サリナス市にあるスタインベック記念館にも足を運びました。彼はそのいくつかの短編のなかで、カリフォルニアで人種差別が激しかった頃の日系人を温かい筆致で描いていて、私は敬愛しています。サリナス渓谷は山々が遠望でき、広々とした農地が広がる、なんとなくホッとさせてくれる地形だったのを憶えています。

和田:村松さん 藤沢さんへの回答との形で大変重要な情報を流して頂き4月に県連のふるさと巡りで訪問するカリフォルニアの旅の予備知識として勉強させて頂いています。
所で一つ質問ですが、アメリカの日本人及び日系人の数字と韓国人のすうじですが、一つゼロが多すぎるのではないですか?ブラジルにおける日系人が世界最大?で200万人前後と云われておりアメリカの日系人1250万人は、125万人ではないですか?在米韓国人650万人も65万人ではないでしょうか?HPに残すので正確を期したいところです。

村松:和田様 日系人口、朝鮮人口(北も含め)の誤りがありました、すみません訂正をお願いします。
米国の統計表を調査した所、以下の様になっていました。
2010年のアジア系人口統計:
1. 中国系:3,750,000
2. ヒリピン系:3,400,000
3. インド系:3,200,000
4. ベトナム系:1,730,000
5. 朝鮮(南北)系:1,700,000
6. 日系:1,300,000
 此のうち朝鮮系は殆んどが韓国系でベトナム戦争参戦兵隊とその家族親族その呼び寄せ系統、北鮮系は日本が朝鮮半島併合時(1910-1945)日本人と共にハワイへの渡米者が含まれる。また韓国系は1世2世そして3世であり、その人口は1.7百万となっているが、純粋な韓国系とみなすのは125万人位とみなす。
 日系人の1.3百万は混血等も含まれると同時に1世から5世までの時代となっている、1世や2世また3世を含めた純粋な日系人口は65万人位である。現在は戦前に移住した1世の殆どと2世の大半は死亡、1世は我々の様に専門職を持った人材だけが渡米でき、その数は少ないが殆どは未だ健在。
 この様に純粋な朝鮮系が純粋な日系人口の倍となっている為、慰安婦像や徴洋工の像が各地に設置され排日が此の国でも行われている、更に支那系が朝鮮系を支持しているため、朝鮮や支那系の多い市議会議員へのロビー活動(資金と選挙票)が盛んに行われている。
 Los Angeles郊外の町Glendale市1.5万人の韓国系住民の町、此処の市議会が慰安婦像設置で賛否を採った議会に我々日系が反対運動で出かけたが議会入場口で韓国系中国系の多数に阻止され入場できず、その間に全議員(市長兼議員だけ反対)賛成で設置決定された悔しい事件があった、ロスの領事館にも厳重に抗議するべきとメール送信、姉妹都市の東大阪市長へも厳重に抗議するようメールで要請した、秘書役から「厳重に抗議する」と返信を貰った経緯がある。San Francisco市でも徴用工像の設置で市議会と市長(シナ系)が賛成し中華街の公園内に設置された、大阪姉妹都市の市長は姉妹都市契約を破棄された、当然のことである、海外でのかかる問題に日本の外務省の対応が遅く、また弱いのには困ったものです。  
 すみません、日系と韓国系人口の逆間違いでしたが、余計なことまで記してしまいました、ご容赦ください。

和田:村松さん コメント付きの訂正有難う。全文残して置きたいので関係のない会話を少し削除して1万語に納めました。

駒形:村松さんの水利関係の写真を見て連想しました。
1.ペルナンブコ州、PETROLINAではサンフランシスコ河にシングー(発電)ダムが出来たため、この水を灌水に利用、それまでの乾燥地帯を果物の一大産地に変えました。12月ー1月とかの欧州の端境期にマンゴー、ブドウなどを輸出し、好調です。
2.村松さんの写真ではトラクターも見えますが、こちらで大豆の大規模栽培をしているのはイグアスーの滝の周辺です(PARANA & PARAGUAY)です。 大豆の場合、大型コンバインをGPS利用で操作し、収穫などするそうです。私も上記2箇所を訪問予定ですが、老い耄れがその暑さに耐えられるか? 気にしています。
3.ブラジルでは他にサンフランシスコ河の水をを分水してペルナンブコの各地まで灌漑農業急成長さす計画があります、が、着手半ばで止まっています。(お金がない?)この水がPB洲奥地まで到達出来れば、丸木大人の大農場も大いに恩恵を受け、豊穣の地に、農地価格が急騰するかも知れません。となったら、普段はブラジルで 樹下涼風の左団扇、・夏の暑い 時期は日本かカナダの別荘で避暑などが出来るかも知れませんね。

荒木: 駒形さん 失礼して、ノルデステ地方の水力ダムに付いて横から少し口出しします事お許し下さい。
ペルナンブーコ州のペトロリーナの町に出来たダムはソブラジンニョと云うダムで、その下流にイタパリッカダム、モショトダム、パウロ・アフォンソダム、そしてシンゴーダムが続きサンフランシスコ水力電源会社の運営となっています。灌漑を目的とする運河の計画は、イタパリッカダムの上流150 km程にあるカブロボ町から取水してペルナンブーコ、セアラー、パライーバ州までの約400km の一大計画です。数年前でしたが、グローボ局のノベラの俳優、ドミンゴス氏がこのシンゴーダムのすぐ下流で、撮影後の暇に水泳をしていましたが溺死した事故がありました。
ついでですが、私はノルデステの地方のダム建設には10年ほど行っています。

和田:荒木さん お元気なようで何よりです。ダムの話となると黙っておれない産業開発青年隊のダム男荒木さんの性分ですね。イタイプのダム建設から始まり多くの産業開発青年隊の皆さんは、それぞれの分野に散っていった中、その後もダム一筋にダム建設計画に加わっておられる荒木さんの生き様には、男のロマンを感じます。又ダムに関わる話を聞かせて下さい。
3女小百合のヴィソーザにおける結婚式に来て頂いて以来ですが、小百合は、山好きで本場のニュージランドに移住してしまいミナスに行く機会がなくなってしまいました。お庭のイペーの花は、毎年咲いていますか?

荒木:和田さん、私たちの50年では話題が広く、私はもっぱらROで続けていますがこれからも宜しくお願いします。
小百合さんの結婚式は私達夫婦には、大変良い思い出となっています。ヴィソーザのおおきな農場の結婚式場で、花嫁さんが小舟に乗って池を渡って来て、和田さんと一緒に式場まで行き、花婿さんに渡して式をすませ、その後の宴会では、父君の和田さんが早稲田の応援歌を歌うような大きな声で、日本語で歌って(歌名は思い出しませんが早稲田の応援歌を歌うような大きな声でした)皆さんから大きな拍手を受けました。
帰りはベロ市を通過で私宅にも寄って貰い、庭に植えたイペーを見て、ランを育てる藻が多く心配していただきましたが、今も続けて大きくなっています。
実はこのイッペーは、私達の三男浩が大学の卒業前に事故で亡くなった時に植えた樹で、大変思い出を込めた樹なのです。2000年でしたが、当時浩はオートで学校に通っていましたが、帰りの途中でセロール(凧揚げの糸にガラス粉を貼り付けた糸)の事故で亡くなったので植えたイペーなのです。

和田:荒木さん良く覚えておられますね。大声で歌ったという歌は、多分『何時かある日、山で死んだら! 古い山の友よ伝えて呉れ!』の山の歌だったのではないかと思います。荒木さんのお宅の庭に植わっていたイペーの樹は、特別の大学卒業前に亡くなった息子さんに供える意味で植えられたのでしたね。人生には色々な事が起こります。毎年、黄色い花を付けるイペーの樹を大事にして下さい。息子さんの冥福を祈りたいと思います。



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