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≪昨今のヴェネズエラについて≫ 古谷敬治さんの寄稿(バーチャル座談会風)
古谷さんには、過去何度か貴重な情報、実体験に基づいた青春日記等を40年!!ホームページに提供して頂いており520万回のアクセスに貢献して頂いているのですが、今回話題のヴエネズエラに付いて過去と現在を比較しながら分かり易く解説して頂いておりバーチャル座談会風に皆さんの書き込みと共に40年!!ホームページに残して置くことにしました。写真も古谷さんご自身の提供で南米の石油大国ヴェネズエラを代表する油田の写真を使わせて貰うことにしました。


山下さん 麻生さん 古谷です
私は、Venezuela の Caracas に 四年間(1972-76年)駐在しました。折しも油価が弐米弗から八米弗/bbl に値上がりした時で、ベネズエラは未曾有の好景気に沸きました。スーパー・商店に物が溢れ、レストランは連日連夜の超満員、お陰でわが社の商いも鰻登りに増え、日本からの訪問客は引きも切らず、晩飯を家で食べる事が月の半分も無かった程の忙しくも、充実した駐在期間でした。
処が、今日のベネズエラの凋落ぶりは、過去の繁栄を知る者に取っては、これが同じ国か?と見紛うほどで、耳目を閉じたくなる思いです。世の識者は、今日の同国の経済困窮を招いたのは、産業構造が石油一本の偏重形態が原因であるとか、石油相場の変動を無視した予算編成の所為とか、色々批評していますが、実態は、そんな生易しいものではありません。偏にChávez 大統領の独断的な政治思想の所為と申して差し支えないと思います。
1976年に石油事業が国有化された後も、メジャーは変わらず操業を続けていましたが、1999年、Chávez が大統領に就任してから、それまでの市場志向政策を政治思考政策に切り替え、石油産業の国家管理の強化、財政貢献の拡大、外資参加事業の国有化を強力に推し進めました。
その結果:
1)Exxon Mobil, Conoco Phillips, 等米系メジャーは、チャベス政府がメジ  ャーの国有化を強化したため、ベ国より撤退。代わって、中国、ロシア、ブラジル、インド等の国営企業を誘致しましたが、これらの国には米メジャーの如き技術力も資本力も無く、撤退した米メジャーの穴を埋めるに至らず、生産量が減少する切欠となりました。これは、チャベスの極端な反米・容共思想に依ったものでした。
2)チャベスは、石油公団が石油の販売で得た利益を石油事業への再投資に 回さず、国民の人気取りの為に民政に振り向けた為に、産油量が減る一方になり(日産300万バーレルが200万バーレルまで減少)、公団の経営が悪化の一途を辿りました。
3)政府予算歳入の殆どを石油公団の収益に頼っていた構造上、公団の減収  益で予算を組めなくなるほど、国家経済が破綻の危機に晒される様になりました。チャベスの死後、後を継いだマドウロ大統領も同じ路線を継承しており、外貨不足で輸入が滞り、生活物資の不足で、市民の暴動が多発している状態です。IMFは同国がいつ破綻するか、見守っています。
別信で、キューバが赤化した経緯を説明しました。米国の膝元で共産国家が誕生したのですから、米国がナーバスになったのは当然です。ボリビアでのチェゲバラの殺害、チリのアジェンデ左翼政権の転覆も、CIAの仕業です。
共産主義・左翼思想国家を虱潰しに崩壊させています。彼らは決して表に顔を出しません。裏で、軍部を操っています。ベネズエラにもCIAの先兵が多数潜っているものと思っています。以上。

しゅくこさ〜ん 古谷です お久しぶりです。お元気ですか?
「ベネズエラ」と題したメールを山下さん・麻生さん宛てに送りました。実は、しゅくこさんに宛てた「青春日記 第14話」を手許に置き乍ら、「ベネズエラ」を書いたのですが、天国から地獄へ堕ちたかの様な国民生活の変貌が、私には未だ信じられない気持ちでいます。戦争で負けた日本とか、内乱で土地が荒れたシリアの様に外因があって、国民が塗炭の苦しみに苛まされているのでないのです。政治の齟齬が国民生活を奈落に陥れました。1972-76年、楽しい生活を送った身にすれば、食べるものに事欠く今のベ人が哀れでなりません。数百人の難民がブラジルに逃れたと言われています。政治を玩具にしてはなりません。

「青春日記」 第14話をお送りします。もうお送りするネタは尽きましたが、皆さんがお待ちになっておられてはいけないと思い、乾いた雑巾を絞った結果、辛うじて、ハナシを一つ思い出しました。
私が、カラカスに駐在したのは、1972-76年の四年間でした。1972年も景気は悪く無かったのですが、翌73年に第四次中東戦争が起こり、OPECが油価が四倍以上も引き上げた結果、ベネズエラも国中が非常な好景気に沸きました。
カラカスの繁華街で、道の両側に20軒ずつ並ぶレストラン通り、どの店も連日連夜超満員。
不夜城を思わせる賑わいでした。料理の種類も、仏・西・伊・独・アラブ・支那と選り取り見取りと豊富。日本からの訪問客接待に事欠くことはありませんでした。
女房が、四年間物価が変わらなかったと感心した程で、両手に抱えきれぬほど買い物をしても、タクシーの運転手が、荷物をおろすのを手伝って呉れたと喜ぶほど、周りも親切でした。第一、街に乞食が居なかったのです。乞食も家で食える程豊かだったのです。
夜の蝶が屯するバーで、蝶一人ヒトリに国籍を尋ねたら、一番多かったのは隣のコロンビア。次いで、パナマ、ペルー、エクアドールと言った按配。蜜に群がる蜂とはこの事を指すのでしょう。兎に角、バーに収まり切れぬ程多かった。しゅくこさん、変な事を連想したら、あきまへんで。私は、どの国が不景気か社会探訪してたのです。
それと、石油輸出が盛んだった所為でしょう、街で英語が良く聞かれました。当時、南米でこれほど英語が聞かれた国は無かったのです。米国人が多かったのです。カラカス市とLa Guaira (Sea Port), Maiquetia (Air Port) を結ぶ片道三車線のハイウエーが素晴らしかった。
あれ程の高速道路は他の国には無かったのです。これも米国が作りました。
日本の為替レートが壱米弗vs360円の時代でしたから、商売も良くできました。秀逸は、中古のTug Boat を3隻運河庁に売った事です。当時、ベネズエラの最大の油田はマラカイボ湖にありました。上流から流れ込む砂が湖底に溜るので、浚渫船で泥を浚渫していました。その浚渫船を引っ張るタグボートを必要としたのです。
タグボートが到着する前に、Guatemala へ転勤しましたので、ボートを見ていません。後で聞いた処、二百トンソコソコの小舟が自力で太平洋を渡ったと知り、腰が抜ける程びっくりしました。航海は一月以上掛かった筈です。毎日何をして暇を潰していた事やら。
何故に、カラカス駐在時代の事を斯くもクドクドと書いたのかは、私の17年に及ぶ海外駐在時代で、公私共に一番充実した生活を送れたからです。
翻って、今日のベネズエラは、ご承知の通り、国家財政が破綻の危機に瀕していますが、私が駐在した時期のベネズエラの感覚からではとても想像出来ない事です。先年、亡くなったChavez 大統領が自国の利益を追求する余り、メジャーとの摩擦・軋轢が生じ、PDVSA(国営石油会社)の経営を棄損する事になりました。これが、油価の下落と相まって、国家財政を危機に陥れる大きな要因になったのです。
シェール・オイルの出現で、原油の価格は元へ戻らないと言われています。ベネズエラの難民が、国境を越えてブラジルに逃避していると新聞が報じています。
嘗てのベネズエラの繁栄を享受した者が、今日の窮状・惨状に胸を痛める余り、いたたまれず、筆を執りました。

しゅくこさ〜ん 古谷です 昨日お送りしました表記題名の弊信でヒトツ書き漏らした事があります。
同信で、「Caracas (首都) と La Guaira (海港), Maiquetia (空港), を結ぶ片道三車線の高速道路」があると申しました。海港、空港は海抜ゼロ地帯。
カラカスは海抜七百米。その間、距離約五十キロ、緩やかな上り坂です。
入り口・出口に検問所があり、当時、陸軍の国境警備隊が詰めていました。
平素は、出入り口は検問は無く、自由に通れるのですが、或る日、帰国する社員を空港まで送っての帰り道、検問で「ピーツ」と笛が鳴り、呼び止められました。相手は、ライフルを肩に担いだ二十歳過ぎの若い兵士です。免許書の提示を求められたので、30米弗相当の紙幣を挟み免許書を渡した処、何と金には見向きもせず、始末書を書かされ、署名して渡したら、免許書と金を返して呉れました。「違反」は数か所の料金徴収所の手前十米に並行して引いてある白線を跨いだものでした。その時、通過客はワタシ一人で、混雑など無かったのです。当時は、事ほど左様に、チンピラ兵士ですら、厳格に規律を守っていたのです。
それから二十年ほど下って、当SPの話。ゴルフ場からの帰りの高速道路でネ
ズミ捕りに引っ掛かりました。R$50紙幣を挟んで免許書を提示したら、警官
は、紙幣だけを抜き取って、大声で「貴殿は違反しておりません。どうぞお
行き下さい」と、言いながら、免許書を返して呉れました。ハイ。
何方かが仰ってました。一方通行路を逆行して、警官に飛び留められたが、
身重の奥さんのお腹を指さしたら、警官が見逃して呉れたと。これが、融通
の利くブラジルの良い処。しかし、ボルソナーロさん、あまり融通を利かし
過ぎたら、アキマヘンデ。

山下:古谷さん 共通のなつかしい話ですね。
チャベスは最悪でしたが、石油ショックが最大の原因で、それを仕掛けた人の思惑違いのような気がします。ヴェネズエラや米国の大統領の責任とというのではなく影の仕掛け人の失敗。
私は少し後、1975年から1983までカラカスとFZのマルガリーダ島に支社を開け、あのあたりを荒らしておりました。マイアミからの南米便はいつも2から3時の夜明けにラ・グアイラに着くので、送り迎えする人も大変で、いつも飲み屋へ直行でした。貧富の差がはげしく、犯罪も多く警察や軍組織が複数にあり、ラ・グアイラ空港からカラカスに車で着くまでに6回別の警察につかまって6回チップを払わされた人もおりました。
マルガリーダ島行の国内便は予約をしていても、チェック・インのときに大声をだして係員と目線が合わなければ絶対乗れませんでした。永年1ドル4ボリ程度の為替が続き、ヴェネズエラに住む人は日本へ行っても1万円札が、千円ぐらいの感じで、安い安いと顰蹙を買っていました。
ガソリンは只同然で、2円ぐらいか、米車の一番大きな車がいっぱい走っておりました。道はそれほど広くなく、運転は高速に平気で横から急に飛び込んでくる危険極まりないところでした。
コンコードがパリから飛んでおり、女性の下着はすべてフランスのブランドもので、週末は家族でマイアミで過ごすのはあたりまえでした。
コロンビア、ペルー、ブラジル人などを田舎の貧乏人と見下していました。

古谷:山下さん 私には、仰っている「影の仕掛け人」が良く理解できませんが、兎に角以下の如く考えています。
油価の変動の影響は、ヒトリ Venezuela のみに影響したのではなく、他産油国にも等しく影響を及ぼしました。然るに、ベネズエラだけが、国家経済が瓦解しかかっているのは、昨日申しました如く、同国の石油政策に大きな欠陥があったからです。
博学の山下さんには、釈迦に説法ですが、油井は生き物で、寿命があります。従い、今、採油している井戸が枯渇しない内に、次の油井を見つけねばなりません。この油脈の探査、採掘が大変困難な作業で、欧米のメジャーが長年の経験で取得した技術は新興産油国には望むべくもないシロモノです。
カリブ海を挟んで向かいにある米国のメジャーがベネズエラの石油を五割以上も採っていたのは、地理的に見て当然の理屈で、それを妙な政治思想に駆られて、大の消費国で採油・開発技術を持つ米国との関係を断ち、地球の裏側にあり、輸送に困難を伴い、且つ十分な開発技術を持たない中国に販売先を切り替えたのは、営業上大変な失策でした。
しかも、1990年以降、西部のマラカイボ湖油田の生産性が低下したので、東部のオリノコ地域に新たな油田を求める要がありましたが、問題は、マラカイボ油田の油質が軽質油と中質油であったに対し、オリノコ産の油は九割が超重質油で、改質が難しく、販売に多くの困難を伴いました。これが輸出額が減じた理由の一つです。
原油販売で得た収益を事業への再投資に向けず、社会福祉に投じたため、石油事業の採油・開発が等閑にされ、益々産油量が減少していく憂き目に遭いました。国家予算歳入の九割以上を原油収益が占めていたに拘らず、その減収が予算編成に大きな支障をきた事は昨日申し述べた通りです。
私見ですが、同国の国家経済の再建は、某国主導の革命しかないのではないかと思います。ブラジルもコロンビアもそれに手を貸す事を拒否していますが、流民を生んでいる事態は、シリア並みに深刻です。

山下:古谷さん  難しい話ではなく、最初、原油価格が3ドル程度で安定していたころは, ヴェネズエラを含め、産油諸国は極めて裕福で、世界はそれなりに安定していて、チャーベスの出る幕はなかったと思います。
最初に原油価格の値上げをした仕掛け人は、それが第1次、第2次石油ショックになり、原油価格が、まさか134ドルまで値上がりして下記の事態になるとは、けっして、想定していなかったと思うのです。
猛烈値上がりしたことで、イラク、イラン、クルド人、ISISも、ロシアやトルコも巻き込んで、中東は原油利権の戦闘地域になってしまった。今まで採算とれなかった新しい油田が開発できるようになり、ヴェネズエラの海底油田、リオの深海プレサル油田、米国のシェール・オイルなどの生産が進んで、アラブはリーダーの座を失い、世界中をガタガタにしてしまった。

古谷: 山下さん 半世紀に亘る油価の推移を一口で語るのはとても無理です。況して、ベネズエラには、石油政策に関する大きな変化がありました。
いつも、他人の文章を借りてきて、返事とする事に抵抗を感じないわけではありませんが、私は、専門家程文章を上手く書けないので、ツイツイ借りてしまいます。ご容赦下さい。
ベネズエラの石油産業は、弊別信で申し述べました通り、同国の主産油地が西から東に移り、油質も軽・中油質から超重油質に変わった事から、Refinery にコストがかかる事、資金・技術両面での条件悪化で、産油量が減少している事、より油価相場に関らず、減収を余儀なくされ、国家予算編成上大きな問題を呈しております。
同国の石油産業の立て直しには、順序は逆ですが、先ず財政の再構築を図る事が必要です。現在の Maduro 大統領では財政再建出来ぬとあらば、後は・・・しかありません。ハイ。
尚、余談ですが、ベネズエラには海底油田はありません。仰っているのは、お隣のガイアナ (Republic of Guyana) の事と思います。

藤沢:古谷さん ベネズエラについての古谷さんの解説は一級品だと思います。「暗いイメージを持たれるのは如何なものか」とちゃんと抑制もきいていて、とにかく説得力があります。これからもよろしくお願いします。

駒形:古谷さん 私もCARACASには2回行っております。2回目はGURI水力発電所ダムの嵩上げをして発電能力をUPする工事の関連でした。断片を見ただけですが、VENEZUELAも立派な国だと思っていましたが。

古谷:駒形さん サンパウロからエラクとおーーい処迄出張されたのですね。
飛んだのは、熱帯樹林の真上ですね。
発電能力UPなら、2010年の事ですか?
今、山下さんへ返事を書こうと、フーフー汗を流しています。何でもそうですが、尋ねるより、答える方がシンドイ。国会での大臣答弁の様に誤魔化せたら良いのですが、相手が山下さんならそうも行きません。ハイ。

駒形:古谷さん 現場はGURIですが、私が行ったのはCARACASです。LA GUAIRAにも寄りました。夏草や  強兵どもの  夢の跡 ですね。 (過ぎたこと、答えは そう正確 期すことないじゃないですか?)

石田:古谷様、麻生様、藤沢様、山下様、ベネズエラの政治、経済の話は、判り易く、ありがとうございました。皆様の博学に感謝します。
先日カタール航空を利用し訪日。この国も、石油の枯渇を心配します。脱石油の国造りを、急いでます。ドーハ空港は、ディズニーランド、の様に最新式、綺麗でした。楽しめる空港です。
これに比べ、ベネズエラの惨状に驚きます。日本は資源の乏しい国ですが、周辺国よりも、遥かに発展、豊かな国になりました。誇らしい、我が祖国の安寧を祈念します。
追伸:カタールは周辺国(特にサウジ)と仲たがい、国交断絶までしてます。私の乗った航空機、行きは、サウジ上空を避け、モロッコから地中海イタリアを、かすめ、トルコ近くまで迂回してアラビア湾入り。帰りは、イエメン、エジプト、コンゴ上空を経て、大西洋に入りました。ドーハ空港では、入国時に、厳重な保安検査が、ありました。出国時(航空機に乗る前)の検査が、普通です。航空機を降り、入国時の、保安検査は、経験がありません。テロを恐れる国と感じました。
どなたか、カタールとサウジの確執を、教えて、下さい。

和田:古谷さん 商社マンとしてヴェネズエラのカラカスに駐在した実体験を基にしたヴェネズエラの昨今の現状を上手く説明しておられしゅくこさん宛の青春日記14と山下さんの実体験をベースに纏めて40年!!ホームページに残して置きたいと思います。附きましては、適当なHP用の写真1枚を選び送って頂けると有難いです。
40年!!HPは、1月8日23時30分現在519万9182回のアクセスを記録しており、明日9日中に520万回を達成予定になっておりHPの一部書き換え作業等をする必要がありますが、世界200カ国以上からのアクセスが毎日1000回前後記録されるのは、幅拾い話題を網羅したブラジルを中心とした話題を集めているからであり古谷さんの寄稿も大いに寄与して呉れていると感謝しています。同船者の一人が自分の名前で検索したら40年!!の同船者名簿に自分の名前が出ているのを見付け驚いたとの連絡をして呉れましたが、50年!!のメンバーの皆さんもご自分の名前を検索すると40年!!にぶつかるかも知れませんね。では、写真の件、宜しくお願いします。

古谷:和田さん 山下さんに宛てた私のメールを「40年!!HP」に掲載願える由、大変光栄に思っております。それに伴う写真を送れとの事で、(1)高速道路、(2)マラカイボ湖の油田、(3)カラカス市、の三種の写真をお送りしました。
私のメールは「最近のベネズエラの経済凋落を嘆いた」ものですので、それに相応しいの写真のイメージが分からぬ儘に、上述の三種の写真をお送りしました。選択はお任せしますが、私個人としては、余り暗いイメージを持たれるのは如何なものかと思い、マラカイボ湖の油田の写真が良いのではないかと思っています。これはご参考までの事です。

和田:古谷さん 写真送付有難う御座います。40年!!ホームページ用には、お勧め通りマラカイボの油田の写真を使用させて貰います。ホームページへの掲載は、もう少し皆さんのコメントが出てから纏めて掲載する予定です。今週末を目指しています。BLOGには、送って頂いた写真3枚を貼り付ける事にします。
カラカスには、1962年あるぜんちな丸がラグアイラに寄港した時に同船者仲間数人でタクシーで出かけました。2度目は、外務省の戦後初めての中南米に於ける官民合同会議が行われ南伯日本商工会議所代表として参加しました。3度目は、恵子とメキシコに行く時に立ち寄りカラカスだけでなくラグアイラの港町も歩きました。石油で景気の良いヴェネズエラしか知らないので現在の経済破綻が想像も出来ません。ポルトアレグレにもヴェネズエラからの難民が多数入ってきており援協のカンポで野球を一緒にやっているそうで皆で古着等を集めて支援したりしているようです。我々は、人生の選択として移民して来たのですが、難民は大変ですね。古谷さんの実体験に基づくヴェネズエラの現況解説は、勉強になります。有難う。

しゅくこ:古谷さ〜ん ベネズエラのお話、興味深く拝読いたしました。ありがとうございました。
カラカスの二枚の写真、いいですね。空気が澄んでいて、古都の匂いもする、
そんなのどかな街並みをぼーと歩いてみたい気持ちに誘われました。
でも、古谷さんのいらした1972年頃とは今はずいぶん変わったようで、観光案内やテレビなどのニュースをみると残念です。
古谷さんの30-40代の青春時代? を過ごされたベネズエラの思い出は、間違ってるかもしれませんがnostalgieではなくsaudadeという言葉が似合っているような、勝手な想像をしています。
4年もいらしたので、親しいかたやお知り合いの方たちもどうされているのか気になられるのでは?
カリフォルニアで学生だった頃、南米の友人といえばメキシコ、ペルー、コスタリカでした。
みんな明るい人ばかりで、なかでもペルーの青年はアメリカの金髪女学生たちの人気の的でした。背が高く、漆黒の髪と長い睫毛の下のブラックダイアの瞳はそのまま銀幕のスターであったトロイ ドナフューの向こうを張ってもおかしくないくらいの魅惑的な青年でした。
留学生仲間ということで一緒にいる時間も多かったのですが、そのかれがアートクラスが終わって、だれもいなくなってから絵具などの大学の備品をこっそりポケットいれて帰るのでした。
それは盗みなのですが、罪悪感とか、後ろめたさとか、恥ずかしさ、などまったくない、自然の振る舞いは芸術の域に達していて、むしろ豊かな国に溢れる備品などは、持って帰っても正当な行為とすら思わせるほどの力があって、見惚れるほどでした。
でも、やっぱり、その行為は20才のわたしには受け入れられない感覚でした。
もしかして、わたしが南米に特に惹かれなかった1つのわけが、その辺にあったのかもしれません。
3年間のカリフォルニア生活もわたしの脚はロスアンゼルス止まりで、帰国後はブラジル旅行をしたついでにパラグァイとアルゼンチンをかすった以外は未知の遠い国になりました。
できたら小さい時に読んだ「母をたずねて三千里」の、夢にまでみたブエノスアイレスで存分浸ってみたかったのですが。
「青春日記」のおかげで、遠くにあった南米が身近に感じられて行ってみたいと思うようになりました。
追伸*
写真は近くのハイライズに住む友人から6amの朝焼けの写真を送ってきてくれました。
古谷さん宅から見える朝焼けはどんなでしょうか?
もう一つは昨夕の散歩道。5pmの夕闇のあぜ道からスタートして(中央)
6時pmに丘の上のニュータウンに着いたときはもう真っ暗でした(右端)

和田:しゅくこさん 毎日歩いておられるようですね。三田の散歩道は、ロマンがあって羨ましいです。
この週末に古谷さんのヴェネズエラ関係の書き込みを皆さんのコメントと共に40年!!ホームページに掲載して置きたいと思っていましたが、しゅくこさんの締めが届かずヤキモキしていました。やっと届き9000字に達しましたの今日中にUPすることにします。有難う。
ペルーの美男子の留学生のちょっとした行為の為、南米が遠のき無関係で過ごされたとの事ですが、確か同船者のお友達がブラジルに居られるようですし人生の総仕上げ(大袈裟かな?)シロ君が召されたらブラジル勤務の可能性もあった一郎さんと共に南米に来て下さい。喜んで全行程ご一緒させて頂きます。好きなところをご案内します。今年は、4月のアメリカのカリフォルニアと9月のアマゾンが決まっていますが、ニュージランド、オーストラリアにも行きたいしヨーロッパ、日本もと時間の調整に困っていますがしゅくこさんの南米訪問が決まれば最優先します。よぼよぼになる前に海外旅行を楽しみたいです。
ではまた。。。




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