ブラジル駐在経験者などのリレーエッ セイ 日本ブラジル中央協会 山下 日彬 氏
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物書きのリオの山下さんが、日本ブラジル中央協会の機関誌のブラジル駐在経験者などのリレーエッセイに投稿し始めて6回目の『ブラジルに60年』が掲載されていますが、私より3年ほど長いブラジル60年の回顧録と現在の日本を面白く纏めておられ40年!!の寄稿集に残して置くことにしました。貴重な写真8枚が掲載されており寄稿集には1枚しか掲載出来ないのでBLOGに全文と写真を掲載して置きました。移民船アメリカ丸で入りびたりだった無線室の仲間?と一緒の若き日の山下君の写真を使用しました。 |
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連載エッセイ155:「ブラジルに60年」その6
執筆者:山下 日彬 氏
(ヤコン・インターナショナル)
60年前の写真や、あちらこちらと内容が飛躍し過ぎで、精神錯乱と思われるだろうが、流行のツイッタ−などSNSは、指でスクロールしながら、一瞬に読み取るものとお許しを。興味ある内容のみに眼を止めてください。
「1959年神戸港出航」
60年前の2月末、移民船「あめりか丸」で神戸港を出航した。神戸高校(高山忠雄校長)移民というのがあって、1958年、西誠二、新居秀介から始まって毎年2人づつ1962年まで続いた。私はその2期生で1959年2月に出航した。
第一回神戸高校移民壮行会、筆者は2列目まだ学ラン。
「1959年出航移民船あめりか丸」
船室は船倉の「蚕棚」で、500人ほどの青年が移住者であった。驚いたのはごはんのおかわりがない。見ていると、一杯目は食べずにほかの皿にぶちあけて、おかわりを確保に走るのだ。この生存競争は、航路が北太平洋へ進み、船首が波をくぐるようになると船酔いの人が増えて解消した。
切れたテープの山を持っているのが筆者。
「1959年神戸移住斡旋所で同室の同船者」
毎晩酒を買いに出かけて門限破り、九州や四国出身の猛者連だったが、その後一度も会っていない。着伯58周年にサンパウロ新聞に「仲間たちは今どこに」と記事にしてもらったが一人も反応がなかった。
「1959年前無線室で」
父が戦前、船舶運営会の常任委員だった関係で、乗船前に無線局長を紹介され、挨拶に行った。無線機が故障していて、私は2級技術士を受験し、少しはわかると申し出て無事修理できた。その後は船倉に戻らず、3交代で働く坂井、原田両通信士の空いた部屋で過ごさせてもらった。
原田、坂井通信士と無線室で、今なら立ち入り禁止だろうが当時はおおらかな時代だった。
「1959年の移民船で」
無線機修理のおかげで、最下級の移民が、上級船客と会う機会にも恵まれた。人文研の宮尾進さん、ジャティックの長孝雄さん、貴島さん家族、後にトランジスターテレビを発売したり、日本の公衆電話を持ち込んだアベタツオさんや、初ボーイスカウト移民の渡辺平さんも同船者だった。
「城島商会の精鋭たち」
神戸高校移民の呼び寄せ人は、城島慶次郎社長で、みんなここでお世話になった。城島商会前に勢ぞろいした社員たち、鋭い目つきに注目。
高塚、脇山、岡崎、池田、東海林、溝口、西、安富、山下
「1959年着伯の夜から脇山正之氏のお世話に」
部屋に「遠き道を行くがごとし」家康の人生訓の掛け軸があって酔うと説教された。毎晩、料亭「青柳」時代、「赤坂」時代、カラオケ「モンブラン」時代から「ジュリー」時代まで、サンパウロでは毎夜はしご酒だった。スーパーマンは今もご健在である。
「1955年ごろこれで遊んでいた」
ソニーの前身、東京通信工業製のテープコーダで、創立者の井深大氏が神戸一中の大先輩で、1951年に寄贈したH1機が神戸高校の放送委員会にあった。原型G型は1950年発売だが、戦後わずか5年で日本初の開発は驚異的である。真空管だったが高周波バイアス方式の本格的な商品だった。
「H1機発売時のテープは紙であった。」
和紙かと思ったが実はドイツ製の紙テープに磁性粉を塗布したものだった。録音技術はドイツが、Uボートの早送り通信に使っていて、世界一だったが、敗戦でノウハウが米国に移り、3M社のプラスチック・ベースのScotchテープが1947に発売された。
「後にブラジルで輸入販売」
この経験で、1963年にブラジルでテープレコーダを輸入販売することになる。ブラジルの家電店に日本製テレコを売り込んだ当時は、誰も知らず「何に使う機械か」と聞かれた。マナウスのS.MONTEIRO店などは土間に冷蔵庫を並べて売っていた時代だ。
「CassetteはK-7に」
1965年にPhilips社が基本特許公開したコンパクト・カセット・テープはCassetteが女性のアソコそのものの意味で、先に発売したフィリップス社は同じ発音の「K-7」の記号を使用していた。我々は、言語感覚がにぶい所為もあったが、Cassetteをそのまま広告に使ってブラジル市場に広めた。
「日本は小型を売り物に」
災害がれき除去用「小型」GPSロボット・ブルドーザー:最悪の環境でも、24時間休憩なしに働く。災害の増えた昨今の国際援助に、地球上のどこへでも、空輸が可能になる。
「日本の迅速な復旧工事」
昨年、台風21号で関空閉鎖、大阪地区停電219万戸、地震で北海道全域295万戸停電、千歳空港閉鎖、主要国際空港が2つも同時に完全閉鎖されるなど、まるで戦争なみだったが迅速に復旧した。ブラジルなら人々は茫然となって、対策までに年単位の時間がかかっただろう。
「災害保険や確率計算のエキスパート」
これだけ突発的自然災害が増えると、単年度国家予算とは別枠で、長期復興建設債発行の自主性を持った災害保険や確率計算のエキスパート集団が必要と思う。
「電柱が多い都市」
台風21号、トタン屋根が飛んで、電線をショートさせる光景がいっぱい投稿された。日本の都市は意外と電柱が多い。
「停電時の表示版」
停電になると、特に外国人旅行者向け情報が不足する。空港や駅などに、新幹線の電光掲示板形式の、蓄電池で動く災害用文字式掲示板を多く用意しておくと良いと思う。
「2020年世界は大きく変貌する」
IMF予想で、2020年のGDP(購買力平価PPP)は1位中国、2位米国、3位インド、4位日本、5位ドイツ、6位ロシア、7位インドネシア、8位ブラジル、9位英国、10位フランスと、1位を含む半数が新興国に、さらに人口では中国とインドが拮抗し、1億人超えが13カ国の状況となる。
「大変化の時代の情報は原典を読もう」
重大ニュースは、さかのぼって、なるべく多くのオリジナル情報で、そのニューアンスや歴史的背景を掴むのがよい。編集者など仲介者が偏向報道をしたり、悪意はなくとも専門外で理解できなかった内容を割愛する、評論家の情報は自分の思想を加筆していることがある。
「世界10位以内のブラジル」
世界を見ると、米、英、仏、伊が、他国にかまわず独自路線を進む動きだ。ブラジルなど新興国がさらに成長するには、自国の長所を伸ばしながら、自ら貿易収支を均衡させる努力をする必要がある。ブラジルの長所を知るための「世界10位以内のブラジル」293項目を集めている。
「苦境に堪えるゆとり精神」
なんとなく、世界は、グローバル経済に疲弊し、殺伐としてきた。脱落者は悲惨なことになる。日本には苦境に堪えるゆとり精神があるという。「わびさび思想」は日本の美意識だろうが、世界の人に、苦境を悠然と堪えるゆとり精神が通用するか・・・
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