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巨星麻生悌三さん逝く!! 令和元年10月4日
毎日欠かさずブラジルニュースを配信して居られた麻生さんが急逝されました。突然の訃報にメンバーの皆さんが茫然自失し直ぐには信じられない驚きでした。斎場に行かれた古谷さんのレポート、週末に入る金曜日のラッシュの為、葬儀に間に合わなかった松栄さんからは、奥様の情報として分かり易いレポートが届きやっと事情が理解でき事実であることを信じざるを得なくなりました。多くのメンバーの皆さんから寄せられた悲痛なるコメントを取りまとめて40年!!のホームページに残して置く事にしました。写真は古谷さんが送って呉れた写真を使わせて頂きました。お嬢様が麻生さんにお別れをしている場面だそうです。ご冥福を祈りたいと思います。麻生さん安らかにお休み下さい。


麻生:ブラジルニュース9月30日
皆さん
ー為替=1ドル4,17レアル。
ーセアラ州での暴力の波=今月20日以降、破壊行動は58件に上っている。バス。トラック、乗用車への焼き討ち が殆どで、暴力行為は刑務所に収容されている囚人から指令が出ている模様。動機は不明だが、社会騒乱時の混乱や治安を図っているものとも思われている。
ーリオ増大する警官の殺害=対ギャングとの銃撃戦等で1−8月は
194人ー月間を殺害している。凶悪犯殺害について報奨金を払う
慣例があったが、この際廃止する。軽機関銃の携行は不許可だったがギャング団がそれ以上の武器をしようするため、警官の軽機関銃
の携行を許可した。

悲しい広橋:竹本氏からの連絡:もうご存じでしょうが、今朝、麻生さんがお亡くなりになりました。
午後5時に ”Interro” と聞きましたが、場所を調べているところです。先ずはおしらせまで・・・
場所判明しました:
Rua Dr. Jorge Balduzzi, No 520(?)― Oliveira − EMBU CEMITERIO  MEMORIAL  PARQUE PAULISTA です。

和田:広橋 さん 驚愕のお知らせ!聞きたくなかったお知らせですが、事実なのですね。
9月30日付のブラジルニュースが最後ですか? この最後のブラジルニュースと共に皆さんの追悼を纏めて40年!!ホームページに残して置きたいと思います。明け方にまた発作が起きたのでしょうか? 埋葬式に行かれたらご家族からせめて最後の様子をお聞きしておいてください。
誰かが連絡する必要があった悲しい知らせですが、勇気をもって知らせて下さった広橋さんに感謝します。直ぐにもサンパウロに駆けつけてお別れをしたいのですが、種々事情もありそれができません。ポルトアレグレからご冥福を祈りたいと思います。
合掌。アーメン。安らかにお休みください。そのうちに追っかけます。

松村:皆さん ブラジルニュ−ス(麻生さん マツエさん)とアメリカだより(冨田さん 村さん)は私の楽しみにしている読み物です。まだまだご活躍だったのに、やりかけを残して麻生さんが浄土に旅立っていかれました。浄土では観音様が見守って下さいます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌

丸木で~す 唖然としてます。悲しくて、もの言えません。霧島の前田さんに続き、サンパウロの麻生さんまで逝ってしまい気落ちして、これ以上書けません。ご両人の人格識見には、どれだけ励まされ人生を楽しくさせていただけたか計り知れません。毎年サンパウロに出かけ麻生さんが主宰されてる展望台グループの呑み会は生き甲斐でした。合掌

都賀:色々なお話を教えて戴きました。麻生さんのメールを読みたくてメールを開いていた小生は、この悲報を受けて 茫然自失です。御成仏なさってください。

村松:麻生さんの悲報を聴き驚きです。
 近年体調が良くない状況が続いて居られるとお聞きしながら、ブラジルニュースや各種論評を投稿くださり、勉強させて頂いておりました、残念無念んでなりません。まだまだお教え頂く多くの事があったと残念でなりません。
 小生達、拓殖5期生は入学時東京の世田谷区本校でしたが、茂原分校には2期3期生がおられ有志を募って出かけたり、また農業実習合宿を茂原で滞在し行なわれましたが、1期生の麻生さん達は既に国内そして海外に移住して居られ留守でした、だだ派米農業実習に参加した3名(後日、吉田、片木さんはブラジルへ移住、本間さんは米国へ移住)が茂原におられ、お話を聞く機会がありました。
 2012年べノスアイレスで「農大パンアメリカ大会」が開催された折に出席し大会終了後、サンパウロで麻生さんにお会いした経緯がありました、その後NodaiーNetで交流することができ、本当によかった思い出を残して下さり感謝しています。麻生さんは小生達より5年先輩ですから83歳なのでしょうか、今はただ大先輩の御冥福をお祈り申し上げる次第です。

松栄:今の今、店の昼休みで帰ってきて、メール開けたら麻生さんのことが・・・・   今朝5時に亡くなられた。
嘘じゃないかと・・・・
まったく知らなくて、閃光が体を抜けました。
ただビックリしているだけです。
イヤー・・・  何と言ったらよいのか。もう一度会いたかった・・・です。

松栄: あれだけ親しくさせてもらっていた方々がみーんな・・・みんな逝ってしまわれました。
沖さん、大島さん、鈴木日出男さん、そして麻生さん。
何かねー、どうしたらよいのか分からなくなっています。
父が死に、母が死に、姉が死に、尊敬していた叔父が死に・・・・
私の横にある小さな仏壇に、父母の位牌(分骨)と戒名ばかりが並んで、  ここでまた     麻生さん・・・だそうです。
父が亡くなったおりに作った小さなお仏壇が、いっぱい・・・
満員になりました。
もう悲しい、と思うことも出来なくなって、ただただこれからどうしようか、と、今は考えています。
年を取る、ということはそういうことなのか、と最近つくづく思います。
今の気持ちは、「ただ 自分はまだ生きている」という感じでこうしてキーボードを打っています。
何かねー・・・ どうなのか。。。。よくわかりません。涙も出なくなってしまいました。
松栄: 麻生さんから届いた最後のメールです。
これから麻生さんに会えるかどうか、 出かけます。

麻生: ブラジルニュース 10月3日(木)4:49
皆さん
ー為替=1ドル4、13レアル。
ー証券市場、ドルともに下落=世界的レセッションを警戒した投資家の 動き。米中貿易戦争などの自爆的行為が世界経済に及ぼす影響は大。
ー2019/20農年度のアメリカとブラジルの大豆生産予想。
              アメリカ       ブラジル
生産量        112,95百万d 123000百万d
消費量            57,56     43,75
輸出量            53,07     75,00
期末在庫           7845      27,70

和田:松江さん 麻生さん最後のメールありがとう。亡くなる前日の10月3日(木)の午前4時49分が記録されています。今朝もブラジルニュースを書いている時に発作が来たのですかね? もしそうなら幸せだったのかもしれません。人生の儚さ、空しさを感じますね。最後のお別れに行かれるとのこと、そのうちそちらに行くので気持ちよく迎えて呉れるように伝えておいて下さい。遺影が飾られていたら写真を撮って送って下さい。40年!!ホームページに飾りたいと思います。

砂古:麻生さんには毎日毎日お世話になりました。面識は2回だけでしたが、私の毎日の生活に大変大きなウエイトを持った方でした。私は運転してないのと、仮に便があっても昨夜から始まった風邪で今日の予定ヲ全てキャンセルした私の体力ではエンブーまで行けません。唯々、ご冥福を祈るのみ。麻生さんごめんなさい。 

吉原:農大ネットの皆様、麻生悌三先輩の訃報に接し、皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
ご家族の皆様にはお寂しいかぎりのことと存じます。お心を強く持たれ 一日も早く笑顔を取り戻されますようお祈り申し上げます。
麻生先輩にお会いしたことはありませんでしたが、農大ネットを通じて、博学多彩な元大商社マンのお姿に接していました。私も元商社マンでしたが足元に及ばない存在でした。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。吉原久雄(拓殖7期)

古谷:麻生さんの葬儀に女房と二人で出かけ、17時半に帰宅しました。
斎場に至る道は、汚く、狭く、曲りくねって大変な道でしたが、斎場は大変広く、道も植木も手入れが行き届き別世界でした。
遺体は綺麗に化粧され、静かに眠っていました。話しかけ様にも受け付けぬ雰囲気でした。
葬儀は、仏式で、宗派は浄土真宗(親鸞、本願寺)でした。実は、私の実家と同じ宗派で驚いた訳ですが、葬儀に出向く前は、仏式で執り行うのかどうかも分らず、縦しんば、仏式でも色んな宗派があるのでと思い、お経をコピーする気すられっぽちも持っていませんでした。
処が、坊さんの読経を聞いて、何と浄土真宗と分かり、しまったと思いましたがアトの祭り。堺市の実家では、父・母・兄と送りましたので、聞き慣れたお経ですが、まさかSPで聞けるとは思わず、数珠を握りながら聞き入っていました。
病院へは一度、麻生宅には二度同氏を訪ねていましたので、奥さんと下のお嬢さんには面識を得てました。棺が安置されている部屋に入り、焼香を済ませると、下のお嬢さんが、駆け寄って来るなり、涙声で礼を言うのを受けて、「お父上は、墓に入るのではない、いつ迄も貴女の胸の中に居るんですヨ」と言ったばかりに、今度は私に強く抱き付き、傍も憚らぬ大声で泣きじゃくったのには、側に居た女房もびっくり。「何を詰まらぬ事を言ったのヨ」と怒られる始末。
奥さんが一度ならず、「私や娘が、医者から止められている食べものをムシャクシャ食べるので困っています」とこぼしていましたが、細くなった心臓環状脈をバイパスでつなぎ合わせる手術を麻生さんの要求にも拘わらず、医者がやろうとしなかった事に、勘の良い麻生さんは己の寿命を悟ったのかなと、同氏の顔を見ながら思った次第。娘さんが女房に話した処では、最近の診察で「大腸に癌が見つかった」との事でした。本日未明に、麻生さんは、大吐血・大下血を起したので、病院へ担ぎ込まれたのですが、何がショックを起こしたのか、良く分かりません。
30-40人ほどいた弔問客の中で、きちんと喪服を着た弔問者は私ヒトリ。周囲の人が私を見て細々と「あのヒト、お役人か、大会社の役員かしら」話し合っているのを耳の良い女房が聞き留め、「あんたも出生したものネ」と。馬子にも衣裳。これが、麻生さんの名声にプラスになれば幸いと思った次第です。合掌。

和田:古谷さん 麻生さんの葬儀にご夫妻で参加されたとの事、只一人正規の喪服での参加、お嬢さんとの劇的なシーン古谷さんらしいレポートで臨場感が溢れていました。適当な写真を送って頂けるとの事ですので届き次第、皆さんの弔辞、コメントを纏めて40年!!ホームページに残して置く事にします。有難う。

古谷:扨て、本題ですが、葬式は仏式(浄土真宗)で行われ、且つお棺を安置した部屋(四米M2ーVelório)は非常に狭く、お棺の傍に置いた焼香のセットと位牌が置いた小机と遺族用の椅子が置いてあるだけのとても遺影を飾るスペースも無ければ花段も置けない狭さでした。そこで、弔問客が故人と別れを告げる時間は、午後五時
までで、そこから、お棺をすぐそばの Cerematório (火葬場)に移しました。そこは、まるで小学校の講堂みたいに広く、校長が年頭の祝辞を述べるが如き広い壇があって、その真ん中に故人のお棺が置かれてありました。そこで坊さんが短いお経を読んで式は終わり。壇上の中央に置かれたお棺は、坊さんのお経が終わると蓋を
被され、お棺はスルスルと下に降ろされて行きました。何と階下が火葬場になっているとか。日本と違って、遺骨の貰い受けは弐〜参日後になるとかで、本日はそれで行事は終わり、解散しました。
写真は、明日にでもおおくりします。

杉井:麻生さんの急逝の報に接し驚いています。前田さんに続いて大切な先輩を失ってしまい残念でなりません。
W-50での国際政治問題論議に飽き足らなくてtenbodaiを開設され、中国や朝鮮半島問題などについて度々論議を交わしました。中国の覇権や韓国、北朝鮮、ロシアに対抗するには日本の軍事力増強が必要という確固たる信念をお持ちで貴重な意見も戴きました。論客が居なくなり誠に寂しい思いです。謹んでご冥福をお祈りします。

松栄:皆さん   サンパウロのマツエです。
ー原油価格=NYWTI先物US$58,5/バーレル。
ー麻生さん=昨日、突然亡くなられました。
 言葉に尽くせない思いでいます。
 思えば、私がブラジル実習に来た1972年だったか麻生さんが叔父の会社(当時ブラスオシャン後トレードブラス)におられて、紹介されたのが最初でした。
その後、距離はありましたが、10年くらいして住友商事から、
三菱商事に移られた、といううわさも聞いていました。 
時々、農大会の総会、慰霊祭でお会いして雑談していました。
できましたら、このブラジルニュースを継続させて頂きたい
と思っています。 よろしくお願いします。

杉井:松栄さん 麻生さんに代りブラジルニュースを継続してください。
麻生さんのブラジルニュースにはブラジル国内のニュースのみならず世界情勢なども記載されていて、自分の考えも述べられていたので大変役立ちました。松栄さんの特色あるブラジルニュースを期待しています。

池田: 夜明け前メール見ていた時麻生さんのメールを読んでいたのに松栄さんから突然亡くなられたとの情報どのように感じたら良いのかボヤッ としておりました。
前田さんも突然死去、亡くなる二、三日前までメールで話し合っており病室にて手書きの封筒に「 ウラジロ小町 」自分で交配された新種、耐寒性のあるイペーアマレロのたねが届きました。
未だに他界されたことなく我々の中で生きておられます。
耐寒性大輪花抜群の池前アルバとそれに即したイペー数百本が皆さんの協力で日本で植樹しております。
その内に叶いが実り開花し始めると思います。
麻生さんの展望台グループの採種協力にも感謝しております。
古谷さん  麻生さんの葬儀に奥様と一緒に列席されたんですね。
サンパウロで一度会ったきりですが突然の麻生さんの死去今後氏のメールが届かなくなること寂しく感じております。
合掌 池田久成

西郷: 古谷さん 麻生さんが逝去されたと知り、驚きました。
メールがずっと届いていましたので、体調が悪いことは、貴兄のメールなどから察していましたが、本当に残念です。合掌

丸木で~す 展望台グループを主宰された麻生さんの遺影です。豪放磊落、清濁併せ呑む度量の大きな人物でした。

和田:丸木さん 貴重な麻生さんの写っている手持ち写真送付有難う。40年!!ホームページには使えませんがBLOGに掲載させて貰います。有難う。

藤沢:麻生さん 突然の悲報、いうべき言葉を失っています。体調が優れないことは知っていましたのである程度の覚悟はしていましたが、それにしても早すぎて、辛い知らせです。
青春時代の夢を駆けめぐらせたブラジルの大地を黄泉のくにから見つめておられるような気がしています。こちらもシャンとしていなければ、がんばれません。

松栄:麻生さん・・・・カリフォルニア在住の村松さんからお見舞いのメールが届いています。エンブウの空高くから、ごゆっくり読んでください。
夕べ、7時半にエンブーに着いたのですが、真っ暗で結局葬儀読経には間に合いませんでした。
普段は1時間半の行程が、金曜の夕方、ということで交通ラッシュに遭遇して3時間以上、かかってしまいました。
亡骸と対面する勇気も失せてしまって、エンブーの空に手を合わせて、暗い街を一周して帰途につきました。
午後9時前に店に戻ったら頃、広橋さんと竹本さんが7時ころ来られた由、こちらもお会いできず残念でした。
そんな昨日でした。
この世を旅立たれる49日に、是非ご尊顔を拝しに伺いますので、ご容赦の程、お願いします。
悔やまれることばかりですが、これも人生かな・・・?と思いながら、過ごしています。

村松:麻生さん、長い間ご無沙汰して居ります、2012年アルゼンチンのベノスアイレスで開催された「農大パンアメリカ大会」の後サンパウロに立ち寄りお目にかかれ、1時を過ごさせて頂いた事思い出しております。
 もう一度貴地を訪問しお会いしたいと思っておりましたが、とうとうその機会を失ってしまいました、残念でなりません、「W-50」会員の松栄さん、古谷さんから貴殿の体調を心配しているとの投稿を拝見していました、それでも貴殿からのほぼ毎日の投稿を楽しみに拝読しお元気だと確信してして居りました、残念でなりません。
いまは只「長い間お疲れ様でした、どうかゆっくりとお休みください」と申し上げる次第です。
奥方様、お嬢さん始めご家族の皆様の御健康をお祈り申し上げ、麻生大先輩の御冥福をお祈り申し上げます。
村松 義夫、(農業を拓殖5期、California, U.S.A)
古谷: 和田さん 遅くなりましたが、ご要求のありました麻生さんの葬儀が執り行われた際の写真を三葉お送りします。ご査収下さい。
壱枚目の写真は、次女のお嬢さんが麻生さんの額を撫でた後に別れを告げているシーンです。
参番目は、坊さんが(階下に火葬場のある)大講堂で最後の読経を務めているシーンです。この後、棺に蓋を被され、棺は階下に降ろされました。
上記とは別に斎場建物の正面を写した写真も送ります。

和田:古谷さん 写真有り難う。お嬢さんのお別れの写真を使わせてもらいます。現在孫の海翔君の誕生日を祝っておりblogえのupは、今晩遅くか明日になりそうです。写真受け取り確認まで。。。

松村: 古谷さん、ありがとうございます。麻生さんのご葬儀の様子が良く分かります。
今年2月、早稲田の応援団長で鹿児島県人会イビウナ支部長の益岡豊さんの葬儀がVargem Grande郡のMemorial Bosque da Pazで執り行われましたが、イビウナ郡の浄土宗日伯寺のお坊さんが読経され、故人のことを話されました。この斎場も緑豊かな自然の中にあり、建物も似ています。
人一倍頑張った麻生さんもこれから安らかに眠られることでしょう。

都賀:麻生さん
これまで沢山御教授を受けました、大感謝を致しております。
永い間お世話になりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。合掌

松栄: 今、麻生さんの奥様と電話が通じて、1時間ばかり昨日の様子がお聞きできました。
昨日は、午前中に診察の予定だったそうですが、午前5時前に突然、口から血を吐かれて、同時に肛門からも出血が始まったそうで、ちょうど息子さんと娘さんがおられたので、両脇から抱えるようにして救急病院に連れて行かれたそうです。
待っていたお医者さんがすぐにドアーを閉めて検診を始められたそうですが、何分間後、すぐに戸が開いてお医者さんが出てきて 「駄目だった」 と言われたそうです。
子供さんが抱えられた段階で、既に意識は無かったそうです。
口から吐いた血の中に,塊りみたいなものがあったので容器に
入れて持って行ったそうですが、その塊りを見てもらう時間もなく
亡くなられていたそうです。
心臓も数回の発作で弱っていたそうですが、直腸にも癌があったのだそうで。
口からも血を吐かれ肛門からも出血されていて、病院についた折
はもう駄目だったそうで、結局は死因の確定が出来ていない、そうです。
血液成分の ポタッシオが多いのが原因で、その数値が高いと
とても危険なのだそうです。
昨日受診予定だった先生が、その血中ポタッシオ(日本語ではカリウム?)を下げる専門のお医者さんだったそうで、数値が7だったり、先週の検診では8,5だったかに上がっていて、数値を5以下にしなければ危ないと言われていたのだそうです。
そのポタッシオは、果物・バナナに特に多いそうで、麻生さんも
奥さんも大好物で、毎日食べていたそうです。
そんなこと言ってくれたお医者さんは初めてだった・・・」のだそうです。
その血中ポタッシオが原因で、吐血,……
ちょっと調べてみました。
高カリウム血症は,心毒性が発生する。
カリウム値が 6.5mEq/L を上回った場合は・・・
心毒症 =最終的に心細動または心静止に至る。・・・
そんな感じの症状だったそうですが、
死亡が確認された後、医者は何も説明しなかったそうです。
そのままドサクサになってしまったのだそうです。
このカリウム云々を言ってくれるお医者さんは,初めてだったそうですが、時期が遅れてしまったことと 夫婦そろって毎日バナナを食べていたことが、あったのだそうです。
まったく知らにもんね、という話でした。
昨日は、病院から指定された葬儀場に、時間もかからず運ばれて
午前11時ころからすでに、ベロリオ(葬式)が始まってーーー
自分たちが何も言う暇もないうちに、午後5時に葬儀が読経始まる
はずだったのが親戚の到着が遅れたので少し待ってもらって、お坊さんの読経が始まり、 セレモニーが終わって、遺体は葬儀場に預かられて、数体集めて火葬にした後、数日後にお骨を取りに行くのだそうです。
ですから、こういう具合だったので、間に合わなかった人も多く
49日に お別れの会 を持たれるそうで、日時が決まったらお知らせします。とのことでした。
場所は、西本願寺だそうで、沖さんの家の近くだそうです。
詳細をお知らせ頂いたら、この欄でお知らせさせて頂きます。

和田: 松栄さん 松栄さんならではの詳細有り難う。良く様子が分り安心しました。好きなバナナの食べ過ぎが原因とは麻生さんらしいエピソウドですね。残された者が、残された時間、性一杯生きて行くより仕方がないですね。それが麻生さんへの供養ですかね。生かされて居る間は、頑張りましょう。有り難う。

古谷: 松栄さん 麻生さんの逝去に伴う一連の仏事に関して貴殿が誤解なっているやに思われますので、その誤解を解きたいと思います。
麻生家の宗派は浄土真宗です(宗祖は親鸞聖人です)。この宗派では、人が亡くなると、直ぐ成仏すると説く宗派です。ご存知の様に、他の宗派では「人が亡くなると、49日間(七週間)亡霊になって̪死界を彷徨い、遺族の祈りに依って天国に辿り付く」と説かれ、七日毎に坊さんに仏前で祈りを捧げて貰う習慣があります。
従い、麻生さんはもう立派な仏さんで、亡霊ではありません。従い、七日毎の回忌の務めの要が無ければ、忌明け(49日)の仏事の要もありません。
昨日の葬儀の最後に、故人の甥御さんが遺族を代表して参列者に礼を述べられた後に、忌明けの務めをお来ぬ予定との発言がありました。当地SPは日本から遠い地理的な事情から、仏教徒でも宗派毎に、行事が異なる点までの理解が徹底していない可能性があります。
余計な口出しをする様ですが、折を見て、私が麻生夫人に上述内容を昨日お経をあげて呉れたお坊さんに確かめる様勧めてみます。若し、お坊さんの回答が上述通りであれば、貴殿は麻生家への弔問訪問に49日も待つ要が無くなります。

川上: 突然の訃報に接し、大変驚くとともに残されたご家族のお気持ちを察するといたたまれない思いです…。
毎朝麻生さんから届く「ブラジルニュース」をプリント・アウトし、ファイルするのが一日の始まりでした。そのファイルも21冊を超えました。非常に有益な情報で麻生さんの博識ぶりにはいつも驚かされておりました。企業相手のブラジル研修の際にも随分と役だってくれました…。
感謝の気持ちを込めて、ご冥福をお祈り致します。合唱。
川本退屈男こと川上直久



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