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W-50 ALLSERVERを通じての投稿USA -1号 カリフォルニアの村さんこと村松さんのお便りです。
長らくお世話になったFREEML by GMOのサービスが12月1日(ブラジル時間)で終了してしまいました。12月2日の正午(日本時間)で完全に終了してしまい総て消えて終いました。それ以後は、ALLSERVERだけになってしまいました。FREEMLのメンバー382人が何とALLSERVERのメンバー46名のスタートになりました。元気なカリフォルニアの村さんからALLSERVER配信1756番がUSAからの第1信になりました。何と助走期間の長かったこと。。。記念に50年のホームページに残して置く事にしました。
写真は、村松さんが送って呉れたクリスマスの飾りです。暖かい感じがしますね。有難う。


皆さん

 長期に渡りそして壮大な量の投稿を受信整理された「W -50」 の和田さんに心より感謝申し上げます。そして今日12/02から新たなW- 50に挑戦しお世話いただけるとは改め御礼申し上げます。そして何よりも和田さんのご健康をお祈り申し上げ、PC前には数時間と限定され屋外に出て体操と深呼吸、そして散策をお勧め致します。

 11/15夕刻の便で訪日からロスアンジェルスに帰宅しました、当初1963年の派米農業実習生の同期会と家内の母親の京都での家族法要そして我が故郷掛川訪問を含め、二週間の訪日としていたところ東京、京都、掛川の紅葉はまだ早く、緑濃い木々を見るに付け残念に思い、東北に向かえば紅葉が見えるのではと家内と相談し一週間の延長滞在を試みた、上野から東北新幹線に乗り埼玉、栃木、そして群馬に差し掛かっても車外から見える山々の景色は緑濃い木々で覆われていた、たまに農家の庭先の銀杏が薄すらと黄ばんで見えたりするだけであった、田んぼは稲刈りも終わり稲株口からまた稲葉が伸びておりハザ掛の稲が所々見える姿は秋の終わりを告げていた。

 結局青森まで来たが絵に描いたような紅葉は見えず、そのまま通過して北海道まで行けばとの希望を抱き函館まで行ってしまった、日帰りで東京に帰る予定で出てきたが函館に着いた時は夕闇が迫っていた、駅前のホテルに予約なしで飛び込み一泊することになった、”イカ” が有名な函館と聞いて教えてもらったレストランに入り、”イカ” を注文したが値段が表示されていない、尋ねると今年は不漁で”イカ” の値段は日によって変わると言う、それでも良いから”イカ刺身”と”丸焼” を注文した、そしてご飯にあさりの味噌汁の二人前でビールも飲まずに何と1万8千円となった(東京に帰って来たらなんと釧路あたりでは大漁が始ったとニュースがあった)。

 食後日本三大夜景で有名な函館山にゴンドラに乗ろうとタクシーで向かった、驚きは入場口の長蛇の列である、それでも並ぶ事にしたが何と中国からの団体である、それも一つや二つの団体ではないこれは参ったと思っていたが、団体は既に旗持ちがチケット購入済みであったので、我々は入場券がすぐに購入できた、欧米からの白人の姿も見えたが一般客は別の列で30分位の待ちでゴンドラに乗れ山頂に到着できた、よく晴れていたので絵に描いたような夜景が眼下に見ることができた。翌日は赤煉瓦で有名な函館港の倉庫街を散策し海産物の土産を大量に購入し宅配を頼んだ(日本では何処に行っても宅配が用意されているので便利だ、ゴルフ道具なんかも前日宅配にプレー時間を記入しておけば翌日届いている、実に便利である)。

 東京への帰路社内の掲示板に盛岡の駅名出た、家内と目があって思わず ”わんこそば” だと急いで下車した、1964年派米実習後4年生に復学し東京のオリンピック開催でにぎわを東京を離れ、東北地区の農業高校を対象に海外事情の遊説に出かけた、メンバーは学移連ブラジル派遣の長坂優(卒業後アマゾン移住、故人)、岸靖夫(派米実習生、卒業後モンテアレグレ移住故人)、そして小生(派米、卒業後米国移住)と杉野忠夫教授(故人)と小野功講師(当時は講師、助教授、教授、引退後名誉教授)の交代で出かけて海外事情、移住について講演して回った、その折盛岡農業高校での講演後この名物 ”わんこそば” に挑戦した、腹を空かせた我々にとっては何倍食べたか思い出せない、店主も驚いていたことを覚えている。

 家内は初めてで、小生が昔行った店は本店で支店が駅前にあったので出掛けた、隣の席には10名程度の何処かの団体が座っていた、彼らは丼を食べていた、我々は ”わんこそば” に挑戦した、私は30杯食べ終え家内は15杯でギブアップ、終わってアイスクリームを食べながらお隣に声をかけた、胸に金バッチが見えたので「何方からお出でですか」と尋ねると、返事がない「議員さんですか」とたづねると笑っている、再度「何方の議員さんですか」と尋ねると逆に「貴方達は何方から?」と聞かれたので、「私は静岡県の掛川市で今は東京から来ました」と答えた、横に座っていた事務局みたいな若い者が「我々は遠方からです」と答える、ちょっとカチときて「何方の議員さん逹と名乗れないのですか?」と聞くと「視察できています」と答える、「何処の県の何市町村と名乗れないのですか、誇りを持って名乗って欲しいですね」というと、事務局はさあ皆さん時間ですので行きましょう、と行って立って出て行ってしまった。

 情けなく、悲しくなった昼食を終えて「岩手公園、盛岡城跡」に向かった、川土手のモミジ群生、城跡の闌干から階談に向かってのモミジが黄色から薄い赤に変わる景観に、昼のわんこそば屋での情けない会話がすっ飛んだ、実に美しいここまで来てやっと紅葉が見つけられた、帰路の新幹線もモミジ入りの盛岡弁とビールを買って東京に向かった、そして我々の訪日は終了し、一本の歯が抜けたままでロスアンジェルスに帰って来た。 その後11月の終盤の全国の美しい紅葉がJapanTVで紹介されていた、靖国神社の銀杏並木も今やっと黄色に染まり、ギンナンも落下していると報道があった。

 2019年最後の感謝祭にはこのコミニテーの高齢者達は毎年息子や娘の家族の元に一週間位滞在し孫達と過ごします、我々は娘家族の家で婿さんの家族と合流しターキーの夕食を30人集合し、一晩泊まって帰って来た。コミニテー内では各家庭の軒先に様々な色の電気(アイスクル、Icecle)が飾られ始めている、我が家も来週始める予定そしてクリスマスが待っています、令和元年と西暦元年と混同し米国に住んでいると如何しても西暦で表現してしまう、

 2020年最初の投稿をと思っていましたが「W- 50」最初の投稿、そして最初の「W-50 Allserver」に変わってお送りいたします、皆様の益々のご健勝をお祈り申し上げます。 村さん–Calif.



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