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第40回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2019ー2020』その2
第40回バーチャル座談会は、前哨戦はその1だけで終わりその2から本格的な新春放談に入ります。松栄さんの食談議が遅れて付きましたので冒頭に掲載して置きます。本格的な新春放談は、新人のカリフォルニアの村さんこと村松さんから始まりダンスとカラオケで丸4日間サンパウロの県人会の催しのはしごをして回るピンダの吉田さん、小話の富田さんと既にメンバーの3分の1は、登場して呉れています。まだ2週間は、優にありますので全員参加が実現しますかね。メンバーの顔が見える年末年始のバーチャル座談会は、初めてで楽しみにしています。写真は、村さんが送って呉れた氷川丸の前で撮られた昔からの仲間との集合写真を使わせて貰う事にしました。


松栄: 同郷の出石さんの詳しいご説明に、(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
うなずきながら、読ませていただきました。
ご返事が遅れました。
清荒神・・・
本堂の裏だったかの、その棒でお金をかき集めるの、懐かしいですね。
お釈迦様に柄杓で水掛けるのと、二大イベントだったと思います。
頂いたお金を紙に包んで大事に財布に入れたのですが、いつの間にか
消えた、という感じで、一度も御返ししていませんが。
最近は賽銭代わりに、ばら銭を投げ込んでいます。
清荒神の次が売布神社で次が中山寺、阪急は社寺仏閣ばかりですね。その中山寺に、私の兄(長男)が眠っています。昭和15年生まれで、17年・・・3歳になる前に亡くなったそうです。
中山寺には年に一回だったと思いますが、星下り。という祭事があって8月の15日だったか、お盆の日の夜中に流れ星を見る、というのがありました。
高校のころだったかの 星まつりの日、父が境内の真ん中の灯篭の下だったと思うのですが、坐ってしまって(3時間くらい)動かなかった。多分、長男のことを思い出していたんだろうと思いました。
この中山寺は、阪急の駅から近くで、歩いても5分もかからないのですが、この参道にも🍢(おでん)がイッパイでした。夏でも。ここはかき氷が美味しかったし・・・
高校の同級生がテキヤニなって、中山さんの沿道で鯛焼きを焼いていました。
思い出したら、きりがありませんので、また次にします。

村さん~Calif, USA:和田さん、皆さん  当地 Southern California は今 Christmas Season を迎えその飾付けに大忙しです。
 私達夫婦の住む Friendly Valley Country Club コミニテー内も、歳寄り達が毎年恒例の家々の周りを飾っている姿が見られます、コミニテー内を回ってみると、約3割程度の家庭で飾り付けが終わっています、夕方4時過ぎると薄暗くなって来るので、散歩がてらまたゴルフカートに乗って、他の家々の飾りを見学しに回っている姿が見られます。
 さて2019年は正月早々奥歯のクラウンが取れが取れてしまい内部が化膿しており歯医者で治療しクラウン入れ替えら始まりました、そして11月訪日時に横歯のクラウンが外れ現在仮歯を入れてもらい、来週ブリッジを入れる事になっている、歯の治療から始まり歯の治療で終わる1年でした、歳を経るに従って体力の低下は理解しているが歯まで弱くなるとは困ったものです、それ以上に困るのは当地での歯の保険適用が低く自己負担が大きいので、歯を抜いてしまう高齢者も多いようです。
 訪日は「派米農業実習生の集い」が10月最終時に毎年開催されるので出席する目的と、秋の紅葉を求めてJR Passを使って各地への温泉巡りを楽しむ旅を続けています、特に今年は3月に家内の96歳の母親が他界したので2回の訪日でした、危篤の知らせを受けその日に家内は飛んで行き生前の母親に会うことが可能で安堵していました、私も初七日まで滞在し帰宅しました。10月の再度の訪日では既に京都東山山上の大谷寺院の大きな総合礼拝堂に、父親と共に収納されており墓参ができた次第でした。
 思えば、農大で農学そして実践を学び、また世界の未開発地域への移住や現地協力指導の必要性等の意義を学び、多くの先輩や同期生を横浜の港で送り出した、自身も米国に渡り米国の力強い企業農業を体験し幅広く視察した事で、日本農業の将来を担う後継者、また海外移住後の農業経営、そして開発途上国への指導に参加する農業関係者には、この強力な米国農業を体験・視察してほしいと願い現地での世話係を担当し全米各地そしてカナダを走り回って、気付いた時にはブラジル移住を忘れてしまった人生でした。
 日本では食糧自給率の減少が続き、農業後継者の激減、農家の高齢化、山間地農村の過疎化、そして輸入農畜産物の急増、と農業を取り巻く現状は大変厳しい、それでも工業化、IT産業化、輸出専攻化、で日本全体は高度成長を成し遂げた。新幹線の車窓から眺められる平坦な農業地帯の景色の中に、雑草の茂る多くの農地の様子が年々増加していることが解る事は残念でならない、山間地を尋ねるとそこには高齢化した農家が、細細と自給の野菜を作って生活している姿がある、あと何年この部落は持つだろうかと心配になる。
 都市に住む人々にとっては格安な輸入農畜産物、特に加工食品を利用できるため生活には有利な条件である、それでも輸入食品の安全性や安定供給には疑問も残る、地球温暖化によって北海道産のコメが最上級に選ばれる時代が来ている、九州では熱帯果樹の生産農家も出てきている。そんな自給食糧低下状況下にあって若い世代が生産知識と経営知識を駆使して儲かる農業が各地で見られる、個人の農家が1億-5億の売り上げ、企業農家が10億-20億の経営をするという、高品質の農畜産物そして加工食品また有機農産物を生産し生産地直での販売網で儲かる農業者が増えている事は喜ばしい。
 戦前・戦後この米国へ移住した一世達の多くは現地農家の労働者や都会住宅地の庭園管理で、貯蓄し農地を賃貸や購入して農業者となっていった、どんな田舎でも二世の子供達は学校に School Busで通学でき、優秀な二世の多くは奨学金制度を利用して高等教育を受けられ、卒業後は専門職に従事でき高級が得られ都会に移り住み家族を持った、二世の半数が農業後継者となり親が苦労して築いた農業の規模を拡大していった、都市に移った二世に育った三世は都市で平均以上の暮らしを得た、農村に残った二世のなかで育った三世の半数以上は都市に出て専門職に付き都市で暮らす、そのため現在日系人の農業者は僅か数える程となっている、そして三世、四世はアメリカ人となり日系人とうい名称から離れまた多人種と混血したりで、”アメリカ人”として社会で生きている。
 こんなことを考えて2019年を占めることに致します、”Merry Christmas & a Happy New Year"。 

和田:カリフォルニアの村さん 早速のアメリカのクリスマスの時期に来し方行く末を書き残して頂き嬉しいです。今年の大きな収穫は、村さんの参加でしょうか?日本では郷里掛川まで足を伸ばして頂き案内をして頂きました。新幹線こだまの車中で食べた駅弁は、歓談と共に美味しかったですね。又来年も何処かでお会いしましょう。送って頂いた写真の一枚は、バーチャル座談会でも使わせて貰います。有難う。

松栄:吉田さん ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。ニックネームのカムショペさんとは?何か意味があるのでしょうか。宜しければその由来などお教えください。

吉田:マツエさん カムシユペはアイヌ語で神という意味です。わたしはシャモの三世です。祖母が三才の時に鳥取藩士だった親と屯田兵として輪西に上陸したそうです。明治20年だったそうです。祖母はアイヌの生活様式をよく知っていました。昔文協の前に喜怒哀楽という食堂がありましたがその食堂の壁にアイヌ部落の景色の彫り物がかけてありましたが、微に入り細に入りアイヌの生活、壺、縄、衣服、が彫られいました。私は驚きこれを彫ったアイヌはブラジルで何を想いなにをしたのかと思いました。
金曜日からサンパウロにきて土曜日、日曜日と朝から晩までダンスパーティーです。今日は朝から晩までカラオケです。

松栄:ご説明ありがとうございました。アイヌの言葉でしたか。
日本にも、縄文人という先住民族がいて、しかし古の時代突然日本から姿を消した、ということを聞いています。
弥生時代に朝鮮半島から渡ってきた人たちに追われたり同化したり、中のあるものは海を渡って、アメリカや南米に渡った、ということがあったそうです。
そんなことが長年起こって、今の日本人がいるのだろうと思います。弥生人(朝鮮系)と縄文(日本古来)が合併した。
そんな古い民族で最後まで日本に残った(アイデンテイテイを残した)のがアイヌの人たちだろうと思います。
結局、明治から150年程で、日本人に同化して、そんな特徴もここしばらくで、・・・・消えてゆく・・・のかも。
現在の南米に残るインデイオ文化とも共通している部分が多く見られるようですね。そんなことを思いました。

和田: 吉田さん 年末は、ピンダから出て来られダンスにカラオケですか?何時も奥様とご一緒で趣味が同じで良いですね。ダンスは相手がいないと駄目ですし、カラオケもご一緒に歌ううのですか?一度聞かせて下さい。良いお年を。。。
吉田: 和田さん 金曜日の早朝バスでサンパウロに来また。着いてすぐカラオケダンスに参加し夜まで踊り夕食後はまたほかの場所で歌ったり踊ったりし、土曜日は8時からカラオケダンスに参加し21時まで歌ったりおどつたりしました。日曜日は8時から徳島県人会館のカラオケダンスパーティーに参加し5時まで踊りました。月曜日は9時から岩手県人会館のカラオケで歌い、いまチエテのバスターミナルてピンダモニヤンガーバ行きのバスを待っています。とうして4日間歌い踊れたのか信じられません。

和田: 吉田さんの年末は、ダンスとカラオケ巡り、丸4日間ダンスとカラオケ凄い体力ですね。奥様と一緒だから持つのでしょうが、凄い精力ですね。驚きです。来年も頑張って下さい。

吉田: 和田さん 写真の通りお婆さんとのデユエットの数が多いのであまり妻とは歌う時間がありません。でも時々妻と時々デユエットで歌います。一番得意なのは“’ハイそれまでよ” と “’浪花恋しぐれ” です。ナレーションには “ふざけやがって ふざけやがって” とか “ピンガや ピンガや ピンガをこうてこい” とか、力がはいるところがあります。歌い終わると気持ちがすっとします。

丸木で~す 先週の月例和み会での 年忘れ俳句、川柳、短歌コンクールで優勝し、賞品として早炊き玄米を貰いました。
天災の 絶えぬ祖国と 裏腹に 幸運つかんだ 移民生活
祖国の皆様には悪いけれど、艱難辛苦の移民や難民にも良運の巡りくる日もある実感です。
和田: 丸木さん 年忘れ俳句、川柳、短歌コンクールで優勝とは、流石ですね。賞品として貰ったのが早炊きの玄米とは、ぴったりですね。年末年始も泳ぎに徹して来年に備えて下さい。元旦が誕生日で85歳ですか?2日が私の誕生日で80歳になります。もう少しは生かされていますかね。泳ぎは駄目ですが来年も歩き続けます。ではまた。。。

広橋:今年もクリスマスの時期になり、ブラジル人も忘年会のようなものをしますので、酔っ払い運転が横行しています。
金曜日(13日)の恒例の弁当ハウスでの飲み会(60後半〜80歳)後、若い二世達(40〜50歳)の忘年会に誘われました。
同じ東洋街のバール(立ち飲みバー)の奥を貸切り、40人位集まり、全部持ち込み手作りのおにぎり、焼肉、酒、ビール、ウイスキーで夜遅くまで姉ちゃん達(30から40歳)に囲まれて久し振りに上機嫌で楽しみました(?)。 姉ちゃんにお酌されるとき、「貴女は運転できるか?」と訊ね、「出来る」と応えた女性だけに注いでもらいました、「如何して?」との質問に「酔っても大丈夫だ、帰りは一緒に運転してくれるから」と言ったら「じゃー、注がない」と断られ、よろよろジジーは彼女等に通用しませんでした。
気落ちした私にもっと飲めば街道が広く見えるから安全運転出来ると注意(?)してくれ、それに従い、無事に家にたどり着きました。(日本だったらブタ箱行きでしたね)
来年3月、75歳まで生き延びれると思っていたが、この調子だと、どうでしょうか疑問になってきました。
和田: 広橋さん ビール程度は、道路幅が広く見えるようになり運転しやすくなるとの事ですが、天寿司からニッケイパレセ迄送って貰いましたが運転はしっかりしていましたので大丈夫と思いますが、年末年始、飲む機会が増えると思いますので度を過ごさない様に気を付けて下さい。3月で75歳ですか?まだ若いですね。今の内に良く飲んでおいて下さい。又その内一緒に杯を傾けましょう。

砂古:伊豆山さんの消息が入りました。今体重38キロ。動けないそうです。.
従って、allserverにも申し込んでないと思えます。
一昨年前までは、我々の月例昼食会に極めて稀に顔を出しましたが、何時も驚くほどの小食でした。 昨年は会った記憶がないように思えます。今年は全然音沙汰なしでした。気の毒な消息です。

和田: 砂古さん 年末のこの時期に当たり40年!!の長老、笑顔の気持ちの良い伊豆山さんの近況を知らせて下さり有難う。毎年リオのカーニバルに出て話題を振りまいていた伊豆山さんが体重38キロまで減って動けない状態とは知りませんでした。音沙汰がないのでどうされておられるか気にはなっていたのですが。。。近況が分かり嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちです。お元気になられ又語り合えたらと熱望する一人です。お知らせ有難う。

丸木で~す リオのカーニバルに出てなかったので、どうされてるのかなと思ってましたが、ご病気でしたか。伊豆山さんは森田さんや砂古さんと共に、ブラジル移民の先輩としてお付き合い賜り御指導いただき僕にとっては人生の鏡のような人物です。なつメロ合唱の集いでは、肩組んで空の神兵を一緒に歌うのが楽しみでしたが、もう無理でしょうか

吉田:昨日月曜日は岩手県人会館でカラオケ忘年会がありました。だれでも知ってる古い歌から演歌までバライティー富んだ歌手の方々です。まだ若いかたが旅のつばくろを歌ったのでビックリしました。私は最後に仰げば尊しを歌いましたがこの曲を知っている方はいませんでした。

ハンクです
やーあ男性陣少ないのでモテモテですねー
皆様いいお顔されてますねえー

吉田:ハンク齋藤さん デュエットを頼まれることが多いので歌の練習が大変です。人気があるのは東京ナイトクラブ、裏町人生、銀座の恋、浪花恋しぐれ、月よりの使者、二人の大阪などです。

丸木で~す トロントでも 岡さんが主宰されてる「歌おうネットでカラオケ」では、28日の年忘れカラオケ大会には女性陣も多数集まりますから是非参加してください。トロントには5箇所のカラオケ グループがあり、今年の夏にはノスタルジア ナイトで表彰されました。僕達のグループは最も新しく5年目ですが、インターネットで検索してテレビ画面に接続放映する方式で、元氣会から分離独立した頃には男ばかりでしたが、今では女性陣に征服された感があります。僕はサンパウロの「ナツメロ合唱の集い」で伊豆山さんと肩組んで歌ってた軍歌ばかり歌ってます、為念。

吉田:丸木さん そちらのカラオケ装置は素晴らしいですね。たくさん歌手の方が集まるのですね。一月にお会いするのを楽しみにしています。

古谷:吉田さん ご出席の方々で、「仰げば尊し」を知っている人はいなかったと、お聞きして身に詰まされました。
ご出席の方々が、日本で卒業式を迎えてないか、当ブラジルでも、日本式の卒業式を経験なさってない方だろうと思い、コロニアの一面を思い知らされました。有難うございました。
    www.youtube.com/watch?v=ERuAlRzITX0">https://www.youtube.com/watch?v=ERuAlRzITX0
「仰げば尊し」は、1871年に米国で出版された歌集「The Song Echo」に収録された「Song for the close of school」から採られた歌との事です。ですから、どちらも別れの歌です。但し、原曲
はスコットランド民謡との事で、ややこしい話です。
    www.youtube.com/watch?v=pQ6UhM5m5mc">https://www.youtube.com/watch?v=pQ6UhM5m5mc
因みに、卒業生が「仰げば尊し」を歌う前に、送り出す在校生が歌う「蛍の光」もスコットランド民謡で「Auld Lang Syne」
    ja. wikipedia.org/wiki/オールド・ラング・サイン
元々の歌詞は、久しく合わなかった旧友との再会を喜ぶ歌です。
「仰げば尊し」は、昭和34年03月を最後に歌ったきりで、すっかり忘れていました。お陰様で、遠〜〜〜い大昔の甘酸っぱくも、ほろ苦かった青春を思い出しました。有難うございました。

吉田:古谷さん 仰げば尊しは外国曲ですか?知りませんでした。ありがとうございます。今年最後のカラオケなので蛍の光を歌おうとして、その上の番号をオペレーターにやってしまい、そのまま歌ってしまいました。やはりカラオケのグループには日本人はいないのでしょう。

丸木で~す 富士フイルム、日立の画像診断機器買収へ 1700億円: 日本経済新聞 去年には僕の出身母体の東芝メディカルがキャノン メディカルになってしまいましたが、下記の報道によれば、五味さんの出身母体の日立メディコも富士に売却されてしまうようですね。高度技術の競争激しい医療機器業界では再編の真っ只中で、名門の勤務先の会社が消えて無くなるのですから、ぼやぼやしておられませんね。僕らの時代には天下の東芝のネームバリューで、ライバル島津製作所より売れてましたが、東芝メディカルは名実ともに遂に消えてなくなりました。ついでに大阪都が実現すれば母校の大阪府立大学も大阪市立大学に吸収合併されるそうで、母校まで消えて無くなるとは、祖国日本が遠くなる悲哀を感じる年末です。
www.nikkei.com/article/DGXMZO53464150X11C19A2MM8000/">https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53464150X11C19A2MM8000/

和田: 丸木さん 母校が無くなってしまったり、出身名門会社が消えて終うのは確かに堪えますね。私が通った山手小学校は、合併吸収され消えて終い生田中学も消えて終いました。辛うじて神戸高校は、残っており早稲田大学も今の所大丈夫のようです。リオで1年お世話になった石川島播磨造船所、ISHIBRASは、無くなってしまったようですが、丸紅ブラジルは、健在のようで忘年会で現ブラジル会社蔵掛社長と同席しました。私が創立した家族会社さわやか商会も24年持ったので建物を処分して、閉めたいのですが、義妹に譲ったことになっており毎日事務所に顔を出しています。従業員がおらず社長一人で頑張っているので様子を見ています。生涯現役で会社が消えて終わない限り毎日通わないと行けないのですが、何時まで歩けることやら。。。80歳を前に先が見えて来た気がする年の末です。後何年?生かされて行くのでしょうか?もうこれで十分ともおもうのですが、、、海外旅行も出来なくなりますかね???来年9月の県連のバンクーバ行には、参加する積りですが。。。もう少しは孫たちの成長を見守りたいとの気持ちはありますが、この世に名残は残しておらず何時お呼びが来ても気持ちよく行く積りにしています。さあ後何年???

富田: 和田さん&W50年の皆さん、ご機嫌いかがですか?今回は先日お届けした、一笑一若・メキシコ小話「夫婦、この不思議な関係」の米国編をお届けします。筆者は「夫婦」に関する小話を飽きるほど読んだのですが、穏やかで幸せ一杯の夫婦の小話は一つもありませんでした。こういう夫婦は小話にはならないのでしょう。そこで、「柳の下の泥鰌」を狙って、今回は、一笑一若・アメリカ小話「夫婦、この不思議な関係-米国編」をお送りします。ご用とお急ぎでないお方は、下記のブログをお訪ねのうえ、一笑一若・アメリカ小話「夫婦、この不思議な関係-米国編」をお読みになって、米国の猛妻振りを
E N J O Y !!!
http://iron3919.livedoor.blog/

井川:富田さん 相変わらずお元気でなによりです。たしかに、仲のよい幸せな夫婦のお話なんか,誰も聴いてくれないでしょうね。いわゆる、「他人の不幸は蜜の味」でしょう。夫婦ものでヒットするのは、だいたい『恐妻物語』でしょう。日本でも、私が生まれるより前の『男尊女卑』時代に、『うちの女房にゃ髭がある』(パピプペ パピプペパピプペポ)という1936年の大ヒットがあります。こういう恐ろしい女房の話を聴いて、人々は、私もそうですが、やさしい女房の有難さや愛しさを思い、そういう妻に恵まれたわが身の幸せをしみじみと感じるのです。富田さん、有難うございました! SEE YOU!

富田: 井川さん、コメントありがとうございます。小話の世界では、「幸せな結婚、仲のいい夫婦」はお呼びではないようです。リーダーズ・ダイジェスト(英語、西語版はまだあります)のジョークは実に退屈な、平和そのもので、微笑ましいものばかりですが、「結婚と夫婦」の小話は先ずおめにかかれません。小話は「意外性」が売り物ですから、仲のいい夫婦は意外性がないので、お呼びではない、のでしょう。井川さん、精々奥さんを大事になさってください。

広橋:博多っ子 私達、夫婦の日々
女房はそれはそれは良くできていて、いつも私と話しするときは、丁寧に膝をついて話します。
女房、膝をついて:  「はやく出てきなさい!そんなに怖がらなくても・・・」
私、恐る恐る:     「勘弁してくれ」 と机の下から這い出す。
福岡出身の匿名で投稿

富田: 博多っ子さん、座布団3枚の傑作です。博多と言えば、亭主関白の土地でしょうにね。
こういう意外性が小話には必要なのですね。コメントありがとうございます。

和田: 広橋さん 机の下に逃げ込む程の悪さとは、どんなものでしょうか?性懲りもなく何時もしている悪さ?それとも?想像できそうな日常茶飯事を年末も夫婦で楽しんでいるようですね。我が家も似たようなもので奥様、様様で小言を耳を付けてないので良く聞こえていなかったとか。。。適当な答えをするのですが最後は、御免!今後改めると謝っています。逃げられるか、追い出されえるまで続きそうです。今年も無事終わって欲しいですね。

富田: 和田さん、そんな風には見えませんがね。僕のサンアントニオの友人に奥さんと娘3人の家族がいます。
大体、和田家と似ていますが、亭主は人前は「恐妻ぶって」いますが、実はワンマン亭主ですよ。
さて、もうすぐ今年も終わります。今日の午後から、恒例の年忘れ小話大会を5回に分けて、お送りします。
乞うご期待!

和田: 富田さん 人は、見かけによりませんよ。外ずらが良くて家の中では。。。と良く言われています。
恒例の年忘れ小話大会を始められますか。楽しみです。バーチャル座談会には、取り上げれませんが纏めて40年!!ホームページにでも残して置きますかね?それとも纏めて番外編に?検討して見ます。楽しませて下さい。

三上: 和田さん 「Coisas do Japão」ニッケイ新聞WEB版出るようですが、ニッケイ新聞社はサンパウロですね。
同書が日本で手に入るかか否かわかりませんが、1月末から3月初旬までのパラグアイ、ブラジル訪問時に購入できたらと思っています。在日のブラジル系友人等にお土産と、私自身のポ語学習用に。
 エンカルナシオンからポサーダス経由、バスでのP.アレグレ行実計画中です。P.アレグレからサンパウロに国内線で行く予定ですが、チケットは当日でも購入可能ですか?
サンパウロで数日滞在し、安全を期しながら市内(限定内)も観たく思っています。前回は夜間は一切で歩きませんでしたが(滞在お世話になった家族からの忠告で)昼間は日系の飲み屋さん営業してないでしょうね。

和田: 三上さん 確かカーニバルをパラグアイで過ごしエンカルナシオンからポーサダスに入りバスでポルトアレグレに来られる予定の様でしたが、何時頃ポルトアレグレ着予定でしょうか?カーニバル明けにの2月28日(金)から3日間行われるベロオリゾンテのEXPOMINASを覘きに行こうと誘われており2月24日(月)にエスピリトサント州のヴィットリアからベロに汽車で行く予定との事で三上さんのポルトアレグレ着と重ならなければ行って見ようかと思っています。従い三上さんのポルトアレグレ着予定日を教えてもらえませんか。それを優先して2月の計画を立てたいと思います。国内便のフライトは、飛行場で即日乗りの切符は、何時でも買えます。割引が無い通常切符になりますが。。。
お土産にGOISAS do JAPAOを購入されたいそうですが、サンパウロの本屋さん、商工会議所でも販売していますが、1冊50レアイスで出版元のニッケイ新聞では1冊40レアイスで入手可能なようです。少し重いでしょうが、帰国前に購入すれば良いお土産になるでしょう。
ポルトアレグレ到着予定日をFIXして知らせて下さい。



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