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第40回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2019ー2020』その4
バーチャル座談会も愈々後半に入りその4を公開します。中ダレすることなく今回も色々年末らしい楽しい話題が飛び交いました。ブラジルのクリスマス光景から始まり、山下さんの大阪駅紹介、喜劇役者小島慶四郎さんが亡くなられた話、出石さんの笠戸丸の煙突の色に纏わる疑問を宇佐美昇三さん迄出場疑問解消、花談議、松栄さんの伯父さんの話、砂古さんの14年前の旅日記を現在と錯覚された井川さんのコメント、桜井さんの今年最後の原稿が届いたり盛り沢山の話題で賑わいました。写真は、砂古さんのノールウェイのフィヨルド観光のスケッチを使わせて貰いますが、理由は、船尾から景色を楽しんでおられる左端のオジサンの頭の禿げ加減が私そっくりで後ろから写真は取るな云っている私の頭をリアルに描いている傑作だからです。


和田:今年の年末、年始のバーチャル座談会もその3まで行きました。丁度半分ぐらいでしょうか?メンバーが半減どころか8割に満たない数字に減ってしまったので残っておられるメンバーの皆さんには、是非一言でも発言頂きたいですね。今年の1年はどうだったか?来年への期待は?
今晩は、クリスマスイブ。今年は、ポルトアレグレを逃げ出さなかったので孫たちが取り持つ縁、ヂエゴ君(娘婿)の家族と一緒にクリスマスイブを過ごします。皆さんにもBOAS FESTASを送ります。

広橋:≪クリスマスイルミネーション≫ サンパウロ近隣のサンベルナード市のクリスマスイルミネーションされた市内バスの写真を添付します。
昔(半世紀前)福岡の西鉄の路面電車の”花電車”を想いだしました。
このバスを見て、あっ、クリスマスが近づいたな、と呑気に構えていたら、もう、直ぐそこまでクリスマスがきていました。
今日、出社すると、誰も出社していませんでした。9時ごろに息子が出勤(メンテで緊急呼び出し)してきて、今日と明日はクリスマス連休として、土、日も入れて5日連休にしたそうです。
私だけが村八分されて、知りませんでした。
追記:この写真を撮るのに時間がかかり、後続の起こった車の長い列がサイドミラーに写っています。

松栄:皆さん 今日はクリスマスイブで、ヨーロッパ的にはその年で最大のイベントの始まりの日、と位置付けられる日のように感じています。
仏教文化とキリスト教文化の違い、を感じさせられる日。たしか45回目くらいのブラジルでのクリスマスになります。

和田: ジャボルスキー(ポーランド系)と和田家のオジーちゃん、オバーちゃんに囲まれた洋と直のクリスマス。
大抵は、この時期理由を付けてポルトアレグレに居ない様にするのですが、今年は、年末旅行が30日からクリチーバとなっておりクリスマスイヴのお祝いをジエーゴ君のファミリーのジャボルルスキー一家10人と和田家関係9人(弥生達と両家のオジーちゃん、オバーちゃんの孫にあたる洋と直は、両家に数え実数は15名)でのクリスマスイヴを楽しみました。主役は、孫たちでプレゼントを貰い満足気でした。
先ずは、集合写真で14人プラス鏡に映った写真を撮っている私も参加。。。アトランダムに孫たちの写真が続く。。。

山下:「大阪ステーション・シティを見学した」 山下リオ@日本です。
昔の大阪駅を知る人は驚く。大阪駅にこのような巨大なスペースがあったか。7/16に入場者10億人突破、延床面積53万平米、テーマパークのように不規則な5階建てに仕上げている。このように催しものに使える広場がいくつかある。
高校の同級生が隅まで案内してくれた。建ぺい率問題で、線路の上に180x100メートルの大屋根を付ける苦心談も聞いた。改めて日本の建築技術に脱帽。
先方の丸い屋根は取り去って全部手前のガラスにする計画だったが、雨の振り込みが激しいので、そのままになっているとのこと。建蔽率で地下が掘れず、線路の上の広大な屋根は支え柱がなく、左端の柱が重量を支えている。
左端に大屋根の全重量を支える柱と免震装置がある。
近畿圏の最大にして最後の一等地「梅田北ヤード」再開発予定地。
天空の農園:最上階には景色の良い菜園があるが、飲食施設はなく目的は??。
tp://wadayoshiji.livedoor.blog/archives/5368740.html

古谷:山下さん 国鉄大阪駅の地下街は良く知っていましたが、大阪駅を覆う天蓋が出来たとは驚きました。此処には新幹線は通っておらず、在来線だけでプラットフォームが六つ、東海道・関西・阪和・福知山・桜島・環状の六路線(0-10番線)があり、東京駅に次ぐ大きさです。
来年辺り、訪日を予定していますが、その際篤と眺めてみたいと思います。

丸木で~す 古谷さんも僕と似た様な浦島太郎ですね。2011年に母の葬儀の後で、古谷さんの外語の先輩にあたる僕の兄に大阪駅に連れて行かれ、北側に新築された屋上に農場があるのに驚きました。今度は中央郵便局側や阪神百貨店も再開発されるらしく、大阪駅周辺は僕達の育った時代とは全く様変わりする様です。2021年5月と8月に訪日しますので大阪の変貌ぶりを見るのが楽しみです。

和田:山下さん 古谷さん 丸木さん 皆さん!
関西人の我々には、着いていけない変貌を続ける大阪駅ですね。今年の10月末に大阪城を見たいとのポルトアレグレのマラソン選手を連れて大阪駅から環状線に乗り大阪城広場まで行きましたが帰路は難波から道頓堀、心斎橋、戎橋界隈を歩き又環状線で大阪駅経由京都に戻りましたが、屋上の農園を見せたかったですね。10億人の一人になれて良かったです。

丸木で~す 俳優小島慶四郎氏が死去 
8年ぶりで日本勤務になった際に、名古屋の御園座で久しぶりで新喜劇を観劇しました。藤山寛美よりボケの上手な小島慶四郎の演技が懐かしかったです。あれ以上の喜劇役者はもう出てこないかも

松栄 : 丸木さん 時代の流れ、というのは寂しいものですね。
松竹新喜劇で活躍されていたころの映像が記憶にあります。
渋谷天外さんや藤山寛美さん、もう30年も前に亡くなられている。光陰矢の如し、ですね。昭和時代も・・・懐かしいです。

丸木で~す 寂しいのは僕も同感ですが、時代の流れには逆らえません。如何に人類が努力しても、世の中は益々悪くなるばかりです。卑近な例が、僕が以前にシリコンバレーで奉職してたレーザースコープのオーナーは本職が耳鼻咽喉科の医師ですが、全米トップのベンチャーキャピタリストでもあります。そのパートナーには元副大統領のアル ゴアや湾岸戦争元総司令官のコリン パウエルが居ます。口では環境問題解決を唱えてますが、実状は最新兵器の開発起業に莫大な投資してます、為念。

出石:W50nenのみなさん 和田さん 神戸、出石です。
博識のW5nenの皆様にお聞きしたいことがあります。
実は、ずっと以前に移住ミュージアムに来られた方が「笠戸丸ってカンセンですか?」と聞きました。「カンセンって何ですか?」と聞き直したら、公の船、つまり「官船」かと聞いたのです。なぜ質問したかと言うと、壁の笠戸丸の絵の煙突が黄色く塗られていたからです。
船会社にいたと言うその人は「当時は民間の船の煙突は黒で、官船しか黄色にぬれなかったんだ」と言うのです。
なるほど、笠戸丸は日露戦争の時に、旅順の港で座礁していたソ連船を海軍が引っ張って来て「笠戸丸」として使っていたと言うのは聞いていたし、船首の船の船籍の所も「kure」と書いてあるし、呉には海軍の基地もあるし・・・海軍の持ち船なら「官船」だと納得してしまいました。
それ以後、来られた人に「ブラジルへ移住の人を乗せて行った時は“官船”だったので煙突は黄色いが、中西礼作詞・北原ミレイさんの歌『石狩挽歌』に出てくる笠戸丸は、払い下げになった後なので煙突は黒いのですよ」と説明していました。
あるとき、前の事務局長に「自分は川重の船舶課にいたから船のことは軽々しく見過ごすわけにはいかない。官船だから煙突が黄色いと言うのは根拠があるのか?」と聞かれました。
「来られた方で、船会社に勤めていた人から聞きました」と答えると、「人から聞いたことを、根拠も調べずに伝えるのはよくない」と言われてしまいました。
それから船の煙突の色を調べだしましたが、マークのことなどはあるのですが、色についてはなかなか見つかりません。ある人が海洋保安庁に電話をして聞いたそうですが「笠戸丸のことは日伯協会に聞いてください」と言われたそうで笑ってしまいました。
先日、やはり船会社にいたと言う方が来られた時に煙突の色について聞いてくれました。今日知らせがあって「『笠戸丸は4年間東洋汽船に貸し出されていて、東洋汽船の煙突の色が黄色か黒だったからだろう』と連絡があった」と言うことでした。
一応、「そうですか」と返事しましたが、「あの人は、はっきり『官船ですか?』って聞いたのに・・」とまだ疑問符が残ります。
本当に何でも物知りのW50nenのみなさんで、船の煙突の色の決まりをご存知の方はいませんでしょうか?
もう長い間引きずっている疑問ですので、どなたか教えてください。

古谷: 出石さん 初めまして、昭和12年、神戸の須磨区で生まれましたフルタニと申します。
以下の URL がお役に立てば幸いです。
www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_010.html">https://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_010.html
www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_130.html">https://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_130.html

出石:古谷さん 早速にありがとうございます。私も調べているときにこの2件は見ました。でも、以前に来館された方に言われた「当時は民間の船の煙突は黒で、官船しか黄色にぬれなかったんだ」と言うことについては触れられていないので、当時(戦前?)には、そういう決まりがあったのか、なかったのかが知りたいと思っているのです。
官船が黄色なら、国立の商船大学の船は?と思って画像を見ましたら、結構黄色の煙突が多いように思います。ありがとうございました。

砂古:笠戸丸煙突色 笠戸丸研究第一人者、宇佐美昇三氏に問い合わせた、返事を送ります。
笠戸丸の煙突の塗装の変遷について文献はありません。ですから絶対にこの色だったと言い切ることはできず、わからないというのが正確です。
しかし絵画や模型では、何らかの色をつけるひつようがあり、「多分、こうだったろう」という可能性の高い色をつけることになります。
1900年:ロシア義勇艦隊汽船「カザン」だったころ:拙著39頁:あきらかに2色です。煙突の最頂部は排煙で汚れるのでたいていの石炭だき船は黒色です。
従って、以後、最頂部は黒色といちいちことわらず、煙突の大部分の色についてかきます。
カザン時代の煙突は黄色だったろうと推定されます。拙著39頁でかなり逆光線のもとで明るい色になっています。
62頁に義勇艦隊の「ペテルスブルグ」の模型をみています。とくに煙突の色を書いていませんが、黄色だった(他の色だと注意をひいたはず)。添付の写真Peterburg参照。
バルチック艦隊は黄色煙突で、遠くから船の種類や陣形が判り、日本海軍に有利だったという記述(水野廣徳『此一戦』)があります。
黄色は霧の多いロシアでは遠くから見えて衝突予防に役立ち、バルチック艦隊も遠距離を編隊でくるので、指揮上、黄色だったのでしょう。
カザンはバルチック艦隊ではありませんが、太平洋艦隊ウラジオストク支隊所属予定だったので(拙著52頁)黄色レモンイエローの可能性大です。
旅順では特設病院船で白色塗装、赤十字のマークもあります。94頁。日本海軍になってからは、軍艦色の灰色(ねずみ色)にし、東洋汽船に貸し出されたとき(ペルーとブラジル移民船)では、東洋汽船の色=黄色(クロームイエロー)
と思われます。(当時の東洋汽船の他の船の絵画からです)。1908年のサントス200頁、多分黄色だったとおもいます。
添付の写真Kasatomaruは明らかに明るい色で、黄色と思われます。親子2代で模型を作られた籾山さんの模型も多くの資料をもとに黄色にされています。
-- 宇佐美昇三

出石: 砂古さん ご丁寧な説明をありがとうございます。
砂古さんと宇佐美さんはお知り合いだと言うのは、サントスに浮かぶ笠戸丸の絵を載せられた時?に書かれていたように思い知っていました。どこにあったか、だいぶ遡って見たのですが何分大量のメールでわからずでした。お問い合わせいただいて本当にありがとうございます。おかげさまですっきり致しました。
大阪商船に払い下げられたので、払い下げ後は黒い煙突に「大」の字のマークになったのですね。「官船」だから黄色いのではなく、ロシアの船だったから黄色いのですね。
東洋汽船の煙突が黄色だから黄色というのは納得がいかなかったのです。東洋汽船には4年間の貸与でしたが、借りた船の煙突を勝手に塗り替えていいのだろうか?と思っていたものですから・・。
海軍が旅順から引っ張って来たときから黄色だったと言うのは、私には一番納得できてすっきりしました。本当にありがとうございました。
宇佐美様にもよろしくお伝えください。(宇佐美様のお名前はブラジル移住問題を50年以上続けていた故黒田さんからもよく聞いていました)余談ですが、タイトルが「年末に思うこと」とありますのは、和田さんの人数が少なくなった分書き込みをという呼びかけに応じて、先日、日系3世の若い女性が「日曜だけのみちこさん」に、ブラジルに行って来たからと再訪してくれて、「Garoto」のチョコレートをお土産にもらったことや、いい話が一杯あったので打ちかけていたのですが、東洋汽船説の知らせが入って、急遽本文を消して書き直したのですが、タイトルのことを忘れていました。
煙突と年末に思うことはちょっとおかしいですね。スミマセン。

和田: 出石さん 色々気を使って頂き恐縮です。笠戸丸の煙突の色への長年の疑問が解けて良かったですね。これからのガイドの指針が出来て良かったです。少しは、役立つようですね。この50年!!は。。。良きお年を迎えて来る年も神戸の移住ミュージアム訪問者への語り部を続けて下さい。来年の初出勤は。1月5日ですか?バーチャル座談会の締めは出石さんにお願いする事にしますのでどうぞ宜しく。。。

和田:≪花談議500≫ 地元ポルトアレグレからです。
花談議も500回に達しました。500番目は、矢張り地元ポルトアレグレから贈るべきでしょうね。今、ポルトアレグレでは、夏の花が満開で散歩時の目を楽しませて呉れていますが、世界3大花木のジャカランダ(紫雲木)は、盛りを過ぎましたが、スパトデア(火炎木)は、余り見かけませんが現在盛りの花は、フランボヤン(鳳凰木)です。花談議500回は、この今を盛りのフランボヤン(鳳凰木)で飾りましょう。大きな樹はビルの4階ぐらい上まで延び大きく花を道路一杯広げ、下は赤い絨毯がびっしりと引き締められます。ブラジルの最東端のフェルナンド デ ノロニア島にあるフランボヤン公園のフランボヤンを思い出します。それは見事な公園でした。確かカーニバルに近い2月だったと思います。探せばこのBLOGに残っていると思うのですが。。。
写真は、地元ポルトアレグレに咲き誇るフランボヤンの花です。

はな:≪花談議501≫ クリスマスイルミネーション続き はなさんからのお便りです。
砂古さん、しゅこさん、みなさんへ
砂古さん、素敵なはしご階段が暗闇を照らしてますね、階段をのぼりきった先には何があるのでしょう・・?!
ブラジル料理も興味しんしん、とても美味しそうで食べてみたいものです。
頭の怪我は大丈夫ですか?
私も小学生のころ船着場で鬼ごっこをして、船底を上にしていて岸に上がっていた船の上を飛び跳ね鬼が下から足にタッチして遊ぶのを、その手に引っかかって下に落ち、たまたまそこに船の碇があって頭を切って出血。病院に運ばれた事がありました。
血で固まった傷口の髪の毛をはがすのに大声で泣いた記憶があります。碇の上に落ちたなんて今でも身震いします。小学2年生だったと記憶してますが、とてもおてんばな子でした。
持病で定期診察に通っているクリニックの先生はとてもお花の好きな先生で、周囲にいつもお花があります。勿論先生のデスクにも。クリニックのツリーと玄関先の寄せ植え
しゅこさん、しゅくこさんの沢山の白バラにはかないませんが、道端で赤いバラを一輪みつけましたよ〜

和田:今年は、花談議500番で御終いかと思って居たら久留米のはなさんから501番目の花便りが届きました。まだまだ続くのですかね。嬉しい悲鳴です。この世に花がある限り爺の会HPは、健在で続いて行くでしょう。オリジナルBLOGは、下記です。 https://ameblo.jp/yoshijiwanchan/entry-12562286908.html

松栄:砂古さん サンパウロのマツエです。
砂古さんのお知り合いになれて、砂古さんが東京外大のご出身であることをお聞きしました。
そのことをお聞きして、いつかはお聞きしたいと思っていた
のですが、もう昔の話なのですが、・・・
戦前移住者としてブラジルに来た、母の長兄が、砂古さんの東京外大の先輩だったということを、気が付いていました。
私の亡くなった父と同じ生まれですが、父は7月だったため明治45年ですが、伯父は同じ年の11月だったので、大正元年生まれとなっています。
私とは、年も違いますし、親戚筋でも別格で、結局3−4回会っただけで、親しい話は何もできなくて、終わりました。
今考えると、もっともっと話すことがあった、と思うのですが・・・何しろ出世頭だったようですし、・・・余り接点がなかったもので。
今、私が覚えているのは、日本人移住者が作り上げた南銀(南米銀行)の創始者の一人で、ブラジル政府大蔵省から銀行開店許可を、当時の首都リオデジャネイロの銀行局に数日並んで、許可証を取ってきた、その本人だ、という話でした。
南銀が出来上がった後、しばらく南銀にいたそうですが、結局独立して組合系の銀行を個人で開けたそうですが、当時にも銀行併合令が出て、その銀行も合併されてしまったという話は聞いていました。
お金のことにはシビア―な人だったようで、老後は南銀の株を持っていたのと、年金で悠々自適だったようで、当時とお茶の家元、みたいな存在だったようです。
そんな伯父、武田俊夫(たけだ としお)と言いました。
もしご存じなら、当時の伯父のことなどお聞きできないかと思いまして。
面倒な話ですが、もしお話しされたことがあるようでしたらよろしくお願いします。

砂古:マツエさん、昭和11年ポルトガル語卒の武田俊夫先輩ですね。名前は憶えていますが、同窓会には全然見えない方でした。僕は1950年代から平幹事を長く、のち幹事長、支部長をやりましたが、お会いしたのは別の場所だったような記憶があり、親分的風貌のある人の印象が残っているいるだけです。邦字新聞で、晩年にはお茶の家元の記事を、目にしました。同窓会名簿ではVila prudente居住とありましたが、晩年にはアチバイアに移られた記憶があります。日大卒の身内二人を呼び寄せ、その二人はブラスオシアン社で日本酒日本食の輸入業をやっていて、アルジャゴルフの会員で一緒でしたが、その一人は亡くなった記事を読んだような記憶があります。残念乍ら以上だけです。

和田:105 Noruega 15x19 desenho  砂古さんの新しい画像集です。
 クルーザーは、アイスランドを後にし、ノルエー海を横切り、ノルエー西岸に沿って南下し、ノルエ�ー第2都市ベルゲンに入港。
 ベルゲンは魅力一杯の国際都市。12世紀から16世紀にかけてハンザ北欧貿易同盟で主役的存在だった。よく保存された、白,黄, 赤茶色などに塗られた大きな往時の商館が港に面し、旅行者を楽しませる。どの商館の内側も、旅行者向けの売店で占められ、往時使用された手動貨物昇降機が見られた。 
 港の傍には大規模な露店ブースが立ち並び、全体が赤いテントで覆われ、盛況だった。新鮮な海産物とその加工食品が並べてあって、食欲を誘った。ブースのオーナーには、日本人、中国人、その他東洋人も見られた。
 周囲は山に囲まれ、ケーブルカーで登ると、眼下の景色は素晴らしく、大型の複数のクルーザーから離れて、我々の船も望めた。我々の船は上陸見学が大事な目的の一つなので停泊期間が一般観光クルザーより長い。停泊料金が嵩むので、安い場所に停泊するのかも知れない。
 夜行列車で首都オスローに向った。Viking船や北極南極探検船の博物館、王室美術館、大規模な彫刻公園などで、脚が疲れた。
 生ビール350tが8ドル。観光に忙しく綺麗な街のスケッチが出来ない。帰りに列車内での女子学生の寝顔しか残せなかった。
https://ameblo.jp/yoshijiwanchan/entry-12562037617.html

井川: 砂古さん  いつもすばらしい作品を有難うございます。 砂古さんの今日のこのレポート、驚きました。たしか転倒して、頭を十数針縫う大怪我をなさったのに、クルーザーでノルウエーに上陸され、ベルゲンの街を闊歩され、ケーブルカーで山へ登られ、夜行列車でオスローへ走られ、生ビールも飲まれ、女学生のスケッチまで残されたとは、「ホンマカイナ!」と思わず叫びました。正にうれしい驚きでした。お元気を取り戻されたのですね? 心よりお慶び申し上げます。これからも大いに創作をお愉しみください。佳い作品をご期待申し上げます。 

砂古: 井川さん、べルゲンの話は2005年の事です。画集が100枚で止まっていたので、昔の旅行絵日記と1999年の東京での個展3枚だけの画像が残っていたのでwebsiteのGalleria Sunagoを117枚に増やしたのを、和田さんに一枚づつ公開をして頂いているのです。
いまのところ、頭の傷跡は外見は治りましたが、いずれ起こるかもしれない脳膜下血腫が少し気になる所です。内出血が凝固して脳を圧迫して言語障害など若し現れると頭に小さな穴をあけて凝固物を取り出す手術になります。起こるとすれば1〜2か月目の可能性が高く数か月目の場合もあると、検索に出ています。
事故直後と一週間目の検査では内出血は見当たらなかったのですが・・・

井川: 砂古さん 了解です。たいへん失礼しました! そんな昔のことを軽率に喜んだりして、すみませんでした。しかし、現在も内出血が見られないのは救いですね? どうかお大事に! 

和田:井川さん 私の説明が十分でなく14年も前の砂古さんの旅日記を現在と誤解され可笑しくなってしまいましたね。師走の出来事としてお笑い下さい。砂古さんの絵は1日1枚にして大事にBLOG掲載しています。まだ10日間位は続きます。ではまた。。。

桜井:和田様 今年最後の原稿を送ります。良い年末年始をお迎えください。

和田:桜井さん 今年最後の原稿送付有難う。明日にでも掲載して置きます。桜井さんの記事は、LIVEDOORのBLOGでも何時も人気記事上位にランクされています。一度LIVEDOORの私たちの50年!!にアクセスして管理ページからアクセス解析に入りその中の人気記事と云うのをクリックして確認して見て下さい。来る年も宜しくお願いします。良いお年をお迎えください。

広橋:この一年、無能なブラジル大統領は何も重要な法案の議会通過ができませんでした。しかし、この一年間、他の大統領が出来なかった凄いポジティブな事をしでかしました。
それは、新聞にスクープされるような汚職をしなかった事です。また、議員達にもさせなかった事です。
これこそ、2019年は、ブラジルの素晴らしい発展の年でした。
日本の皆様も一緒に、祝って下さい!

和田: 広橋さん 字数一杯。滑り込みセーフ。ブラジル大統領の偉業?を一緒に祝います。後は、その5に続く。。。



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