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「勇気をもって英語を話して見よう」川越 しゅくこ
何時も40年!!ホームページに記事を送って呉れている川越しゅくこさんの2020年初頭の最初の書き込みを送って呉れました。40年!!今年初めての寄稿集にしゅくこさんの書き込みを残して置く事にしました、正月のお節料理を作りながら見ていたTV番組から10数年前のインドネシア観光旅行での経験に基づいた「勇気をもって英語を話して見よう」の一文は、しゅくこさんらしい日常生活と結びついた書き物2020年1月に相応し文となっています。写真は、沢山添付して呉れているのですが、世界遺産のボロブドールは有名な仏教遺産、壮大な写真がある中、さり気なくその辺に置かれている像のしゅくこさんが貼り付けている写真を使わせて貰いました。しゅくこさんこれからも宜しく。。。有難う。


「勇気をもって英語を話して見よう」川越 しゅくこ
正月の気楽なトーク番組が流れていた。「日本にくる外国人観光客に英語で話しかけてみよう」と言うタイトルで、それについて話しが展開している。わたしは台所の手をとめてテレビの方に眼を移した。
司会者がゲストのなかの人気女性コメンテイターに話を振る。画面にupになった彼女はちょっと言葉を呑んで目線をはずし、肩をすぼめる。それから眉をひそめ、声のない苦笑いをした。ただそれだけで、「なによ、それ。観光客に迷惑じゃない。せっかく旅行を楽しんでるのに」という無言の軽侮が明らかだった。
わたしはふと、そんな風に思ったことがある自分自身の過去の一時期を思い出していた。でも、いまははっきり違う考え方を持っている。
そのきっかけは10年位まえにいったインドネシアでの観光旅行であった。
私たち夫婦はガムランの演奏を聴きながら遅い夕食を終え、ジャングルの迷路のようなホテルの庭に、ところどころに配置された松明(たいまつ)の火だけをたよりに、バンガローにもどっていった。
ベッドにころがると、すぐ頭の上の天井に可愛いヤモリがはりついている。開け放たれた窓から流れ込むジャスミンの香り、いま聴いてきたばかりのガムランの遠い響き。インドネシア旅行の完璧な初日だった。
翌朝はいよいよ旅の目的である世界遺産、ボロブドールへ。期待と興奮でなかなか眠れない。
線香の香りが乾いた朝の陽射しのなかに揺れている。 
世界中から訪れた観光客のなかにわたしたちはいた。
どこか途中の公園まできたときだった。ふいにたくさんの制服姿の子供たちが現れた。わたしたちは別々にかこまれて身動きできなくなった。一体何が起ったのか? 観光気分が中断されて、ある種の戸惑いが一瞬心の中をかすめていった。
しかし、そんな気分はすぐに消えた。
わたしを見上げるチョコレート色の、好奇心まんまんの無垢な笑顔。長い睫毛の下にきらきら輝く大きな黒い目。
異国の子供たちの言葉の抑揚、 笑いさんざめきが熱帯の空気と陽射しのなかに揺れたり弾けたりしている。なんと芳しい太陽の香りだろう。どこか線香の香でもあり、ジャスミンの香りでもある。いや、子供たちの若い匂い。いいかえれば足元からたちのぼってわたしを包んでいるのは、命のエネルギーの匂いであった。
それはどうやら学校の英語授業の一環で、「外国人に英語で話してみよう」、というプログラムだったようだ。「Excuse me. May I talk to you?」「Where are you from?」上手な英語でインタビューが始まった。まるで有名な俳優になったようないい気分になった。
ほんの10分間弱くらいだったか、それはいままで味わったことの
ない、すべての日常茶飯から解放された、けだるい異国のできごとだった。
そして、1000年も土に埋もれていたという世界遺産。ボロブドールに着いた。世界中からの観光客であふれていた。実物は「地球の歩き方」で読んだよりはるかに迫力があって、それはどの外国旅行のものよりも忘れられない旅になった。しかし、帰国後、インドネシアの第一のみやげ話しはボロブドールではなかった。いつも、子供たちに取りかこまれたこのハプニングが先に口をついて出てくるのだった。
ひとしきり笑ってから世界遺産のボロブドールの話につづく。
それが自分でも意外だった。    
余談になるが、つい最近、友人がカナダ旅行から帰ってきた。わたしは旅行前から旅準備の相談を受けたりしていたので、その土産
話しを楽しみに待っていた。なんといっても、わたしはまだ行ったことのないプリンス・エドワード島の「赤毛のアン」の話を聞きたかった。サウナでさっそく旅行の話になった。彼女の口から弾丸のようにつぎからつぎへと飛び出したのは、「赤毛のアン」の話ではなく、飛行機の遅延でおもわぬハプニングに遭遇して、英語をまったく話せない彼女はパニックになったこと、その時に、飛行場でいろいろ助けてもらった、ヒヤヒヤ、ドキドキの出来事、親切なお世話になった人たちとの一部始終だった。
話しが終わったときに、わたしは「で、プリンスエドワード島はどうだった?」と訊いた。彼女は思い出したように、「あ〜、よかったわ〜」とやっと顔がほころんだ。本当によかったに違いない。でもなぜそれよりも観光と関係のない話が主役だつたのか。
そのことについてわたしは不思議に思う。旅の思い出というのは、結局人と人の間に起こる、心を動かすハプニング、それ以上にまさるものはない、ということだ。
それからまもなくして、わたしは思わぬ依頼をうけた。三田市の山あいにある創立140年にもなる三田市立小野小学校からである。内容は、広島への修学旅行を控えた6年生が、広島で「外国人に勇気をもって話しかけてみよう」、という英語教育の一環のお手伝いである。その予行練習を私と友人2人に手伝ってくださいという。この仕掛人は三田では知る人ぞ知る、大向勲先生であった。ちなみに、先生は小6の担当だけではなく、高校生、大学生、先生たちと組んで平和の尊さを伝える「Sun peace.(サンピース)」のグループのリーダーとしても活躍されているとても明るい青年教師。それを伝えるために、年に一度は大きな舞台でプロ顔負けのミュージカル仕立ての演出をし、会場は若者や年配の観客で満杯である。かれは小野小学校で現在ALT(外国語指導助手)をしている私の友人を通して、このプロジェクトに協力してほしいと声をかけてくださった。9月に広島へ修学旅行に行く6年生のためである。。
わたしは即座にyesの返事を伝えた。インドネシアの観光時に受けたあの時の楽しい経験を広島に来た外国人にも味わってもらいたいと、どこかで内心思っていたのかもしれない。その後、何か国を巡った。時には旧友と、時には一人で、どれもそれなりに楽しい思い出深いものとはなったが、インドネシアの体験はなぜか意味深い別格のものとして、心の底に生き物のように存在していた。大向先生の明るいエネルギーがさざなみのように広がっていくのを目の当たりにして、わたしでもまだ役に立つならと嬉しく引き受けた。
山あいの学校にはじめて行ったとき、なによりも私の心をとらえたのは、20人前後の6年生だった。初めて会って、しみじみと見惚れた。
日に焼けて、しっかりした顔である。5−6kmの通学距離を歩いて通っているという。嵐の日は通りがかりの大人がトラックに乗せて学校まで送ってくる。なんと面構えのしっかりした6年生だろう。変な言い方だが男の子は自信とか責任とかすでに備えた、未来の格好いい青年の萌芽を。女の子もなよなよしていない。どこか自立した逞しさのオーラの萌芽を宿している。やがてそれは優しさと力強さという未来の花を約束していると思えた。
年に一度のお手伝いはそれからもう6-7年続いている。この授業の約2時間ばかりの流れの中で、わたしはアメリカ人観光客に扮し、友人はそれぞれ別々の部屋で自分になじみのあるイタリア人やインド人に扮して5−6人のグループで入ってくる生徒たちに英語でインタビューを受ける。この練習の時点で子供たちはもう興奮気味である。授業で習った覚えたての英語で、「Excuse me。May I
Talk to you?」「My name is ....」「Where are you from?」などと。そこまでは
先生に習った通り。それがひととおり終わると、わたしはImprovisation(セリフを用意しない、即興アドリブ劇のようなもの)を付け加える。「ところで、わたしは日本のサムライに会えると思ってアメリカの田舎からやってきたの。でも、サムライはいない。いったいどこにいるの?」まくしたてるような英語で残念な顔をする。子供たちは、最初キョトンとしていたが、ハッと気が付いたように、「Kyoto ! Kyoto!」とピョンピョン飛びながら叫んでくれた。おそらく
京都の太秦とか、お城で侍姿のガイドがよくみかけられるのを伝えたかったのだろう。
かれらは予習した以外のわたしのはじめての英語の質問に乗ってきたのである。
機会が重なるにつれ、わたしはときどき考える。
これは日本の子供の英語教育だけにとどまるものだろうか。そうではないと思う。あの人気タレントのコメントが言いたかったように、迷惑でしょ? などと日本の子供たちが、遠慮したり戸惑ったりする必要はない。大人たちに囲まれるとちょっとこわいものがあるだろうが子供たちは最高の親善大使である。それは、外国人観光客にとってすばらしい予期せぬできごとに違いない。たかが5-6分のできごとではないか。
紅葉に覆われた美しい日本と秋風の中、子供たちの笑い声、つたない英語で話しかける真剣なまなざし、エネルギー。こうしたいろんな状況を包み込んだすべてをもって、海外からの観光客は日本という国を皮膚で感じるのである。ただの観光だけでなく、日本の子供たちとの触れ合いを生涯の思い出にしてほしい。日本を好きになってもらおう。厚かましく、ぶしつけなのはいけないけれど。などとそんなことを考える。
幸いにして、数年前までは恥ずかしがりで声の小さかった子供たちは、この数年来変わってきている。総合写真になるとストリートダンス的なポーズが自然に出たり、自己表現がよく表れる。そして英語も間違いを恐れることなく、楽しく話しかけられる。そんな時代になってきた。多かれ少なかれ、言葉、それは英語であろうと日本語であろうと、お互いの間にケミストリー(空気)が生まれ、互いの弾んだ心があれば、その心が言葉をすべて口から押し出し、勝手に流してくれるから不思議である。反対に「これって、相手に伝わるだろうか? もしかして変な間違いの単語を使っているのかも」といった不安な心が邪魔をして相手との間に流れをせき止める作用を起
こしてしまう。
この英語プロジェクトの成果はいろんな形で表れてきている。そのうちの1つは、オーストラリアから広島に旅行にきていた小学生のグループに話しかけた結果、その後も学校ぐるみでスカイプを使って交流が続いている、という話も。何事も始めてみなければわからない。その第一歩をちょっと後押しをするのが大人の役目ではないだろうか。そして成果がでなくても、きっと子供たちと
日本を訪れた外国人の間に一生忘れられない素敵な思い出が残ればいいのでは? そう、それでいいと思っている。広島の樹、草、花、空気、日本の子供たちの笑い声、そんなものが一つの束になって異国の観光客への花束になる。それこそ、なによりもの「おもてなし」ではなかろうか。
わたしたちがインドネシアの子供たちに囲まれたあの日のできごとのように・・・。




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