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椰子の葉風 鈴木南樹 その5
椰子の葉風その5は、コーヒー園生活 (十二)から始まり(十三)、(十四)と続く。毒蛇の話は、ブラジルに住めば自然と覚える毒蛇と有名なブタンタンの毒蛇研究所、砂蚤の話は、面白い。この砂蚤ビッショを掘る楽しみを覚えると一人前のブラジル人になる。黒人監督オゾリオを通じてのコーヒー園の経営、コロノがコーヒー畑に間植するトウモロコシの収穫量と奴隷解放後の奴隷数から計算した奴隷一人の値段、弱い者苛めは子供にも絶対にさせないという優しい心、読ませる内容を楽しんでいる。写真は、砂蚤の挿絵を使わせて貰います。字数の関係でコメント欄は、ありません。明日へと続く。。。


コーヒー園生活 (十二)

毒蛇の話
              毒蛇なんぞ恐れることはない
二月に入っても雨はなかなか晴れなかった。その日は曇りながらも時々カッとしたまばゆい太陽の光を見せていた。
あれは確かお昼近くであった。一人のコロノがあわただしく石段を登ってきて事務所の前に立った。
「コエリヨさん、あぁどうしよう、私のラファエルが蛇にかまれました」
走って来たと見えて、はっはっと荒い呼吸をしていた。
「いつ?蛇は何です?」
「たった今。カスカベルです。ぶち殺してきました。はい、どうぞ注射してください」
「よし。俺はお前の馬で行くから、後からお前は歩いて来たまえ」
コエリヨさんは事務所に備え付けてあった、注射器と薬とをポケットに押し込むと、いつものコエリヨには似合わない足取りで走って行った。
コロノは額の汗を拭きながら、スペイン人特有の青白い顔で寂しく笑ったが、興奮した太い血管が目の端に浮き上がって、痛々しい彼の心痛を見せていた。
    ×     ×    ×
「ススキさん、ススキさん」
間もなくコエリヨの声が聞こえて、その手に妙にかさかさと音のするものを振りながら言った。
「知っている?」
「なんですか、それは」
「カスカベルの鈴さ。十段になっているから十才になるわけだが、あまりあてにならない推算ですよ」
私も手のひらに乗せてゆすぶってみた。干からび切った濁音のするもので、色は淡白のセルロイド製と言っても、知らない人は嘘とは思わないだろう。
カスカベルはめったに人に噛みつかない。敵が近づくとそのしっぽの鈴をかさかさと振り鳴らして警戒をする。噛みつかれる場合は、蛇のいることを知らずに踏みつけるとか、手がその首近くに行った時とかに限られている。
この農場には四百家族のコロノが居住しているが、一年に一度くらいが関の山で、二年も三年もそういう事件がないことが普通であるとのことである。
「コエリヨさん、蛇にかまれた男は助かりますか?」
「助かる方が九割です。注射が早かったし、丈夫そうな若者だから大事にはなりますまい。晩までに腫れが引かなかったら、もう一度注射しなければなりません」
コエリヨはそれでも多少の興奮をその顔に現わしていた。
「コエリヨさん、どうぞ今日は毒蛇についてあなたの知っていることを、語って聞かせてくれませんか?」
「そうですな。今日は暇なようでもあるし、なんだかこんなことがあると気が落ち着かないから一つ話そうかな。しかし、毒蛇に関して詳しく説明することは後の機会に譲り、今日はできるだけ簡単に要領だけを述べることにしましょう」
ぽつりぽつりとコエリヨは如何にも物知りらしい態度で話していった。

サンパウロ州に生息している毒蛇のうち、最も美しいのは色蛇(Cobras Coraes)で、これには有毒と無毒がある。
☆毒のないものをあげると
一、 Elapomorphus tricolor
二、 Pseudoboa rhombifera
三、 Erythrolam aesculapii
四、 Pseudoboa trigemina
の四種である。(一)は、全部赤色であるからすぐにわかる。(二)黒と赤とが一線ずつになっている。(三)は、鼻面が丸みを帯びていて、赤色の体に二筋の黒い輪と黄色の輪が一本交代に断ち切っている。(四)が最も有毒の蛇と混同されやすい。赤い胴体に二本の黄と三本の黒の色輪が順々に巻かれている。鼻面は丸く、頭が首よりも広い。眼がよく光って、尾は細長い。
☆有毒の色蛇は
一、micrurus corallinug
二、micrurus frontalia
三、micrurus Iemniscatus
四、micrurus decorates
いずれも有毒の色蛇の見分け方は、その赤い胴体に二本の黄と三本の黒の輪が交代に切断されたものであると思えば間違いがない。例外として、Pseudoboa trigeminaが、有毒の物と同じ色輪を持っているが、無毒である。
同時に無毒蛇に紛れやすいのが、(一)のmicrurus corallinugで、一本の黒輪に二本の黄輪が連続しているから注意を要する。
Crotalideas科では、ブラジルに三種類、細分類十六を有しているが、サンパウロ州では、何といってもカスカベル(Crotalus terrificus)が一番多い。次にイグアペの植民地辺りによく見るのは、ジャララクス(Bothropa jararacussu)である。胴体に星形の斑点があって、湿地や川の端などに住んでいるので、稲刈りなどの場合に嚙みつかれる。乾燥した原野にはジャララカ(Bothrops jararaca)が住んでいる。
中央線のマンチケーラ山脈の周囲に住んでいるコチアラ(Bothropa Cotiara)は、胴体の上辺にある二十二〜三日ごろの月のような形をした大きな斑点を中心にして、長い円形の小斑点二個ずつを左右に並べている。この他にサンパウロ州にいる毒蛇をあげれば
・カイサカ        Bothrops Atrox
・ウルツー        Bothrops Alternata
・コテアリンニヤ     Bothrops Itapetiningae
・ジャララカ・ピンターダ Bothrops Neuwiedii
などである。  
   
ついでに書いておきたいことは、ブラジルにこういう毒蛇を食う蛇がいることである。
それはムスラナ(Oxyhapus Claelia)というので、毒蛇に比べて細長い。一見柔和らしく見えるが、カスカベルやジャララカと鎌首をあげて戦うときは、極悪な目が恐ろしい光を放つ。頭の方からじわりじわりと飲んでいくと二個の胴体がうねり合い、絡み合って、苦悶地獄をまざまざと表す。ヒステリックな女などには見せられないセンセーショナルな光景である。サンパウロ市ブータンタン毒蛇研究所では、珍客の訪問を受けた場合にこれを実験に提供することがある。
もう一つ、四足獣で狸に似たゾリロ(学名Conepatas chilensis 、又はC.Suffocans)と呼ばれる毒蛇を食う動物がいる。それは実に美しい純白の毛の中の背部に黒い二筋の線をあり、腹が真っ黒で、ちょっと北米のスカンクに似ていると言えば想像がつくであろう。(この動物はCangamba又はJaritatacaという名称で、後年ブータンタン毒蛇研究所員フランシスコ・イグレジアス氏によって研究され、毒蛇撲滅のため保護することが強調される)
ゾリロはムスラナと違って、毒蛇の胴体のところ選ばず噛みついてしまう。しかし、ムスラナが簡単に見当たらないように、ゾリロ(Zorillo)もまた、これを発見することが困難である。

 コエリヨさんは語り終わって
「まぁこんなものかな。沼地の雑草中に生息する大蛇スクリウ、乾燥した原野をぬたくり廻るジュボイヤなどには、かえって面白いエピソードがたくさんあるが、毒を持っていない蛇であるから、またの機会に譲りたい。むやみなことを際限なく話すと、事情の分からない君は怖がるからね」
”オルガ“という巻きたばこを口にしながら、先ほどの蛇に咬まれた若者によって刺激された興奮から覚めたような軽いくつろぎを見せた。
「そんなに沢山の種類がありますかね?私はよくコラール(色蛇)を見かけますが、まだ一度だって生きて動いているカスカベル(響尾蛇)を見たことがありません」
「それが本当です。そういう種類が生息していると言っても、なかなかそう簡単に見当たるものではないです。ブラジルというと毒蛇がそこら中に、うようよのたくっているように思って、事情の分からない外国人は怖がるが、ブータンタンの毒蛇研究所にでも行って見なければ、ブラジル人でさえも一生かかっても、カスカベルとジャラライカとコラールの一〜二種類を知るくらいで死んでしまう人が多いのです」
「そうでしょうか?」
「そうですとも。現に君は十か月もブラジルにいるのに、一度もカスカベルさえ見たことないと言うじゃないか。またいつかブラジルに生息している、毒のある虫について話しましょうね」
こう言ってコエリヨさんはカスカベルの鈴をかさかさと振って耳の辺りへもっていった。


コーヒー園生活 (十三)

   黒人監督オゾーリオ
            トウモロコシ・黒人の二つの型・奴隷の値
マニソバの実がパチンパチンと、澄み切った音をたてて散るころになると、だんだん快晴の日が多くなってくる。緑色の小オーム(ペリキート)は、人家近くに群れを成して現れ、パパガイヨ(オウム)がギャー、ギャーと五羽、十羽、時としては二十羽位、慌ただしい調子の羽ばたきをして飛び立つのを目にするようになった。
トウモロコシの広い葉にも、ちらほら枯れ葉が見えてきた。コロノ達はコロアソンと言って、コーヒーの樹の下の土をきれいにかき出して盛り土をして、その収穫準備をする仕事を始める前に、まず自分たちの間作地の収穫を始めるので、仕事のはかどった人達は、もうちらほら盆地や、緩やかな傾斜地に広がっている畑地にその姿を現しているのが、事務所の高台からも見られるようになった。
九時の朝飯後のわずかな休息時を、コエリヨさんもグレゴリオさんも外に出て雑談に耽っていた。
「イナゴの害を受けて、今年の農作もたいしたことはないでしょうね」
私は機会を利用することを忘れなかった。
「さぁ・・、トウモロコシはどうにか平年作にはいくだろう。だが雨期の豆は千本のコーヒーに一俵もなかっただろうが、今度のセーカ(乾燥期)には五俵くらいあるだろうという人もあったね。グレリオさん」
「うちの近くのパトリシオ(同国人)は、五千本に二筋植えた豆(フェジョン)から、十八俵収穫したと言っていたが、今年はそれ位なもんでしょう」
グレゴリオは、嗅ぎ煙草の粉を鼻の穴になすりつけて、くんくんとくしゃみらしい音を立てた。
「トウモロコシは、千本のコーヒー樹に対してどれくらい採れますかね?」
「一面植えて、よく採れて二台。古くなった土地なら一台でも難しいね」
「それではあまりにも少ないじゃないの?」
「話は例外をとれば大きくも小さくも言えるがね。一アルケルのコーヒーのない畑で牛車十台がせいぜいで、七〜八台というところが普通ですから、二十年より若いコーヒー樹のない、この地方の畑では千本のコーヒー樹には一台以上見積もることは危険ですね。・・・・・・そらごらんなさい」
書記グレゴリオは、たった今雲から漏れた日光に、明るく見える傾斜面のトウモロコシ畑を差し示して
「あれくらいのトウモロコシの出来具合で、まぁ一アルケル八台の収穫ですな」
私はその畑の中央を貫く道を通ったことがある。トウモロコシの広い葉は馬上の私の頭の上に垂れて、ふさふさした髪の薄紅がいかにも豊かな実りを見せていた。
「あんなによく出来ていてもそんなもんかね。意外に少ないものですな」
私はふと日本でも、一町歩十二石位の産出量しかないことを思い出して、サンパウロ州における一アルケル八台は決して少ない方ではないと思った。
サンパウロ州で栽培するトウモロコシの種類は、学術的に区分したならばいろいろに分かれるであろうが、まずアマレロ(milhoamarello)カテテ(milho cattete)。カテチンニョ(milho cattetinho)ともアマレリンニョとも言う種類と、ブランコ(milho branco又はcrystallinoともいう)の三種類で、カテテ及びカチンニョはブランコに比べて粒が小さいので収穫は少ないが、一俵(約六〇キロ)の市価が一ミルレース前後高いのが普通である。
「そこでコロノ一家族のトウモロコシの収入はどれ位になりますかね?」
「年によるがね。まず牛車一台が三十ミルレースから五十ミルレースですからね。コロノ一家族の収穫量はせいぜい五台くらいのものですから、百五十ミルから二百五十ミルレースとなるわけですな。知れたものさ」
グレゴリオはイタリア人だけにこんなことには明るかった。
「しかし、コロノがトウモロコシをそのまま売るようでは駄目さ。それを豚に食わせるとか、牛にやるとかして金にしなければいけないんだよ」
コエリヨは弁解するようであった。そこへメンテベーロ区の黒人監督オゾーリオが慌ただしく石段を登ってきて口をさし入れた。
「そうよ。コロノはトウモロコシをそういう方面に利用するように、コーヒー園の仕組みができているのです。だからコーヒー園労働者が同一耕地に長くいると、その利用範囲が多くなるわけで、従ってその収入が益々増加するという結果になるのです」
「そうです」
「勿論」
コエリヨもグレゴリオもこれには反対しなかった。
私は書記の命令でオゾーリオに、馬車に塗るグラシャ(脂肪)を渡すべく、貯蔵庫の鍵を持って立ち上がった。
「いい、いいね、ススキさん。君はなかなかよく研究するね。な〜に君、心配はないよ。日本人のコロノを沢山入れるようにしたまえ。俺はうんと日本人に金儲けさせてやるぜ」
オゾーリオは私の背を軽くポンとたたいた。
     ×     ×     ×
私はこのオゾーリオについて少し書いてみたい。彼は四十六〜七才位に見える頑丈な体格でよく太っていた。そのてかてか光る黒色の肌が目を引いた。
黒人や土人やその混血人などには、そのタイプの上から二つの分け方がある。
それは至極簡単で、髭がバラバラとまばらに生えているものと、くしゃくしゃと密生しているものとである。
前者は凶暴の性質者に多く、後者の髭は温順さを表している。ブラジルの奥地に旅行をしたり、農場を経営したりするものは、こういう点を留意して、何等か事件の発生した場合に自己の立場を決定すべきものである。
オゾーリオの顔はまるい広やかな顔で、下あごから耳の根元にかけて極めて多い髭〈それは黒人特有な、くるくると巻き上がった、絵にあるお釈迦様の髪の毛のような〉が、一種のエキゾチックな美しさを見せていた。
オゾーリオは物事を話し終わると、必ずカラカラと高笑いをする癖があるが、その時の彼の顔は一種の見ものである。真っ赤な厚い唇が大きく開いて、顔中が想像を裏切ったようなしわくちゃになってしまう。それがおさまってしまうと、さも荒れ狂った湖面が元の静寂そのものに返ったようにケロリとしてしまう。
一体どこからあんなに沢山のしわが現れるのだろうと、誰でもオゾーリオに一度でも会ったものは一種の興味を起こさせられるに違いない。
オゾーリオはどこから見ても非難の打ちようのない人のいい黒人であった。もちろん彼は奴隷の子であった。足を鎖につながれて朝の暗い時から、暗い夜の始まるまで監督の鞭のもとに、父と一緒に働いた悲惨な生活は、未だにまざまざと彼の胸に生きていた。
千八百八十八年、奴隷解放令が発布されたとき、ブラジルの奴隷数は七十二万三千四百十四人あり、その価格四億八千五百二十二万五千ミルレースと言われたから、奴隷一人当たりの価格は六百七十ミルレースである。この値段は公称の物であることから、実際はこれよりはるかに少なかった。
勿論、温順でよく働く奴隷は千ミルレース以上の者もあったが、逃亡を企てたり、監督に怒鳴りかかったりする者などは馬一頭と交換されたりした。
つまり人間一生の値が、お女郎の三年くらいの働きにも及ばないわけで、粗衣粗食と労苦以外彼らの前には何物もなかった。牛馬のごとき下等動物が残虐を受けても理性を欠くため、それはただ瞬間的なものに過ぎないが、黒人の受けた侮蔑と虐待とは、到底人間として堪え得られるものではなかった。
オゾーリオの父は、残忍な監督の不当な加罰によって左足を折られ、奴隷解放令が発布されたときは、完全な不具者となってバッタのようにびっこを引いていた。冬が近づいて寒さが加わってくるとその傷ついた足は、いくら厚い布を巻いても冷えて痛んだ。
「父が『痛い、痛い』と叫んで泣くのが、身を切る様に私はつらかった。父はとうとう七月の二十二日、霜の降った朝にその痛みに耐えきれずに死んでしまった」
オゾーリオはいつもこう言って、その柔和な象のような目に涙をいっぱいためた。
「それでわしは他人に無理をさせるのが大嫌いだ。わしの子が、もしコロノの子供を、叩いたりなんかしたなら黙って承知はしません。わしはきっと頬っぺたか、尻をいやというほどどやしつけて『やい、弱いものをいじめるな!』と言って懲らしめてやります。自分の子でも許すもんですか」
オゾーリオの悟りは無知の偉大なるものであった。
キリストの所謂『貧しきものは幸いなり』を具現していた。
私はいつも『偉いな』と思って、オゾーリオと話すことを心から喜んだ。


コーヒー園生活 (十四)
   
ビッショ(砂蚤)の話
              コーヒー園生活の楽しみ
流石に降り続いた雨も、四月に入ると空高く晴れて、一か月を通じて降雨日数はわずかに五〜六回くらいしかなくなってしまう。
最高温度がかえって真夏より高いくらいの日もないではないが、それはほんの僅かな時間であるのと、空気が乾燥してくるので、終日、日本の小春日和を思わせるような快適な天候となる。
コロノ達はコーヒー収穫準備のため、園内の山建て(コロアソン)が始まって、忙しい日が続いてくる。鍬数(サンパウロ州地方では一人前の労働能力を、鍬一丁、二丁という風に鍬の数で示すようになっている)の多い家族は、一日も早くコロアソンを終わって、間作地のトウモロコシや稲畑などの収穫を始めようと努力する。
ガアファニョット(いなご)の害があったけれども、雨回りがよかったので割合にトウモロコシの実入りがよかった。
「アントニオの家では、トウモロコシが五台分あったそうだ!」
「隣のマノエルは米を十俵穫り入れたと言っていたよ」
「うちのトウモロコシも三台は請け合いだ。米も六俵くらいはあっただろうか・・」
こうした土に親しむ者のみに与えられた限りない喜びに満ちた会話が、毎日何度となく取り交わされる。たとえそれはほんの笑うように少ない数量に過ぎないものでも、収穫は農家にとっては生命に等しい喜びである。
私はいつも事務所の前庭から、新緑のコーヒー園の畦の間に、また牧場の果てのくぼみの傾斜面に、色づいてきたとうもろこしの葉や、稲の穂先のうねりを眺めながら、心が波立ってじっとしておられなかった。私はやはり百姓の子であった。

 それはある土曜日の午後三時ころであった。
特に支配人テオフィロ氏の許可を得て、例のイタリア人フィオリを、コロニヤ(移民部落)に訪問した。土曜日は半ドンであるが、コロアソン(山建て)の忙しい人達は、大方コーヒー園の義務的労働から、自分の間作地へ働きに行くものが多いが、富裕なフィオリの家族は皆もう戻っていた。
『晴れ』を示す東風がそよそよと吹いて、日当たりのよい家の入口にバンコ(腰掛)を持ち出して、アントニオとジョバンニの二人の少年はしきりに足の指先に針を差し込んでいた。
「ボーア・タルデ・アントニオ。ビッショを掘っているのですね」
「ボーア・タルデ・セ、ニョール・ススキ」
アントニオは如何にも健康らしいその赤ら顔をあげて私を見ながら、首をちょっとうなずかせて弟のジョバンニを見よというようなしぐさを見せた。
「はゝゝゝ、ジョバンニのあの手つきを見てごらん。ビッショはだんだん中に食い込んでしまうのだからね」
「バカ、アントニオのバカ!!」
ジョバンニはもう泣き面をしていた。
「アンナ、早く来て頂戴ってば。ほら血が出て来て、痛くって、痛くって、もう我慢ができないからさ」
ホホホ・・と、笑う声がしたかと思うと、桃色のレンソ(日本の風呂敷くらいの大きさの布)で頭を包んだ姉のアンナが走り出てきた。
「あら、ススキさん。ボーア・タルデ」
真っ白な美しい顔をちらと見せたかと思うと、もうジョバンニの腰かけた下に立ち膝をして針を握っていた。
「アンナはとてもビッショ掘りが上手なんだからね。ススキさん、もしビッショが入ったら一度アンナに掘らせてごらん。ちっとも痛くないのだからね」
アントニオはこう言って、アンナの手つきを見つめていた。
「いやだ。アントニオは何を言っているの。ススキさん、真に受けてはいけませんよ」
アンナの顔にはほんのり赤い色がかすかに見えたが、素早いその指に握った針の先には、ビッショの丸い乳白色の小さな玉が刺されていた。
「まあ!大きな袋ね」
手の平にのせてその袋をつぶすと、十数個の小さな卵があらわれた。
「これ一つだけ?ジョバンニ?早く壁から石灰を取ってなすりつけておきなさい。ね、解って?」
そこへ、少なくとも十回くらいは洗濯しただろうと思われる、棒縞のシャツを着たフィリオが、いかにもゆったりとおおらかな態度でのっそりと戸口に現れた。
「いやぁススキさん、いい天気ですね。ほう、お前たちはまたビッショにやられたのか?ハハ・・・おや、おやまだススキさんは立っているじゃないか。アンナ、椅子を持っておいで」
フィリオの声よりも早く、アンナはもう、トウモロコシ殻を編んだもので腰かけるところを組んだ、粗雑とも風流な趣ともいえる、骨組みの木もたいそう粗削りな椅子を持って私の後ろに立っていた。
「掛けなさい、ススキさん。さぁ今日は一つ変わったところ、そのビッショの話でもしようかね」
フィリオはぽつりぽつり話始めた。それを大まかに書くと次のようになる。

ビッショ(Bicho de pe)は小さな蚤の一種で、人間や動物の柔らかなところを狙って入る動物である。おもに足の爪の間に極めて敏速に入ってくるのであるが、初めのうちはそれがちっともわからない。
何でもビッショのメスが妊娠すると、これを産み落とす場所が動物の暖かい肉の間でなければいけないと言うのであるから、すこぶるけしからん厄介な動物である。
肉の間に食い入ると産卵し始めるが、その卵が一種の堅い皮の袋を被っていて、ちょっと見ると布袋様のような格好で、袋の前には頭が出て、後ろにはお尻を出しているのがなんとも奇妙である。
    
卵の数は十四〜五個もあろうか。それが孵化するようになって来ると袋がだんだん大きくなって来るが、その日数は一週間たつか経たないくらいである。海外から初めてコーヒー農園に来た移民たちが何も知らないでいるうちに、ビッショは三匹も四匹も好物の爪の間を探し歩いて、銘々自分の産所を開設してしまう。
初めのうちは妙なかゆみを感じるが、後にはチクチクと疼きだすから、これは変だと爪先を注視するころにはもう手遅れである。
心持ち丸く腫れあがって、薄紫がかったように変色したところに赤黒いものが見えて、少し水が流れ出している。顕微鏡で見るとビッショが恐ろしく複雑な顔を出して呼吸しているのである。
経験のない者が掘り出すと、ビッショとその卵が外へ出ても、必ずそこに皮袋の一部を残してしまうからなかなか完治しない。そのうちに化膿性細菌が襲入して赤く腫れあがってしまう。ひどい人になるとリンパ腺の炎症を起こして、股にぐりぐりができるようなこともある。

「ハハハハ手遅れだの、リンパ腺の炎症などというと、大それたことに聞こえるがね。しかし何しろ小さな蚤のすることだ。心配するようなことではない」
フィリオは笑いながらなお語り続けた。

ビッショが新来者を面食らわすのは、ほんの最初の一か月くらいなもので、慣れてくると、ビッショが入ると何とも言えぬ痒さを覚えるので、すぐにわかってくるのでそれを取ってしまわないうちは気にかかる。
ビッショを掘り出すには針のような細いものではなく、もっと太い鈍なもの、例えばあまり鋭利でないカニベッテ(ナイフ)の先か、鈍い錐などで掘ったほうが良い。
慣れた上手な人に掘ってもらうと、少しの痛みを感じないばかりでなく、一種の心地よささえ感じられる。掘った後にヨードチンキをつければこの上ないが、コロノなどにはそんな贅沢を言っておられないことが多いから、移民小屋の壁に塗ってある石灰をつけておけばよい。
ビッショは乾燥期に繁殖するもので、特に誰も住んでいない家や場所の、乾ききった土の上を踏むときが用心第一である。だから新来移民が空き家などに入れられる時などは、よく清掃した上に、何度も何度も繰り返し打ち水をすることを忘れてはいけない。地面を湿らせておけばビッショはいつの間にかいなくなってしまうものである。

「なぁにね、ススキさん。コロニヤの単調な生活を続けてくると、『ビッショを掘る』ということも一種の楽しみになってきますよ。コーヒー園から戻って暗いカンテラの明かりでビッショを掘ったり、こうした土曜日に、日向ぼっこをしながらビッショを探るということがなかったら、どんなに寂しいものでしょう・・・。やぁ、俺の足もなんだか痒くなってきたぞ」
フィリオはこう言って自分の足をいじり回したが、ビッショの這入っているようには見えなかった。
「なるほどね。ビッショを好きな若い美しい娘さんに掘ってもらうなどということは、ロマンティックな捨てがたい移民情緒ですね」
「ハハハ、あなたはなかなかうまいことを言うわい。全くビッショなどは問題ではありません。しかしブラジルにはちょっと嫌な虫がおりますよ。ビッショ以外の肉体に食い入る虫の話でもしましょうかね」
フィオリはズボンから縄煙草を探り出して刻み始めた。
「いいですな。ぜひお願いしたいものです」
私は勢い込んで椅子をフィリオの傍近くに移した。



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