あるぜんちな丸移住助監督上園義房さんの寄稿。
|
|
昨年6月に『私たちの40年!!』作成企画を始めて関係者の皆さんに原稿をお願いして逸早くそれに応じて原稿を送って下さったのが私たちの移住助監督官をして下さった上園 義房さんでした。嬉しくて嬉しくて何度も読み返し早速御礼の手紙を認めその後も何度も交信、励ましと助言等を頂いてきました。今後とも是非私たちの事を温かく見守って下さい。有難うございます。下記のとおり原文をタイプアップしておきます。写真は寄稿文と共に送って頂いたものです。 |
|
『寄稿』
時の流れ
海外移住40周年を迎えられる皆さんに心からお祝い申し上げます。
皆さんがアルゼンチナ丸で移住されて早や40年を迎えられるのですね、時の流れの早さにびっくりしています。
南米大陸に大きな理想を抱いて一緒にアルゼンチナ丸で渡航した同船者は678人だったと記憶しておりますが皆さんは現在どの様な生活をされているのかいつも気掛かりでいます、私にとってもこの40年間は早い人生の歴史です。
私は宮崎県海外協会、海協連、海外移住事業団(JAMIS)、国際協力事業団(JICA)等で34年間働かせて頂きました、後半は国際協力業務もありましたが主な業務は一貫して海外移住者の皆さんと関わりの深い海外移住事業業務でしたので私の心はいつも中南米にあります。
幸運にも中南米のドミニカ、サンパウロ(2回)ボリビア、パラグアイ(2回)ベレン等に18年余り勤務させて頂き、3人の子供の内2人は、ドミニカとパラグアイで生まれており子供らにとっても皆さんと同じ中南米は第2の故郷になります。
現実に移住先国での生活では筆舌に表現し難いご苦労があったろうとおもいます、志し半ばで亡くなられた人、ご家族にご不幸のあった人、なかなか目標まで未だ到達仕切れないでいる人、予想以上に順調に事業が伸展した人、家族や留守家族の関係でやむなく帰国せざるを得なかった人等それぞれの事業を乗り越えながら現在の生活基盤を築いて来てこの40年の歳月を過ごして来られたでありましょう。
当時家長であった方達は既に他界されておられる方も多いと存じますが、その子供さんやお孫さん達はきっとその開拓精神を受け継いで頑張っておられるでありましょうからお互いに支え合って下さい。
アルゼンチナ丸の時には私は29才の若造でした、監督人5人の内一番の若輩でたからどんな船中の出来事にも足軽の様に走り回る役目でしたがそれなりの大きな体験になり、海外勤務の時にその時の体験を生かしながら仕事が出来た事に感謝しております。
何事も体験ほど強いものはありません、皆さんもこれから多くの問題と接しながらご家族を守って行かれるでしょうが今までの貴重な体験を生かし更に力強く生きて貴方達の子供さんやお孫さんに貴方の「逞しく生きる力」の素晴らしい血を受け継いで下さい、必ずや受け継いだ血を誇りを持って子子孫孫に受け継いで行くでありましょう期待しています。
海外勤務中は多くの人達に支えられ、与えられた任務に頑張ったつもりですがいかほど皆さんのお役にたったか心細さを感じています、JICA定年退職後勤務した南米各地を御礼訪問の旅を2回しました、皆さんは私の想像以上に安定した生活を営んでおられる姿に接して安堵したところです。
現在でも訪日して来られる皆さんから南米各地の話を聞くのを何時も楽しみにしています、また健康管理のためスポーツを楽しみ、青少年関係のボランテイア等で時間を潰しています。
私も02年8月には70才になります、未だ孫には恵まれていませんが孫がどんなものか大泉逸郎の演歌を聞きながら老妻と静かに暮らしています。
「日本人ここにあり」の勇姿を是非保ち続けて下さい期待しています。
同じ釜の飯を食った仲間の記念すべき海外移住40周年記念アルゼンチナ丸同船者会式典には是非出席したいところですが諸般の事情により出席出来ない事を深くお詫び申し上げて寄稿させてもらいました。
益々のご健康とご活躍を心から祈念しております。
ビーバ アルゼンチナ丸同船者。
01年8月22日 誕生日に記す。
元アルゼンチナ丸助監督 上 園 義 房
〒247-0027
横浜市栄区尾月3-5
T/F 045-893-3906
|
|
|
|
|