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椰子の葉風 鈴木南樹 その9
椰子の葉風その9は、同胞移民に対する将来の心配、果たして「来ることが第一」か?から始まり、アンナの弟、アントニオとの「狩の一日」の二編で終わる。農場生活を終える感慨に耽る日々の中、アントニオとの狩の半日は、サンパウロ州のもっとも美しい季節、その田舎の自然描写が飽きさせずに読ませてくれる。北ゴヤスに住んだ当時の田舎生活と重なり懐かしさを覚える。戻るべき術もないグルピ―での二年間の牛飼いの生活を思い出しながら、田舎生活の牧歌的描写を楽しませて貰えた。
適当な写真が無かったのでKOKI KOKIと泣くサラクラの写真が見つかったので使う事にしました。


◇同胞移民に対する将来の心配

    〇・・・果たして「来ることが第一」か?

 日本移民輸入契約の成立は、もはや争うことのできない確実なものらしかった。私は三浦通訳官より通知を受け取り次第、何時・・・あるいは明日にもサンパウロ市にでて、新しく来る日本人を迎えるべく、移民収容所の事務を習得しなければならないかなどの詳細はよくわからなかった。
 そうだ。私は新しい生活に入る前に、できるだけコーヒー農園の裏表や、内部に深く隠された人事、その他自然などに十分な理解を持たなければならなかった。
私はこれまで多くの場合、一人の単なる労働者としてのみの体験と観察とに偏っていることは否定することができなかった。私は一刻の暇も無駄に送ってはならないと思った。
昼の間はあまり事務所から離れていないコーヒー園の中に入って行き、夜にはコロニアに出かけては、誰かれの差別なくいろいろな話題を提供して、たびたび夜の眠りにつく鐘の鳴った後までも立ち去らないこともあった。
 心も挙動もあまりに気ぜわしい私を見て簿記係のコエリヨは
「ススキさん、ススキさん。どうしたのだね?まるで気が狂ったように跳ね回っているではないか」
「気ちがい?私は今、体がいくつあっても足りないような気がするのです。私はコーヒー園に対するこれまでの私の見方を変えなければならない気がします」
「なぜ?」コエリヨは意外だという風な顔で私を見つめた。
「なぜってコエリヨさん。日本移民がサンパウロ州のコーヒー農園に来る者は、その九十九パーセントまでは十年くらい働いたら、金儲けをして本国へ引き上げようとする人たちです」
「それでいいじゃありませんか。イタリア人の内でも五〜六年くらいで帰るものもあるし。現に君がこの農場に来てから、ほら昨年の大勘定のあった後、イタリアへ帰ったコロノの中には、三年くらいしかいなかった者もあったことは君もよく知っているはずだ。
イタリア人の中にはアルゼンチンで麦の収穫を終えてから、ブラジルに渡ってコーヒー豆の採取をして、ほんの一年足らずで帰る者もあるのだから、日本移民が十年もブラジルにいると言うならいいじゃないか」
「それがいけないのです」私はしばらく深く考え込まざるを得なかった。
「日本人とイタリア人の家族構成がぜんぜん違っています。イタリア人は父母も、祖父母も、子供たちも全てをあげて渡ってきますが、日本人はせいぜい夫婦者にその弟妹が混じって来るくらいが関の山です。
ひどいものになると、いい加減な寄り合わせの者が家族と称してくることだろうと思います。だからイタリア人のようではなく、一家族の労働能率が少ないから金儲けができないわけです。それに距離が遠いという問題が旅費の件でも比較にならない違いがあります。
おまけに日本移民の本国における社会的地位と生活とは、全くイタリア人の行き詰まった純然たる資産のない労働者とは、話にならないほどの隔たりがあります」
私は深いため息をついてコエリヨが疑い深そうにひそめた眉を見守った。
「だってススキ、悲観することないよ。たった十才足らずで渡伯したドイツ人シュミットは、二千万本のコーヒー王国に君臨してKing of Coffee(コーヒー王)として知られているし、サントスからアルト・ダ・セーラ間の鉄道工事における、単なる一労働者に過ぎなかったマタラゾが、今やサンパウロ州の工業界の支配権を把握しようとしていることは、移民の明るい将来を暗示しているものでないか。ねえススキ、君は日本移民の中には一人のマタラゾもシュミットも出ないと断言するのかね?」
コエリヨは高い鼻のふくらみから深いしわを両頬にあらわして微笑んだ。それはこの人が得意な時に見せるいつもの癖である。
「違います。私のポルトガル語の知識が本当の心の内を話すことができないので悲しくなります。私が言うのはコーヒー園というよりは、むしろサンパウロ州におけるすべての労働の仕組みが、働く人にはあまり良いものでないようになっている。つまり働くよりも働く人を使う人の方が、比べるところ非常によりよい仕組みになっている。
だから、日本人がコーヒー園で働くということは、きっと期待している収入をあげることは難しいから、一日も早く独立して人を使う地位を得なければならないということです。そこで十年くらいで金儲けをして帰国しようとする日本移民に対して、私はなんだか実現しそうにもないような気がしてきたのです」
「馬鹿に悲観的だね。ススキ、あのドメニコを見てみなさい。君もたまにはあの頑固で思いやりのない家に行ったことがあるだろう。
あれはイタリアのカラブリア辺りの典型的な人柄ですね。自分で客馬車を準備して、結婚だ、葬式だという場合には金をとるし、乳牛だって三頭も飼っておるが一滴の乳だって無駄にはしない。弟や息子は農園の除草を、別途除草機で請け負って、コロノの請負以外の収入も入ってくる。
どうだ、あのずんぐりと背の低いドメニコと、樽のように肥えて太ったフランチェスカ婆さんは、何一つこれという労働らしいこともせず、気楽にして好きなボレンタ(トウモロコシの粉でねったもの)には鶏か、牛肉の汁でなければ食べないというぜいたくをしながら、年々小金を残していくじゃないか。
何もコーヒー園だからといって、君のように初めから儲からないと決めてかからなくてもいいじゃないか。もちろんススキ、使われる人よりは使う主人の方がいいことは、どこだって変わりはないよ。日本だってそうだろ?」
 コエリヨはどうしても私の真意が飲み込めないらしかった。
「私は例外の話をしているのではありません。例えば北米カルフォルニアのように、主人の利得ももちろん大きいでしょうが、使用人にもそれ相応の収入が得られます。
しかしそれとは違って、サンパウロ州における労働は、奴隷時代の影響とでもいうべきか、非常に使う人の側に割がよくなっているから、日本人が成功しようと思うならば一日も早く使用人の境遇を抜け出して独立することが必要です。
サンパウロ州のうま味がそこにあるのですから、十年ぐらいで帰国するという考えを捨てて、永住の考えでやらなければ成功率はとてもおぼつかないということです」
私はこう言って、私の真意をどうしてもコエリヨにのみ込ませることができないことを悲しく思った。
「ハハハハ、ススキ、どっちでもいいじゃないか。日本人がどしどし来さえすればよいのだよ。解決はそれからのことだ。日本移民が入ってくると、ドメニコもできるだろうし、君の好きなアンナの父親フィオリもいるだろうし、さしあたり君はメネゴニ支配人格というところだね。アハハハ、くだらない心配はよせよ」
コエリヨは大いに笑った。
 私のつかみどころは、もちろんコエリヨとは全然違っているのであるが、しかしコエリヨのいわゆる『来ることが第一だ』という説には大きな真理があることはわかる。
日本人にはとにかく実行を後回しにして、調査とか研究とかにとらわれ過ぎる点があるのは否定することができない。
「そうかね・・・」
私は腕を組んで考え込んだ。


狩りの一日!
               アンナの弟に抱く愛
 サンパウロ市から戻って二週間目の日曜日であった。コーヒーの収穫はこの一週間以内に始められるということで、事務所の朝は監督たちの打ち合わせや報告で、いつもにない忙しさであった。
『今度の収穫を見られるだろうか?いくら忙しいといっても、おそらくこれが最後の日曜になるだろう』
こんなことを考えると感慨は後から後からと新しく湧いて来た。支配人テオフィロも、簿記係のコエリヨも、工場長のフオルテも、朝飯の鐘を聞くと重荷を下ろしたようにさっさと行ってしまった。つい先ほどまでガヤガヤと音を立てていた監督たちの姿も見えなくなってしまった。
 ふと見ると、つぶらな真紅の実を連ねて成熟している、コーヒー園の濃緑の波がさらさらと流れて、いつでも乾燥に差し支えないように掃き清められたテレーロに、透明な太陽の光がいっぱいにあふれていた。サンパウロ州のもっとも美しい季節である。
「いいなあ!・・・」
つくづく見とれている私の耳元に突然「ススキさん、約束通り俺は来たぜ」
こう呼びかけたのは、言うまでもなくフィオリの長男アントニオであった。無邪気な面持ちをした血色のいい少年が、いわゆるテーラ・ロッシャの濁った赤い色に汚れた中折れ帽子をかぶって、上着なしの赤い縞の木綿シャツの上に猟銃を担いで立っていた。
「いよぉ来たな」
私はアントニオの背中をたたいて喜んだ。フィオリ一家はもうとっくにコーヒー園の山建ても終わっており、間作物の収穫も終わって、トウモロコシ小屋の修理や、養豚所の杭の建て直しなどをやっていたが、おおかたそれも一段落したのであろう。
アントニオは年に似合わず猟が上手なので、一度機会があったなら同行しようと言っていた私の希望を果たすためなのである。
 私はもともと臆病なので血を見ることが大嫌いであった。だから遊猟などに対しては別にそれほど興味を持っていないのであるが、秋晴れの輝いた大空の下で野や森を行く快さは、たまらないほど好きであった。
ましてアンナの弟に、まるで自分の肉親のような親しみを込めてくれるチャンスを貰ったことは、私にとって願ってもない喜びであった。
 二人はシュンボラヅの低盆地から小川を渡ってチビリサのはずれの方へ出かけて行った。
群青色に咲いたツユクサ、うすい桃色の花をつけた昼顔に似たつる草などが生い茂った道々には、盛んにコウロギなどが鳴いていた。一年中鳴き通しているこの国でも、秋の音色にはしみじみと身にしむ寂しさがこもっていた。
 鉄道線路に出ると、もうコーヒー園も通り過ごして、そこには小さな灌木がまばらに生えた原野が広がっていた。ばらばらと飛んでくる十四〜五羽の小鳥。
「ジュリティだ!ジュリティだ!」
 アントニオは低い声でささやいた。
ジュリティは鳩の一種でとても小さいが、なかなか味のよい鳥である。アントニオはなぜかそれを撃とうとはしなかった。野は南へ傾斜して、朱と、黄と、紫と、濃厚な色彩を持った花が咲き乱れていたが、白や桃色などのはっきりしたものはいくら探しても見当たらなかった。
 遠くの方から、いかにも涼しそうなひょうひょうという声が流れてくる。
アントニオの眉がきっとなった。
「ススキさん、エンニヤンブーの声だよ。あれのスープは飛び切りうまいね」
こうつぶやいて木の株の陰に身を潜めた。私もその後ろの女郎花に似た草花の陰にじっと隠れた。鳥の声はあちこちといかにも素早い足取りでだんだん近づいて来た。
刻・・・一刻・・・。銃の音がすると、私はアントニオが飛ぶように走って行くのを見た。私も続いた。
「撃ったよ。ほらエンニヤンブーにしては大きいだろう」
 血のにじんだ鳥はまだびくびくしていた。エンニヤンブーはブラジルに棲んでいる三種類のうずらのうちでもっとも小さなものである。
「ペルデーセスが出るといいなあ」
アントニオはこう言って私を振り返ってみたが「でも、ペルデゲーロ(犬)がいないからなあ」低い声で独り言のようにささやいた。
 森の方から山鳩の声がしたので、二人の足は少しずつ野原が高まっている方へ向かって歩いて行った。
森はセランドのこんもり生い茂っているもので、クルツーラではなかったが、イペやペローバなどの大木もあって、水の上を渡ってくるような涼しい風が吹いてくるのが、何よりうれしかった。森には道ともわからない道があって、ところどころ掃きとったように落葉をかきのけたところがあった。
「チビリサの子供たちが、きっとアラブカをかけているんだぜ」
「アラブカって?」
「餌をまいた上に木の枝で籠のように組んだものを仕掛けておくのです。鳥が来て、餌をあさるとぱったりその籠が鳥の上に落ちて逃げられなくなってしまうのです。よくローリンニャだの、エンニヤンブーなどが捕れるし、たまにはウルーなども入るんですぜ。面白いや、シュンボラヅにはこんな森がないからねぇ」
 アントニオは嘆いた。不意にガサガサと音がして、ウサギくらいの大きさの動物がちょこちょこと、いかにもかわいらしく走り出した。
「ウサギ?」
「いいや、コチアだよ。逃がしてたまるもんか」
アントニオの撃つ銃はものすごい音をたてて森に反響したが、コチアの死体はどこにも見当たらなかった。
「惜しいなあ、ススキさん。あのコチアはね、猟する動物のうちで一番味がいいんだぜ。
丸焼きにしてトマトをどっさり入れて料理すると、それは舌が抜けるほどうまいんだぜ。「しまったなあ」地団太を踏んで悔しがったが、どういうめぐりあわせか、それからは小鳥一羽も見当たらなかった。
 森はだんだん繁りを重ねて、静けさはますます深まって行った。大きな馬のフンに似た動物のフンを見つけると、アントニオも私も何だか気味悪くなってきた。
「戻ろう」どちらが言うともなく、二人はもと来た方へ引き返していった。
 森を離れるときバサバサと大きな羽を打つ音がした。アントニオが身構える間もなく、鶏くらいの大きさの鳥が木の枝をすれすれに日光を浴びながら飛び去った。
あまり遠くの方へは飛んだ様子ではなかったが、どこに飛んだか見当がつかなかった。
何という名の鳥であろうか。アントニオはそれを父親のフィオリに聞いてみるというとのことであった。
◇    ◇    ◇
 モンテ・ベーロに近い間作地に出たとき、太陽はもう三時に近い傾きを見せていた。
 二人は刈り取った米作地を前にして、からからに枯れつくしたトウモロコシ畑を後ろにして腰を下ろした。
 アントニオはたった一羽のエンニヤンブーをいかにも情けなさそうに草の上に投げた。
私は汗ばんだ額をぬぐいもせず、そこらを見回していた。
 パパガイヨ(オウム)の群れが、頭の上をけたたましい鳴き声をたてて飛んで行った。
「アントニオ、お前はパパガイヨの巣を見つけたことがあるかい?」
「あるとも、あれはね、とても太い樹の高い、高いところにある空洞に巣を作るんだぜ。ほら見てごらん」
 アントニオは近くに広がっている牧場の、枯れながら立っている一本の大木を指さした。
「あれはね、カネロンの焼け残ったものだよ。あのてっぺんに、ものすごく大きなほら穴が二つあるぜ。春がくると、毎年必ずパパガイヨが巣を作るんだがね。まだ誰も捕ったものがいないんだ。俺は今年こそは必ずものにして見せるつもりだ」
「そんな君たちのいたずらをパパガイヨの親鳥はおとなしく見ているのかね?」
「それは勇敢だぜ。あの鋭いくちばしで頭に向かってくるがね。こっちも一生懸命だからパパガイヨなんかに負けてたまるもんか」
 少年アントニオの目は喜びと勇気に輝いて来た。
「ススキさん、隣の家のラファエルのパパガイヨを知っているだろう?あれは去年の春、コーヒー園の枯れ木から捕ったんだぜ。俺は毎日のようにあのパパガイヨに話しかけているけど、このごろはしっかり覚えこんでしまって、俺を見つけると『アントニオ、アントニオ』なんて、妙な声を出すんだよ」
 嬉しそうにアントニオは笑いこけた。
私はふと小学読本に書いてあるパパガイヨの話を思い出した。
「アントニオ、お前はブラジルの読本を読んだことがあるかね?」
「僕は知りません。お父さんは僕を学校に行かせることができなかったんだもの。それでもイタリアの本なら少しは読めるぜ」
 アントニオの目は悲しそうに私の顔を見つめた。
「よし、それならオウムについての、ひとつ面白い話をしよう」
 私はこう言って話し出した。
 
 アントニオのようなオウムの好きな子供の隣の家に、それはよくものを話すオウムを飼っている人が住んでおった。
このパパガイヨは『どこにいます?』と聞くと、『私はここにいます』というのが得意の芸であった。子供はいつも訪問して、こういう会話をパパガイヨと取り交わすのが、何よりも楽しみであった。
 ある日子供はいつものように隣の家を訪ねたが、残念ながら隣家の主人が留守であった。
少年はオウムに声をかけた。
『どこにいますか?』
『私はここにいます』
 いつものように、すぐにはっきりと答えた。子供はこのかわいらしいパパガイヨが、どうしても欲しくてたまらなくなった。
もし、誰も見ていない間に、あのパパガイヨをポケットの中に入れてしまえばきっと自分のものになるだろうと考えた。子供はすぐオウムを捕まえて、急いでポケットの中に入れた瞬間、主人が戻って来た。
人の好い主人は、隣の家の子供がパパガイヨと話すことが好きだと知っていたので
『私のオウムよ、お前はどこにいるかね?』
 ところが意外や意外、オウムは『私はここにいます』
 声高に子供のポケットの中で答えたということです。

「どうです、アントニオ、解ったかね?」
私はからからと笑った。アントニオはこの童話に含まれた『盗んではならない』という意味よりも、子供の冒険が失敗に終わったことの方が、何よりも残念そうに見えた。
「さあ戻ろう」
「バーモス」
言い合わせたように立ち上がった。
サラクラの声が、koki koki・・・・・・といかにも高らかに、朗らかに間近の湿地から聞こえてきた。足の長い身体のまん丸い水鳥である。この鳥は実に歩くのが早い鳥で、あまり鳴くと雨が近いと言われている。

アントニオは歌を歌い始めた。
 Oh passarinho que cantas
Nesse verde limoeiro,
Canta a tua Liberdade,
Que eu choro o meu eaqtiveiro.

父親のフィオリに似て実にいい幅のある声である。
サラクラは、なおしきりにkoki koki・・・と鳴いている。


(コメント集)
吉田:ピンダモニャンガーバ市に住んでいた安田良一氏の名前が出てきました。安田氏も1906年リオに到着しました。その後マカエにあった上院議員の農場を管理し、1915年からピンダモニャンガーバの藤崎商会の農場に勤務したそうです。安田氏は日本を出てから日記をつけていましたが、すべてローマ字で書かれています。子孫のことを考えたのでしょう。2008年の日本移民100年の記念祭では会館の展示室には安田氏のローマ字の日記が展示されていました。





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