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椰子の葉風 鈴木南樹 その11
椰子の葉風その11は、コーヒー園を去る鈴木青年を見送りに来たアンナとアントニオが何とか間に合い客車に引き上げられ軽鉄が走り出すと頃から始まり、チビリサ駅での20分の汽車待ちを過ごし皆に別れを告げる。アンナ、アントニオ兄弟を抱きしめると3人が溶鉱炉の中で溶け合ってしまう感じがしたとの辛い別れと共に農場生活を終えサンパウロの移民収容所での新しい生活が始まる。字数が少し余るが、移民収容所時代(一)と(二)で終わる事にする。
写真は、当時の移民収容所の正門の挿絵を使う事にしました。


発車の時が迫って来た。薪を焚く機関車は盛んに煙を吐き出した。
「ちょっと待ってください」
 息せき切って駆け込んできたものがある。それはアンナとアントニオであった。汗ばんだ二人の顔は真っ赤になっていた。
「どうぞ私たちを乗せてください」
「やあ!来たな!!」
 コエリヨはアンナの手を、私はアントニオの手を取って板壁をはっていない客車の中に引き上げた。
その瞬間、軽鉄は慌ただしく走り出した。
 コエリヨは一人面白がって、絶え間なしに何かしゃべっては笑った。
「アンナ、ススキさんはもうシュンボラヅには来ないと言っているよ。ハハハハ」
 うつむきがちに座っていたアンナはますます頭を下げた。
コーヒー園からさらさらと流れてくる、爽快な朝の日光が客車を明るくしたが、アンナはレンソ(一種の風呂敷のようなもの。山形地方ではシハンと言って、冬が来るとやはり女性たちがかぶる習慣がある)を目深にかぶっているので、その顔が・・・頬の辺りが少ししか見えなかった。
それが、たまらないほど私の心をひきつけた。もし数日前の私であったならば、こうしたアンナの態度に何の注意も払わなかったであろう。
しかし今は・・・私は焼き付くような目でアンナの、わずかな動きすら見逃さないようにした。そうして時々物を握りつぶすような恐ろしく強い力で、アントニオの手をぎゅっと握りしめてびっくりさせた。
 間もなく軽鉄はチビリサ駅に着いた。駅長モラエスは信教上の友達であるが、今日ここ
を出発する私のためにお菓子などを用意してくれていた。
 応接間とも食堂とも言うべき停車場内の駅長の住んでいる住宅の一室には、私よりも先にまずコエリヨが座った。
「いよお!うまいお菓子があるぜ」
大きな高い鼻を、ふくふくとふくらませるようにして喜んだ。
アントニオとアンナはいくらすすめても入って来なかった。汽車の着くまでには、まだ二十分もあるというので、駅長もコエリヨもくつろいで、色々と私が初めてチビリサ農場に来た頃の面白い話を語りだして笑った。
私はこうした話に耳を傾けるよりも、フィオリの二人の子供に気を取られて絶えず目をプラットホームの方へやった。
アンナは一か所にじっと立ち止まったまま動かなかった。アントニオはそっちに行ったり、こっちに来たりして一時も動かずにはおられないようだったが、時々何かアンナとささやきあうことがあった。
 ふとアンナが、軽鉄の着く停車場の表口の方に歩いていくような足取りで姿を消した。稲妻がひらめくようにある考えが私の心に起こった。機会は今である。たった二人で会うことはもはやあり得ない。
コーヒー園の真っただ中に建てられた一軒の寂しい建物に過ぎないこの停車場には、今日の上り列車の乗客は私以外誰もいないのである。アンナのいると思われる方向には、シュンボラヅから私を乗せてきた汽車が止まっているだけで誰もいないはずだ。
『一分間でもいい、アンナと二人でいたい』こう思うといても立ってもいられないような、焦りで胸がいっぱいであった。臆病な私でも何気なくつと立ち上がった。『何とでも思うがいい』心の奥底でこんな捨て鉢な考えさえ湧いていた。
「ちょっと便所に・・・」
 心にもない嘘を言って私は転ぶように外へ出た。
『アンナはどこにいるのだろう・・・』
その辺りと思う停車場の表口にはアンナの姿は見当たらなかった。横の方に走って行ってみた。そこにもアンナはたたずんでいなかった。
「アンナ!」
『アンナにだけ聞こえてくれ、他の誰の耳にも入らないでくれ』私はこんな自分勝手なことを念じて、小さいが力のこもった声で呼んだ。実際それは私の耳にも聞こえないようなかすかな声であった。ひょっとしたら神様でさえ聞き漏らしたかもしれない。アンナは何の返事もしなかった。私はほとんど絶望に等しい悲しい目で辺りを見回した。
 いる!いる!!ジャスミンのうす黄色に咲いた垣根の向こうに、牧草カテンゲーロのうす紫の穂が風にさらさらと流れて、あまり高くないアンナの姿を覆い隠していた。
群青色に塗られた海のように深く晴れた空は、全てのものを神秘的にして見せた。私は近づきがたいような、敬虔に似たためらいを感じた。
 何という不幸な運命であろう。クラビンニヨスを発車した汽車の音がごうごうと、乾ききった空気を震わせて間近に走ってくる音が響いて来た。
「ススキ、ススキ」
 駅長の声である。
「ススキさん、汽車が来たよ、ススキさん」
 コエリヨの半ば道化じみた声がする。私は大急ぎでプラットホームへ引き返さなければならなかった。私は目がくらんだような幻惑を感じて倒れそうな気分であった。
 汽車はゆっくりと停車した。
「さようなら、アデウス」
 私は一人ひとり手を握って行った。アントニオは少年の力いっぱいに、私の四本の指が痛いほど握りしめて「ススキさん、あなたは絶対にまたシュンボラヅに来てくださいね。ね、いいでしょう」
 こう言って離さなかった。そうして何度も「絶対ですよ、絶対ですよ」
 くり返してこう言った少年の目にも涙があった。
 私もつい釣り込まれて「きっと来ます」
 こう言って最後にアンナの前に立った。
「アンナ!」
 私の胸は躍って高鳴り、これ以上言うことはできなかった。
アンナも一言も言おうとしなかった。しかし二人の目と目とは千万言を語るよりも、もっと複雑な意味が込められていた。私は狂気のような心に襲われた。それはまるで台風のような突発的なものであった。
 私は両手を広げてアンナとアントニオをぐっと抱きしめた。三人の違った火が溶鉱炉の中で、どろどろと溶け合ったような幸福な瞬間。それは本当に人間が感じられる最大限の幸福の瞬間であった。
 私はもう汽車に乗らなければならなかった。
「コエリヨさん、駅長さん、どうぞお達者でね。アントニオ、お父さんにもお母さんにもよろしく言ってください」
「ボーア・ヴィアヂエン(いい旅でという意味)」
「アデウス!ススキ」
「アデウス!アデウス!」
 汽車は動き出した。私は手をあげて指を動かした。
コエリヨは白いハンカチを振っていた。口がきけないかのように黙っていたアンナは、急に大きな声をたててしゃくりあげ泣きをした。それは誰の前であっても気にしないような大胆な態度であった。
 私はどうしてもそれを見ていることはできなかった。顔をおおうと涙がボロボロと指をぬらした。汽車の速力が徐々に増していった。
『あ、あ、何という力の弱い男だろう。俺は恋を夢見る男だったのだ。そうだ恋にさまよう浮浪者だったのだ』
 こうつぶやいて、アンナのことを色々と思い浮かべた。
アンナは男性的な力のない私を恨んでいるに違いない。二人の近づきを両親さえも望んでいたはずである。なぜアンナをこの胸に、この腕で、あの豊かで美しいバラのような肉体を、じっとじっと消えてなくなるまでの力強さでかき抱くことができなかったのだ。
こんなに熱い思いが燃え立って、ほとんど全生命が恋にとらわれたようなこの私のどっかに冷たいところがあるのだ。私自身が第三者になって冷ややかに眺めながら、その臆病をにやりにやりと、面白半分に笑っているような悪魔的な冷たさが潜んでいるのだ。
私はこう思うと急に泣きたくなってきた。熱い涙が止めどもなく流れてくる。
「俺は初恋には打ち明けることさえできなかった。第二の恋には・・・・」
 私は泣きはらしたやるせない目を、人目を避けながらガラス窓の外に向けた。
      
 モンテ・ベーロの方から、クラビンニヨス町の背面に達し、そこから湾曲してサント・アントニオの方へうねって行く長いエスビゴン(峰)はチビリサ農場の脊髄である。
コーヒーの樹海は輝いた日光に接吻するような親しみを見せて地平線を区切っていた。
この大きなパノラマの左端に、卵色に塗った停車場は周りからはっきりと浮きだして見えるような鮮やかな存在であった。
アンナもアントニオももはやあそこにはいないのだ。
アンナはどんな思いを抱いてコロニヤに戻っただろうか?全ては過去という解きがたい謎の中に葬られてしまったのだ。
私はサンパウロ市に出て、またしても新しく賽の河原に石を積み重ねていくのである。
『そうだ、俺は何度でも石を積み重ねてみよう。それが運命なんだ』こう思うと何となく心が軽くなって行くような気がした。
 汽車は警笛をならしつつ、大きなカーブを描いて森の中に突進して行った。
ちょうど私の運命のように・・・。
                           コーヒー園生活 終わる
         

◇移民収容所時代(一)

 サンパウロ市に着いた翌日、私はまず、第一に州農商務局(Secretaria da Agricultura Commercio e industria do Estado de S.Paulo)に出頭した。
それは三浦通訳官の添書を差し出して、州農務省局長に面会を求め、自分が働くべく仕事について命令を受けるためであった。
 あのバカに大きな州農務省局の待合室の壁に沿った椅子に腰を下ろすと、自分は如何にも小さくなったような気がした。
 高い天井、金色に塗った色彩、壁には歴代州農務省局長の油絵がかけられていた。
 私と同じように局長に面会を求める六〜七人の人たちは、誰もが死んだ人のように黙りこくっているのが目立った。なかには中央の机の上に置いてある雑誌などを持ってきて読んでいる者もいたが、音を立てることが罪悪でもあるかのように静寂の態度を保っていた。
 長官に面会したなら、どんなふうに挨拶したものであろう。三浦通訳官の書面の中には私が何も、多くしゃべらなくてもすむように用件を書いてあるに違いないが、もし長官がいろいろ質問をしてきたならば、それに答えなければならない。
未熟でそうしてブロークンな私のポルトガル語の経験と知識だけではとても怪しいものである。長く交際している人たちの間にあってこそ、解らないなりにも、想像が半分伴って、はじめて会話の意味をお互いに了解しあうという程度が飾りのない告白である。
 私は退屈のあまり、いろいろとこんな風に思い悩んだ。
およそ一時間、それとも二時間くらいたっただろうか、突然長官室の重い扉が開いて、いかにも勇敢な足取りで一人の巨漢が私の前に進んできた。
「ススキというのはお前か?」
 私は直感的に長官カルロス・ボテリヨであるということを悟った。オルゴリヨーゾ(傲慢)な、人を食ったような態度である。明治の政治家、星亨(ほし・とおる)は背丈が小さくて丸顔であったが、『面倒くさいことは嫌だ、ええやってしまえ』とひた押しに押し切ってしまうような性格(星亨ではなく押し亨だと陰口された)がよく似ていると思う。カルロス・ボテリヨはサンパウロ州の星亨だという批評はこの上ない適切な表現である。私は一言「そうです(シー・セニョール)。私はススキです」
 シー・セニョールと言った。ヴォッサ・エツセンシア(閣下)などという言葉は全く知らないわけではなかったが、百姓はそんなどえらい応対には慣れておらなかったのである。
 長官カルロス・ボテリヨはこのドン百姓め、礼節を知らないなというふうに眉をピクリと動かせて「お前は何しに来たのか?」
 じろじろと臆面もなく、あくまで人を食ったような態度で真っ向から私を見つめた。いや、むしろ睨みつけたという方が正しいであろう。
 これはおかしい。私の用件は三浦通訳官の書類の中に書かれてあるはずだ。Voce(お前)などと呼び捨てるのも人を軽蔑した話である。たしかに現在の私は単なる一人の日本人に過ぎない。とは言っても農商務長官が何だ。
私は一人の同胞もいないブラジルへ単身渡航してきた男だ。絶対に移民収容所で働かなければならないいわれはない。嫌ならさっさとまたチビリサ農場に引き返して行くまでだ。そこにはアンナが待っている。
私はこういう心の動揺をどうすることもできなかった。
「あなたは私よりもそれをご存知のはずです」
 きっぱりこう言い放って長官の顔を穴のあくほどじろじろ見つめてやった。私の顔が自然に、ぽーっと熱くなってくるのを感じた。よほど真っ赤になったと見える。
「ハハハハハハ、そうか、そうか」
 思わず長官は顔を崩して笑った。
「ちょっと待っていたまえ」
 言い終わらないうちにさっさと引き返して行ってしまった。まるで狐につままれたようである。
Scena(活劇)は暴風のように通り過ぎてしまった。ある意味でちょっと禅問答に似たあんな応対は、ブラジル人の間では見られないことである。長官カルロス・ボテリヨはブラジル人の中の変わり者には違いないが、私のとった率直な、ぐんと突き当たって行くような態度の善悪は自分でも分らなかった。
 人間の一生は何もかも試練である。いたずらに興奮すべきものではない。全てのもののしもべとなることの幸福を説いたキリストの言葉は真理であるが、人間はとかく動物としての人間になりやすいものである。
私は農務長官に対し、もう少しへりくだるべきであったかも知れないなどと思い悩んでいる時に、再び長官室の扉が開いたが、今度はいかにもブラジル人らしい若い男が現れた。
「君はススキですか?」
「ススキです」
「はあ、そうですか。それではこの公信を持って君は移民収容所に行ってください」
 大きな封筒を手渡すと、いかにも服装を気にする様子で、両手で上着の端を軽く握りながら、柔和な目つきで私の頭の上から靴の先まで見下ろした。
 私の靴は汚れてはいないが光っていなかった。三浦通訳官からは、外国に来たらいつも靴を光らせていなければならないと言い聞かされたことを覚えてはいるが、ぞんざいな私の性格はあまりそういう方面にこだわらなかった。
なるほどこの役人の靴は漆を塗ったような光沢を見せている。そうか、私もこれからあんな風にするんだなどと思ってぼんやりしていた。
「君はコーヒー農園で働いていたそうですね」
「そうです、一年と少しばかり」
「君はたった一人の日本人ですから、何もかも覚えなければならないんですね。これからは移民収容所に行って大いに働いてくれたまえ」
 この役人はなかなかうまいことを言う。
「ありがとう。それでは私はこれから移民収容所に行きます」
 立ち上がった私の手を力強く握って「私は秘書官です。用があったらいつでも遠慮しないで来たまえ」
「オブリガード!オブリガード!」
 長官と打って変わったこの秘書官の態度に私はただありがとう、ありがとうと繰り返すよりほかなかった。
なんだか不思議な謎を叩きつけられたような気分で、州農商務局の建物から外へ出ると、秋の日はいやがうえにも照り輝いて、私の目は、物を識別することができないような幻惑を覚えた。


◇移民収容所時代(二)
      
 私は名ばかりの広場チゾーロから『サン・カエターノ』行の電車に乗って、ビラチニンガ街がサンパウロ鉄道線路で横断されているところで下車した。
 あの頃はまだこの鉄道線路を越える橋もなかったし、モーカの方から一直線に走ってくる鉄道線路を挟んで、いかにも新開地らしいエキゾチックな、無秩序なうちにも、はつらつたる気分があふれているのを見逃すことができなかった。
『この線路をサントス港に出ると大洋の波が日本に続いている。奥地に行くとアンナのいるチビリサ駅につながっているんだ』
 私はこんな馬鹿げた考えをふと頭に浮かべながら、踏切をのんびりした足取りで越えて行った。すぐ左側に、ごつごつした赤レンガを露出した高塀に囲まれた大きな建物がある。それがすなわち移民収容所(Hospedaria de immigrantes)である。
        
 城門と言うよりは、むしろ監獄という感じの強い、屋根のある門には重たそうな鉄の扉があった。もちろん開け放されてはいたが、こうしたいかめしい中世紀ごろの、ヨーロッパの物語にでも出てきそうな格好をした門戸をくぐることは、あまりいい心持ちはしないものである。
しかし門衛は案外にやさしく、私の来意を聞いて事務室を指さしてくれた。
 ただ広いだけが取り柄で、何の装飾もない奥まった部屋であった。設計がまずいせいか表には一面にガラス戸がありながら、暗い日差しはすべてのものを灰色に見せた。
所長はフラガと言って四十年配の色白な、どこか神経質らしい苦み走った顔に眼鏡をかけていた。
 私の差し出した農商務局のオフィシオ(公文)を開封して
「わかりました。ええと・・・君はいつから出勤することができますか?」
「私は昨日農園から出てきたばかりで、ホテルにいるのです。どこか通勤に便利な部屋を探すか、下宿でも見つけたいと思っているので、そういう準備のために、明日一日は休ませてもらいます」
「よろしい。君の仕事はピート君の助手をして、まず移民のパスをとる方法の手続きを見習ってください。それからだんだん色々な方面のことを覚えてもらわなければなりません。明後日出勤すれば、私がいなくても君の仕事ができるように命令を与えておきますから・・・」
 所長は気安くこう言って公文をまた読み始めた。
「ほぅ・・君の名前は Te‥ji‥ro…Su‥zu‥kiと言うんですね。ハハハハ日本人の名前は我々にはどうも読みにくい。ポルトガル語などはそれから見ると簡単ですな。どこの国の人でも一年もおったら、すぐ話せるようになる。君はブラジルに来て何年になるのかね?」
「一年と少し・・・」
「一年?それでそんなによくポルトガル語を話せるんだね」
 ブラジル人は、いつも他国民のことを感心してほめる国民である。私は何度こういうお世辞を聞かされたかわからない。実際私は語学が苦手で、ほめられるような進境に達していなかったのである。
「恐れ入ります。私はまだ何もわかりません。自分の思うことの百分の一も言い表すことができないのです」
 私は本当に恥ずかしくなって顔を赤くした。
「なあにそれ位なら十分だ。トルコ人やドイツ人なんか、いつまでたったって妙な外国癖が抜けないからね。ここは外国人のエスポジソン(博覧会)みたいなものだから、心がけ一つでどんな外国語でも使いこなすことができるんだ。大いに勉強したまえ」
 顔に似合わない親切なことを言う所長である。
「オブリガード(ありがとう)、私はできるだけの力を尽くしてやります。それではデレートル(所長)さん、私はこれで失礼します」
 すべてが予想外にやすやすと進行していった喜びに私は肩が軽くなったような気がした。
「シー・セニョール、アテ・デボイス・ダ・マニャン!ス…ス…キ…、ス…ス…キ…」
 くり返し、くり返し、まるでようやく言葉をしゃべりだした子供のように、片言交じりに私の名を呼んでいたが、突然!
「ニッポン、バンザイ、ハハハハ・・・」
 もうすでに二〜三歩歩き出した私の後ろから浴びせかけるように朗らかに叫んで笑った。



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