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杉村 濬(ふかし)第3代ブラジル駐伯弁理公使の「視察復命書」出石美知子書き改め集(その1)
これは、移住前史に当たる1905年(明治38年)12月に大阪朝日新聞に掲載されていた杉村 濬(ふかし)第3代ブラジル駐伯弁理公使の「視察復命書」を神戸移住ミユージアムで週末の訪問者にブラジル移民に付いて語り部としてボルンタリオの仕事をしておられる出石美知子さんが、古い新聞の読み辛い記事をご自分の為に現代風に読み易くWordに叩き直して呉れた原稿を送って頂いたものです。笠戸丸移民を送り出す前の貴重な「視察復命書」が新聞に残っていたのも驚きですが、それを見つけ出し叩き直した出石さんの移住語り部としての執念に近い努力に敬意を表す共にお礼を述べたいと思います。3回に分けて連載します。
写真は、出石美知子さんにお願いして送って頂いた近影です。



 序 文
杉村 濬(ふかし)(1848年〜1906年)は、外務省通産局長から第三代ブラジル駐伯弁理公使になり、リオ・デ・ジャネーロ州・ペトロポリスに着任した。そして、サンパウロ州とミナスジェライス州を視察。この地が日本人の移住者及び企業移住にも適していると本国に報告したのが、伯国移民状況いわゆる「視察復命書」である。
これを、当時の大阪朝日新聞が明治38年12月19日〜30日までの12回に分けて紙上に連載した。これを自分なりに解釈して今様に訳してみたものである。
当時の人達がなぜ「ブラジルへ!」を目指したのかを知りたいと思って読んでみたが、良いことづくめで、なるほど人々が希望一杯で目指したことだと思うが、初期移民の方々の苦労を思うと複雑だ。

内容は、 サンパウロ州に於ける移民状況 総 説(1回目)
第一章 サンパウロ州の地理風土(2回目)
第二章 サンパウロ州に於ける移民の必要(3〜4回目)
第三章 サンパウロ州における移民取扱局(5〜6回目)
第四章 移民の種類並びにその労働及び賃金(7〜9回目)
第五章 珈琲、耕地及び移民生活の状況(10〜11回目)
第六章 新たに来るべき移民に関する注意事項(12回目)
             結 論
 
となっている。以下新聞掲載記事本文。( )内の数字は掲載回数である。
                      2011年1月15日    出石 美知子  



一千九百五年(明治三十八年)十二月十九日   大阪朝日新聞  第八千五百二十四号 
  
○伯国移民状況(一)

本日より掲載する『伯国移民状況』は、本年六月三十日付けにて、在、伯剌西爾国弁理公使 杉村濬氏が、その筋に提出した視察復命書である。その正確さは勿論、記述されていることは精密であるので、海外移民希望者は当然精読すべきものである。ついては、先日来連載している『伯国渡航案内』は、一時掲載を中止し、後に適当な時期を見て続載することにする。読者はこれを了解してほしい。

サンパウロ州に於ける移民状況

 総   説

南米といえば、一般的に未開で野蛮な風習が残っている国土のようだと思っている日本人が本当は少なくないであろう。しかし、ブラジルの南部にあるサンパウロ州首府サンパウロ市は、人口三十五万人を有している。市の東西・南北は十八キロメートルと十二キロメートルであり、フランスの都、パリに匹敵している。北米の大都巨市のように天に聳える大きな高層建築はないとはいえども、サンパウロ市の中央は、三階建てまたは四階建ての大きな建物が殆ど隙間なく並んでいる。周囲の町外れは、二階建て、又は平屋建てが夫々連なっている。
とにかく、パリと同じ面積を上から見ようと高所に登り、サンパウロ市を眺めると、見渡す限り家屋で、殆どヨーロッパの大都市にも負けていないと考える。そしてその間に電車が走り、馬車が走っている。電信電話の線は、電車の線と夫々交差して、空中は蜘蛛の網を張っているようだ。
数多くの電灯は、繁華で人や車で混雑している夜を照らして、まるで昼のようだ。繁栄、賑わいの程度も、欧州第二流の都会と優劣がないようだ。そればかりでなく、サンパウロ市の住民の大多数は白人で、ブラジル北部にいるような黒人を見ることは大変少ない。したがって、あらゆることに進歩的であって、北部の人達と自然に備わる心の動き、思いやり等が異なる感じがする。
南米の諸国を、一般的に未開視するのはあってはならない。すなわちサンパウロ市のこのような繁栄は、わずか三〜四十年前からの発達であるがためである。欧州諸国の市や都市の繁栄のように、既に極度に発達されすぎ、又は尽き果ててしまう状態にあるものとは比べものにはならない。しかし、同市の繁栄の進歩は少年の進境であるようで、その変化の速さや勢いのある様子は、まるで留まる所を知らないようであるとの思いを強く持たされた。
このように、同市が急激に発達したのは、一つには広大な内地の事業の発達の影響の結果である。内地の事業の発達は、一般に気候が温和で土地が豊饒であることは言うまでもない。特に同州内は、コーヒーの栽培に適している特殊な地形、地味(土地の生産力)、その上、気候を兼ね備えていることが原因だと思われる。そういう訳で、もう少し内地の状況を説明しておこうと思う。
地味の肥えた平野が至る所で、見渡す限り際限がないという言葉は、日本に於いては関東又は濃尾平野もこれに匹敵するには及ばないと言える。サンパウロ州の内陸部は本当に「沃野千里極目無際」である。
私達が急行列車にて、一直線に十二時間を走ったが、それでも終わりを見ることができなかった。そうして、その見渡す限り果て無き千里の沃野は、コーヒー、サトウキビ、米や綿花の耕作に上手く適しているので、そんなに努力を要することなく良い結果を得ることが多い。手を加えて農作をしたり、家畜を牧場で育てることさえすれば、必ず見合っただけの収穫利益を得ることができる。だから、内陸部の発達は、そう簡単には見くびるものではない。
鉄道は、縦横に通っていて交通運輸の便が上手く行くようにしている。今やその延長は、合わせて三千七百七十キロメートルにも達している。そして、鉄道付近には大いに発展した新しい市や村は少なくない。中には人口四十五万人を有するものもある。州内は電灯を使っている市や村が既に二十二箇所に及んでいるというのを見ても、その発達の程度がどんなものかを想像するに余りある。
そして、サンパウロ州が一般にこのように非常に早く進歩、発達を成し遂げた原因は、これ全て外国移民の力なりと言えなくもない。州政府が永年来、巨額の資金を投じて、移民の招き入れに力を注いでいる訳がわかるのである。


○伯国移民状況(二)
第一章 サンパウロ州の地理風土
▲位置: サンパウロ州はブラジルの中央より南に位置し、グリニッチ起点、西経四十七度から五十二〜三度の間にあり、南緯二十度〜二十五度まである。
▲面積: 二十六万平方キロメートルにして、北海道、九州、台湾を除いた本州より広いことは、まだ数キロメートルもある。それなのに、その人口は僅かに二百五十七万人のみである。だから、これを一平方キロメートルに見積もると、その住民は僅かに九人強の割合に過ぎない。(我が日本の人口は一平方キロメートルに百十三人の割合である。)
▲気候: ブラジルと言えば、世の人は大抵、猛烈な暑さで耐えられないように想像するのは大変な間違いである。ブラジルの北部の赤道付近では、ゴムの好産地である「アマゾン」「パラ」二州の様か、またはその付近の「ペルナムプコ」「パイア」等にあっては、猛烈な暑さもやや厳しいものの、赤道から南方に二十余度の遠くにあるサンパウロ州の如きは、その温度は穏やかで、猛烈な暑さを感じることは少ない。しかし、ブラジルの暑さ・寒さは必ずしも経度・緯度だけを考えて判断するものではない。
 サントス港は、サンパウロ市から汽車で僅かに二時間の距離に過ぎないに関わらず、サントス港に於いての猛烈な暑さと、サンパウロ市並びにその内陸部の村々に於いての涼しさとは、実に大変な相違があるからである。一般的に海寄りの低地は暑さが厳しく、内陸部の高地に入るに従い冷え冷えとして涼しいものと知るのがいい。
 サンパウロ州は、その内地に入るに伴って海抜五百〜七百五十メートルの高さにある。サンパウロ市は七百五十メートルを越す辺りにある。冬期にあっては、寒暖計は稀に0度C以下に下がることがある。夏期にあっては、三十五度Cを越えることはないという。
実際に、ジェルメン・ダンヌシー氏の十二年間の統計によれば、夏期の最も暑い時でも、日陰は決して三十度Cを越えることはなく、その一年の平均を見ると海辺に於いては二十三度Cであっても、高地では十九度Cという。尚、内地のコーヒー園のあるところでは、冬期、時々降雨があることがあるという。
▲雨量: 十年間の平均によれば、年平均一千五百ミリメートルである。要するにサンパウロ州の温度は、欧州南部の気候と殆ど同じである。ただし、南欧諸国がそうであるように、冬期での厳しい寒さと、夏期での酷暑がないのは、このサンパウロ州が大いに優れている点だと言う。当、サンパウロ州に於いて、欧州諸国からの移民がよくその労働に耐え、気候風土に関しても一言の不満を口にしないのも、大体この為である。
▲地味: サンパウロ州の地味は、非常に良く肥えた土地で、コーヒーその他の諸植物の耕作に当たっても、肥料を必要としないという。フランスの地質学者の調査によると、土壌は深く、地下二十三メートルの厚さに達するので、この土地全て耕転(田畑を耕したり、除草したりすること。農作をすること)するのに適しているという。
 そして、その最もコーヒーに適しているのは、気候が暑すぎず、また寒すぎず、地味は鉄分を含み、地形は海抜四百五十メートルから一千メートルの高さであって、その凸凹の起伏や、山腹傾斜の程度が特にコーヒー栽培に適しているからである。(北部「パイア」地方でもコーヒーを栽培しているが、暑すぎて成熟が不揃いである。又、コーヒーの樹はとても霜害に弱いという)
 他の国、又はブラジル国内の他州に比較すれば、その苦労が少なくて、その収穫が多いために、人々は競ってコーヒー栽培をしているという。そうではあるが、その地味が必ずしもコーヒーだけに適していると言う訳ではなくて、よくサトウキビ・米・綿花・とうもろこし・サツマイモの他にいろいろな果物の栽培にも適しているために、近年、これらの諸作物の耕作が大いに発達した。現に、ある地方に於いては、精米所にて籾米の玄米をついて白米にしている。又、私は三十万円の巨費を投じて、製糖所を建築しているのを目撃した。


○伯国移民状況(三)
第2章 サンパウロ州に於ける移民の必要
 サンパウロ州が受けている天然の恵みは、前に簡単に述べたように、その気候・地味共にコーヒーその他穀類・サトウキビ・綿花などの耕作に適している。その中でも、特にコーヒーの栽培に適していることは、世界中で第一位を占めている次の生産量によっても明らかである。
 おそらく、世界におけるコーヒーの産出高は、凡そ一千九百五十万袋である。そして、その大部分である一千六百二十四万袋は、当ブラジルが産出するものであり、その内、一千二百〜一千三百万袋は実際にサンパウロ州で産出したものである。
 ブラジル税関の収入高を見ると、サンパウロ州の港口のサントスは、リオ・デ・ジャネーロ港に次いで、ブラジル中の第二位である。そして、その輸出高はブラジルの港中の第一位を占めている。即ち、全ブラジルの輸出、三億五千余万弗の内、サントス港の輸出高は、実に一億一千五百万弗であって、しかも、その最大部分を占めているのがコーヒーである。
 だから、従来はコーヒー栽培の利益が大きく、他の諸作物栽培の利益に比べて数倍であったからではあるが、州民達が偏にコーヒーの栽培のみに精を出して、他の作物を顧みる暇もない様子ではあったが、四〜五年前にコーヒーの生産高が過剰になって、遂に、世界の消費高を超えてしまうに至って、ここにコーヒー価格の暴落となって、いわゆるコーヒー恐慌の時代となった。
 小さな農場主等はどうかすると労働者への賃金を支払うことが出来ない者さえ出て来た。このためか、今迄は年々数万人以上もいた欧州からの移民の数がたちどころに減少した。そればかりでなく、ブラジルの移民供給国の第一位を占めていたイタリア政府は、ある事情により、イタリアの移民の渡航を禁じ(一千九百二年「明治三十五年」四月十五日以降)て、今、尚、その禁止を解いていない。
 それなのに、最近になってコーヒー価格がやや上騰し、市場もようやく好況を告げているのである。そればかりでなく、四〜五年来州政府がしきりに指導奨励した多種耕作の方策は、近頃ようやく州民一般の関心のあるところとなり、サトウキビ、米作または綿花耕作などに従事する者が増えていくようになった。こうして、同州は又、盛んに移民を招き入れる必要性が急がれたのである。
 だから、サンパウロ州政府は一時中止していた移民渡航費を復活した。昨年、既にスペイン・ポルトガル及びオーストリアより、渡航補助金を与えて、七千五人の移民を招き入れた。今年に至っては、更にスペイン・ポルトガル両国の移民一万人を招きいれるために、サンパウロ州議会はこの補助金を可決した。
 ここに、その補助金の割合を見ると次のようである。
十二歳〜四十五歳 男女一人に付き
      英貨五ポンド〜六ポンド
十二歳以下〜七歳までの男女一人に付き
      同 二ポンド十シリング〜三ポンド

 州政府が、このような渡航補助金を与えて、移民の招き入れをするのを見ても、如何に同州が労働者の必要に迫られているかを知ることが出来る。そして、同州が移民を必要とする理由の根拠は、単に一つ、二つではとどまらない、それを挙げれば、
第一、 コーヒー栽培者の欠乏
第二、 サトウキビ・米・綿花等の耕作労働者の欠乏
第三、 未開墾地開拓労働者の欠乏
第四、 家族的永住移民の欠乏
上記のうち、第一、第二については前述で既に述べているので、これから第三以下の理由を述べる。


○伯国移民状況(四)
前にも既に言ったように、サンパウロ州の気候・地味は、諸種の耕作物に好適で、コーヒー・米・サトウキビ・綿花は言うまでもない。サツマイモ・ジャガイモ・小豆・えんどう豆等の諸作にも適合し、特にとうもろこしの如きは年、四回の収穫を得ることが出来る。しかも、土壌がよく肥えているので、肥料を施す必要が無いという。だから、その収穫を言えば、実は大きく粒も多くて、日本の穀類は到底比較できるものではない。
 サツマイモ・ジャガイモ等は、一つの根からとても大きな実が4つも5つも成るのは珍しくともなんともない。天然の恵みはこのような状態なのに、単に労働者が不足しているために、内地の半分以上、特に鉄道交通の便がいい所に於いてすら、尚、空しく雑草の繁るに任せている広い土地が、その幾十万里なるかもわからないと言う有様である。これサンパウロ州の政府や民間が移民を招きいれるのを必要とする理由の一つである。
 第四の理由は、今から振り返って十八年前、ペドロ二世皇帝の時、黒人奴隷を解放したがために、地主等は大いに労働力の不足に苦しんだ。急いで、今までの黒人奴隷の労働に代わる白人の出稼ぎ移民によってやってみた。しかしながら、その出稼ぎ移民、特にイタリア・ポルトガル・スペイン等から来た者等は、三年又は四〜五年間ブラジルに居て、多少貯蓄が出来た時は、これを持って帰国するだけでなく、特にひどいのはコーヒー収穫時期、即ち労働賃金の最も高い季節を狙って、四〜五ヶ月間やって来て、その季節の終わりには、所得を持って帰国するものが大変多かった。
 このようにして、ブラジルの富の一部は毎年、必ず外国人の懐に入ってブラジルから逃げ出している。これだけでなく、彼等は初めからその土地に住み着く気の無い者であるため、永久的経営をして、ブラジルの国の富を増進するようなことは、少しも手掛ける者は無く、ただ、目の前の一時の利益を得ることのみを努めて、ブラジルが必要とする人口増加には、何等助け役に立つことは無かった。
 だから、近年にあって政府・民間共にここに着眼することになった。以前は、移民に土地を譲与することは無かったが、この三年以来、政府も民間も譲与、又は売り渡すことで、移民が住み着くことを奨励することとなった。
 特に、現農務長官カルロス・ボッテリヨ氏は、前述の移民土着制度の発案者であるが、その熱心さと精励さで、度々大地主等を説き諭して、とうとう今日に至っては州の世論となって、全面的に一時移民を好まずに、家族的永住移民を選ぶことになった。つまり、一時的出稼ぎ移民には、自然と働き盛りの独身者が多い。そして独身者はその去就が定まってない。これに反して、家族的移民には比較的住み着き、永住するものが多いので、まさにブラジルが必要としている人口増加の条件にぴったり合っているのである。
 これは、まさに近頃のブラジル移民の選択方針の変化と見てよいのである。即ち、サンパウロの政府や民間は、今や移民に対して、単に労働を求めるだけ無く、人口増加をも求めることとなった。そうして、前述の土着永住移民、つまり真の移民の始まりとして、同州大統領は、去る五月三日ロシア移民のために「新オデッサ」と名づける殖民区を新設して、これに関する勅令を発布した。この勅令は、今後どんどん続いて行く新設するべき殖民区設定の手本となる例だと思われる。



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