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杉村 濬(ふかし)第3代ブラジル駐伯弁理公使の「視察復命書」出石美知子書き改め集(その2)
出石美知子さんが明治38年の朝日新聞の記事を見付け現代風に書き改めた第3代ブラジル駐伯公使の杉村 濬(ふかし)さんの視察復命書は、笠戸丸移民募集中に新聞に掲載されたものでこれを読んで移住を決心した人もいるのではないかと思います。貴重な資料を見つけ出し読み易くWordに叩き直して呉れた出石さんに感謝します。その2は、コーヒーブームに沸くサンパウロ州が、奴隷解放後の新規労働力として移民を必要としている頃の視察復命書としては良くその視点を捉えての報告書のようです。ブラジルの移民収容所の様子は、前回の鈴木南樹さんの椰子の葉風での細述されており移住前史として一読するに値するものだと思います。
写真も当時のサンパウロのドンペードロ公園の写真を出石さんが送って呉れていますので使わせて貰いました。


○伯国移民状況(五)
第三章 サンパウロ市に於ける移民取扱局
サンパウロ州が移民を必要としていることは前述したとおりである。だから、州政府はなるべく多くの移民を招きいれるために、単にその渡航費を与えただけではない。その移民達がブラジル到着後に於いても便利を与えるために、二十年前から移民取扱局なるものを設置している。
 移民取扱局(hospedaria de Immegrantes)はサンパウロ市の南端にある広大な建物であって、ブラジル農務省の直轄に属している。この建物はサントス港、または中央鉄道から、リオ・デ・ジャネーロ港から来ている総ての移民の集合所であるとしている。下記に私が視察した時のおもな点を記述する。
 移民取扱局は、移民に関する事務所と、移民到着時の際に於いての宿泊所に充てる所である。移民到着の際、一週間だけは州政府の費用でここに宿泊できる。その間に於いて事務局は移民の労働先を斡旋する。そして、大抵は皆、一週間以内に雇われ先を見つけることが出来るという。
 もし稀に、一週間以上宿泊するものがある時は、移民の自費として一日五百レース(1レースは日本円で約七毛)の割合をもって、後日これを返さなければならない規則という。移民事務所の主な仕事は、移民と移民雇入れ人との間に立って、双方の便宜を図ることを第一とする。
 例えば、コーヒー園主その他移民の雇い入れを希望するものは、その人数、または給料額などを指定して、事務所にこれらの斡旋を依頼するのだ。そして、事務所は移民船の到着する一週間前に前もって、移民雇入れ依頼者に移民到着の日程と共にその人数等を通知して、依頼者が移民受取りのために当局に出かけて来るようにさせる。
 また、何の予約もなしに到着する随意移民で、労働の働き口を求めている者は、必ずこの事務所に於いて、その雇われ先の斡旋を依頼する。このような場合でも、移民と雇主とが労働に関する契約をするに当たり、事務局長は必ずこれに参加して、そして、双方の便宜を図り、土地の事情に通じていない新しく来た移民等に、雇主の過酷な要求に応じることのないようになど、本当に移民を保護するためにあるという。そして又事務局は、移民到着の際に於いて、その姓名、身分、職業、年齢等を一々書類に照らして検査し、その合格かどうかを決める。
 同局長の語るところによれば、常に労働者の不足で非常に欲しがっている同州は、一時に二〜三千人が到着することがあるが、大抵一週間以内に夫々雇われ口を得ない者はないという。ただこの事務所は、単に渡来移民の斡旋をするだけではなく、帰国する移民に関しても又、その世話をするという。だから、移民事務局は労働者雇入れ希望者、並びに来伯移民双方の便益を図るために政府の設置した、雇人口入所(仲介所)とみて大差ないものとする。
 この移民取扱所、即ち移民の一時宿泊所は、煉瓦造りの広大な二階建て家屋であって、その外見の立派さはここに添付した写真を見て知って欲しい。その家屋は圭の字の形のようであって、それでもって、空気の流通と光線の入る様は、まことに工夫を凝らしたものであるとは同局長の語るところである。
 その前部、第一棟の階下は事務所、応接所、炊事場等に充てている。その後部の第四棟の下の部分を浴室や、移民達の所持する荷物置き場としている。中央は廊下で貫いていて往来に便利だ。その他は、上下とも皆、移民の宿泊に充てるところである。一室の広さ二十間四方位のものが凡そ四十余室ある。これに到着した移民を入れる場合は、八千人を収めるにも充分だという。だが、移民は大抵前後相継いで到着するから、一時に三〜四千人が落ち合うことは稀で、大抵は二〜三千人程を一時に収容するに過ぎないという。
浴室の構造などは、なかなか工夫を凝らしているのが見受けられる。第四棟の下の部分全部を浴室に充てて、その数は凡そ三十数室が並んでいる。
私が農務長官の案内でこれを観察した日は、丁度、その前日に到着したスペインの移民一千八百人の宿泊している者があったので、それで、身近にその実況を目撃することが出来た。(スペイン移民は、その健康、気力、知識、労働共に日本人移民に比べれば、やや劣ると感じられた)彼等は殆ど家族的移民であって、老幼男女、各自、自分の持って来た毛布等を敷き、また、毛布を持ってない者は(スペイン移民の多くは無一文だという)事務局より無料で貸し出す蒲筵《がまむしろ》を敷いている。(これらの部屋は、夜になれば移民の共同寝室に充てるものである)
そうして、目下寝台を新調中であって、既に調整済みの分も二十数余台あって、その価格は一個に付き三十ミルレースで、凡そ二十一円程である。今年中には千余りを調達するはずであると言う。うずくまって談話をしている者がある。肱を枕にして休んでいる者あり、物を食べている者あり、手紙を書いている者もある。そして子供は、その間を嬉しそうに遊び戯れている。あたかもこれは、下等船客の部屋を見るのと変わらない。そうではあるが、どの部屋も掃除をよくしてあり、空気の流通を良くしてあるがために、各部屋に二〜三十人を容れているに関わらず、少しも悪臭を感じない。


○伯国移民状況(六)
第三章 サンパウロ市に於ける移民取扱局(続き)
洗濯所は第四棟の傍に、更に別棟として建てられている。石を使って畳のように敷き詰めた場所である。水は螺旋(ネジ)によって自由に開閉するような仕組みである。移民の女性達には度々洗濯をする者、または衣類を乾かす者達を見かけた。
病室がある。ここには寝台、椅子、洗面器等一通りは備わっており、十二〜三室もあるようだ。移民患者を療養する所であって、事務局付きの医者もいる。診察・薬代共に無料とのことである。視察の当日は一人の患者もいなかった。
 炊事場は第一棟の下の部分にある。さすがに多数の移民が宿泊する所だけあって、スープを煮る釜、肉を煮る釜、飯を炊く釜等の大きな物が五〜六個並んでいる。これらの食べ物を試食するとパン、スープ、肉、米飯等、移民の食べ物としては思いのほか栄養価も高い。その各自に与える分量も、労働者の平素に当てはめて与えているので、決して少量で困ることはないと言う。
 同局長の言う所によれば、壮年男女一日一人の食料を、一ミルレース(現在の値上がりしている相場では、日本円で七十銭内外)と見積もっていると言う。水は澄んで冷たくて、一般市内に使われているものと同じ、つまり、同じ水道の水であるからである。

移民宿泊所の建物の裏には、サントス港税関の派出所がある。ここで夫々移民が持参した荷物を検査する。これは、移民にとっては都合の良い仕組みである。そもそもサントス港は、サンパウロ市から汽車で二時間程の所にある、同州唯一の港であって、旅客貨物の出入りが非常に繁忙であるため、移民達が一時に五〜六百人または、1千人以上もサントス港に到着する場合に、もし、その税関で移民の荷動きを検査することとしたらならば、単に多くの時間を必要とするだけでなく、移民達も空しく船中に留まっているか、または上陸してその荷物の検査を待っているだけになる。
これらの不都合と混雑とを避けるためにも、移民達がサントス港に到着するや否や、列車が直ちに海岸の船着場より移民及び貨物を搭載して、定時にサントス・サンパウロ間を行き来する汽車に接続するのだ。そうして、汽車はサンパウロ駅に到着する前に、移民取扱所の傍を通過するのである。移民及び荷物を搭載している列車をここに取離して進んで行く。これで移民等は直ぐにその宿泊所に入って、休憩することが出来る。荷物は、列車に載せられたまま、取扱所構内の税関出張所に停まる。だから、この荷物をゆっくりと検査し終えた後、番号札と引き換えに取扱所の倉庫の中に整列する。
こうして、移民がこの宿泊所に滞在している間にあって、移民局は夫々その雇われ先を斡旋し、またその雇人との契約に立ち会って、双方の便利を図って、契約を締結した後、その移民の到着地に到る間の汽車賃と宿泊料、共に皆政府払いとなることを取り計らうのだ。一言言えば、移民が到着宿泊後は、全く一銭も費やすることなくして、その労働地に行けることができる組織であるのだ。要するに、サンパウロ州が移民の必要性に迫れていることであって、移民招き入れと共にこの保護に関する設備は、まことに整っているということができる。


○伯国移民状況(七)
第四章 移民の種類並びにその労働及び賃金
前章に述べたように、サンパウロ州の政府や民間は、今では家族的永住移民を多く招き入れることを希望しているのは、一般的な傾向と言えるが、これは本当にここ三年来、新たに工夫して考え出した制度であって、初めから急にその実行を望んでいたものではない。ただ、一時的な出稼ぎ移民よりは、永住的な移民が欲しいことを希望していると言うに過ぎない。その上、サンパウロ州が移民の必要性に迫られているので急いでいるのである。
まだ、一時的な出稼ぎ移民を拒んで、永住的な移民だけを受け入れるというだけの時期に達していないのである。これらの時期は、あと数十年の後に於いてさえ、来るか来ないかを疑問に感じる程である。
だから、サンパウロ州の政府や人々は実際に於いては移民が、一時的か永住的かを問う時間も無く、仮にも移民と言うだけで、これを歓迎しなければならない境遇にあるからである。ただただ、その希望を言えば、独身者よりも家族的な移民を選び、また、家族的な移民にしても、一時的な出稼ぎ移民よりも、永久的に住み着く移民の方を選ぶというだけである。
そしてその理由は、独身者は去就が定まっていないがためである。だから、一定の年月その労働をすることを、必ずしも当てにすることが難しいのに反して、家族的移民は比較的永く一箇所に留まってこの労働に従事し、数年間は他に移る恐れが無いからである。
ことに、移民雇入れ主が独身移民に関して最も恐れているのは、コーヒー収穫時期、つまり、毎年五月より九〜十月の時期にあっては(場所によっては十一月?〜十二月になることもあるという)短期間に多量のコーヒー収穫をしなければならないことが非常に多く、従って、この時期にあっては労働賃金が非常に高騰する。
こういう時期にあって、家族の関係の無い独身者であるなら、簡単に前雇主の家を去って、比較的賃金が高い他の農園主に雇われてしまう恐れがあるからである。しかし、独身移民が必ずしも拒絶されるという訳ではなく、比較的こちらよりそちらを選ぶということである。
つまり、移民の種類を区別するなら下記の三種類とすることができる。
一、 独身移民
二、 家族的移民(一時出稼ぎの移民または都合により永く居住する者)
三、 永住的家族移民

以上である。そうして、その労働の賃金所得の方法も又、自然に異なるのである。
一、独身移民の賃金  
独身移民の雇用方法は、年極めと、日雇いの二種類がある。日雇いは、臨時に雇い入れることで、通常は賃金凡そ二ミルレースであるという。また、年極めの方では、一ヶ月大抵七十五ミルレースを給与とするという。つまり、一日二ミル五百レースに当たる割合である。(日雇いよりも年極めの給料がいいのは雇主に、少なくとも一年間、農園を去らないための安心感を与えるためである)
 そうして、いずれも食料と宿所とは主人持ちであるという。コーヒー収穫時期にあっては、収穫した分量の多少に従って別に給与する所もある。一日に少なくとも五〜六ミルレースより、多い者は七〜八ミルレースを得ることがあるという。この種の労働者は普段にあっては、農園主の命ずる雑務に従事して、その農園から付近の町村への用足しや雑用をし、または、農園主の野菜や家畜を付近の町や村に売りに出したり、または市場から買い物などをする。または、野菜の耕作、コーヒーの手入れの手助け等をしている者であって、定まった労働の無い者も多いという。
 そうではあるが、独身労働者五〜六人または十二〜三人が集まって、共同して合宿し、一週間又は一ヶ月毎に輪番で炊事などをして、一家族のような組織をなす者もある。これらの労働者は家族的移民と同様な労働を行うがために、その労働所得の割合は次の家族的移民の賃金と同じだという。(此項未完)


○伯国移民状況(八)
第四章 移民の種類並びにその労働及び賃金(続き)
二、家族的移民の賃金及びその他の収入  
移民地方に於いての主な労働はもともとコーヒー栽培であるから、一般の労働賃金もこれによって決まるようだ。だから、今からコーヒー園の家族移民について述べる。
 家族的移民は、おお旨年極め労働者であって、雇主から無料で貸与される家屋に居住して、各々家族毎に住まう。その食料は自前ではあるが、コーヒーの手入れに要する農具等は、雇主より無料で貸与されるという。(その衣食住の様子は、後章で細かく述べるのでここでは略す)
 労働者のコーヒーの手入れ、除草等の規格は1千株をもって単位とする。その1千株に対する給料は、地方と農園主によって多少は異なるけれども、一ヵ年平均およそ七十五ミルレースとする(目下の為替相場によれば、日本円でおよそ七十銭は、ブラジル貨一ミルレースに当たる。だからこれに従う)。
 そして、労働者一人で少なくとも三千株を受け持つことが出来ると言うから、一年間に二百二十五ミルレースを得ることが出来る。この他、上記と計算法が異なるものもある。それは、コーヒーの樹の手入れは、年およそ五回を必要とするため、その手入れ一回ごとに1千株に付き、十四ミルレースを払うと決めている農園主もある。この方法によれば、1千株に付き年七十ミルレースであり、もし労働者一人に付き三千株を受け持てば、一年の所得は二百十ミルレースである。
 そうではあるが、コーヒーの樹の手入れの給料は、移民がその所得として待つ所の主な部分ではなくて、移民が待つ重大な所得は別にあるのである。つまり、コーヒーの収穫時期に於ける所得がそうである。収穫期は五月から九月、又は十月になる。しかし、大きな農園にあっては、数千ヘクタール一杯の果実を、上記の短期間で、一時にこれを摘み取らなければならないがために、一日も時間が足りない多忙の繁忙期にあって、労働者には最高の季節である。だから、農園主は移民に前記のコーヒー手入れ世話料を支払う他に、この季節に於いては、特に移民労働つまりコーヒー実収の分量に応じて、その労働賃金を支払う。
 この割合は、採集果実五十リットル(一アルケール)つまり、七Kg半入りの一袋に満たす毎に五百レース(半ミルレース)を与えることとしている。だから、頑健で勤勉な者は、一日千袋以上を採集し、この時期毎日、必ず七〜八ミルレースを得ると言う。(私の実際に見たところによれば、一日に十二ミルレースに至る者さえあった。)
 しかも、その採集の労働は、必ずしも困難な仕事ではないために、子供、女性でもこれに従事することで、一日平均二〜三ミルレースを得ることが簡単であると言う。だから、今、その採集額に応じてこれを見積もると、日に五ミルレースとするのがその平均に近いものである。とにかくこの期間、移民家族一戸当たりの所得は少なくとも1千ミルレースを下らないと言う。大体これは、普通の家族、つまり、一夫婦と一〜二人の子供があるものについての例を挙げているので、もし、その家族で労働できる者が三〜四人、または五人以上であれば、収入は自然と増加するものであることが解る。
 労働者の給金は毎月末に支払う地主もあるが、また、毎年二回と定めている地主もある。これに関しては、当初の約束に基づくという。聞くところによれば、地主と移民との契約は、大抵は口約束にとどまって、書面契約するのは非常に稀である。
 移民の所得は、前述のコーヒーの樹の手入れの給料と、収穫時に於ける収実賃金との他にも、移民の臨時収入になるものがある。それは、移民がコーヒーの樹の隙間(この間隔は凡そ六尺位である)に、植え付けすることを許されたとうもろこし、小豆、その他の野菜を売って得たものと、また、移民住宅の後ろには必ず野菜畑及び、羊、豚、鶏、家鴨などの飼育に使える土地があるので、これから得る家禽等を自家用に充てた他は売っている。これが移民の臨時収入になる。
 このような臨時収入額を知るために、二〜三の農園主についてこれを尋ねたが、労働者達は皆、その金額を農園主に正確に言うのを嫌っているので、これを確かめることは出来なかった。そうではあるが、良く働いて倹約する移民であれば、毎年、若干の貯蓄ができ、または、故郷に送金している額を見て、移民の総収入額を推量することが出来る。
 聞くところによれば、移民は大体一戸に付き三百円内外の貯蓄または故郷への送金をしているようだと言う。これは、最近のオーストリア移民等の送金統計表の明示しているもので、オーストリア政府が、近年盛んにブラジル移民を奨励している理由は、おおむねこれに基づいているものが多いと言う。
 上記の移民等の労働は、普通一般の野外労働にして、必ずしも苦難を感じるほどのものではない。コーヒーの樹の間の雑草を除去し、樹株に肥えた土を被せるのが主な仕事である。その他、枯れ枝または折れた枝を切り取り、または幼樹を植え込んである仮の苗床から、枯葉、雑草、ゴミ等を取り去るに過ぎないだけだ。コーヒーを乾燥する仕事と一緒か、または同じように簡単な仕事であると言う。
 そうして、父親、兄弟等壮健な者が野外で普段の労働をしている間、女性達は炊事、洗濯または家畜の飼育の世話をして、又、時間があれば自分からコーヒーの樹の下の雑草を取り除く等のことをして、そして男性たちの仕事を助けている。
 家族的移民はこのように、三〜四年、または五〜六年の間労働して、多少の貯蓄が出来た時は、ある場合はこれを持って故国に帰り去るものもある。または、その貯蓄でブラジルに地所を購入し、家屋を建築して、そして農業を営み、または商業に従事して自活の道を立てる者がある。
 それら農業、商業の利益は、これを故郷日本に於いての農商業の、無駄に苦労が多くして、利益が少ないことに比べれば、ブラジルで自活する方が返って楽であることが判り、とうとうそのまま永住する者も少なくないと言う。
 サンパウロ州に於けるイタリア商人等は、皆、初めは出稼ぎ移民であって、最後には永住的移民となった者であると言う。そして、同市内移住者の数は少なくとも十万を下らず、既に、同市にあってRua Immig-santes(移民町)は、全てイタリア人の占める所で、中には既に巨万の富を持っている者があると言う。要するに、イタリア人が同市に居住する者が多いことは、同市だけでも三種類のイタリア語新聞があるのを見ても、それがどんなに盛んであるのかを推し量ることが出来る。

三、永住的家族移民  
とは、前に述べたように自分の都合によって、偶然永住として住み着くことになった移民を言うのではない。始めに故郷を出発する際から既に、早くブラジルに永住するための決心をして来た移民を言う。そうではあるが、ブラジル南部にあるリオ・グランデ及び、サンタカタリナ州に、年々来航するドイツ移民達は、もとから永住的家族移民であるが、これは今から述べようとするものとは別種であることを記憶しておいて欲しい。
 つまり、サンパウロ州に於いての永住的家族移民は、前述のように本当に最近の創設(制度)であって、単に移民に向かって、労働を要求するだけではない。この種の移民、つまり永住的家族移民は、その移民達の元来与えられている便益保護(つまりその渡航補助金や永住すべき場所までの汽車賃及び宿泊所)を受けるだけでなく、更に特別に便益を持っているものとする。
 特別便益とは、広大な土地をある条件の下に、非常に廉価で購入できることである。ここに、その条件の主なものを挙げれば、移民一戸に付き二十五ヘクタール(一ヘクタールは凡そ三千六坪)の耕地を、一ヘクタールに付き四十〜六十ミルレースの安値で持って譲与して貰える。そして、この地価の払込の方法は五ヵ年賦となっている。
 また、第一期に於いて地価の五分の一を払い込んだ者には、仮所有者である権利を譲受けられるだけでなく、この地価を全て払い込んだ者には、その住宅用地として二千五百平方メートルの一区を無料で譲与される等がこの主なものである。その詳細は次に載せている、ロシア移民のために創設された新オデッサ移民区設定の勅令に関して見ることが出来る。(此項未完)


○伯国移民状況(九)
第四章 移民の種類並びにその労働及び賃金(続き)
▲勅令一千二百八十六号(一千九百五年十一月三日)サンパウロ州大統領は、一千九百年三月十五日勅令第七百五十一号第二条により、付与された権限に基づき、ロシア移民のために新オデッサと名付ける殖民区を設定し、次のことを勅令する。

   勅令 1〜23条 (細かいので省略)

 移民事業の当局者であるサンパウロ州農務長官の言葉によれば、上記創設に関わるロシア殖民区は、何度も言うようだが、つまりその例に従って続々と創設される植民区は、努めて鉄道付近の地に於いて、これを選定し、殖民区の産物を付近の市場に輸出するための便を図っている。もし、鉄道の未だ敷設されていない地方に於いて、殖民区を設立するような場合には、政府はあらかじめ官費でもって軽便鉄道を敷設して、殖民区の運輸交通に利便を図っていると言う。
そして、その実例として、サトウキビ及び米の耕作区である官有植民地フニルと名付けた所には、汽車鉄道まで三時間で着く軽便鉄道を敷設して、つまり移民達の利便を図っている。このように、将来新設されるであろう殖民区の気候や、地味等は、前述のように鋤や鍬の入る所は必ず、高収穫があるよく肥えた土地であることは、疑うことのないものと知るべきであろう。
また、農務長官の言葉によれば、もし日本人で、新植民地を設立したいと思う者があれば、前述のロシアの例を基礎として、尚、その上に出来る限りの便宜を与えるものだと言う。日本人移民や起業者のために、特によく考えて見るべき事だと思う。




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