杉村 濬(ふかし)第3代ブラジル駐伯弁理公使の「視察復命書」出石美知子書き改め集(その3)
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杉村公使の「視察復命書」その3は、伯国移民状況(十)第五章 珈琲、耕地及び移民生活の状況から始まり(十一)続き(十二)第六章 新たに来るべき移民に関する注意事項で終わり結論に入り、気候、移民の衣食住、衛生、労働及び賃金、日本人移民が享受するはずの保護特権及びその他の権利、社交上の地位及び待遇、言語と七項目に分け細述し結論としてイタリア移民の禁止の為サンパウロ州は、新しい移民を必要としており渡航費の負担他好待遇を提供しており、オーストラリア、北米、カナダ、南洋諸国、ハワイ等に比べサンパウロ州の珈琲移民は有望であると結論している。またロシア移民の例も上げ、日本の海外企業家、有志家、移民会社等による日本植民地の創設も将来において有望事業と勧めている。
写真は、出石さんが送って呉れた当時のリオの写真をお借りしました。
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○伯国移民状況(十)
第五章 珈琲、耕地及び移民生活の状況
サンパウロと言えば、ブラジルに於いては、同時にコーヒーを連想するほど、コーヒーの好産地として知れ渡る地方であるから、そのコーヒー耕地の広々と開けた原野の様をまず想像するべきであろう。
とりわけ、サンパウロ市から北方へ汽車で三時間半ほどの所にあるカンピナス以北は、同州の中でも特にコーヒー産地として知れ渡っていて、北の方に十二時間以上も汽車で通過する間、その目に見える限り間違いなくコーヒー園を見るであろう。見渡す限り、果てしなく広々と開けた原野は、全てコーヒー栽培畑であって、ぐるり見渡す限りただ整然としたコーヒー園であって、人はまるでコーヒーの海の中にいるようだ。
北地方にあっては、一農園主にして一万ヘクタール以上のコーヒー耕地を所有する者もあると言う。仮にそれが七〜八千ヘクタールから五〜六千ヘクタールの所有者にあっても、もともと素晴らしい事には違いはない。
サンパウロ州に於いてのコーヒー園主の数は、大小合わせて一万五千であって、その所有面積は四百二十九万ヘクタールである。そして、その主なものは多くはリベラオン・プレートーの付近にあると言う。如何にコーヒー耕地の広大であるかを推し量ることができる。コーヒー園主として知られているドイツ人シュミットの耕地、またサントス・ジュモンの耕地も、皆、リベラオン・プレートーにある。
シュミットの耕地は、周囲七十五キロメートルであって、コーヒーの樹、三万株を所有している耕地は、これを十区に分けて、一区に凡そ五〜六十戸の移民が居る。その隣地ジュモンの耕地は、軽気球の発明者として有名なサントス・ジュモンの父祖の所有である耕地で、今は英国合資会社の所有に属して、その面積は一万三千エーカーあり、コーヒーの樹が五百万株、労働者は五千人もいると言う。
私がリベラオン・プレートーに於いて視察した耕地は、Buenopolisと称して、Riberao Pretoを西南方向に汽車で一時間半ほどの所にあって、農業合名会社に所属している。その面積は五千ヘクタールであって、これを八区に分けて、各区毎に一人の監督者を置いている。その労働者は、八百五十の家族であって、人数は合わせて三千人であると言う。このように、耕地は前後左右全て連続して、見渡す限りただコーヒー園である理由がこれで判るであろう。
さて、コーヒー耕地の大小広狭は前述のように、夫々異なるとは言っても、その組織は殆ど同じである。次にその概略を述べる。
耕地の中央に当たる所には、必ずその農場主の家、または管理所があり、耕地総監督の住宅である。つまり、耕地に於ける一切の事務(仕事)を総轄する所である。だから、あちらこちらの耕地に行き来するための道路は、一つとしてここに集まらないものは無い。これは、コーヒー収穫の時期にあって、あちこちの各区のコーヒーを一箇所に集めるのに便利なようにしたためである。
例えば、各区の耕地は車輪の軸(輻)の様で、この中央の地はその中心(軸)の様である。各々軸は全てここに集中する。そして、その建物の周囲に水車仕掛けのコーヒー精選所、或いは広々とした乾燥所がある。厩舎と牛舎等は、コーヒー倉庫と向い合って並んでおり、農具の修繕、製作をしている鍛冶場、大工場などが軒を連ねている。そして、その建物の周りの庭には、野菜畑や果樹園があって、これは、農園主の自家用に使うものである。
耕地はその地形に従って、これを分けて区としている。その中で大きな区では、五〜六十戸の家族で、その耕地のコーヒーの樹を育てることに当たっているものがある。小さな区では、七〜八軒の家族で行っているものもある。この様に耕区を分けて、各所に散らばって移民の家屋を建てる訳は、移民達になるべくその受持ちのコーヒーの樹の近くに住まわせて、受持ち場所への行き来を楽にするためである。
各々の区は、大体故郷が同じである家族移民でもって組織するのが通例であった。例えば、甲区はイタリア人だけで成り立って、乙区はオーストリア人のみによって組織するという様である。だから、イタリア人から成る甲区に、オーストリア人の家族を見ることは極めて稀である。これは、言語、風俗、習慣、感情などが同様である者をなるべく一区に集めて、これで移民諸般の利益を図るため為ばかりではない。各区は必ず移民監督人なる者がいて、これも多くはその耕区の移民と同じ国の人を充てるが為で、もし、一区の中で異なる国民から組織する時は、監督者の苦労が極めて多いからであるからだ。
後日もし、日本移民でブラジルに来る者がある場合に当たっても、また必ずこの例に従うものであるから、日本移民の住んでいる一区は、まるで日本村の感がある。そして、この移民監督者はもとより農園主の費用でもって雇い入れるものであって、この月給などはその監督受持ち移民家族の多少、または耕区の大小等によって差などがあるが、中には一ヶ月一コント五百ミルレース、大体日本円で一千五百円を受ける者があると言う。
この地方での大きなコーヒー園は必ず鉄道の通過する近くにある。思うに、この鉄道を敷設するに当たって、なるべくコーヒー園の近くを通過するような方針に出たものの様である。だから、前述のコーヒー園の様にいずれも鉄道線路付近にあるのだ。
そして、各コーヒー園はその一番近い駅から夫々のコーヒー園に至る間に軽便鉄道を敷設しており、コーヒーの運搬、労働者等の行き来に便利なようにしている。それだけではなく、これらの軽便鉄道はコーヒー園の各々を貫通している。そして全て中央事務所の前に四方八方から集まって来る様子は、まるで光線が太陽から降り注ぐようだ。
私の視察した合名会社の耕地にある、軽便鉄道の延長は合わせて二十六キロメートルを越えると言う。だから、如何にその大仕掛けであるかを推し量ることが出来る。仮にそれが小耕地であれば、一番近い駅に通じる幅の広い道路を設けたり、耕地内では車で通れる道路を縦横に造ってこれで運搬する。また、交通は皆牛馬に依ることも出来る。
○伯国移民状況(十一)
第五章 珈琲、耕地及び移民生活の状況(続き)
▲移民の家屋 移民の家屋は各耕区の中にあって、中央監督所への交通が便利であって、また、居住している人の用水等も最も好都合な場所を判断して(占って)建築される。一区内の家数は多くは五〜六十戸になり、少なくは七〜八戸であるものがある。だが、大体十五〜六戸から二十三〜四戸までの区が一番多いと言う。
そして、これらの家屋は全く無料で雇主から移民に貸し出された物である。家屋は粗造りである煉瓦等の平屋であって、二軒続きの長屋造りが最も多いと言う。勿論、多人数の家族がある者にあっては、一軒建ての家屋を所有するが、これはむしろ稀であると言う。部屋数の多少、また大小や家族数の多少に従って、同じではないと言っても、大体に於いて台所兼食堂と寝室との二間に過ぎないようだ。
そして母屋の後方には、必ず物置小屋があって、これは移民各自が収穫した物の貯蔵所であって、移民自らが造った物である。そして、その材料は耕地内の樹木からであって、雇主から無料で与えられる物である。その他移民が使用する燃料などの材料もまた、全くこれと同じ耕区の付近にある樹木は、一切移民の使うままに委ねて、少しもその代価を支払うことは必要ないと言う。
各区の後方または家の付近に在って、移民達の自家用の材料に充てる野菜及び家畜の飼育所がある。これらの土地は無料で移民が借り受ける物であって、中には広い土地を借り入れて、様々な野菜を作ったり、鶏、豚、牛、羊等を飼育している者もある。これ等は単に自家用だけでなく、羊、豚、家鴨または鶏卵、牛乳等をその付近に売るためである。この収入は全て移民達のコーヒー栽培賃金以外の所得である。
各コーヒー耕地内には未開墾地がまだまだ多くあって、移民達が自力で開墾した土地は全く無料で、自由に使用することが出来ると言っても過言ではないのである。家屋の近くには小川があり、家族の洗濯用には充分である。要するに、これら移民の住む所、家族どちらも日本の小作人等のものに比較すると、大いに勝っているということが出来る。
▲移民の食べ物 移民の食べ物を述べるに当たって、まず一言述べるべきは、ブラジルにあっては、米を日常の食物の中で欠かせない物となっていることである。その他、トウモロコシの粉、パン、小豆と米と乾し牛肉とを煮た物や、サツマイモやその他の野菜類は、移民達の日常の食物であって、魚類の中で労働者の食卓の上がり得る物は干鱈である。
この中で最も多く用いられる物は、小豆と米と乾牛肉をよく煮た食物である。これは、その栄養分が多く、その価格が一番安いためである。その他、羊、豚、家鴨等は各自が飼育しているために、食物に充てるのは甚だ容易である。移民は各戸別で馬小屋を所有している。また各場所を望むままに自家で育てた野菜、トウモロコシ、小豆等を常食としているので他に費用を使うことは無い。
水は、谷間、または耕地内を流れる澄んだ泉を飲用している。時々井戸を掘り、或いは山腹を削って、樋を用いて引水する者もある。いずれも澄んで冷たく飲用に適している。
無一文の移民が、初めて到着した最初の一年、または半年間の食料は、雇い主よりこれ等を貸与し、次期の収穫時期にあって、移民達夫々の耕作から使った原料、または代価を返納するものとしている。そして、この返納は移民にとって、極めて困難なものではないと言う。なぜかと言えば、同州にあっては、トウモロコシまたはサトウキビ等は、年、四回も収穫があるから短期間にあって既に多少の所得があるからである。食物もその家屋同様に、サンパウロ州にあっての移民は、日本の小作人よりはやや優れるものと言うことが出来る。
▲移民の衣服 衣服についても、移民達のために大いに都合がよく重宝なことがある。それは、前に述べたとおり当州の気候は、春夏秋冬大体温暖であって、夏冬の差がそんなに無いことを見ても判る。所謂、冬期にあっても綿入れの様な厚着の必要は無く、だから、日本または北部中国、朝鮮等にあるような、各季節毎に衣替え等をする面倒なこともなくて、年中、大抵単衣と袷衣程で充分である。
ことにイタリア移民者達は質素倹約であって、たった二〜三枚の労働服を、繕い、洗濯をして年中同じ服を着ている様なものだ。そして、移民の労働用の服は、大抵厚地木綿のシャツとズボンだけである。仮に、祭日や休暇等の際にあっては、晴れ着としていつもの洋服を着る者もあるが、これは大変粗末であって多くは綿服である。
一般のイタリア人移民達は、生計が極めて質素倹約であるため、多少の貯蓄をしている後でも、せっせと働いて着る物、食べる物の贅沢などは全く考えてないようである。靴なども、普段は安い木靴であって、革靴を履くのは極めて珍しい。労働に従事する時は勿論、家に居る時もまず、大抵は裸足であるのが普通だと言う。
この機会に、移民の衛生の事に一言触れるが、この地方には一度も地方病なるものが無く、流行病はまた非常に稀であると言う。二〜三十年前であったら、時々疫病の流行することがあったが、州政府が特に衛生業務に改良を加えて、多額の費用を惜しまずに、水道並びに下水工事を完成させてから、流行病は、今や全く跡を絶つようになったと言うことで、この地方や人々の最も誇りとしている所である。
まして、これらの地方は、海抜五百〜七百mの高きに在る所であるから、更にいつも緑の葉がうっそうと繁茂している中に家があり、その労働は戸外にあって、空気の新鮮な所で耕作するので、自然と健康になり、病気の人が出るのは極めて少ないと言う。
現に、前に述べたボエノポリスにあっては、八百五十家族、三千人の移民の中、二年間に医師を必要とした病人を出していないということで、その地方が健康に適していることを証明している。
また真夏にあっても、日射病にかかるほどの暑気はなく、また乾燥しているので、未だ誰も脚気の病に掛かった者はないと言う。そうではあるが、普通の胃病、感冒、便秘、頭痛、切り傷または虫に刺された者はある様であるが、この時は移民が、地主の家に駆けつけて、これに合った薬を頼めば、無料でこの薬を与えてくれるのが普通である。だから地主等は、移民達の不意の需要に応じるために、予てからこれ等の薬品を備え置きしていると言う。
▲地主と労働者との関係 常に労働者不足に苦しんでいるこれ等の地方にあっては、地主は普段から自農園の労働者が、その耕地を去って、他の農園に移るのを恐れて、労働者を手厚くもてなすと言う。私の目撃した所によると、その関係はすこぶる打ち解けて、仲良くしているようであるが、寛大さや厳しさは、監督人達の性質によるものであるので、一概には断言し難いが、移民を殴打、鞭打ちするようなことは、今では全く無くなったと言う。
○伯国移民状況(十二)
第六章 新たに来るべき移民に関する注意事項
移民となってサンパウロ州に来ようとする者は、なるべく四月中旬頃にブラジルに着けるよう、その出発時期を決めるのが良策である。なぜならば、コーヒーの収穫は五月上旬から始まって、九〜十月の頃に終わるからで、この時期は農園主が労働者を必要としていることが最も大切な時期であって、労働賃金が最高の季節であるためである。
この様に、この時期にあっては、労働者は毎日少なくとも五ミルレース以上を儲けられるので、移民家族一戸の所得は、大抵1千ミルレースを下らないと言う。だから到着した時に全く無一文で、日用器具を買うために農園主に一時前借をしていた移民であっても、収穫時期の終わりまでには、楽に前借金を払うことができるだけでなく、多少の余裕も出来ることもあって、この時期は本当に新しく来る移民にとって、逃してはいけない好機である。
この様な収穫季節の労働者にとって、最も大切な時期であることは、以上のことでも知ることが出来る。つまり、ブラジルとその距離がそんなに遠くないスペイン、ポルトガルまたはイタリア等の労働者は、もっぱら、この収穫時期だけを目指してブラジルにやって来て、四〜五ヶ月の間労働した上で、その季節の終わりには、皆、多少の貯蓄を作って、これを持って帰国する者も少なくないと言う。
もし、船便等の都合で四〜五月の頃にブラジルに着くことが出来ないなら、むしろ九月ごろに到着する方が都合が良いと言える。どうしてかと言うと、ブラジルの気候では九月、十月の頃が諸々の穀物、野菜等の種蒔きの季節であるからである。
この時期に到着する移民は、直ぐにその受持ち畑のコーヒーの樹間に、トウモロコシ、小豆等の間作をすることが出来るだけでなく、各自で私的に借りている田畑に種蒔きをするため、到着の際に、地主より前借する数ヶ月間の食料等も、最も短期間に返済することが出来るからである。
移民は居住する家屋、地所その他近くの野菜畑及び家畜飼育等は、勿論無料で貸与されるが、日用必須の台所用具、飲食用具、または夜具つまり毛布(当州にあっては日本の様な夜具の必要はない)などは、皆、移民の自前であるから、各自これらの物品を持参することが良いとする。(到着の際にこれらの諸器具を持ってなく、また、これ等を買うことが出来ない者は、雇い主から前借をして、毎月の給料から少しずつ返済するか、または収穫時期に後払い、それとも年賦払いとすることを決める)
だから、欧州の移民達がブラジルに来るに当たって、夜具や食器は勿論(中には鋸、鉋、鑿等迄も持参してくる者もある)普段、自宅で使用していた物を、全て持参する者も多い。つまり欧州移民にあっては、持参する荷物の運賃はその出発港より、就業する農園まで全て無料で、州政府の負担であるからである。
また、日用品の什器類は、農園地付近の町や村では、自然と高価になるためであって、このため、なるべくはこれ等の品を持参する方が都合が良いのである。聞く所によれば、移民がもし夜具、食器その他一切の用品を持参して来た場合だとしても、尚、日用物品を買わなければならないためにも、最初に到着した際に、二〜三十ミルレースを前借するのが普通である。つまり、移民の多くは無一文であるからである。
結 論
さて、私の視察に基づいて述べて来たことから、今、サンパウロ州に日本国移民を招き入れることの適否について簡単に述べる。
第一、 気候 温暖であって、欧州諸国からの移民達は、これについて一言の不満を言う者はなく、その仕事に耐えていることを見れば、必ず日本移民にとっても、適している事は明らかだ。
第二、 移民の衣食住 の状態は、日本の普通の小作人達の生活に比べて、移民に来たばかりの頃は、その住居、食物共にむしろ優っていると言うことが出来る。
第三、 衛生 これに関しても、地方病または流行病等の心配はなく、またサンパウロ州の衛生管理は誠に良く行き届いているので、何等心配はない。
第四、 労働及び賃金 これは又、欧州諸国の移民と全く同等であるため、特別日本人移民だけが不利益になることはない。
第五、 日本人移民が享有するはずの保護特権及びその他の権利 これもまた、欧州諸国の移民と全く均一平等であって、少しも異なる所はない。
第六、 社交上の地位及び待遇 この点に関しては、ブラジルに来る日本移民は、北米、満州その他の外国に行く移民と比べれば、大いに喜び、幸福とするところである。もともと、サンパウロ州の住民は、その祖先をたどれば大部分は外国人であるために、一度も外国人を嫌がって嫌うことや、または軽蔑するなどの事はない。米国や満州などでは、黄色人種に対してはその権利を制限し、その社会的な付き合い、または感情に於いて、一種嫌悪、侮蔑の気持ちを抱き、ことに近年はその状態が更に厳しくなるようではあるが、ブラジルに於いては、全くこれに反して、黄色人種も白人もその上、黒人奴隷の子孫も、完全に平等の権利を有しているだけでなく、社会上の交際に於いても、感情面であっても、全く一視同仁(誰をも差別せず平等に見ること)であって、その間柄はわざわざ軽蔑したり、嫌悪の気持ちを持つことは決してあり得ない。現に、ブラジルの重要な地位の人であっても、黒人奴隷の遠い子孫である者が少なくないだけでなく、その先祖が外国人であることから、高く重要な地位にある人もまた多いと言う。だから、日本人移民がこの地に来ると、むしろその肩身がやや広くなるのを感じるのである。
第七、 言語 ブラジルの言語はポルトガル語であるために、ラテン系に属しているイタリア、スペイン、ポルトガル等の移民に比べれば、日本人移民にとってはやや不便ではあるが、日本人移民でもって、オーストラリア、北米及び南洋諸島に行く者に比べれば、何等便利・不便の差がある訳ではない。現に、ブラジル用語の一言半句をも解らないエチク人、シリー人及びロシア人等が続々と来航して、何の不都合が無いのを見れば、日本人移民だけが不便と言う訳ではない。特に移民地には必ず、移民の言葉が解る監督者を置くのが普通であるとするので、この点に関しても又何等心配する事はないのである。
以上の諸点から観察を判断すれば、日本人移民をブラジルに勧め入れる事については、何等不都合があることはない。いや、むしろ、日本人移民のためには、最高の場所であることを認める。ことに今や、イタリアでの移民禁止のために、サンパウロ州は移民の不足を感じていることが切実で、政府・民間共に一般労働者を歓迎する時期であることもあって、日本人移民の排斥されている米国等に行くよりは、むしろブラジルに来ることが、日本人移民の人達のために大いに役立つことだと思う。
その距離は、勿論米国よりは遠隔ではあるが、米国行きに比べてみれば、その旅費はやや多いのは嫌だが、幸いにしてサンパウロ州政府は、その渡航費の全部または一部を負担してくれるために、これに大変苦心して胸を痛める必要は無い。まして、この償給を受け取った移民としても、これに対して何等返済等の義務を、将来共に負うわけではなく、また当州に住み着くと、全く自由な労働者として取り扱うと言うわけである。
オーストラリアにあっては、移民が全禁止され、北米に於いては窘迫(苦しむいじめられる)にあい、カナダにあっては排斥されて、南洋諸島やハワイにあっては、その労働区域が年々縮小されようとしている日本人移民達のためにも、当サンパウロ州であっては、実に天から与えられた、樂境福土ではないだろうか。いや、単に移民の為のみならず、日本の資本家である者もまた、一考するべき必要があるものである。
米国その他、諸般の耕作に適する肥沃の土地であって、しかも、鉄道付近に位置して、交通運輸の便があるかどうかに関わらず、地価は極めて廉価であるために、資本家または起業家である者は、これらの土地を買い受けて、ここに自ら日本村落を建設して、その移民でもって耕作及びその他の作業をさせるとすると、その事業が大きければ大きいだけ、利益が大きいのは明らかに知られるものである。
もし、この土地を買い受けることを望んでいなければ、前に述べたロシア人植民地の例のように、多少の資本を投じて、日本植民地を創設することにすれば、これは将来において有望である事業と言うことが出来る。
この様に、これ等のことに関して、日本の海外起業家、有志家、または深慮遠謀(遠い将来までを考えている)の移民会社等が、多少の経費を惜しまないで自ら出掛けるか、またはその同志や社員を派遣して、当州を実地に視察することだ。これはまた、緊急を要することだと考えるべきところである。(完)
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