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≪伯国日本移民の草分け≫  鈴木貞次郎著作 (その1)
又々、神戸の旧移住斡旋所(移住センター)現移住ミュージアムの週末の訪問者に語り部としてブラジル移住に付いての説明をボランタリーとして手伝っておられる出石美知子さんが絶版で図書館でも見付ける事が難しい≪伯国日本移民の草分け≫を見付けて呉れてワードに変換し本の挿絵の当時の写真と共に送って呉れました。笠戸丸以前の1世紀以上前の日本移民史の前史に当たる日本移民の草分けとしての鈴木貞次郎さん著作を40年!!ホームページに残して置く事が出来る事を出石さんに感謝の気持ちを表します。連載は。不定期に7回に分けて掲載予定です。BLOGに転載しMLでもメンバーの皆さんにも紹介させて頂きます。
写真は、本の表紙です。


自  序

書物には序文が必要であるということである。ブラジルで土に親しむ私のような百姓にとってそんなことはどうでもよいような気がするが、それでは体裁が悪い。売り物である以上世間並みのことを書くのが義務であるという説に負けて、気のついたことを書いてみる。
『伯国日本移民の草分』は私が今から28年前の明治38年12月、横浜を出発してから、明治41年7月日本移民がサン・パウロ州に着いた迄の自叙伝が中心になって、ブラジルに対するパオニア時代の全日本人の交渉と、サン・パウロ州の自然人事等とを織り込んだ記録である。裏面から見た、かくれた伯国日本移民史を描くと共に、サン・パウロ州の珈琲園労働、及び一般社会の生活等を如実にうつしたいという努力が多少にても実現し得られれば満足である。
 従来の日本に於けるブラジルに関する著述は数十を以って数ふるも、その多くは旅行者の単なる外見上の皮相な観察か、官辺における統計等を主としたものに過ぎない。私の如く自ら鍬を取って土を打ち、植民地を拓き、筆を握って伯国の官吏となる等、あらゆる社会生活を体験したものの汗からにじみ出た結晶による著述は一冊もなかったと言ってよい。
 叙述の方法に於いても、実際生活をうつして而も興味を失わないように努めたので、多少冗長に失した嫌いないでもないが、日本には未だこう言う風に植民地生活を描いたものを見ない。本編の過半は日伯協会発行『ブラジル』に『椰子の葉風』と題して連載されたものである。原梅三郎氏が本書の編製に多大の援助を惜しまなかったことをここに感謝する。
 本書の扉にある文字は、著者が根岸時代の先輩河東碧梧桐氏に懇請したるもの、氏が雄麗なる筆勢は本書の唯一の誇りとするところである。
 著書に自分の像を載せることが流行るが、私は自らを詠んだ和歌数首を以ってこれに代える。
  歯がぬけて からから笑う 大男 白髪交じりの 髭男かな
  気にくわぬ 時にはものも 言わざれば 人に好かれぬ 気まぐれ者ぞ
  妻にさえ 理解されざる この男 孤独に生くる 淋しき男
  釣りも好き 蘭も愛ずれば 囲碁もよし 下手の横好き 和歌よむ男

     昭和八年二月一日
                                    著  者

目 次
移民の見本
日本公使館の人々
聖州巡視
聖市滞留
珈琲園生活
移民収容所


伯国日本移民の草分
                            鈴木貞次郎 著
移民の見本
          一
 ヴェノス・アイレスを出帆したロイドブラジレーロのS号はすこぶる平穏のうちにブラジル沿岸を航海してリオデジャネイロ港に入ったのは1906年4月上旬のある晴れ渡った日であった。
 天柱の様にそそり立ったパンデアスーカルから烏帽子の形をして斜めに落ちかかったようなコルコバードス山、それを背景にしたボータ・フォーゴからコベルナドール島に引いた一線は絵にもあらわし得ないと思われるリオ港独特の自然美である。
 ダーヴィンの旅行記を読んでみると、コルコバート山頂には何時も雲影が漂流して森林も山影も、はっきりと視界につかむことは困難である。と言って雲とコルコバート山の配合に限りなき美を発見しているが、こんにちは心ゆくばかり晴れてダーヴィンの感懐と違った朗らかな美しさを見せている。
 目を右舷に転ずれば鋸山を更に大きく一層起伏を鋭突にした山脈が、美しい小さな市街ニテロイを前景として、奥へ奥へと高い波を打って聳えている。その最も絶妙を極めたのはドラゴン山である。
 ドラゴン!それは龍という意味で、最もよく形と気分とをシンボルしたものである。あの巨大なる空想の産物たる龍がドラゴン山の奇峰が空を魔する天辺から雲霧を巻き起こして、その奇怪なる爪と顔面とを現していると言っても何人も誇大な形容であると言うものがなかろう。(ドラゴン山はオルゴン山の事、旅行中の一伯人の話による)
 見よ、今しも濃淡さまざまの墨を流したような雲が渓谷から、渦巻いてドラゴン山は刻一刻にかくされてしまう。
 感激しやすい青年は
「まあ!何と言う雄大な景色だろう、あの群青色に塗られた壁に、黄と緑とを配したお寺のドーム、その前に並んで立っているのはパームだろう。パーム!パームだ!」
 黒寂びた花崗岩とパームの緑との鮮明な影を落とした静波の上には白帆を挙げた快走船も見えた。 
S号の甲板を心そわそわと往来しながら展望されるグワナバラ湾内の光景は全くこれ青年の心を捕捉し、陶酔のまぼろしに引き入れる大きな魅力であった。
「ブラジルに来てよかった」
 心ひそかにかく叫んだ私の目には嬉しなみだがにじんでいた。
       ×   ×   ×
 私の取った旅券は南米チリ行であった。横浜にチリ総領事館が出来てから裏書を取ったのは私がイの一番であったと言うことで、既に日暮近くになっていたのに、総領事は病躯を押してビザをしてくれた。
 勿論、私の胸には白雪を頂いたアンデス連峰をバックとした晴爽なチリの大気にあこがれの心でいっぱいであったが、それよりも只何となく地理書で読んで印象づけられた清澄なチチカカ湖畔があった。茫々千里パンパの草原があった。洋々たるアマゾン河畔があった。当時青年の心に冒険的夢想があっても確実な経済的打算がどうしてあり得よう、一言にして言えば誌的なそうした空想的なアドベンチュアがあったというのが真相である。
 横浜を出航してペルーのカリヤオに直行するグレンファ―グ号は色々の意味に於いて戦勝日本が海外に送り出すサムシングであった。同乗者には東洋汽船の伊藤法学士がいた。北海道の山縣農場を代表した北米帰りの青年がいた。スペイン語科出の秀才の田中君がいた。
 その中にブラジル移民契約の使命を帯びて行く水野龍氏が居った事が私の運命をして今日あらしむる機縁となったのである。水野さんと知り合いになったのはホノルルが見える筈だと言って退屈な船客達が望遠鏡を目に当てて外洋の雲影を注視する頃であった。
 水野さんの頭髪はその頃から白かった。短刈りの丸い頭にまばらな白髪が混じっていたのは老成な或る重味を見せ、バラバラな胡麻塩の口髭をちびりちびりと抜き取り乍らややうつむき加減な顔をして何事か一大事に逢着しながら而も悠揚せまらずといった風な応対ぶりはあの特色のある口辺の微笑と相まって単純な青年の心を魅惑するに充分なるものがあった。

          二
 ティー・タイムには、三等客であったが私と田中君はいつも一等客の甲板に押しかけて行ってお茶のご馳走になった。その日は夕立の降り去った涼風を浴びつつ一等客は皆その白い軽装を椅子の上に投げていた。
水野さんは私を傍近く呼んで、
「まあ、読んでごらん。気に入ったらブラジルに行こうじゃないか」
 例の有名な杉村公使のブラジル移民に関する報告書を渡してくれた。
「そうですね。私は必ずしもチリと限ったわけではありませんから一つそれを読んで考えさせてもらいましょう」
「それがよい。君、チリも悪いとは言わぬが、ブラジルに行って移民の先駆となるのも面白いじゃないか」
 移民の先駆! それは私にとって一種の魅惑であった。私は船室に戻ってから一気にこれを読破した。コーヒー樹と言うものはどんなものであろう! 絵にも写真にも見たことのない私はしきりに夢想した。忽ち可愛らしい人間位な丈の、草とも木ともつかない形に作り上げてしまった。所謂その夢想の珈琲海にはバラの如き南欧の美人が働いている。その内にはカルメンの様な女性が混じっていないとも限るまい。清澄な水流にはありとあらゆる魚族が遊泳している。紺碧な空に翻るパームの葉風、そこに鳴きしきる美妙なる小鳥の群れ、緑や真紅な翼を持った鸚鵡族は昔話の様に飛んでいよう。私にとってそれ等の全ては一大絵画であり、一大詩篇でもあった。
 私の心は訳もなしに動いた。同室の田中君が、しきりに移民屋に利用されることの危険を説いても、耳を傾けるには私の熱は余りに高かった。むしろ田中君がブラジルに行こうとする私を遮止するのは嫉妬するのではあるまいかとさえ思った。
 私が杉村公使の報告書を手にして水野さんの前に立ったのは、その翌くる日であった。
「ここに書いてある半分の事実があったとしても、珈琲園労働は愉快ですなあ。私は貴方と一緒にブラジルへ参りましょう」
「それは君、公使の報告書だからね、うそはないよ」
 水野さんは特有な微笑をして、口髭をぐっと一本ぬくと私の顔をまともに注視した。興奮した私の顔は火の様に燃えた。
「どうぞ連れて行ってください」
軽く頭を下げた。
「実は私も一人の青年を同伴するつもりであったが、時日がないので残念なことをしたと思っていたのだが、君が行ってくれるならこの上のないことだ」
 水野さんは自分の膝頭を二つ三つ軽く叩いて、
「それがよい、それがよい」
こう独り言の様につぶやいた。
 水野さんの腹を割って見れば、チリ迄の切符を持っている。この青年を連れて行くのは、日本より様々な手当てをして連れて行くよりは第一経済であり、何だかこの青年は真面目で、馬鹿正直らしくも見える、体格も日本人としては十人並みを下らない労働者を同伴することは、ブラジルに着いた時、杉村公使の好感を買うことともなり、果たしてサンパウロ政府が公使の報告通り日本人にも旅費の補給をするか否やを、この青年によって実験することが出来ると言う、四方八方甘いことづくめの期待を持ってしたことで、実は私が果たしてチリに留まった方が幸福か、ブラジルに行った方が利益であるかと言う様なことは、てんで問題でなかったのである。

          三
 果然(※果たして)船内で私のブラジル行きに対し、
「鈴木は移民のサンプルになるんだ。」
という噂が高くなった。この噂の裏には、可哀そうに鈴木は移民屋の犠牲になるのだという意味がふくまれている。移民の見本!人間を物品扱いにする所に味がある。そうだ。俺は移民のサンプルになるんだ。移民会社の色々な暗い歴史が頭に浮かんで来る。一時恐怖の念がむらむらと広がらないでもなかったが、水野さんの顔を見ると私の心はすぐ晴れ晴れしくなって来る。水野さんは日蓮宗だ。慈悲善根を基調とする宗教家にそんなことはあり得べき筈がない。あの落ち着き払った態度から、ぽつりぽつりと話し出す言葉に嘘はあるまい。こんな弁解が、何所からとなく湧いて来る。私はむしろあこがれの国ブラジルに連れて行ってくれる水野さんをこの上もなく徳とし、若し聖州政府が七ポンドの旅費を支給するならば、先ず第一に水野さんにあげよう、なお不足があれば働いて返金すればよい。私は水野さんの奴隷ではないとひたすらに純な心で明るい方面のみを見た。実際私は疑うよりも信ずることの心安さを感じたのである。
      ×   ×   ×
こうした二人はいよいよ目的の地を踏んで立ったのである。言語の不通は二人を意外な困難に逢着せしめた。荷物の関係から税関の所在を聞かなければならなかったが、二人ともアルファンデガというブラジル語を知っていない。私はカバンを開いて荷物を取り出し、これを検査する、それから金を払うと言う様な手真似をして
「カストムハウス。カストムハウス」
 と叫んで、辺りの人に聞いてもただけげんな顔をするばかりで誰一人この東洋の旅人のコミックな仕様を理解するものがなかった。仕様ことなしに二人は埠頭からアベニーダ・セントラル(現今のアベニーダ・リオ・ブランコ)の方に歩いて行った。その頃のアベニーダは建設最中で、工事場のほこりと音響とは、まだ植えて間もない街路樹のパオ・ブラジルの細葉を震え慄かせていた。道行く黒奴、店頭の果物、濃厚な色で塗った建物、気を遠くする様なむし暑さにも好奇心をそそる何物かが潜んでいた。とある四ツ角の両替屋らしい所で漸くロイド・ブラジレーロの事務所を聞き出し、そこで荷物は明日税関に出頭の上受け取るべきことがやっと判明した。
 かくて二人はペトロポリスの日本公使館を訪問するため、ニテロイ市行きの船に乗った。
 白いカモメはすいすいと海から船端へ、船端から空へ舞い上がった。空の白い雲からは強烈な太陽の光線が放射されて全てのものを如何にもトロピカルらしく見せた。
   刻々に 見えくる山よ 椰子の木よ 船は汽笛を 高く挙げたり
   青あらし コルコバードを 吹き落ちて やがて小舟の 白帆をはらむ
   椰子の木に 一点の星 輝けば かの山よ水よ 皆詩の国



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